縞馬は青い

縞馬は青い

映画とか、好きなもの

ポップカルチャーをむさぼり食らう(2020年4月)

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映画館に通えなくなってから早1か月半くらい。それまでは週末に2〜4本の新作映画を観ていた生活が一変し、演劇もライブも軒並みなくなって、世界中の人々と同じように僕も一日中家にこもっている。ふと気づくと1か月以上、対面で知り合いと会ってない。仕事も完全テレワーク。そのあたりは言うほど寂しくないからどうでもいいのだけど、問題は僕の好きなカルチャーが一体いつ戻ってきてくれるのか、という漠然とした不安のほう。僕と同じように週末に映画や演劇、ライブに行きまくっていた人がたくさんいたはずで、そのぶんの経済の動き、文化の流動がなくなったいま、どのようにカルチャーは再生していくのか。まったく予想ができないでいる。

小規模な映画配給会社や大手シネコンのほうもかなり心配ではあるけれど、ひとまずはミニシアター支援のクラウドファンディングにその月の映画代ぶんくらいだけ支援した。大阪のミニシアターに1時間と2000円を費やして通っていたあの時間がなければ、きっと僕はこうしてカルチャーにどっぷり浸かることはなかっただろう。クイックジャパンウェブでミニシアター支援のいくつかの方法をまとめた記事を書いています。ぜひ。

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それにしても「ミニシアター・エイド基金」のクラファンのリターン(「サンクス・シアター」という名称がしあわせ)が申し訳ないくらいに豪華。深田晃司瀬田なつき三宅唱濱口竜介などなど日本映画界を今後20年背負っていく監督たちの初期作品はめっちゃ観たいし、みんなにも観てほしい。昨年のマイベストワン映画である『ひかりの歌』(杉田協士監督)(未DVD化)も入っているので、観てみてほしいです。坂元裕二ドラマに匹敵する“まなざし”の映画で、先を生きていくお守りになるはず。

新作映画や演劇、ライブを観れないことに悲嘆しつつも、実はその一方で少し安心している自分もいる。それは、しっかりと腰を据えて一本の映画に向き合ったり、長すぎる映画史のなかにある未見の映画を観たり、それに対応する映画批評を読んだりする時間がこれまではまったく取れなかったから。何も知らないことに気づく2年の社会人生活を経て再び大学生のような生活に引き戻された僕は、怠惰なりにも旧作映画を掘ったり、批評雑誌「ユリイカ」の文章を読み込んだり(メルカリで過去のやつもたくさん買えることに気づいた)、文章を書いたりしている。

長くがむしゃらに社会人として走り続けてきたみなさんにおかれましても、ちょっとした心の休暇の日々になることを願っています。ほんとうは外に出て、めいいっぱいヴァカンスできれば言うことないんだけどね。でも「なにかをしなければいけない」(僕にとっては毎週末映画を観ることも「新作映画を観にいかなければいけない」という義務感になっている部分が少なからずあった)というストレスから解放される時間は、老後を迎える前の人生のうちに何度かはあってもいいと思う。


* * *

 

今月もたくさんカルチャーに接することができたんだけど、それを振り返る前に、合間合間の暇を持て余し尽くした時間に観ていたものを先に書きたい。それというのも、エビ中と、ぼる塾にどっぷりなのだ。

先月のカルチャー日記にもそのハマるまでの経緯を書いた私立恵比寿中学は、その後もYouTubeで公開されているライブ映像やメンバーのインスタなんかをみてハマり散らかしています。ハロプロと違って、やっぱりストリーミングで音源を聴けるのもいいですよね…。なんせ僕がアイドルを好きになる第一条件は楽曲や歌唱力の部分なので。正統に(?)『エビクラシー』の「感情電車」や「紅の詩」あたりを聴き込みつつ、最新アルバムの『playlist』がすばらしくよくてめっちゃ聴いてる。多彩なアーティストとのタッグ曲がたくさん収録されているアルバムなのだけど、iriプロデュースの「I’ll be here」とポルカプロデュースの「SHAKE! SHAKE!」、PABLOプロデュースの「PANDORA」あたりの曲調の違いが楽しすぎる。違いというか、完全に各アーティストの曲調に憑依しつつ、滲み出る6人の個性ある歌声が耳を幸福にしてくれる。“幸福なコラボレーション”としか言いようがない。なかでもやっぱり小林歌穂さんの歌声が大好きです。

 

YouTubeの「ぼる塾チャンネル」にハマった。昨年のM-1予選の動画でしんぼるのネタを観ておもしろいなぁと思ってたんだけど、まさか4人組になっているとは思わなかった。UPされている動画は全部観てしまって、アメトーークやしゃべくりでの活躍も追っていました。とにかく、「あんりが有能すぎる」ということを言っておきたい。まぁ見てのとおりなんですけどね。アメトーークではそいつどいつ竹馬やザブングル加藤三四郎小宮など、しゃべくりでは世間知らズ西田あたりと非常にポップな“敵対”関係を見せてズバズバいけるあんりのツッコミ力をアピールする一方で、そのしゃべくりでの「海外ロケに行くなら体を張るより普通に旅行したい」という発言にゆるさを見せたり、視聴者はキャラクターを捉えやすいうえにそのキャラクターは現代性を帯びていていい意味で複雑。

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そういう柔軟性は漫才において田辺さんとはるちゃんという全く性格の異なる変人を扱うなかでも現れているのだけど、そのなかでも感心するのは“ちょっと危険性を孕んでいる”はるちゃんの扱い方。ぼる塾がポテトチップスを平らげる動画のなかで『きのう何食べた?』の話題になって、ジェンダー的な観点から話が食い違いそうになるのだけど、あんりは一瞬戸惑いつつそれを軽やかに軌道修正する。きっとはるちゃんは思ったことを口にしてしまう人だから、あんりの自己批評性や柔軟性が助けになるのだろう。「ニューヨークのニューラジオ」で語っていた結成秘話も面白かった。「あんりが言うとなんでも面白くなる!」と嬉しそうに話すはるちゃんがかわいい。


【ゲスト:やさしいズ&ぼる塾】ニューヨークのニューラジオ特別編#17 2020年3月18日(水)

 

演劇

家にいるのに、演劇をめっちゃ観れたひと月だった。YouTubeで公開されている『生まれてないからまだ死ねない』で初めて範疇遊泳の演劇を、CSで録画(昨年の今ごろだけど…)していた『ヒッキー・カンクーントルネード』『て』でこちらも初めてハイバイの演劇を、1日だけ映像配信されていた『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』でこれまた初めてチェルフィッチュを観ることができた。

ハイバイの家族劇はどこか歪な形をしていて(『て』の二重構造など)、初見としてはちょっと見づらかったけどまさしくそれが魅力でもあるだろうから他も観てみたい。チェルフィッチュは次回公演があれば必ず観にいきたいってほどよかった。これもハイバイと同じく、というよりそれ以上に構成がカオス(コンビニという普遍的な場所を舞台としながらも、登場人物たちは必ず身体の動きを伴った奇妙な会話を繰り返す。バッハの音楽に載せて)で最初は戸惑ったけど、その煩雑さ(簡単な言葉で言うと多様性)こそが美なのだと訴えてくるようで、バチッと僕の思考にはまった。それにしてもカオスだった。

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劇団が映像配信で新作を発表する動きも多くありましたね。そのなかでもいちばん早かったんじゃないか?という特急の仕上げを見せたのが根本宗子さん。「超リモートねもしゅー」と題して、完全リモート制作の作品を作り上げた。『あの子と旅行行きたくない。』という作品。会社の同僚であるという4人が、社員旅行を計画しながらも行き先の議題でバチバチに意見が食い違い、ちょっと険悪になったりしながら旅行へ行くそのときまで会話を繰り広げる。2015年(?)あたりに作られた作品をリモート作品風に書き直したものらしく、このお話も2015年(コロナ以前)からはじまる。それが終盤で華麗に時間を経過させ、コロナ禍を経由しながらまだ見ぬ未来へと至るまでを描いていて、コロナ禍が過ぎたら旅行に行こうね〜という安易な感傷に浸らせない点がよかったと思う。ねもしゅーの演劇は『墓場、女子高生』しか観たことがなかったから、こういう機会に作品の雰囲気に触れられたのはうれしい。しかも登場人物4人全員が『墓場、女子高生』にも出てた役者だとあとで知った。キャラクターが最高でしたね。

filmuy.com

ロロの通話劇、連作短編としてシリーズ化していくという『窓辺』の1作目「ちかくに2つのたのしい窓」もよかった。今月号のクイックジャパンを読んで三浦さんの思考の軌跡の一端(その大きな変遷)を読み取ることができたのだけど、なるほど本作もいつものロロのようでやはり全く新しく、今までにない感情を与えてくれる。リモート通話という2つの窓。その“あわい”にある空間を演者ふたりと共有することで心が一体化していく時間。ロロの演劇はいつもうまく言葉で言い表せなくってもどかしいけど、これからもそういう新しさを見せつづけてほしい。


映画

ちゃんとした“新作映画”としては、『ワンダーウォール 劇場版』のみ(オンライン先行上映会みたいなやつで)観ることができた。京都大学吉田寮の「寮生追い出し」問題を題材にし、4月10日に上映を予定していた(?)作品。2018年にNHKで放送されたドラマを、再編集と追加映像により劇場版とした映画だ。12月末くらいにアップリンクでドラマ版がスクリーンにかかっていて観に行ったから物語に関しての新鮮さは全くなかったものの、分断が加速する世界にあって、この映画は多くの人に観られるべきだと改めて思った。だからこういう上映が困難ない状況になってしまったことが残念でならない。

