縞馬は青い

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映画とか、好きなもの

赤名リカ、その存在の証明/坂元裕二『東京ラブストーリー』

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輝くほど真っ白なコートに身を包み、まっすぐでピュアネスな恋心を交感させるリカとカンチの恋物語、『東京ラブストーリー』。飛行機に乗って文字どおり“空から東京の地に舞い降りた”カンチに、まるでそのときを待ち望んでいたかのように惹かれてしまうリカ。“天使性”とでも呼びたくなるような、そのどこまでも純白で軽やかな空気をまとったふたりはお互いの名前を繰り返し呼び合うことで「ここにいる」という実感を確かなものにし、個々の存在を強く相手の心に刻みつけようとする。

本作の放送は1991年。1995年生まれの僕にとっては何もかもが新鮮だったんだけど、とりわけ赤名リカのキャラクター造形がすばらしすぎやしない? あっけらかんとして思ったことなんでも口にしているようで、実は心の奥底に本当の想いを隠していたり、恋敵であるはずの関口に絶妙なパスを出してしまったり。「思ってることをそのまま口にしない」というのは脚本の坂元裕二先生ならではの性格も現れつつ、赤名リカがその(不確かな)存在をなんとか証明しようとし、でも証明しきれなかったりする様に自分でもビックリするほど釘付けになってしまう全11話でした。

赤名リカの存在証明の軌跡は、例えば第1話のラストにおける「帰ろうとして帰らない」所作(トレンディすぎて最高!)や、どこからともなく聞こえてくる「カーンチッ!」という呼びかけに現れているのだけど、それ以上に印象的なのは2度繰り返される彼女の「不在」だろう。逆説的ではあるものの、彼女はその存在感の強さゆえに「不在」こそが最も大きな存在証明になり得てしまうのだ。「“いなくなる”ってことは、“ここにいた”っていうこと」(©︎今泉力哉『退屈な日々にさようならを』)の最大級の形である。

彼女たちがついぞ結ばれることになる第4話の「不在」ドラマもすばらしいのだけど*1、第10話→第11話の一連の流れはまじ半端なく秀逸。「突然消えてしまったリカ」からはじまり、「地元の愛媛へリカを探しにいくカンチ」→「かつて“名前を彫った”と話した小学校の柱に“赤名リカ”の名前を見つける」→「校庭での再会」→「電車の時間をズラし、訪れる不意のお別れ」に至るまで。その柱の名前に加え、駅のホームに結ばれたハンカチーーそこに口紅で書かれた「バイバイカンチ」の文字が、彼女が「存在していた」という事実を強く決定づけることになる。赤名リカはそこに確かにいて、でもいなくなってしまった。

第3話においてリカはある印象的な言葉を残していた。

人が人を好きになった瞬間ってずっとずーっと残ってくものだよ。それだけが生きてく勇気になる。暗い夜道を照らす懐中電灯になるよ*2

いなくなってしまっても、離れ離れになっても、そこにあった確かな存在と「好き」という想いは未来永劫、決して無くならない。だから私たちはその思い出を強く抱きしめて、ずーっと先の未来に向かって歩いていくことができる。赤名リカがその存在をこの世界に強く刻みながら教えてくれたのは、そういう「人生を照らしつづける愛」を信じた生き方だった。

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*1:このあたりが物語の幸福感のピークで、どんどんどんどん辛くなっていくんですよね……

*2:後の坂元作品でも繰り返し語られるこの言葉、ようやくその原典にたどり着きました。この言葉が僕にとっての懐中電灯なんだよな。

ポップカルチャーをむさぼり食らう(2020年1月号)

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この世はすばらしいカルチャー、コンテンツであふれている。しかし当然のことだけど、そのすべてを一個人でキャッチすることはできない。そんな当たり前のことを忘れ、危うくアパートの更新料を払えないところでした。例えば夜遅くにやっていたドラマ、例えば「欲しい」と親に言うことすら憚られたテレビゲーム。少年時代には、物理的に観られない、読めない、できないからこそ出来るかぎり想像を膨らませ、あるいはあるものを最大限にこねくり回して楽しんできたはずだった。幸いなことに、この世界には多様なカルチャーに対する受け手の意見を聞ける場もたくさんある。Twitter、ネットメディア、雑誌、「POP LIFE:The Podcast」みたいな番組も。それを聴いて読んですれば、それだけでも十分楽しめるじゃないか。猥雑にカルチャーをむさぼり食らうのではなく、観たもの一つひとつについてもっと考える時間を設ける必要があるのではないか。そんなことを思いつつ、相変わらずミーハー精神に心が蝕まれ今月も多様なカルチャーに接しましたとさ。めでたしめでたし。

 

ドラマ

昨年末からの個人的課題ドラマだった『それでも、生きてゆく』。お正月のお休みでじっくり観ることができた。これはやはりすばらしいですね。人と人との徹底的なまでにわかりあえない時間を強く刻みつつ、それでも光のほうへ向かって歩みを進めていく洋貴(永山瑛太)と双葉(満島ひかり)、傷つき果てた家族たちを捉えようとする。「何のために悲しい物語があるのか」という問いに対しての洋貴の応答は、「悲しいことばかりで逃げたくなる。だけど逃げたら、悲しみは残る。死んだら、殺したら、悲しみが増える。増やしたくなかったら、悲しいお話の続きを書き足すしかないんだ」だった。このあとに「いや、こんな話どうでもいい」と切り返すのも含めてとても重要なシークエンスなのだけど、かなり合点がいくというか、個人的にもそう思っていた答えが返ってきた。私たちはドラマの登場人物のようにうまく相手に物事を伝えることができないかもしれない。たとえ伝えられたとしても、相手の心に届かないかもしれない。だけど、どんな結果になろうとこのドラマはその悲しみを優しく包み込んでくれる。悲しみの先に進むことを促してくれる。昨年末に観た『象は静かに座っている』も『魂のゆくえ』も、『幸福なラザロ』も『家族を想うとき』も、ただ悲しいだけの映画ではなかったなと思い直してちょっとうれしくなった。

