縞馬は青い

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映画とか、好きなもの

ただひたすらに幸せなーー『架空OL日記』が晴らす“月曜日の憂鬱”

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YouTuberのモーニングルーティン動画ばりに長尺でみせる〈私〉(バカリズム)の朝の日常風景。例えば、洗面所の蛇口をひねってからトイレに行くという決まりきった日々の動線(用を足している間に水がお湯になっているという算段)に現れているように、どんなモーニングルーティン動画よりもリアルな“生活感”が、このアバンタイトルのもつ魅力である。自分が設定したはずのスヌーズ機能に苛立ち、何度も買い足したリップクリームが、ある朝のくちびるを救う。“給湯室連続スポンジ事件”の犯人が「無自覚だけどたぶん〈私〉だ」という姿や、朝つけたエアコンがそのままになっていることに気づき愕然とする様も含め、そこにあるのは途切れずに続く確かな日常の営みだ。それは「生活する」ということのこれ以上ないまでの描写でもある。同じことが繰り返され、無意識に日々は淡々とめぐる。

そういう“変わらない”日常の物語であるからこそ、あの銀行の女子更衣室に今日もキャッキャした女子行員たちの声が響きわたる。『架空OL日記』は劇場版であってもドラマ版から“なにも変わらず“、そこにいてくれた。「調子に乗ってるみたいだから」と略称で呼ぶことを避ける律儀な酒木さん。誰よりも同僚思いな救世主・小峰様。とことん〈私〉と気が合うマキちゃん。天然な性格で場を和ませるさえちゃん。素直で純粋なかおりん。誰も欠けることなく、誰もがそのままで。わたしたち観客も彼女たちの性格を吸収してしまっているから、例えば酒木さんが「インスタグラム」と2度言ったあたりで、先読みしてそのおもしろさに気づいてしまう。劇場に広がるそのクスクスッという笑い声さえもが愛おしく感じてしまう瞬間がある。

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なにも変わらないからこそ、「月曜日の憂鬱マイレージが貯まったらタヒチボラボラ島に旅行へ行こう」とか言う非日常的な夢が一層キラキラして見えたりもする。でもだからといって、淡々とめぐる日々がただつまらないというわけではないだろう。そのことは、この永遠に続けばいいのにと願い続けてしまう100分間の映像を観れば明らかだ。でも欲を言うと、ボラボラ島でバカンスしてる彼女たちの姿も見たい、見たすぎる……。

劇場版では終盤に「変わらない日常」からは少し逸脱した「特別なイベント」が起きる。ある人物がそのことをさりげなく発表しようとした場面で、2度同じことをさせた〈私〉の姿がとても印象的だった。「同じことを繰り返す」「幸せな瞬間をともに噛み締める」その眼差しの優しさにグッときてしまうのだ。それはまさしく『架空OL日記』が何度も何度も綴ってきた日々の優しさでもあり、月曜日の憂鬱さを軽くしてしまうほどのパワーを持つ。

ああもういちど 生まれてよ月曜日

ドラマ版と同じように、『架空OL日記』は無残にも終わりを告げる。なぜあんな終わり方をするかといえば、〈私〉がいる時点であの世界が架空なものになってしまうからであり、〈私〉がいない世界では彼女たちの日々は変わらずめぐり続けるから、なのだろう。彼女たちの日々はわたしたちの日々でもあり、その日常はこの映画が終わっても当然のように続く。それでも“架空OL日記”の続きを求めてしまう自分と“対面”しながら、わたしたちはすぐそこにある明日に向かって歩いていく。それが、ただひたすらに幸せなことなのだと強く噛みしめながら。