比較的新しい作品で言うと『ザ・ライダー』も面白かった。昨年末くらいからアマプラでレンタルのみの配信をされていた作品が、Netflixに追加されていました。映画評論家の村山章さんが昨年のベストか何かに選んでいて気になっていたやつ。主人公であるロデオ乗りの青年が、競技中に大きな怪我を負ってしまい、そこからどう這い上がるか、危険なロデオをやめるか続けるかという判断を迫られながら、ときに自分の信念と人生との折り合いをつけて生きていく様が、雄大で美しい自然を背景にして描かれていく。“カウボーイらしさ”(≒“男らしさ”)とは何かを問う物語であり、現代に生きるものとしての苦悩と、ほんとうにかっこいい生き様とは何かを探る美しい映画でした。監督は中国系の女性・クロエ・ジャオさんで、この映画が評価されてマーベル新作『エターナルズ』の監督に大抜擢されたそう。主人公や主要登場人物をその物語の着想となった本人(=素人)が演じているというのがすごい。昨年TIFFで度肝を抜かれた『わたしの叔父さん』と同じ作り方をしている。

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最近はヌーベルヴァーグまわりの映画を掘ることに必死。大学生のときにゴダールの映画を観てさっぱり理解できなかった(今もゴダールには手が伸びないけど)ところから、フランスのヴァカンス映画に魅了される期間を経てようやくヌーベルヴァーグに回帰することができた。リヴェット、ロメールブレッソン。ちょっと時代と国は外れるけどキェシロフスキの映画にもハマった。キェシロフスキの映画を4本観たなかでとびきり面白かったのが『愛に関する短いフィルム』。ある女性の部屋を覗き見する青年が主人公(最近の邦画で言うと『アンダー・ユア・ベッド』が近い)で、その女性と青年の“成瀬『乱れる』的”な交錯ドラマが描かれていく。87分という映画の短さにしてとても濃厚で情動的な映画だった。終盤がとにかくすごい。

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ロベール・ブレッソンの映画も3本観て、脱獄劇の『抵抗』がいちばんよかったかな。空間の描写すべてに緊張感がある。ジャック・リヴェットは『彼女たちの舞台』と『北の橋』を観て、まだまだ全然なんの映画なのか意味がわからないでいるのだけど、登場人物が魅力的で会話と動きが自由で観れてしまっている。ユリイカ等の評論を読んでいると遊戯的な、ゲーム的な世界が構築されているのだそう。「ヌーベル・ヴァーグ30年」という特集のユリイカを読みながら勉強している。ヌーベルヴァーグの代表格であるトリュフォーも実はほとんど観れていないから少しずつ手に取っていきたい。

久しぶりに増村保造の映画も2本観た。初期の『青空娘』と中期の『「女の小箱」より 夫が見た』という若尾文子とのタッグ作を続けて。両方大傑作なんだよな〜。若尾文子の顔と身動きが両作で全然違うのも素晴らしいし、それによって増村の作風の変遷、時代ごとの多面性にも気づかされる。「わたしと仕事、どっちが大事なの?」の最大究極形にして、最もしとやかにそれを問い詰める『夫が見た』の若尾文子にはマジでしびれた。溝口の『赤線地帯』、川島雄三の『女は二度生まれる』『しとやかな獣』あたりで見せる何にも動じない強さも素晴らしいけれど、やはり増村作品に生きる若尾文子はひと味もふた味も違う。「命を賭けて自己主張をする個人としてのヒロインーー観念だけでなく、肉体を持った女性ーー」*1との評論は的を得ている。ちゃんと弱さも垣間見せる点が他と違うと思う。

川島雄三の『洲崎パラダイス 赤信号』も最高に面白かった。人生の迷い人である男と女が、立ち止まったり離れたり、再会したりをただ繰り返す映画。その無様な反復が人生を言い得ている。橋の映画。

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あとは、好きな映画を見返す日々。ロメールの『海辺のポーリーヌ』とか、ギヨーム・ブラックの『女っ気なし』とか(DVD買っちゃった)、いちばん好きな青春映画の『あの頃ペニー・レインと』とか、濱口竜介の『PASSION』とか。それとは別に『テラスハウス』の軽井沢編(大好き)も見返していて、ヴァカンス的なもの、空虚なものを欲しているんだろうなぁと自認する日々です…。『街の上で』の公開(時期未定)に向けて今泉監督の映画も見返している。

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演劇のいくつかの動きと同じく映画界でもリモート制作の作品がいくつか公開された(リモートカメ止めまだ観てなかった!)。なかでも好きだったのは、二宮健監督がYouTubeにUPしたクレイアニメ『HOUSE GUYS』。映画上映企画のSHINPAが催している在宅映画制作の取り組みで、その主導者として口火を切った二宮監督。『ピングー』みたいな懐かしのクレイアニメを、ひとりで制作するにはかなり時間を要したであろうクオリティの高さで作り上げていて、その話の内容もかなりよくて子どもに見せたくなった。子どもいないけど。同イベントの今泉監督『MILK IN THE AIR』も手放しで絶賛したい。ひたすらかわいい。

 

ドラマ

相変わらず『有村架純の撮休』が面白い。第4話のみ微妙というか酷いとすら思ったけど、横浜聡子監督の第5話「ふた」、今泉監督の第6話「好きだから不安」、津野愛監督の第7話『母になる(仮)』はどれも個性に溢れていて素晴らしかった。フェイクドキュメンタリーの特性を活かした「嘘」と「本当」にまつわる話の第7話が特に好きかも。突如家にやってきた少女との「偽物の母娘」関係を通して、有村架純が原初的な「演じること」=「嘘」の本質、その幸福にたどり着くまでを描く。オレンジジュースの挿話がみずみずしくて、12月の夜から急に夏へとジャンプするラストが秀逸なのだ。

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今クールは、役者がそのまま本人役を演じるフェイクドキュメンタリー作品が多い。そしてどれも一定の水準をクリアしている良作。安達祐実が主人公の『捨ててよ、安達さん。』には大九明子監督が入っていて、軽やかなコメディとファンタジーの折り合わせが絶妙にハマっている。何よりも毎回オープニングがいい。Huluでは『住住』のシーズン2も始まった。正直言ってシーズン1のほうが百倍ワクワクしたし、同じような展開の使い回し感もすごいのだけど、新しく登場する日村さんと水川さんのキャラクターはとてもいい。全員既婚者(しかも新婚)という特性をどうにか生かしてくれないもんかなぁと思う。前シーズンは「同じマンションに住んでいる」という絶妙にありそうなファンタジーが楽しかったんだよなぁ。

リアルサウンド で『美食探偵 明智五郎』のレビューを毎週書いてるのだけど(撮影開始が早かったらしく放送休止を免れている)、これがけっこう面白いです。最近の日テレ日曜10時枠はずっと観てこなかったしちょっと観て嫌いだなって思う作品が多かったから、好きなドラマでよかった。何よりヒロインの小芝風花さんがさいっこうにかわいいのよ。アニメみたいなツインテールの様式美に弾ける笑顔。演技もうまい。虜です。

 

お笑い

かが屋、ニューヨーク、ぼる塾、などなど最近よくお笑いにハマっている影響から、彼らが出ているテレビ番組も久しぶりに観るようになった。ニューヨークは出る番組すべてでちゃんと仕事をしていて頼もしい。『爆笑問題のシンパイ賞‼︎』とかめっちゃよかったな…。第7世代に数えられていない、いわゆる6.5世代みたいな枠の代表格として存在感をあらわにしていて、怒りと皮肉の芸風もうまく効いていて周到に立ち回ってる。ニューヨークはYouTubeのラジオが面白くて、そこでオズワルド伊藤(伊藤沙莉の兄)の有能さを知るなどした。アメトーーク鳥貴族芸人でもそのツッコミ力でバリバリ活躍していて嬉しかった。テレビでいうとドリームマッチと相席食堂(野球回)、テレビ千鳥(コメンテーター選手権)が面白かった。

かが屋のコントの魅力をあぶりだそうとして『みんなのかが屋』にUPされている動画をすべて見てレビューするという(想定より恐ろしく時間かかった)無謀なことにも挑戦しました。『文化祭』がいちばん好きかも。加賀顔面グラデーションの傑作。

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YouTube

面白かったYouTubeのほんの一部。芸能人YouTube論を聴けるニューヨーク×カジサックコラボ。女王蜂を初めて聴いて未知すぎて耳取れそうになったファーストテイク。独特なナレーションが癖になる料理系YouTuberの1人前食堂(リーズーチーの日本版、いわゆる実録版リトルフォレストをやろうとしている)。映画評論家の大寺先生の映画授業を聴けるありがたい番組、ゆるく考える映画史。おしゃれすぎる編集とスターウォーズ的映画/絵画紹介がツボな和田あやちょの動画(あやちょが紹介していた『赤い風船』も最近観て、絵本のような色彩美、お話の美しさに見惚れた)。などなど。

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さーて、映画館はいつ行けるかな〜〜。

 

*1:『月刊イメージフォーラム87年3月号』「没我への反逆」

東京で“迷子”になる人々/今泉力哉『退屈な日々にさようならを』

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「でも、生きてたでしょ?」と何度も問う松本まりかが印象的だ。今はもういないけど、たしかにあのとき生きていて、生きることと死ぬことが肯定でも否定でもなくすべて等価に見つめられている感覚。生と死、双子、福島と東京のふたつの顔、同性愛やバイセクシャル、自分と他者、震災前と震災後ーーあらゆるものは反発しながらも混淆していく。今泉作品は、空間を重視した「人物の物理的移動」の多さだけでなく「時間の不可逆性/その堆積」を感じさせる点からある種の“ロードムービー”のような側面も垣間見せるが、本作でもそれは顕著だ。東京で(主に恋愛に)“迷子”になる人々の姿は『パンバス』『愛がなんだ』『街の上で』に通じ、かつてあった生を求めて福島へ向かう松本まりかの姿は『サッドティー』『アイネクライネナハトムジーク』『his』などの作品につながっていく。迷子と答え、それは言うなれば生と死。今泉力哉は、映画を通してまぎれもなく人生を描いている。

 

見知らぬ地に私たちは新しいものを見ることができない。既に見てしまったものの残像を認めるだけだ。空間を移動しながら私たちは時間の旅をしている。それもただ遡るだけの。……ロードムービーとはエイリアンの物語であり、ノスタルジアの物語である。人はその行く先々で人々と違う時間を生き、またその地に自分の過去を、既に見た風景を追認しようとする。新しいものは何もない。そこでは空間が過ぎていくのではなく、過去の時間がループになった映像のように何度も繰り返される。……