今期のドラマは『コタキ兄弟と四苦八苦』と『心の傷を癒すということ』、『トップナイフ』しか観ていない(2月1日からの『伝説のお母さん』は楽しみ!)。野木亜紀子脚本の『コタキ兄弟〜』はやはり安定の筆致に惚れ惚れするすばらしいドラマだ。山下敦弘がゆるい空気感を創出しながら、お話は軽妙に巧く構築されていく。まだまだどう展開していくのかわからない作品だけれど、毎回案外スリリングで先が気になる。

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14日にTOKYO MXで放送されていた枝優花監督の単発ドラマ*1『スイーツ食って何が悪い!』もらしさ全開でおもしろかった。『放課後ソーダ日和』の男子版ではあるのだけど、その転換だけで男子の欲求と女子世界の魅力を描けてしまうというのは大発見だ。単純にパンケーキ食べたい欲が半端なく膨らんだし、クリームソーダと同じくパンケーキの“シェア”が生み出す心と心の通じ合いにグッときた。

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映画

なんと言っても今月は『パラサイト』でしょう。(いや、そう言い切れないほどに、最高な映画しか公開されなかった奇跡的な月だったんですが。)格差社会における人々の分断という重要な社会的イシューをここまで強く表象しながら、またとないエンターテインメントに仕上げてしまうポン・ジュノの神業。よくできすぎているという批判はあれど、ここまでよくできた映画は安藤忠雄の建築を観るような建築的快感があり、もはや責めるところが見当たらない。個人的にはまずエンタメとして大好きで、「社会派である」という点は案外どうでもよかったりする。ヒーロー映画にノレなくなってきている僕なので、こんなに興奮したエンタメ映画は久しぶりでした。たくさんレビューを読んだので、そのなかから3つよかったものを挙げておきます。

s.cinemacafe.net

realsound.jp

www.houyhnhnm.jp

大橋裕之の原作漫画を7年かけて映像化したという岩井澤健治監督の『音楽』もたいへん楽しい映画だった。とことんまで会話に間をつくっておきながら彼らの言葉は極めて平凡でそれゆえに真っ直ぐ。彼らが放つ初期衝動を濃縮したような「音楽」(タイトルがまずストレート!)もまさしくそんなイメージで、なんの混じり気もないから心に直に突き刺さってしまう。大橋原作のあのシュールな作劇をスクリーンで観られるのはある意味特別感があって終始ニヤニヤしてました。と言ってもぜんぜん『シティライツ』しか読んだことない人間なんですけど、映画化されるみたいだし『ゾッキ』あたり読んでみたいですね。

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ジョジョ・ラビット』は序盤から、苦手なウェス・アンダーソン臭(というより『ムーンライズ・キングダム』感)にやられてウトウトしてしまったものの、ラスト20分がとてもよかった。好みの問題であまりハマらない映画だけど今月の映画で一番おすすめはできるタイプの作品。『リチャード・ジュエル』は、イースト・ウッドの「病めるヒーロー譚」としては今まで以上にストレートな話。真実が見えない時代にはやはりこういう映画が必要だし普通に好きだけど、女性記者の表層的な描写と僕はゲイじゃない!とこだわるジュエルの発言がノイジーで気になる。

今泉監督の『mellow』はあまりにも『こっぴどい猫』と『サッドティー』の焼き直し感がありすぎてちょっとびっくりした(なんせ同じオリジナル脚本の『街の上で』が新境地の大傑作映画なので)。そうではあるものの、「今泉作品とはなんなのか?」を考える際にはとても役立つ映画だと思う。今泉作品っていつも、「話す/話さない」の取捨選択に重点が置かれている。むしろそれだけで物語をドライブさせているのではないかと思うほどに。mellowの冒頭はわかりやすい。花屋に入ってきた女子高生が店員(田中圭)からの2、3の質問に答えてプレゼントとなる花を見繕ってもらい、それを手に店を出ていくまでの時間を長々と、しかし克明に描ききった場面。田中圭は必要以上に聞きたがらないし、女子高生も大事な領域については話さない。観客は少々モヤモヤするかもしれないが、そこでこの映画が誘引しようとしているのは「観客の想像力」なのだろう。思えば『パンバス』の市井ふみ(深川麻衣)も『愛がなんだ』のテルコ(岸井ゆきの)も、自分の心情を「話さない」ヒロインだった(愛が〜はそのぶんモノローグで語られるが)。それは本作の木帆(岡崎紗絵)、あるいは夏目(田中圭)にも投影されている。手紙やラストシーンは、彼女が言葉を選んで「伝えたいことだけ」を伝えているからこそ美しい。わたしたちの想像力が、幾重にも今泉映画の登場人物たちが抱える想いを大きく膨らませることができる。その構造を今泉監督はうまくつくりあげているのだ。一方で「話す」ことで偶発的に生まれるコメディも今泉映画の美点のひとつだ。例えば『パンバス』における二胡やたもつ、『愛がなんだ』のすみれ、『mellow』では告白する女子高生やあの奇妙な夫婦、ラーメン屋においての夏目と木帆の関係性などによって「よく話す」人と「話さない」人の対比が緩やかに生まれているのがおもしろい。