ーー「還る旅ーー異端的旅映画」『月刊イメージフォーラム』1992年5月号より抜粋


引用したのは、高円寺の古本屋「古書サンカクヤマ」で見つけた映画雑誌の一文。渋谷にある(シアター)イメージフォーラムが90年代に発刊していた月刊誌ですね。「映画で地球の歩き方」という特集でヴィム・ヴェンダースを中心に“旅映画”の多様な側面が論じられていて、これに触発されて今泉監督の映画も広義の“ロードムービー”なのではないか?という仮説を立てるに至ったわけです。

上林栄樹さんによって書かれた上記の文章では、ロードムービー(≒人生)とは時間の旅であり、それはただひたすらに「過去を追認するためだけの旅」であると結論づけられている。たしかに、と思うところも、ほんとうに人生はそれだけなのか?と首を傾げてしまう部分もある。

今泉力哉監督の映画では、非常に多い頻度で、この「過去」という概念の残酷さ、それゆえの尊さをあぶり出そうとしている。試しに乃木坂46 12thシングルに収録された「かなしくない I’m not sad」というPV中のセリフを引いてみよう。

好きな人が いま目の前にいて

好きな人も 僕を好きだと言う

だけどいまは すでにもう過去だから

いまの気持ちはわからないし そしてそれももう過去だ

セリフというか正確には、北野日奈子が好きな人に向かって歌うちょっとした歌(今泉力哉作詞作曲)なんだけど。こうした、いまは好きだけどすぐ先の未来ではどうなってるかわからないという、今泉映画の登場人物を貫く時間不可逆的な姿勢は、過去を過去のものとして現在から切り離し、積極的に未来を生きようとする意思を感じさせる。その一方で、『退屈な日々にさようならを』で「でも、生きてたでしょ?」と問い続ける松本まりかのように、「そこに確かにあったもの」を見捨てようとはせず、これも積極的に抱きしめて生きようとする。これは決して矛盾するものではない。上記引用文の反駁をさせていただくと、「過去を追認しながらも、“まだ見ぬ”未来を生きていくことは可能」であると今泉作品は示しているし、そのようにして過去と現在、未来を等価に並べる姿に強く僕は共感させられているのだと思う。

ずっとそこにある「過去」の尊さを認めながら、更新され続ける「未来」を生きようとする。それは時として過去を追認するものではなくなるから、“迷子”の旅となり、行き場を見失うこともあるかもしれない。今泉作品が描くのは、その迷いの旅路である。迷いながらも、それでも歩き続けていく。その先の未来が更新され続けることを、ただひたすらに信じながら。


映画『退屈な日々にさようならを』予告編

 

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かが屋のコント26本レビュー

2週間ほど前から『みんなのかが屋YouTube channel』でかが屋のコントが大量放出されている。これがほんとうにどれも面白くて味わい深くて愛おしくて。感激しっぱなしだったので現在UPされている26作品を全作レビューしてみた。特に好きなのは、『市役所』『親友』『イヤホン』『俳優』『バイトのシフト』『面白い男の人が好き』『文化祭』『田舎の事件』あたりです。ぜんぶ好き。

(※2021年8月追記。いつの間にか『みんなのかが屋YouTube channel』のネタ動画が全て消えってしまったのですが、そのほとんどは『マセキ芸能社公式チャンネル』にも上がっているのでそちらをご覧になりつつ短評をお楽しみいただければと思います)

 

『リズム』


かが屋『リズム』コント 2019 4 26 資料映像

学校へ行こう!』でおなじみのリズムゲームみのりかリズム4」に興じる5人の若者。なぜかタナ(加賀)にだけ出番が回ってこず、オカ(賀屋)をはじめとする4人で盛り上がりを見せ、タナは次第に苦い表情を見せはじめる。タナも観客も最初は「ハブられてる?」という疑念を抱くわけだけど、ときにそれを覆す「本音」がかが屋のコントの持ち味。それをオカに言わせないのもいいし、彼らがこれまで積み上げてきた時間の堆積が鮮明にうつる。

 

『市役所』


かが屋『市役所』コント 2019 4 26 資料映像

市役所で窓口対応をする女性(賀屋)と、彼女にあることを伝えにきた彼氏らしい男性(加賀)。「だから舞台が市役所だったのか」という中盤の驚きと、その加賀の企てをひっくり返す賀屋のひと言が楽しい。お互いに一度ずつ言葉を噛んでしまったりするもののサムい感じにならないというか、それすらも愛らしいほど日常がコントに溶け込んでいる。匿名性を帯びた市役所のなかで、ただ2人だけに注がれたスポットライトが眩しい。


『親友』


かが屋『親友』コント 2019 4 26 資料映像

これは序盤からエンジン全開でおもしろいやつ。サイレントでもいい。お互いに「親友を元気づけたい」「親友に元気なところを見てほしい」と思っている思考の美しいズレが及ぼす行動のズレ。最後に思わぬところでプチサプライズを起こすのも、このコントの醍醐味である「視覚」効果によるもの。


『大富豪』


かが屋『大富豪』コント 2017.01 資料映像

タイトルのとおり大富豪で遊んでいる数人の男たち。彼女と電話する加賀によりゲームが中断されたことで、仲間から非難の声が浴びせられる。中立の立場にいる賀屋はいつだってその誠実さが似合っているし、加賀の子どものような泣き芸はそれだけでおもしろい。かが屋のコントのギミックである「反転」がそのまま大富豪の「革命」に繋がっているのが単純に巧い。


『唇』


かが屋『唇』コント 2017.05 資料映像

唇を「ぶ〜」ってする子どもと、「それやるとたらこ唇になっちゃうよ」と注意するお父さん(賀屋)。舞台は電車で、その親子の横の席にはたらこ唇の加賀が座っているという、設定勝ちのコント。終始、悲しいのか嬉しいのか、怒っているのかが曖昧な表情を見せる加賀の複雑さがいい。あと押される芝居がうますぎる。


『合唱』


かが屋『合唱』コント 2017.03 資料映像

合唱コンクールに向けた練習をする生徒たちと先生(賀屋)。そのなかでただひとり「できてる」と指名されたときの優等生(加賀)の優越感とちょっとの恥ずかしさ。「歌うこと」に対する想いをいちばん持っているのであろう先生の行動も熱すぎてちょっと恥ずかしいけど、瑞々しくも感じる。


『電車にて』


かが屋『電車にて』コント 2016.06 資料映像

電車にて、イチャイチャするカップル(男性:賀屋)とそれを横目で見る加賀。相手に夢中で距離感がバカになった賀屋が加賀に接触してしまったり、賀屋が、現実にいる“ちょっとヤバいやつ”を快演している。彼に宿る二面性とさらにそれを裏切る終盤の展開も、賀屋のいい人とも悪い人とも捉えづらい複雑な顔面がうまく体現してみせている。


『自転車』


かが屋『自転車』コント 2018.01 資料映像

自転車を置いてコンビニかなにかに買い物へ行く加賀。帰ってくるとその自転車の前で男女が恋愛のイザコザを起こしているという、これまた現実にちょっとありそうなシチュエーション。“ことの傍観者”=加賀を徐々に“当事者”に仕立て上げていく手法は『唇』と同じで、かが屋のコントの姿勢が垣間見える。ちゃんとどん兵衛を食べちゃう演出も余韻があっていい。


『イヤホン』


かが屋『イヤホン』コント 2019.01 資料映像

もうすぐ引越ししてしまう加賀を呼び出す賀屋。AirPodsを自慢するため?かと思いきや、そこから二転三転するげに秀逸なコント。賀屋の愛らしい行動をさして何度も「キモい」と表現する加賀の、本当は複雑な心情をその言葉に閉じ込める姿。それは、かが屋のコントを見ている間に私たち観客が抱く「感動」でも「驚き」でもある複雑な感情を「笑い」として表出しようとする姿勢ととても似ている。泣ける展開でもとりあえず笑いたくなる。


『俳優』


かが屋『俳優』コント 2019.11 資料映像

エキストラの加賀と演出家の賀屋。急遽大事な役を演じるはずの役者が飛んでしまって、その代わりを「すべてのセリフを覚えている」という理由から加賀が引き受けることになるが…。これはさらっと展開される序盤の1分くらいの会話がのちのち効いてくるので、YouTubeで繰り返し観られるのはうれしい。エキストラという代替可能な存在を通して描くことで、かが屋のコントが見せる「人間の悲哀」が境地に達していると思う。


『バイトのシフト』


かが屋『バイトのシフト』コント 2019.01 資料映像

コンビニかなにかのバイト仲間である男(加賀)と女(賀屋)。バイトのシフト変更でサプライズ的に訪れる2人の時間。かが屋のコントはその登場人物2人がどういう関係性なのか、想像を促す冒頭の余白ある時間が楽しい。予想を覆されても、予想と同じでもどっちでもうれしいし。ここでも、一度傍観者にされてしまった男が当事者に引き戻される瞬間がハッとする。憎らしいほどうまい。


『面白い男の人が好き』


かが屋『面白い男の人が好き』コント 2019.09 資料映像

加賀くんの表情の変化をずっと見ていたい、初対面の男女が徐々に心を通じ合わせていくさまを捉えた最高のコント。少し不器用な男性(加賀)が発するボケが、女性(賀屋)に掬い上げられることで会話のラリー、心のグルーヴが生じる。お笑いの美しさの原点を見ているようでもある。


『文化祭』


かが屋『文化祭』コント 2018.01 かが屋『文化祭』コント 2018.01 資料映像映像

文化祭でのクラスの出しものを決める投票にて。“脱出ゲーム”と“たこ焼き”でデットヒートを繰り広げるなか、加賀の表情が暗くなっていく…。青春すぎる!!!!!!! これもずーっと加賀くんの表情が変わっていくグラデーションを見ていたくなる。すべてを知っている賀屋のイケメンっぷりがすごいし、「高くね!?」なラストも愛らしい。

 

『缶コーヒー』


かが屋『缶コーヒー』コント 2018.04 資料映像

演劇仲間のふたりの男。ベンチに座って落ち込んでいる後ろ姿を見せる賀屋に、缶コーヒーを持っていこうとする加賀の描写からはじまる。これも前の2本と一緒に「加賀顔面グラデーション3部作」と名付けたい。“賀屋には見えていない”ということを利用した身体の動きもすばらしい。


『田舎の事件』


かが屋『田舎の事件』コント 2018.04 資料映像

大傑作長編映画を観たあとかのような余韻。単純なプロットの巧さでいうと、ほかのコントとは一線を画しているかもしれない。「町のくら寿司が閉店する」という小さいけど大きな事件を契機に、お父さん(加賀)とお母さん(賀屋)、くら寿司の店長や彼らの子どもとの交流が描かれる。人を思いやることがどれだけ美しいことか、再確認させられるコントだ。かが屋のコント美学である「反転」がバシバシ決まりながら、訪れる感動のラスト。小津の映画だよこれは。


『彼女の部屋』


かが屋『彼女の部屋』コント 2019.08.26 資料映像

彼女の部屋で過ごすあるカップル。男(加賀)が部屋を後にすると、女(賀屋)があることをしはじめる…。これも何度も観ているけど、本音を言うときの賀屋くんの必死さと、信じようとしない加賀くんの幻想垣間見える姿がツボ。真実を知ってちょっとだけ幻滅しているような加賀/それに気づかず連発する賀屋の構図が愛おしい。


『花束』


かが屋『花束』コント 2019.08.26 資料映像

キングオブコントで披露されたネタだけど、初披露の際の映像らしく構成やラストが少し違う。しかし、かが屋を観ている観客のリテラシーの高さには毎度驚くな。花束を抱えて俯く男性とそこに「蛍の光」が被さるだけですべてを理解してしまえるのはすごい。1回目でそれだけウケると、それは2回目の明転では大爆笑ですよね。演者と観客の信頼関係が生んだ傑作。逆でもおかしくない配役、どう決めているのか気になってくる。


『ギャグとかやろうか?』


かが屋『ギャグとかやろうか?』コント 2020.02 資料映像

これは10年付き合った彼女にプロポーズしてフラれてしまった加賀くんの実話がベースになっているのでしょうか。本編は7歳のころから19年付き合って、それで昨日フラれて落ち込む加賀と、励ますためにギャグを連発する賀屋の関係性が映し出される。ギャグのクオリティがどんどん増していくのがこのコントの最大の面白さ。


『爆弾』


かが屋『爆弾』コント 2019.08.26 資料映像

ものものしいタイトルとは裏腹なほっこりする親子コント。息子が母親に好き勝手怒鳴り散らかしている場面は胸がきゅーっと縮こまり、その熱意と同等のものを母親がぶつけた瞬間に想いが広く開放される。パイの実で気を紛らわせようとするキュートなお母さんはいつもエプロンが似合う。


『終電』


かが屋『終電』コント 2019.06 資料映像

終電を逃すか逃さないかという時間帯に居酒屋で、付き合うか付き合わないかの微妙なラインの男女が一つひとつ確かめるように言葉を重ねる。鼻血が出るというある種のわかりやすさを提示することで、その奥に複雑な想いをうまく隠しているように見える。ほんとうにかが屋は、どこにでもいそうな“普通の人”を体現するのが巧い。


『下ネタ』


かが屋『下ネタ』コント 2019.08.26 資料映像

「下ネタは言うなら夜にして」と言う賀屋と、昼下がりのカラオケで下ネタを連発する加賀。「夜は新聞配達してるから…」というマイノリティの意見が表に出ていく気持ちよさもさることながら、「わかってくれるだけでいいから」という、あらゆる多様性に目を向けたコミュニケーションの話になっていく展開が興味深い。すべてを理解するのは不可能だから、ただわかってさえもらえればいい。


『大事な話って?』


かが屋『大事な話って?』コント 2019.05 資料映像

大事な話があると賀屋に呼び出された加賀。しかし賀屋の電話が鳴り止まず、なかなか話を切り出せない。これはファーストボケが強いタイプのコント。そこまでの長いフリがすばらしく、加賀くんはずっとかわいそう。ただそのかわいそうに対する対価が思い切っていてちょっとゲスいのと、それを軽く受け入れられてしまうパラドックスが奇妙で面白い。


『かわいい』


かが屋『かわいい』コント 2019.08.26 資料映像

居酒屋で飲む先輩(賀屋)と後輩(加賀)。彼女がいるのに他の女の子をみて「かわいい」と漏らす加賀に、信じられないほど熱いテンションで怒りだす賀屋の人間味が愛おしいコント。熱い人なんだなと思っていたら次第に、「付き合うこと」への美しい幻想を持つ人だと明らかになっていく過程。この人のために誠実でいようと思わせてしまう賀屋のキャラクターがかわいい。


『洗濯機』


かが屋『洗濯機』コント 2019.08.26 資料映像

『かわいい』に続いて、イノセントな賀屋先輩のフィーチャー作品。新品のドラム式洗濯機を肴に酒を飲もうとする先輩と、戸惑いながらも迎合していく加賀。わかりあえなさを貫く洗濯機の作動音が切ない。


『合コンの話』


かが屋『合コンの話』コント 2019.03 資料映像

前2本に続く「イノセント賀屋3部作」でした。合コンの話をしていた数人の男のところに友だちの賀屋がやってくるものの、なぜか「無人島にひとつだけ物を持っていくとしたら?」の話題にすり替えようとする加賀以外の仲間たち。周到に避けていた「本音」が明らかになったときが哀しいけれど、賀屋の何も知らなさに救われもする。


『兄弟』


かが屋『兄弟』コント 2019.08.26 資料映像

パントマイムを覚えた小学生くらいの弟(加賀)が高校生くらいのお兄ちゃん(賀屋)を呼び出してその腕前を披露しようとするコント。いつもならばお兄ちゃんじゃなくて母親が出てきてもおかしくないのだけど、ここではその兄弟独自の関係性を見せようとしている。親よりもお兄ちゃんとかに褒められるほうが確かにちょっとうれしいよな、という実感がこもっていて好き。『親友』とかもそうだけど、かが屋はこの“関係性”に迫るコントがとてもいいのです。

 

僭越ながら、クイックジャパンウェブではじまったこちらの記事の取材・テキストを担当しています。めっちゃ面白いし加賀さんらしい感じになっています。

qjweb.jp

今泉力哉『有村架純の撮休』第6話:好きだから不安

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有村架純の撮休』がとんでもなくおもしろい。有村架純有村架純としてそのまま本人役を演じるこのドラマでは、是枝裕和今泉力哉砂田麻美ふじきみつ彦といった名監督/脚本家たちの手によって有村架純の日常にそれぞれが考える「物語」が被さり、そのことで有村架純の多面的な魅力が浮き彫りになっている。

是枝監督回の第1話「ただいまの後に」では(実際の地元である)兵庫への帰省や(風吹ジュン演じる)母親との滋味深きやりとりが描かれたり、今泉監督回の第2話「女ともだち」では(伊藤沙莉が演じる)親友とのごく自然的な会話、ささやかな連帯感が示されたりして、作家によって「有村架純の撮休」へのアプローチはさまざま。最近勢いがある本田翼や川口春奈佐藤健がやっている俳優YouTubeが、ある種「物語」(演じること)から解放された姿が映っていることで特異性を得ているのとは対照的に、本作では作家たちが考える「物語」や「演じること」を通して、有村架純の魅力が最大化されている。一見不思議な対比関係のようでもあるけれど、俳優YouTubeというリアルが見えた今だからこそ、より“俳優を俳優たらしめる”こうしたフェイクドキュメンタリーのような作品も初々しさを増しているのだと思う。

第6話は監督・脚本ともに今泉力哉。彼氏がいるという設定や好きな人をめぐる会話劇、11分にも及ぶ長回しなど、ここでもなんとも愛らしい今泉映画の香りが有村架純という人と日常のなかを漂っている。有村架純はとても魅力的に撮られているし、彼氏役の渡辺大知はちょっと今までに見たことがない色気を放っていて最高。渡辺大知の元カノ役の徳永えりも、病床に付している役どころなのにめちゃくちゃキュートだった。さすがは役者の魅力を最大化させることに長けた今泉監督。クイックジャパンのロングインタビューでもこう語っていた。

常にその役者の代表作に並ぶような映画を作りたいなっていう意識がありますね。あと、役者をいかに魅力的に見せるかを大事にしたほうが、結果的に作品自体も面白くなると思うんです。ーー『クイック・ジャパン Vol.149』

「成長を描きたくない」「必ずしも主人公が成長する物語ばかりでなくてもいいのではないかと」ということを今泉監督はTwitterでも、キネ旬QJなどの最近のインタビューでも常に語っていて、そうした非成長主義の作風が及ぼす作品や人への“肯定感”が、有村架純というある種神聖視されそうな人にも身近な人間味を与えていたりする。

第6話の面白いところは、「休日の予定」がどんどんすり変わっていくところ。彼氏と外でランチをするはずが(店を探すシーンも描いておきながら)、徳永えりから届いた結婚式への招待状を見つけたことを契機に彼氏への不安や嫉妬が湧き上がり(お湯が沸騰する描写)、「普通」に関する会話劇が展開され、なぜか徳永えりが入院しているという病院に一緒に行くまで。特別大きなことが起きるわけではないけれど、ある意味予測不能な展開。これも今泉作品に共通するもの。

今泉力哉監督の作品とは「旅」なのではないだろうか。それも、行き当たりばったりで予測不能で、偶然誰かに会っちゃったりして、そして最終的には元いた場所に「なんの成長もなく」戻ってくるまでを描いた。『インターステラー』のような大きな映画とはまるで正反対だけど、同じ“行って帰ってくる”映画。行って帰ってきたり、同じところをぐるぐるまわることで、元いた場所の魅力に気づく。変わらずにあるその日々に感謝する。その肯定がとても気持ちいいし、その世界に生きる有村架純も最上級にかわいい。