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とりわけあの奇妙な夫婦との会話劇のすばらしさよ。

『サッドティー』(2014)において、彼氏から別れ話を切り出されそうになった女性が(その女の子に気がある)男友達を呼んでなんとか抵抗しようとする場面がある。よくわからない組み合わせの3人が集結したあるアパートの一室。だんだん男性のほうが「別れなくてもいっか」と心が動いていくと、演出的に男友達が透過し、しまいには消えてしまう、というめちゃくちゃ変なシーンがあるのだけど……*2。それとほぼ同じことがあの場面でも繰り返されていて、要するにあの夫婦の間には強固な愛があり、夏目に好きだと言うことなんてごっこ遊びみたいなものだったのだ。結局追い出され(=あの空間から花ごと消され)孤独になってしまうのは夏目の方。しかしあのあとそんなことがあったと木帆に「話す」場面があるから本作にはまだ救いがある*3。そう、ここが『mellow』という映画の実は最も大事な場面ではないか。世界から一方的に追い出されてしまった男が孤独を経由しつつ、真に共感してくれる存在を得る。なんだか自分が生きていていい「世界」がこの世にはたくさんあるのだと実感できるようなシーンだ。これを観て僕は、“好き”と簡単に言ってしまえる「恋」と“世界”を与えてあげる「愛」という、その違いに気づいてしまったような気がした*4。「話す/話さない」の取捨選択は結局コミュニケーションについてのお話にもつながっていて。こういう映画って得てして大好きなんだよなぁ。「ほとんどの好きって気持ちって、表立ってやりとりされないものでしょ?」。セリフのセンスがすばらしい。

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岩井俊二監督の『ラストレター』は濃密すぎる岩井俊二映画でもう最高っしたね。同窓会、そして手紙と冒頭から「嘘」を配置し、徐々に主人公が(この場合は乙坂鏡史郎が)「本当」を見抜いていく様子は岩井作品に通底する作劇のあり方で、その「本当」あるいは「神秘的なもの」を広瀬すずや森七菜といった(この世のものとは思えない輝きを放つ)女優が演じきることによって本作の価値は最大化される。広瀬すずの存在感あってこそなのだけど、僕はとりわけ森七菜の演技に面食らってしまいました。雑誌「SWITCH」の岩井俊二特集号(全体的にいい内容!)で鏡史郎を演じた神木くんが森七菜についてこう評価していた。

「芝居していないような芝居」って、なんとなくわかるじゃないですか。でも七菜ちゃんの場合は本当に「芝居してない」ようにしか見えないんです。話す言葉も、たまに言葉に詰まったり噛んだりする姿もあまりにそのままだから、それが台詞なのか、それとも彼女自身が発した言葉なのかわからなくなって、台本を確認したらちゃんと台詞だった、ということが何度もありました(笑)。

七菜ちゃんは半端ないよ。神木きゅんがこういってるのだから大したもんだ。いやしかし、まじめに言って岩井作品のなかに生きる森七菜の存在は奇跡すぎた。こんなすばらしい映画に出てしまって、これから選んでいく役どころが心配になるくらいに、とにかく奇跡的だった。下のインタビューでも語っているけど、森七菜さんは坂元裕二作品が大好きみたい。「手紙」という連絡手段にも妙にフェティシズムがあるみたいなので、ぜひ坂元作品に出ていただきたいですね。

www.cinra.net


森七菜 カエルノウタ Music Video

旧作で観た映画のなかではハル・ハートリーの『トラスト・ミー』が大好きなやつだった。昨年末に特集上映でデビュー前の超初期作を先に観たりしていたからその成長具合に驚かされたし、いっぽうで「狭い都市、空間から出ることができない男女」というモチーフだけは残り続けていて非常に信頼できる作家だと思わされる。そうしたモチーフや彼の映画で輝きを放つ女性たちの姿には、岩井俊二作品のそれと重ねてしまう部分もありましたね。スリルとロマンスがうまく調和した刺激的なラブストーリー。好き。

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あと2月公開の新作を2本試写会でひと足早く観て、どちらも「うわぁああああああああ!!!最高すぎる!!!!!!」と爆烈にテンションが上がってしまった…!ひとつが個人的にかなり楽しみにしていた『架空OL日記』の劇場版(2/28公開)。もうひとつが『ヘレディタリー』でお馴染み(僕はホラー苦手なんで観てませんけどね…)、アリ・アスター監督の新作ホラー『ミッドサマー』(2/21公開)。今年の上半期はこの『架空OL日記』と公開前から何度も推してしまっている『街の上で』のすばらしさをどう言語化できるか、そこに人生をかけようと思っているくらい、自分的に大事な映画になった。『架空OL日記』は劇場版とは言っても変に気を張らずドラマのままの日常がそこにあって、だからこそとてもいいし、それでもある程度連続性のあるストーリーが100分ほど紡がれるので僕はあるシーンで思わず感涙してしまった。ホラー映画をほとんど観(られ)ない僕でもぜんぜん楽しめた『ミッドサマー』は、もはやSF映画か、と見紛うほどの美しく奇妙な世界観にまずは一発で引き込まれ、ある事件によってトラウマを追ってしまった女性の、その心の中を再現しようとしたのではないかと思われる狂ったストーリーテリングに陶酔感を覚えてしまう。世にも奇妙な世界だけれど、「終わってほしくない」「帰りたくない」と思わされてしまう非常に不思議な体験をした。『架空OL日記』も『ミッドサマー』も、公開されたらもう一度観にいってしまうと思う。


2020.2.21(金)公開『ミッドサマー』予告編

 