ポップカルチャーをむさぼり食らう(2020年3月)

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映画

今となってはあんまり行くべきじゃなかったと思うし、それを嬉々として話すのはちょっと違うのかもしれないけど、3月の前半に観に行った映画や演劇のことはちゃんと記しておこうと思う。3月もいい映画がたくさんあった。

3月3日にわざわざ有給をとって2つ試写会に行った。『はちどり』と『ストーリー・オブ・マイライフ』。どちらもハゲそうになるくらいおもしろかった。『はちどり』は1990年代中ごろを舞台にした韓国映画で、その激動だったらしい時代の様子を中学生の女の子の目を通して描いている。キム・ボラという監督の初長編映画みたいなのだけど、青春映画でありながらまぎれもない社会派映画でもあり、ウニというヒロインに降りかかる現実に人の熱と冷たさ、世界の美しさと汚さ、感情の高鳴りと沈みといったあらゆる事象が混じり込んでいて、ミニマルな作風でありながら激しく心を揺さぶられる。一昨年くらいにはやってた『82年生まれ、キム・ジヨン』と時代感がかなり被ってるので読みたいと思いつつ、なかなか読めていない…。個人的には2月に観た『魚座どうし』と、このあと書く『レ・ミゼラブル』とも同時代の映画だなという感想を抱いた。絶望はいつだって下のほうに沈殿して、子どもはそのなかに埋もれてしまう。

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公開が夏に延期になってしまった『ストーリー・オブ・マイライフ』もギリギリ試写に滑り込んだ。というかその試写室で公開延期が急遽発表されて、そのときは残念だなぁと思ったけど、今となっては当然の措置だったなと思う。若草物語のストーリー自体を知らなかったからはちゃめちゃに楽しかったし、どう考えてもやっぱり俳優陣の豪華さがおばけ。主演のシアーシャ・ローナンはいちばん好きな海外女優だし、エマ・ワトソンティモシー・シャラメももちろん見目麗しくて好きだし、『ミッドサマー』のフローレンス・ピューを違う映画ですぐに観れたのもうれしい。四姉妹のもうひとりを演じたエリザ・スカンレンという女優もとてもよかった。いわゆるハリウッド超大作というタイプの作品だからハリーポッターとか並みに装飾や美術が凝られていて、全時間画面が美しい。そういう映画をグレタ・ガーウィグという大好きな監督が撮っているのもうれしいですね。

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4/17公開予定の『劇場』も試写で観た。又吉の原作が大好きだから、正直主人公に山崎賢人を当てるのは違うだろと思ってたし、実際に観てみてもやっぱり山崎賢人は違うだろうと思う*1。ただ、この映画に関しては山崎賢人演じる永田の物語と同じかそれ以上にその永田の彼女である沙希ちゃん(松岡茉優)の物語になっていたので、松岡茉優が素晴らしすぎるからオールOKという気分でいる。松岡茉優は完全に沙希ちゃんだったし、その徐々に変わりゆく姿を私たち観客は目で追うことしかできないから、かなり苦しい。山崎賢人という“アクター(劇作家であり、役者でもあり、変人でもあるという点でのアクター)”とそれをずっと見ている“リアクター”の松岡茉優。永田はなかなかに狂った人物なのだけど、やはり気になってしまうのはその狂った人に対してどうリアクションをとるのかという沙希ちゃんの表情のほう。そしてその松岡茉優の演技が完璧だから、映画もかなり高いレベルへと押し上げられている。この映画の沙希ちゃんと松岡茉優についてはちゃんと書きたいな。

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そしてもう一本試写に…。今泉力哉監督の映画『街の上で』(5/1公開予定)。昨年の10月に下北沢映画祭で観て以来2度目の鑑賞ですね。もうね、そのときから決まってたんですけど今年マイベスト映画はこれで決まりです。2回観てもゲラゲラ笑っちゃうし脚本の緻密な構成にまで気づいちゃって、もうお手上げなんすよ。今泉監督の映画は2、3年前くらいから注目して観てきたけど、「こんなに緻密な話書けたの!?」とちょっとディスり気味に驚いてしまう。キャラクターが強い映画を撮る人という印象があったから、(『退屈な日々に〜』とかもちろんすごいですけどね)本作はキャラクターも立ちまくってるしストーリーも繊細で、おまけに変わるものと変わらないもの、変わってほしくないものと、過ぎゆく時間を活写しようとする作家性も強く浮き彫りになりつつ、これ以上の作品が今後出てくんの!?といくら褒めても褒めきれない。これもちゃんと作品評をリアルサウンドで書かせていただきたい。無理だったらブログに書く。


映画『街の上で』予告編

3月公開の新作映画だと『レ・ミゼラブル』と『もみの家』がとてもよかった。どちらも年間ベスト級に好き。『レ・ミゼラブル』はヴィクトル・ユゴーのやつとはほぼ関係なく、現在のフランス地方都市の「悲惨な(Les misérables)実状」を描いた映画。忖度と間の読み合いでひどい現実の延命措置を取ろうとする大人たちと、それに対比して子どもが配置されていて、世界のどうしようもなく汚れた空気は下のほうに溜まっていってしまうのだなという感覚を新たにする。それは『パラサイト』が訴えかけた上下の感覚にも通じるものだ。本作では神の視点のようなドローンが“上下”の感覚を呼び起こし階段での攻防戦を誘引するに至るまで、そこに現代映画のトレンドを感じずにはいられないし、個人的にはその点において『魚座どうし』『はちどり』も本作の本質を共有している映画だと思った。ラストの訴えかけ、映像の底知れぬパワーがほんとすごいのでぜひどこかのタイミングで観ていただきたい。

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『もみの家』はけっこう期待してました。というのも主演の南沙良さんへの思い入れの強さと監督の坂本欣弘さんの前作『真白の恋』が大好きだったから。真白の恋富山県を舞台にその壮大な自然風景のなかで瑞々しくも辛い恋模様を描き出していたけど、本作の舞台も再び富山。高校にうまく馴染めず引きこもりがちな少女が富山の自立支援施設で同じ境遇の若者と日々を過ごし、徐々に変化していく物語だ。あらすじを観たときからなんかありきたりな話っぽい…と思ったのだけど、よくある話も描き方によってこうもおもしろくなるのかと…そこがいちばんの感心ポイント。高校の教室や家の自室といった閉ざされた空間から富山の大自然へと解き放たれた映像に主人公・彩花の心の開きも投影されていて、ささやかながらダイナミックな感情のドラマに僕は涙が止まらなかった。南沙良という女優は、閉ざした心を徐々に開いていく女の子の役ばかりこれまで演じているのだけど、その集大成的な成長も感じられたし、もっと違う役も観てみたいなと思った。3月にNHKで放送された『ピンぼけの家族』の感じとか、昨年の正月ごろに放送されたドラマ『ココア』の感じももっとみたい(こう振り返るとやっぱりめっちゃ観てる)。森七菜、清原伽耶と並んで坂元ドラマか是枝映画に出てほしい若手女優。

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シネマヴェーラではソヴィエト&ジョージア映画特集というのが3月にやっていて、めっちゃ行きたかったのだけど結局こういう時期なんで一本しか観られなかった。でもその一本『私はモスクワを歩く』(ゲオルギー・ダネリア/1963)という映画がフランスのヴァカンス映画みたいにフワフワピチピチしていて最高だった。フィルムの状態が悪くて途中で2回中断してしまうというハプニングもありつつ、この「待つ」感覚は現代ではなかなか味わえないなと楽しんでいた。めちゃくちゃ待っているわけでもないんだけど、スマホのある空間からも断絶され、それしか待っていない状態。電車とホームを使った動線劇がさいこう。『ホットギミック』の影響元であると睨んでいる。

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2月に行ってグッと心を鷲掴みにされたエリック・ロメールのオールナイト上映第2弾が3月にもあって観に行った。こんな時期だけど前回よりも人が増えてた感じはしましたね…。レアな作品が多かったからでしょうか。今回もロメールの映画を4本鑑賞。1本目に観た『飛行士の妻』がベスト。めっちゃかわいかった。これ『街の上で』とほぼ同じ構成やん、と思ったんですよね。内容は全然違うんだけど。今泉監督がこの映画を観ていても観ていなくてもおもしろいなと思う。メインストーリーがあったとすると(もともとそんなものロメールの映画にはほぼないけど)、サブストーリーの存在感が思わずして大きくなるのがロメール映画の醍醐味のひとつなんだろう。『飛行士の妻』では、主人公の男の子がある男を尾行していたらその途中でなんか女の子に出会ってしまって、なぜか一緒に尾行したり、話が盛り上がったりしてそっちのストーリーが盛り上がってしまう。そこで出てくる女優も軒並み魅力的だから、終わったあと「え?結局なんの映画やったん?笑」とは思いつつ映画全体を見渡したときの満足感が半端ないんだよな。ロメール映画、次はいつ観れるかな。

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あと家で観た映画だと『彼女たちの舞台』というジャック・リヴェットの作品も良かった。弛緩し切ったフランス映画なんだけどロメールと同じく会話劇が楽しいし、舞台装置が示唆に富んでいる。


ドラマ

3月の初めごろは坂元裕二の朗読劇へ向けて『カルテット』を見返していた。残念ながら朗読劇のほうは中止になってしまいましたね……。来春以降に開催するよう調整していただけているようなので期待してその日を待ちたい。カルテットはやっぱりすごいおもしろい。僕のなかでこのドラマは青春ゾンビ(との出会いにもなった)の感想ブログと一体化していて、今回見返すときも一緒に読んだりして、そうするとカルテットに関してはヒコさんの文章が完璧すぎて自分では何も書くことないな…という気分になる(笑)。他の全然関係ない映画とかドラマを観るとき、感想を書くときもかなりあの文章が指標になってるんですよね…。もっと違う文章も書かなくては。