本/マンガ

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最近は映像コンテンツへの依存がひどく本もマンガもぜんぜん読めないんだけど、この回の「POP LIFE〜」が引き金になってくれたのか今月はまぁまぁ読書/読マンできた。『水は海に向かって流れる』の第2巻、めちゃくちゃいい。読んでいて気づいたのは、田島列島の漫画がもつ、恐ろしいほどのテンポのよさだ。細かく配された擬音と少ない言葉数で独特のリズムを生み出していて、でも大事な場面ではちゃんと引っかかりを残していたり、とにかく巧い漫画という印象を抱く。ストーリーの形式(加害者家族/被害者家族の関係性)としてはそれこそ『それでも、生きてゆく』ともちょっと似てるよね。あまり話をぶらさず「親が不倫していた」というその一点を深く掘り下げながら、人と人が不器用ながらも誠実に向き合う姿を描いていくのがとてもいい。

水は海に向かって流れる(2) (週刊少年マガジンコミックス)

水は海に向かって流れる(2) (週刊少年マガジンコミックス)

 

続けて友だちから借りていた『違国日記』の1〜3巻を一気読みし、とても読後感がよくて心をほっくほくさせた。こちらは『海街diary』のような擬似家族的展開が35歳の叔母と15歳の姪という独特な距離感のふたりに託されていて、彼女たちの葛藤と何気ない生活描写の丁寧な描き方に心を掴まれてしまう。昨年公開されていた『アマンダと僕』という映画が本作にとても似ていた。両親を失ったアマンダが、祖父母とかではなく叔父という微妙な距離感の親族とともに生きていくことを決める映画で。『違国日記』では、親の代わりにはどうしたってなれない大人たちの苦戦する生き様、心のすれ違いと言葉の行き違いなど、人間の心の機微がむき出しになっていて没入感がすごい。

違国日記(1) (FEEL COMICS swing)

違国日記(1) (FEEL COMICS swing)

 

トーチWebとGINZAのWebサイトで同時連載されている『かしこくて勇気ある子ども』というマンガ。上述の「POP LIFE〜」で紹介されていて第3話が公開されていたと知り、早速読んだ(4話も公開されました)。カラーのマンガって案外読む機会がないから、ビビッドな“赤”と何もない“黒”との空間の対比が視覚からすごく心に訴えかけてきて、作画的にもこれだけ切実なマンガは今まで読んだことがないなと思い直したりした。これから生まれてくるお腹の赤ちゃんにはぜひ“かしこくて勇気ある子ども”に育ってほしいと思っていた感情が、世界で加速する分断と不寛容に煽られてグラグラっと崩れ落ちていく瞬間の描写の切なさ。ちょうどNHKドラマ『心の傷を癒すということ』で阪神淡路大震災の風景を観ていて感じたことがある。僕は1995年の5月に神戸市のほど近くに生まれ、その年にはオウムの事件もあったり、混沌としていた時代。そんなときにお腹のなかに赤ちゃんを抱えていた僕の母親は、本作と同じように不安にさいなまれていていたんじゃないかなって。『魂のゆくえ』も似たような側面がある映画だったけど、ここにもまた「何のために悲しい物語はあるのか」という言葉が反復してくる。時代は進み、生命は息を続ける。だからこそ、物語の力に救われることがあるということ。この物語の行く末に心して望みたいと思っている。

to-ti.in

朝井リョウの短編集『どうしても生きてる』を読んでいる途中。「同じ言葉の反復」により物語が世界の深層に迫っていくあたり、とても新鮮に感じたんだけど朝井リョウっていつもこうだったっけ? それにしてもやっぱり、20代全般にこれだけ刺さる文章を書けるのは朝井リョウくらいだと思う。

どうしても生きてる

どうしても生きてる

 

 

その他(演劇、YouTubeハロプロ…)

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1月18日、阿佐ヶ谷にある小劇場でナカゴーの演劇『ひゅうちゃんほうろう-堀船の怪談-』を観た。思えばナカゴーは、僕が2年前に東京に出てきてから欠かさずに観劇している劇団。「大爆笑したい!」と思ったときにはうってつけの演劇なんだけど、今回は「大爆笑」どころじゃなく、腹がはちきれそうになるくらい笑った。笑いすぎて周りの目が気になって、ちょっと恥ずかしいくらいのやつです。なにがおもしろいって、登場人物の一人ひとりが「マンガ的」とでも言えるような確固たるキャラクターを形成しているところだ。『ギャグマンガ日和』や『浦安鉄筋家族』の実写化なのか?と思ってしまうほどとにかく可笑しくて愛おしいキャラクターたち。とりわけ藤本美也子さんの小学生男児役はほんとおもしろかったなぁ。


【中田敦彦 vs DaiGo】カードゲーム「XENO」論理vs心理の頂上バトル〜前編〜

今月みたYouTubeで群を抜いていちばんおもしろかったのはこれ。中田(論理)vsDaiGo(心理)という構図で繰り広げられる、カイジのようなカードゲーム、頭脳戦。テレビでもかつて『ヌメロン』とかやってたけど出演者とゲームの相性がとにかくよかったのか段違いのクオリティだし、カメラワーク、カードのデザイン(ずっとTwitterフォローしてるTAKUMIさんだ)、ふたりのリアクション含め完璧のエンタメになってる。台本のないリアルだからこその爽快感も抜群。

ほか、おもしろかったやつ。


【LA里帰り】フワちゃんの故郷はロサンゼルス


もう限界。無理。逃げ出したい。


村上がバチってなった〜Aマッソのオッチンバーグ〜


2019年ベスト映画・日本映画業界を語る!! 活弁シネマ倶楽部#66

長らくハロプロ箱推しとしてとくにひとつのグループに熱中することなく応援してきたんだけど、近ごろはモーニングへの愛が昂っているのを自覚しはじめました。だって15期が入ったばかりなのに、もうバランスが最高なんだもの。ニューシングルの3曲はぜんぶめっちゃいい。動画をいろいろ貼りますが、愛おしくて悶えるばかりでとくに言葉にできることはありません。興味がある人は見てみてくださいな。


モーニング娘。'20『人間関係No way way』(Morning Musume。’20 [Relationships. No way way])(Promotion Edit)

gyao.yahoo.co.jp

nico.ms

nico.ms

hanako.tokyo

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年始の3連休、スノボをしに友だちと長野県へ行った。1泊2日でも2日滑るほどの体力を持ち合わせていない面々だったから、1日目は通り道にあった軽井沢へ。軽井沢へは昨年の4月にも行ったんだけどやっぱりめちゃくちゃ雰囲気がいい。別になにもないしこの時期はとくに人もいないけど、むしろそれがよくて洗練もされてる。軽井沢といえばやっぱり蕎麦っすね(軽井沢 川上庵にて)。

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正月休みに祖父母の家にいって持って帰ってきた一眼のフィルムカメラでいろいろ撮るも、ピント・光の調整がぜんぜんうまくできてなかった。おもしろいな、カメラって。軽井沢では蕎麦を食べ、旧軽銀座をぶらぶらし、カフェでのんびりしたあと、アイススケートに興じた。スノボもそうだけどバランス感覚が試されるスポーツは基本上達しきれない僕なので、スケートもめちゃくちゃこけたし難しかったです。テラスハウス軽井沢編をまた観たくなった。スノボは相変わらずそんなに上達せず、午後に入るとバテてきてやる気がなくなり時間切れ。スキー場からの帰路、道が凍っていたため車で雪山を降りるのに1時間もかかったのが最大の珍事だった。懲りずに来年も行く。

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<2月に観たいものリスト>

テッド・チャン『息吹』/『違国日記』4、5巻/ペドロ・アルモドバル作品/『82年生まれ、キム・ジヨン』/『最高の離婚』と『問題のあるレストラン』、『東京ラブストーリー』/山崎ナオコーラ『ボーイミーツガールの極端なもの』

*1:山中瑶子監督『さよなら、また向こう岸で』と同じ局・時間だから、ここは若手作家発掘枠なのかな? その作品があまりにもすばらしかったことを思うと、枝監督の本作は期待を越すものではなかったんですけど…。

*2:この消滅してしまう男友達役を『お嬢ちゃん』の監督であり『全裸監督では國村隼の弟子を演じていた二宮隆太郎がやっていて、めちゃくちゃ最高なのだ。ちなみにちなみに、『お嬢ちゃん』でも「3人の会話劇」が頻発し、2:1の構造になったりするところ(他にも長回しやコメディ描写なども)に今泉作品とのつながりを感じたりした。

*3:その直前のシーンで夏目がタバコを吸うのも印象的。そのモヤモヤをぶつける相手がいないから、彼はただタバコを吸ったり吐いたりしてやりすごす。

*4:どちらも極めて人間的で美しい。

寄生虫は輪廻のなかを蠢く/ポン・ジュノ『パラサイト 半地下の家族』

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(※物語の展開・ラストにがっつり触れるレビューなのでどうか観賞後にお読みください)

 

「計画を立てると必ず、人生そのとおりにいかなくなる。絶対失敗しない計画は、“無計画”であることだ」

本作においてさまざまな人物から発せられた「計画はあるの?」という問いかけに、キム・ギテク(ソン・ガンホ)は諦念にも似た上記の回答を示す。計画は崩れ去ってしまうものなのだから、そんなものには意味がない。「誰が今日、体育館で寝ることを計画のなかに含んでいたのか?」と。

とは言っても、キム一家による大豪邸への“寄生計画”は極めて順調に進んでいたと言っていいだろう。疑い深い観客としては、「うまくいきすぎではないか?」と訝ってしまうくらいだった。4人全員がパク一家に迎え入れられ、次なる一手はギウがダヘと結婚することか、と未来計画を立てていたところだ。大豪邸のリビングで一時の幸福感に包まれていたそんなおりに突如、計画を阻む輩=前家政婦のムングァンが進入してきたことでいとも簡単にその計画は崩れ去ってしまう。ただし、私たちはここである事実に気づきはしないだろうか? このムングァンと地下に居つくその夫こそ、「計画を阻まれた側の存在」であるということに。だって、キム一家が寄生することがなければ、ムングァンは何ごともなく家政婦を続け、彼女たちは一生この家に世話になることができたのだから。キム一家の計画を阻んだのはムングァンだが、それ以前に、ムングァンの計画をキム一家が阻んでしまっていたという辛い事実がそこには横たわっているのだ。

そして無視してはいけないのが、彼ら以外にも計画を阻まれている人間がいるということだ。言うまでもなくそれはパク一家のことである。寄生されていること自体がもちろん計画にはないことだが、最も無計画を象徴するのはあの忌まわしいクライマックス、息子・ダソンの誕生日を「サプライズ」で祝うために、母がギジョンにケーキ運びを充てがう場面だろう。そこで予想外にも包丁をもった男が現れ、ダソンは気絶し、最終的に夫は殺されてしまう。誰も救われない、誰もお互いを救うことができない、地獄のような展開である。

そうして無残にも計画が無為になってしまったものたちは、この厳しい世界を“くだる”しか道がなくなる。キム一家は街を降り、あるいはギテクは地下室で警察からの追手を防ぎ、ムングァンは地下室から上にあがってこようとするも、ギテクの妻・チョンソクによって蹴落とされてしまう。一家の大黒柱を失ったパク一家にしても、これまでと同じ生活が送れるとはとても考えづらく、階層を下ることを余儀なくされるに違いない。