いま一番おもしろいドラマは『有村架純の撮休』だ、と断言してしまいたい。フェイクドキュメンタリーというよりは完全なるフィクションを思わせるテイストで、そのタイトルのとおり女優・有村架純のお休みを描写した1話完結のドラマ。毎回脚本家と監督が入れ替わり、1話ごとの連なりはまったくなく、ただただその脚本家・監督が撮りたい有村架純を撮るというそれなりに前代未聞なドラマ。まだ3話までしか放送されてないけどそこでの是枝裕和監督(1話・3話)と今泉力哉監督(2話)から世界観がぜんぜん違ってて本作のシステムのよさが出まくっている。ちなみに是枝監督回は脚本家は別の人がやっていて、ほぼ自分で監督・脚本をやっている(むしろやっていないのを知らない)是枝監督の過去作からするとかなり珍しい感じに。ただ第1話の兵庫への帰省ドラマなんかまぎれもなく『歩いても歩いても』とか『海よりもまだ深く』だし、第3話みたいな接写(フェチ)ドラマは少し珍しいけど表情と光の陰影での雄弁な語りは是枝映画そのもの。個人的にはやはり今泉監督回の第2話が好きだったりして、おなじみの転写ドラマ(登場人物の性格の似通ってる部分が徐々に明らかになる)が華麗に「反転」したり驚きがありつつ、身も凍る3人会話(これについては「ポップカルチャーをむさぼり食らう(2020年1月)」に書きました)の末に親密で幸福な時間が訪れたり、ちゃんとしかも上質な今泉映画になっていた。有村架純のすばらしさは言うまでもないでしょう。この人しかこのポジションのドラマは撮れないだろうし、第3話の通奏低音として『いつ恋』の音ちゃんが少し憑依していたり、“役者に宿る記憶”という面でも適役。本田翼や川口春奈YouTubeをはじめるなか、フィクションにもまだまだできることがあるぞという強さが垣間見える。これ、めっちゃいいドラマなのだけどWOWOWTSUTAYAプレミアでしか観れないので、もし興味あれば全話出揃ったあたりにTSUTAYAで1ヶ月無料登録とかして観てください。

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追っていた『伝説のお母さん』と『コタキ兄弟の四苦八苦』の最終回はともにすばらしかった。春ドラマは野木脚本の『MIU404』と石原さとみ主演の『アンサングシンデレラ』『浦安鉄筋家族』『捨ててよ、安達さん。』『美食探偵』あたりは観ようと思ってる。ただ最近すこぶるドラマを追うのが億劫になりつつあるんだよな…。とりあえず映画館にも行けないことだし初回放送はたくさん観よう。

 

ハロプロ

今月のハロプロは激動でした。今月というよりこの一年くらいずっと激動ですが…。春のハロプロ全体コンサート「ひなフェス」は無観客で行われ、そこでアンジュルム室田瑞希さんが卒業。3月30日に開催を予定していたこぶしファクトリーの解散ライブもまさかの無観客となり、誰一人ファンのいない東京ドームシティホールでの解散ライブに。いやぁ悲しすぎませんか。僕は運良くJ:COM契約なのでCSでライブ配信をみたけど、ひなフェスのほうなんかはけっこう辛かったな…。その悲しい感じもあったからこぶしの解散ライブなんて目も当てられないんじゃないかと思っていたけど、これがとびきり楽しいしめっちゃ泣かせてくるし、とってもいいライブだった。まぁそれでもあっさりしすぎてる感はあるんだけど、「辛夷の花」とかプロフェッショナルなそれぞれのコメントとかめっちゃよかったな…。4月1日からSNSアカウントを開設するメンバーがいたり(はまちゃんとあやぱんのやりとりとてもよい)、ハロプロに残ったれいれいはJuice=Juiceに加入したり、それぞれの未来がはじまってるのが見えてうれしいですねおじさんは。

Juice=Juiceはれいれいの加入もありつつ、6月には中心メンバーの宮本佳林ちゃんが卒業してしまったりはあるもののそこまでエンジン全開でいこうとしてるというか、最近の勢いがすごい。新譜の「ポップミュージック」と「好きって言ってよ」がとにかく良曲なのだ。


Juice=Juice『好きって言ってよ』(Juice=Juice [Tell me that you love me.])(Promotion Edit)


演劇、マンガ、音楽、YouTubeエビ中……

コロナ禍でもギリギリ上演された演劇、玉田企画の『今が、オールタイムベスト』を東京芸術劇場シアターイーストで。玉田企画の演劇は今まで4作品くらい観てきたけどぶっちぎりでおもしろかった。話もうまくできてるというかあぁまぎれもなく玉田企画だなと思わせるストーリーなんだけど、なんてったって役者の個性がぶっ飛んでる。俳優たちが繰り出すアグレッシブな言葉と目まぐるしく変わる表情に何度も不意を突かれながら、どこまでいっても悪目立ちする“個”が、ときおり連鎖的なつながりを見せる瞬間にハッとしたり。テニスコートの神谷さんに惚れてしまったので、コントを観にいきたい。

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『A子さんの恋人』の第6巻が発売された。なんかもうおもしろすぎてつらいです。タイムサスペンスの色が濃くなりだしたストーリーの構成も楽しいし、豊かな比喩表現にいちいち巧さを感じる。A君とU子の幸せを願いながら最終巻を待ちたい*2

A子さんの恋人 6巻 (ハルタコミックス)

A子さんの恋人 6巻 (ハルタコミックス)

  • 作者:近藤 聡乃
  • 発売日: 2020/03/14
  • メディア: コミック
 

最近、どう考えてもYouTubeの質が上がってきている。芸能人の大量参入が要因であることは言うまでもなく、それでいて一般YouTuberもそこまで戦々恐々とせず、ブラッシュアップしながらも自分たちが楽しいと思う動画を自分たちらしくあげつづけているように見える。水溜りボンドの動画を久しぶりに観てそう思った。


【ドッキリ】尊敬する先輩と後輩が全員つまんなかったらトミーどうする??

芸能人のなかだと佐藤健YouTubeはハンパないっすね。俳優4人の旅の模様を収めた動画は、一個見終えた後にはやく続きが見たくてしょうがない。もはや大役者なのに佐藤健の友だちとして出てくる神木くんの立ち位置がとてもいい。


「TAKERU NO PLAN DRIVE」#1

あと最近ハマってるのはニューヨークのYouTube。いやぁテレビやラジオとはまた違うけどちゃんとクオリティの高いコンテンツになっているし、ちょいちょいポスト千鳥の枠はこいつらなんじゃないかという匂いがしてアツい。ラランド、ひょっこりはんをはじめとした「学生芸人出身」の芸人を集めた動画が完全にアメトークをやってしまっていて、加えてニューヨークをガチで尊敬する若手芸人の姿が垣間見えたり、大学生の青いエピソードに花を咲かせたり、めちゃくちゃおもしろかった。テラスハウスの事件をこれ以上なくうまく語る屋敷(と見ていないながらも的確な意見と笑いを送る嶋佐)の動画も最高。


元学生芸人大集合!大学お笑いサークルってどんなとこ?

これは4月に入ってしまうのだけど今書かないといつ書くんだという感じなのではみ出して書くと、ここ3、4日くらいで私立恵比寿中学にどハマりした。一本の動画を20分くらい観ただけで、完全に沼に突っ込んだ感覚があったのだ。まず全員の歌の衝撃的なうまさに打ちひしがれ、なかでも柏木ひなたさんの歌声に惚れぼれし、10年間の怒濤のアイドル史をざっと振り返り、そこでメンバーのひとりである松野莉奈さんが2017年に急逝してしまったという事実を知り、それとほぼ同じことが書いてあった佐々木敦さんのインタビューを読み(きっかけはYouTube | 佐々木敦、アイドルにハマる 第1回 - 音楽ナタリー)、「感情電車」に心を揺さぶられ、無料公開されているドキュメンタリー映画3本あるうちの2本まで観て、いまは小林歌穂さんの歌声にやられています。吉澤嘉代子みたいな声をしてるし、吉澤嘉代子が楽曲提供してるときの小林さんの歌声なんかもう吉澤嘉代子になっちゃってる。動画をたくさん見漁ったり歴史を深掘りしたり、今がオタク気質の性格をやっていていちばん楽しい時期であることは間違いないので、ぞんぶんに沼にハマっていきたい。家にいることも多いだろうから、今までに出会うことがなかったものに恋をしたりする瞬間があれば、僕はそういう話をみんなに聞いてまわりたいと思っている。個人的にはいっぱい映画をレンタルして観るつもり。楽しい。この日記も実は2年目に突入したんですけど、これからもたくさん楽しいことを記録していきたいな。


私立恵比寿中学 「クリスマス大学芸会2018 DAY3~スペシャルロイヤルケーキ」LIVE映像


《4月にみたいもの_φ(・_・ 》

『82年生まれ、キム・ジヨン』/クシシュトフ・キェシロフスキ作品/ジャック・リヴェット作品/ロベール・ブレッソン作品/『マンハッタンラブストーリー』/テッド・チャン『息吹』/又吉直樹『人間』

*1:冒頭数分間のいっちゃってる目には無条件に惹きつけられる。

*2:A子さんの恋人の感想をツイートしたら今泉監督にいいねされたんですけど、これは今泉監督が映画撮るってことでいいですか??違うんですか?

ポップカルチャーをむさぼり食らう(2020年2月)

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最近の僕のいちばんの関心事といえば(カルチャーの話です)、「この作品はおもしろい/おもしろくない」あるいは「この作品は社会的価値がある/ない」とかって、誰がどういう風に決めるの?っつうやつ。もちろん答えは決まっている、私たち一人ひとりだ。だけどその個人の感性が他人の意見によってあらぬ方向にねじ曲げられてしまう、ということが往々に起こりうると思う。ねじ曲げられてしまった結果、自分が最初に持った考えを見失ってしまう、そういうことってありませんか? 僕はねぇ、けっこうあるんですよねこれが。観たい作品を選ぶ瞬間から観てる最中、観終わったあとまで。他人の影響を受け過ぎて、「あのときにこういうことを思った」という原初的な想いがこぼれ落ちてしまうことがよくあるんです。こうしたことを考えるきっかけは今月たくさんあったんだけど、いちばんには『二重のまち/交代地のうたを編む』というドキュメンタリー映画を観た影響が大きかったかな(作品については後述)。何が言いたいかっていうと、「人の感性や記憶はめちゃくちゃ変化しやすい」ってことなんですよ。だから、できるだけ取りこぼさずに、感じたことを言葉にして記憶に留めていきたいなぁと思うのです。それがこの日記の目的でもあるのだと強く心に留めおきながら。

 

映画

旧作を掘ることについに本気になった僕は、定額の借り放題サービス「TSUTAYAプレミアム」に入会した。新宿とかのTSUTAYAに行っちゃうとだいたいなんでも置いてるので、これで月10本くらいは観たいと意気込んでいる。ひとつ問題なのは、(旧作は)DVDに返却期限がないこと。「返す」のが義務化されないある意味天国のような世界では、思っていたよりも「観る切迫感」が薄れてしまい……。でもただいま第5次くらいの映画ブームがきている感じなので、好きなやついっぱい観てる。

ここにきてハマったのがホン・サンスの映画。今泉力哉の韓国版みたいな(実際は逆だけど)、とにかく恋愛と、恋愛にまつわる会話劇しか撮らない監督の作品にズブズブやられている。時代感バラバラに『正しい日 間違えた日』(2015)『それから』(2017)『ハハハ』(2010)の3作を観て、「ずっとおんなじことしてるやん!」と思わずツッコんでしまうほど、大人のちょっとダメで不器用な恋愛模様が終始画面を支配していた。『正しい日 間違えた日』がとても好きだ。全シーン、全言葉、全空気が身近に感じられるほど普遍的で、それだけ平凡でもあり、でもそこにささやかな日常のドラマが加わる瞬間に信じられないほど心を掴まれてしまう。映画監督をやってるおじさん(主人公)が映画上映の際に訪れた地で若い女性に恋をしてしまい、アプローチの仕方に苦戦する話です。ほんとそれだけの話。でも煌めいたシーンがいくつもある。

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ホン・サンスに加え『最高の離婚』とかの影響もあり、会話劇が好きだったことを思い出したわたし。ホン監督の影響元でもある恋愛会話劇の原点、フランス・ヌーヴェルヴァーグが生んだ奇才、エリック・ロメールの作品を観るために新文芸坐で開催されたオールナイト上映に駆け込んだ。ロメールの監督作品は新宿にもどこにもDVDが置いてないレアな感じでしてね……。観たのは『海辺のポーリーヌ』(1983)、『満月の夜」(1984)、『緑の光線』(1985)、『レネットとミラベル/四つの冒険』の4作品。初のオールナイトです。派手なショットのない会話劇だし寝ちゃうかもなぁとか思ってたけど、基本的にびっくりするくらいバチバチに目が冴えていて、途中微妙にまどろんでたのも含めなんか気持ちよかった。

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ロメールの映画、めちゃくちゃおもしろい!! 魅力的な登場人物たちが、ウィットに富んでいたりくだらなかったりとにかく止まらない会話を繰り広げ、身体的な動きはなくとも心の中の感情がぐわんぐわんと蠢き続ける。どれも好きだったけど、ふたりの少女が出会い、共に暮らし、ときに衝突し、心を通じ合わせていく様を4つの短編により紡いだ『レネットとミラベル/四つの冒険』が最高すぎた。まずもってミラベルのプロポーション、話し方、表情がどんぴしゃに好きでしたね…。どの映画でも、必ず人と人とのわかりあえなさを経由しようとするロメール会話劇の鋭さと厳しさ、愛しさを痛感する時間だった。『脚本家 坂元裕二』(ギャンビット)に坂元さんが影響を受けた映画で挙げていた『緑の光線』も、『最高の離婚』の光生みたいな人が主人公ででてきてめっちゃよかった。とりあえずおフランスのヴァカンス映画は至高すぎます…。3月後半にもまたオールナイト上映があるので行きたい。

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とんでもなく心に刺さる映画を観た。こういうとき冷静に作品を論じることが難しくなるし、あんまりぐずぐず考えてると感性がふっ飛んでしまうなぁと思うので、沈黙のもとでこの幸せを噛み締めている。でも得てして、いい作品に出会うと言葉が溢れて止まらなかったりもする。困る。グザヴィエ・ドランの監督作品は一気に全部観た時期があったんだけど、こんなに好きになったのは初めてだった。3月にユジク阿佐ヶ谷で過去作上映やるみたいなんでこれまでの個人的ドランベストだった『わたしはロランス』は観にいこうかな。168分もあったことに驚愕してるけど。今回のブログもなんとなく緑色で染まってきたけど僕、緑色がめちゃくちゃ好きなんですよね。

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2月22日と23日のこと。東京都写真美術館で「恵比寿映像祭」というのが開催されていた。そこで『空に聞く』(小森はるか)と『二重のまち/交代地のうたを編む』(小森はるか+瀬尾夏美)というドキュメンタリー映画を観て、その映像表現の豊かさに心底惚れきってしまった。小森はるか監督は、昨年劇場公開された『息の跡』が映画界隈ではそれなりに話題になっていて気になっていた映像作家。3.11後に画家で作家の瀬尾夏美さんと共に陸前高田に移り住み、その地と人々の記録を軸とした芸術活動を行ってるんだとか。

ドキュメンタリーってほんと滅多に観ないんでテクニカルなことは何も語れないのだけど、彼女たちの作品がもつ余白とそれによる雄弁さに、観ている最中も観たあとも無条件に思考が止まらない状態にさせられてしまう。特に驚いたのは『二重のまち/交代地のうたを編む』。

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これは、東日本大震災の当事者でない(と感じている)4人の若い男女が陸前高田へ赴き、その土地の人・被災者と対話を重ねながら、最後には自分の言葉で彼らの体験を「語り直す」ことを試みる、その姿をとらえた作品である。こういうことが書かれた作品紹介文を読んだ瞬間に(あんまり使わないほうがいい言葉かもしれないけど)「おもしろそう!」とビビッときて、その試みを見届けたいなぁという気持ちになった。ぜんぜんやってることは違うけど普段から「受けとったものを自分の言葉で語り直す」ということを実践しようとして(あまり成功していないでい)る身だから、強く惹かれたのかもしれない。

都写美の地下に展示されたインスタレーション『二重のまち/四つの旅のうた』(これは映像と絵画、テキストによって多面的な視点から「語り」を可視化しようとする試み)との接合をもってして、時間、場所、記憶の「空白」を共に掴まんとする。作家・旅人・被災者の三位一体によるその行為に大変な意義を感じて感嘆しつつ、どうしようもなく浮き彫りになるのは人と人の“差異”だ。でも4種類の語り直しの差異が、被災者と私の差異を肯定してくれているような感じがする不思議な包容力があった。それは旅人たちのある会話ーー「難しいとは思うけど、被災者の方が話してくれたそのままの話し方と感情で語り直していきたい」「でもそれって自分の経験談でも難しいよね」ーーにも現れているだろう。わたしたちはいつも何かを取りこぼしてしまい、うまく言葉にすることができない。それでも「語り直そうとする」その意志こそが、空白のなかを生きる唯一の手段なのではないかと。

先日、同い年でその当時福島に住んでいた女性(現在は自衛隊看護師として従事している)にインタビューする機会があり、「あの日は中学校の卒業式だったんだよね」と記憶の一部が一致することがあった。本作にも同い年の男の子が2人出てきて卒業式の話をしていて、交わることなくそれぞれに進んできた時間の残酷さと尊さを同時に感じたり。そんな風にしてこの世界にはそこここに空白があるけれど、きっとその空白は埋まるはずだという希望が、本作からは強く発せられているような感じがした。

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2月23日。二重のまちを観てホクホクした気持ちで浮き足立つなか、いま最も期待している若手映画監督・山中瑶子さんの新作短編『魚座どうし』を鑑賞。圧倒的天才すぎて、なす術もなく打ちひしがれてしまう。とにかく濃密な30分、ずっと高密度な緊張感が持続するめちゃおもしろい映画でした。例えばシャブロルの『野獣死すべし』冒頭みたいな、期待と残酷さが絶妙にないまぜになった「うわぁ終わっちゃった!」なラストがたまらなく気持ちいい。はやく彼女の長編映画が観たい。

先月のカルチャー日記でも試写で観て大はしゃぎしていた『架空OL日記』なんですが、このたび劇場公開されて再鑑賞し、この映画のすごさに改めて圧倒されている。ほんと奇跡のような、絶妙な配分で成り立っている映画だと思う。作品レビューにて「私たちは私たちの日々を歩いていくしかない」的なことを書いたものの、できることならばあの架空の日々にずっと埋没していたい。せめて年一回でいいから、彼女たちの続きの日々を見せてほしい。とにかくバカリズムは天才だ。バカリズムのコントって基本的に“架空の人物”を相手にした会話劇が主軸だと思うんだけど、『架空OL日記』はその架空に身体性が付与され(小峰様コールやマキちゃんのジムでのガチさ、さえちゃんのふにゃふにゃした受け答えなど、彼女たちに身体が宿ることで、テキストベースの日記にはない笑いが増幅する)、加えていつもゆうなればボケ倒しているバカリズムが彼女たちに“ツッコむ”ことも可能になるという。これはバカリズムコントの「リアルさ」と「笑い」を同時に追求する姿勢において、最適解に近いものなのではないかと思う。

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他にも2月は、震災後の映画としてこれまたなかなかできないことをしている『風の電話』、意表をつくストーリーテリングで男性性の脆弱性を浮き彫りにする『BOY』、ずっと喋り続けてるアダム・サンドラーがエグい『アンカット・ダイヤモンド』などなど、1月に引き続きいい映画ばっかりだった。ここは長くなるので割愛します。

 