圧倒的に裕福な家庭だったパク一家のことを一旦脇に置いておくとして、同じく階層の下方にいるパク一家とムングァン夫妻がなぜ互いに手を取り合うことができなかったのか。

「自分が上にいると、下にいる人間が見えなくなる。」それこそが本作の最大のテーマであり、人間の業が生み出す根の深い問題であるように思うのだ。机の下にキム一家が隠れていることに気づかず、パク夫妻はイチャつきだしてしまう。下界では大洪水が起きた次の日も、気持ちいい朝を迎えている。一方でキム一家も、まさか地下室に人が住んでいるとは思いもせず、自分たち家族のことだけを考えて寄生計画に励んできた。そしてムングァンは、キム一家の正体を知るといきなり豹変したように彼らを脅しはじめ、悠々と地上で夫の肩を揉むに至る。そこでまたキム一家からの反逆に遭い、最終的には地獄のクライマックスにつながっていき……。

地獄の誕生日会から息子を連れて逃げ出そうとする大豪邸の主人・ドンイクは、ギジョンが刺されていることに目もやらず、早く運転してくれ、早く鍵をよこせ、と言う。災害時において一家の家長が家族を守ろうとするのは当然のことなのだが、(一応)招いた客であるギジョンを見捨て、鼻をつく匂いにだけはなぜか敏感な姿。それを見たギテクは衝動で彼を刺し、自らもまた大豪邸を後にしようとする。*1

実は本作、オープニングでかかる音楽と半地下の家を下方向にパンしていく映像が最後の最後、ラストシーンでも全く同じ構造になっており、そこから『パラサイト』という映画自体が「円環構造」を成していると読み取ることができる*2。キム一家は半地下の生活に戻り、あの豪邸に住むことを再び「計画」するのだ。その計画が成功するかどうか。本作を観ていれば、とてもじゃないけど成功するとは思えない。階層を上ることは不可能、あるいは階層を上がろうとすれば他に苦しむものが出る、と伝えるしんどすぎるエンド。この輪廻から抜け出すにはどうすればいいのか。その答えを安易に提示しない(もしくは答えなんてないのかもしれない)のが本作の巧さであると思う*3

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*1:螺旋状の階段を下っていくあの前後の場面の「日光」と「影」の演出が見事で、真上から捉えたその映像は、ギテクの「影」だけが日向を動いていたり、螺旋状を一度上にあがってすぐに下がったり、これまでの展開を絶妙に表象してみせている。この「日光」と「影」というのは、入らない半地下/強く射し込む大豪邸の庭、と階層の対比においてもたびたび明示されてきたものだ。

*2:大豪邸の玄関にある階段も地下シェルターと繋がる階段も螺旋状をしていて円環を想起させる。そして登場人物たちは何度もそこから滑り落ちてしまう。

*3:赤鉛筆(脈拍)、唇、偽造文書のハンコ、梅シロップ、タバスコ、犬用ジャーキー……。侵入を暗示し、血を連想させる“赤”も本作においてすごく印象的だった。いやしかし、とにかくすごい。社会派映画でこれほどまでにエンターテインメントを指向できた映画はないだろうし、演出・脚本の教科書としても最適なテキストだと思う。よくできすぎているのが、唯一の欠点。一部Twitterではそうした指摘があるし自分もそう思うけど、こんなにイマジネーションが膨らむ映画、そうそうないんじゃなかろうか。個人的にはめちゃくちゃ好みの作品です。

*4:パク・ダヘ役のチョン・ジソがかわいすぎました。ていうかみんな顔がよかった。

ノア・バームバック『マリッジ・ストーリー』|その言葉で変わってしまうほど過去はヤワじゃないはず

言葉はいとも簡単に過去を改変してしまう。ときに痛々しく、またあるときには優しく包み込むように。そうした「言葉の鋭敏さ」をひしひしと痛感させられるのが、『マリッジ・ストーリー』という映画がもつ魅力(、あるいは恐ろしさ)のひとつだと思う。

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◆言葉が物語る幸せな日々

本作では少なく見積もっても4度、そうした「言葉の鋭敏さ」に登場人物たちが翻弄される場面が訪れる。

その1度目は言うまでもなく、かつて愛した結婚相手の好きなところをメモに書き出した冒頭シーン。ずっと観ていられるし、言葉をすべて書き出したいくらい愛に溢れたあの心和む場面である。ミルクボーイのネタみたいになってしまうけど一部抜粋すると、ニコール(スカーレット・ヨハンソン)は「気まずい場面で相手を気遣える」「家族の問題に関しては常にうわて」「家族の髪も切る」「贈り物のセンスがいい」「負けず嫌い」、そして「僕が一番好きな女優だ」。一方チャーリー(アダム・ドライバー)は、「意思が強い」「苦行のようにいっぱい食べる」「節約家」「家事が得意」「負けず嫌い」「イヤになるほど子煩悩」、そんなよき父親。

実際には、あの言葉たちは紙に書き出されたままで読まれることがなかったものだ。無機質で、感情が宿ることのない言葉。しかしそこは映画がもつ奇跡の産物か。“いつか読まれること”を期待するかのように、言葉と映像は巧みに「彼らの結婚生活における幸せな時間」を再現し、私たち観客を一瞬で引きつけていく。本編をすべて観終わってから改めてこの冒頭を眺めると、“生活のいいところだけ”を切り取っているということもなんとなくわかってしまう。でも「伸びっぱなしになったチャーリーの髪」と「それを切ってあげるニコール」、「節約家、家事の得意ぶりを発揮するチャーリー」や、何よりもお互いに「負けず嫌い」な姿は後々の場面にも随所で覗かせている。そんな“いいところ”の印象が徐々に薄れていってしまうのが、このあとに展開される離婚劇の怖さだ。

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◆脚色のないニコールの本音

「言葉の鋭敏さ」を物語る2度目はそのあとすぐ、ニコールが弁護士のノラ(ローラ・ダーン)を訪れ、チャーリーの不満を漏らす場面。

ノラ「もう少し詳しく事情を聞かせて 私たちはあなたの話を語るんだから」

ニコール「説明するのは難しいわ 愛がないとかいう単純な話じゃない」

簡単な言葉で言い表すことはできない。そう前置きしながら、ニコールはチャーリーとの出会いから結婚生活、劇団やチャーリーへの不満、離婚を決意した理由までを訥々と振り返り、溜め込んでいた感情を放出していく。ここで語られることがなんの脚色もない彼女の本音なのだろうということは、スカーレット・ヨハンソンの等身大の演技を観ていればわかるだろう。

ニコール「私は夫の活力にエサを与えていただけ」「私はだれかの所有物」「夫は私を見てない 独立した人間として見てない」

冒頭で語られる日々のささやかな幸せにも決して嘘はないけれど、離婚を決意するに至るまでのフラストレーションが溜まっていたのも事実としてある。その複雑に混じり合った過去と決別するためには、「ささやかな幸せ」の方を切り取って捨ててしまう必要があったことは言うまでもなく、弁護士のノラを媒介として「不満の言葉」がさらなる鋭さを携えてチャーリーに突きつけられることになる。

それが離婚調停の場面につながり、応戦するためにチャーリーも荒手の弁護士(レイ・リオッタ)を雇うことに。そこからはもう、切なすぎる「言葉の刺し合い」のような展開が続く。

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◆刺し違える言葉と言葉。そして、生きている

「言葉の鋭敏さ」改め、「言葉の刺し合い」が激化する3度目の場面。それはニコールがチャーリーの家に訪れ、「もう一度私たちだけで話し合えるかも」と、離婚調停の振り出しに戻ろうとするシーンだ。結論から言うとその試みは失敗し、壁は凹み、チャーリーは泣き崩れる。「なんてことだ……」。かつて愛した人に思わぬ暴言を投げかけてしまったチャーリーがそう漏らす場面の苦々しさたるや……。

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「言葉」はそれだけに、過去を丸ごと否定してしまうほどの威力をもつ。しかし『マリッジ・ストーリー』という映画の真価が発揮されるのは、その言葉になんとか抗おうとする彼らの姿を捉えている点にあるように思う。複雑な想いが混じり合った過去を、その混じり合った状態のままに記憶しておくという努力。映画はあらゆる過去を肯定し、「Being Alive」、“生きているんだ”と甲高に訴える。

Someone to hold me too close.

Someone to hurt me too deep.

Someone to sit in my chair,

And ruin my sleep,

And make me aware,

Of being alive.

Being alive.

このアダム・ドライバーの歌唱も非常に胸を打つ場面である。ニコールやヘンリーとの身長差もあってのことか、その身体性が時おり浮き彫りになっていたチャーリー。離婚の通達を受けた際やノラからの電話で弁護士を立てろと催促されたとき、彼はなす術もなく呆然と立ち尽くしてしまう。その大きな身体がニコールとの大喧嘩によって縮こまってしまったり、不意に腕を傷つけて横たわってしまったりする場面にこそ、彼の愛らしさが表出されているだろう。そんなチャーリーが心から湧き出るように歌う歌。人との関わりは煩わしいこともあるけれど、だからこそ生きているんだ、と実感する、これも過去と現在を全肯定してみせるシーンである。

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◆抗うことで届く手紙

この映画には救いがある。泥沼の離婚劇を描きながらも『マリッジ・ストーリー』と銘打ってみせるように、「離婚」ではなく「結婚生活」にスポットライトを当てた本作は、ニコールとチャーリーによる言葉への抗いをもってしてやがて救いとなる奇跡を生む。ニコールが「チャーリーの好きなところ」を書き出したメモを、ヘンリーが拙い発音で読み上げる場面だ。いや、あれは奇跡などではなく、本作の流れからすれば当然の帰結だったのかもしれない。ヘンリーの目の届く位置にあの紙が置いてあったのだとすれば、その前にニコールが読んでいたとほぼ断定できるから。ニコール→ヘンリーと介してチャーリーへと届く「手紙」。

ヘンリーが一つひとつ丁寧に読み上げ、あの無機質な言葉たちにじわりじわりと感情が乗りはじめる、その映画的快感。それは「言葉の温かさ」に気づく瞬間でもあるかもしれない。言葉は簡単に、過去を否定/肯定することができうるけれど、複雑な想いが混じり合った過去を一方向に規定することなんてできっこない。できないでいてほしい。過去は過去としてあり続け、「生きている」実感を得る手助けをしてくれる。そう踏ん切りをつけられればようやく、私たちは未来を見据えて歩き出すことができる。

長い道のりを画面の奥へと車で走り去っていくチャーリーの画をもって本作は終わりを迎え、そして人生はずっと先へと続いていく。

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ポップカルチャーをむさぼり食らう(2019年12月号)