ドラマ

今期のドラマ、結局毎週楽しみにしてるのはあまりないんですが、2月1日に初回放送があった『伝説のお母さん』はその初回からしてめちゃくちゃワクワクするおもしろさで、以降いちばんの期待を込めて観ている。『腐女子、うっかりゲイに告る。』とか『だから私は推しました』のNHKよるドラ枠ですね。脚本は演劇ユニット・玉田企画の玉田真也。原作は漫画らしいんですけど、ここまでまとまったストーリーにしてる玉田さん、すごすぎて玉田さんってこんなことできるの?!と度肝を抜かれてます。第1話に感じたワクワクとはちょっと違う方向に行ってる感じもするけど、本来ボスになるはずの魔王の立ち位置のおもしろさとか玉田企画常連の前原瑞樹のウザさとか、あと前田のあっちゃんの飛びきりのかわいさとか、見どころがたくさんあります。結末が気になる。

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1月に『それでも、生きてゆく』を観たそのままの勢いで坂元裕二作品『最高の離婚』、『問題のあるレストラン』(これは2話で頓挫)、『東京ラブストーリー』をビンジウォッチ。『最高の離婚』、はんぱねぇなこれ。坂元裕二大好きなくせして今まで(途中までは観た記憶があるのだけど最後まで)観てなかった本作、やっとぜんぶみた。好きすぎる。いや、好きすぎるぞ。とりわけ第7話の、この世のほとんどは「届かない手紙」と「通じない思い」でできてるのだなと実感させられるシークエンスは素晴らしかったです。あと最近みたいろんなカルチャーを本作と無意識に結びつけてしまっている自分がいて、「坂元裕二的」なものを欲する身体が出来上がってたんだなと感心した。一部書き出しましょう。mellow(「ほとんどの好きって気持ちって、表立ってやりとりされないものでしょ?」)、テラスハウス(人間の複雑さ、曖昧さ)、心の傷を癒すということ(尾野真千子と映画館)、だから私は推しました(アイドル沼とAV堕ち)、かが屋(居酒屋での会話のグルーヴ)、ジョジョ・ラビット(最後のダンス)、マリッジ・ストーリー(よりよい関係性を模索しようとする姿)。あと勝手にふるえてろ(聞き手のいるかいないのかわからない会話)とか。坂元裕二が僕のカルチャーの根源であることは間違いないです。八千草薫さんもすばらしかった……。『架空OL日記』もそうだけど、会話劇だけで展開しつつも豊かさに満ちたこういう日常のドラマをずっと見ていたい。

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女性のエンパワメント的ドラマ『問題のあるレストラン』は時代感によるものか、男性のクズさがグロすぎてさすがに観るに耐えず2話で頓挫。春にリメイクをやるといういいタイミングだったんで『東京ラブストーリー』に移行した*1。個別エントリーにも書いたけど、赤名リカの人物造形がとにかくすばらしい。昨年めっちゃ聴いた楽曲、Juice=Juiceの『「ひとりで生きられそう」って それってねぇ、褒めているの?』を地でいくようなキャラクターで深く共感してしまう。この勢いで90年代と00年代のドラマを掘ろうとちょっと意気込んだものの、『恋のチカラ』を2話まで見て停滞してる。クドカンドラマとかちゃんと観てみたいっすね。

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あとNetflixドラマの『ノット・オーケー』もよかった。『ストレンジャー・シングス』プロデューサーと『このサイテーな世界の終わり』監督のタッグ作という触れ込みどおりのおもしろさで。『このサイテーな〜』ほどキャラクターに愛着は湧かなかったけどなんといっても最終話がすばらしい。

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マンガ

2月に読んだマンガたち。

アンダーカレント  アフタヌーンKCDX

アンダーカレント アフタヌーンKCDX

  • 作者:豊田 徹也
  • 発売日: 2005/11/22
  • メディア: コミック
 
ハウアーユー? (フィールコミックス)

ハウアーユー? (フィールコミックス)

  • 作者:山本美希
  • 発売日: 2014/09/08
  • メディア: コミック
 
近所の最果て 澤江ポンプ短編集 (torch comics)

近所の最果て 澤江ポンプ短編集 (torch comics)

 

澤江ポンプ氏の短編集『近所の最果て』は日常に潜む“すこしふしぎ”がちゃんとSFにつながったりしていておもしろい。他の3作品はぜんぶ「突然大切な人がいなくなる」系の一冊完結漫画で、なぜだかわからないけど同系統の漫画を選びとってしまっていた(先月は『違国日記』読んでたしな…。無意識でした)。でも当たり前に筋書きと結末が違うからおもしろいよね。ただどの作品も、「大切な人を失った主人公」に寄り添うことができる人物がひとり出てくる点で空気感に共通するものがあった。個人的には『アンダーカレント』(2005)の絵の質感、その美しさとどんよりと不安が押し寄せるドロドロした汚いものが表裏一体になってる感じが好き。朝井リョウの『どうしても生きてる』もチマチマ読んでるんだけど、「“もうここにはいない誰か”と“いま主人公の近くにいる誰か”のふたりによって立ち上がってくる主人公の“生”」という点でかなり共時性を感じる。

 

演劇

漫画と違ってこっちは知っていながら意図的に選びとったのだけど、「境界線」「分断」というテーマを共有したふたつの演劇を観た。

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ロロ『四角い2つのさみしい窓』とほろびて『ぼうだあ』。どちらも舞台表現の可能性を最大限に突き詰めながらこのテーマに取り組んでいて、まだそんなにたくさん演劇を観ているわけじゃない自分にとってはとても刺激的だった。ロロの演劇は「分断」を「親密」に反転させてしまえる強さと優しさがあり(サントラがほしいほど音楽がよかった)、ほろびての演劇は家の中に突如現れた「線」=「家族のなかの境界線」の話がシームレスに(というよりはやや強引だったのだけどそれがむしろよかったかも)「分断された世界」の話につながっていき、最終的に人間の細胞レベルの超ミクロな話に及んでいく感じに鳥肌たった。

3月は玉田企画の演劇が楽しみだけどやってくれるかな〜?

 

<3月にみたいもの_φ(・_・>

テッド・チャン『息吹』/『違国日記』4、5巻/ペドロ・アルモドバル作品/『82年生まれ、キム・ジヨン』/山崎ナオコーラ『ボーイミーツガールの極端なもの』/『マンハッタンラブストーリー』/ジャン・ユスターシュ作品/シネマヴェーラの「ソヴィエト&ジョージア映画特集」/『A子さんの恋人』第6巻

*1:『千鳥のニッポンハッピーチャンネル』内のドラマ『ロングロード』のあとにトレンディドラマをやろうとするなんて、飛んだ命知らずだぜ。

ただひたすらに幸せなーー『架空OL日記』が晴らす“月曜日の憂鬱”

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YouTuberのモーニングルーティン動画ばりに長尺でみせる〈私〉(バカリズム)の朝の日常風景。例えば、洗面所の蛇口をひねってからトイレに行くという決まりきった日々の動線(用を足している間に水がお湯になっているという算段)に現れているように、どんなモーニングルーティン動画よりもリアルな“生活感”が、このアバンタイトルのもつ魅力である。自分が設定したはずのスヌーズ機能に苛立ち、何度も買い足したリップクリームが、ある朝のくちびるを救う。“給湯室連続スポンジ事件”の犯人が「無自覚だけどたぶん〈私〉だ」という姿や、朝つけたエアコンがそのままになっていることに気づき愕然とする様も含め、そこにあるのは途切れずに続く確かな日常の営みだ。それは「生活する」ということのこれ以上ないまでの描写でもある。同じことが繰り返され、無意識に日々は淡々とめぐる。

そういう“変わらない”日常の物語であるからこそ、あの銀行の女子更衣室に今日もキャッキャした女子行員たちの声が響きわたる。『架空OL日記』は劇場版であってもドラマ版から“なにも変わらず“、そこにいてくれた。「調子に乗ってるみたいだから」と略称で呼ぶことを避ける律儀な酒木さん。誰よりも同僚思いな救世主・小峰様。とことん〈私〉と気が合うマキちゃん。天然な性格で場を和ませるさえちゃん。素直で純粋なかおりん。誰も欠けることなく、誰もがそのままで。わたしたち観客も彼女たちの性格を吸収してしまっているから、例えば酒木さんが「インスタグラム」と2度言ったあたりで、先読みしてそのおもしろさに気づいてしまう。劇場に広がるそのクスクスッという笑い声さえもが愛おしく感じてしまう瞬間がある。

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なにも変わらないからこそ、「月曜日の憂鬱マイレージが貯まったらタヒチボラボラ島に旅行へ行こう」とか言う非日常的な夢が一層キラキラして見えたりもする。でもだからといって、淡々とめぐる日々がただつまらないというわけではないだろう。そのことは、この永遠に続けばいいのにと願い続けてしまう100分間の映像を観れば明らかだ。でも欲を言うと、ボラボラ島でバカンスしてる彼女たちの姿も見たい、見たすぎる……。

劇場版では終盤に「変わらない日常」からは少し逸脱した「特別なイベント」が起きる。ある人物がそのことをさりげなく発表しようとした場面で、2度同じことをさせた〈私〉の姿がとても印象的だった。「同じことを繰り返す」「幸せな瞬間をともに噛み締める」その眼差しの優しさにグッときてしまうのだ。それはまさしく『架空OL日記』が何度も何度も綴ってきた日々の優しさでもあり、月曜日の憂鬱さを軽くしてしまうほどのパワーを持つ。

ああもういちど 生まれてよ月曜日

ドラマ版と同じように、『架空OL日記』は無残にも終わりを告げる。なぜあんな終わり方をするかといえば、〈私〉がいる時点であの世界が架空なものになってしまうからであり、〈私〉がいない世界では彼女たちの日々は変わらずめぐり続けるから、なのだろう。彼女たちの日々はわたしたちの日々でもあり、その日常はこの映画が終わっても当然のように続く。それでも“架空OL日記”の続きを求めてしまう自分と“対面”しながら、わたしたちはすぐそこにある明日に向かって歩いていく。それが、ただひたすらに幸せなことなのだと強く噛みしめながら。