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『ビート・パー・MIZU』のヒロイン・石川瑠華さん

年末年始の省エネモード発動〜! ゆるい感じで書いていきますよ〜。ってな感じで4月からつけはじめたカルチャー日記もなんとか飽きずに続けてこれて、今年は以前よりも多様なカルチャーに触れることができたように思う。というのは嘘で、結局今年は徹頭徹尾「映画」の1年だった。一応、公の場で映画の文章を書けるようになりたい、と思って上京してきているから、まぁ当然の成り行きではあるし満足しているのだけど、もっともっと映画以外にも「おもしろいもの」に接していきたいという思いがあるのです。誰よりもミーハーな好奇心旺盛マンなので。「以前よりも多様なカルチャーに触れることができた」と2020年の年末には言っていたい。多様なカルチャーとは言ってもまずは漫画・小説を含む「本」かな。近ごろ、文章力・語彙力・知識の限界を感じることが多いから、おもしろいものに接したいという欲以上に、やらなければいけない喫緊の課題としてこれは挙げられます。あとやっぱり映画はもっと観る必要があって、ちょっと新作鑑賞を抑えて旧作を掘りまくる時期が来ているように感じる。観たい映画は山ほどあるし、新宿のTSUTAYAなんかにはなんでも置いてるっぽいし、幸いなことに環境は整っているのだ。毎月ひとり監督を設定して観ていこうかな。演劇は年10本強ペースでいい感じで、ドラマは毎週追うのがしんどくなってきてるから毎クール2、3作で充分。ライブは行きたいときに行く。時間を無駄にしたくないしあんまり観たくないなと思ってたYouTubeは仕事としては求められる部分もあるかもしれなくてそれなりに観なきゃいけない。おもしろすぎて逃れられないんだよなYouTubeって。でも逃すことができないカルチャーなのは確か。がんばってメリハリつけて観ていこう。ぬるりと書き連ねた2020年のカルチャー抱負、以上。お金と時間が足りないぜ。

 

何のために悲しい物語はあるのか

なんか12月に観た映画はしんどい(辛い)映画が多かった。たまたまなのか、無意識に選んでいたのか。辛いとは思いながらも映画的に観てすべて高水準のおもしろいものばかりだった。例えば早稲田松竹で観た『悲しみは空の彼方に』(ダグラス・サーク監督)。今から60年前公開のこのアメリカ映画では、女性4人の10年間を描くことで人種差別・性差別・親子の確執などなど多くの社会問題を浮き彫りにしていた。12月13日公開ケン・ローチ監督の『家族を想うとき』では、イギリスの地方都市に住む(経済的には普通かちょっと普通以下くらいの)家族のスパイラル的に転落していく日常が描かれている。実家に帰ってまでなんか今年中に観ておいたほうがいいと思って2時間かけて観に行った『象は静かに座っている』。これも4時間というあまりにも長い時間をかけて、中国の田舎に暮らす先の見えない人々のしんどすぎる日々が群像劇で語られていた(製作中に29歳で自死してしまったフー・ボー監督の処女作であり遺作)。アップリンク吉祥寺でやってくれた『ワンダーウォール』(ドラマ)や「今年見逃した映画枠」で年末にレンタルして観た『幸福なラザロ』(伊/アリーチェ・ロルヴァケル)『魂のゆくえ』(米/ポール・シュレイダー)といった映画も、あまり未来が見えないような辛い結末を迎える。

これらはどれも、「それでもなんとか生きていく」とはなかなか言いづらい、しんどい映画ばかりだ。それぞれの映画を観たときは映画的なすばらしさ(辛い日々を描きながらも何故だか目を逸らせない吸引力、映画的快感)にしか目がいってなかったけど、実家に帰って自分の家族や社会を見渡してみると、「確かに世界はそういうふうに救いようがないくらいしんどくなっている」と思うことが多く、それらの映画が生まれた意味をようやく認識できた。でも生まれた背景は痛いほどわかるけど、カルチャーとして存在する意味はどこにあるのだろうか。年末年始で坂元裕二の傑作と名高い『それでも、生きてゆく』を観ている。(まだちゃんと観てなかったんですよね…。)「なぜこんなに悲しい物語があるのか」。劇中で発せられるその言葉を反芻する日々だ。カルチャーを摂取し続けること、そしてそれらについて書くことに意味はあるのかとすら思う日々を過ごしているけど、『それでも〜』を観たあとに何かしらの答えのようなものが出るんじゃないかと思ってる。FODの1か月無料登録の期間中に『最高の離婚』と『問題のあるレストラン』も観たいぞ〜。2020年の大期待映画『花束みたいな恋をした』(坂元裕二脚本)に向けて。

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眉村ちあきのライブはすごい

はなしかわって、今月とくに書いておきたいのは眉村ちあきの単独ライブに行ったこと。その前に唐突ですが、『今気になる女の子ベスト』を記します。女優・アイドルを問わず、好きだな〜活躍しそうだな〜って思うだいたい25歳以下くらいの女の子、っていうゆるゆるの基準で(笑)。

今もっとも好きな女優である三浦透子は紅白で観られてとてもうれしかった。あの貫禄でまだ23歳とはほんとうに恐ろしい。とりあえず『架空OL日記』の劇場版が楽しみっすね。インディーズ映画の登竜門的イベントである「MOOSIC LAB」で(2本+短編2本しか観てないけど)一番おもしろいと思った『ビート・パー・MIZU』、その主演の石川瑠華もよかったな〜。今年『左様なら』という映画でもちょっとヒールな演技を観て印象に残っていたけど、本作のめちゃくちゃポップな役回りも板についていた。17歳でその類まれなる演技力を示しまくっている南沙良。2019年は言うほど映画やテレビで見る機会はなかったので今年は期待したい。『もみの家』(坂本欣弘監督)『ピンぼけの家族』(NHK)という絶対おもしろいだろう作品が待機しています。18歳の森七菜は言わずもがなな活躍ぶり。けもなれで田中圭の母親の独身時代を演じていたのが心に残っている彼女は、今年一発目に岩井俊二の『ラストレター』が控えている。松竹史桜は『若さと馬鹿さ』で初めて認識したけど思い返してみると「ほりぶん」の演劇にも出ていた。1月は「ナカゴー」の演劇にも出るので楽しみ。彼女の独特な空気感が好き。ハタチ周辺の松本穂香恒松祐里箭内夢菜、中田青渚、関水渚は引き続き見守っていきたいお人たち。ハロプロではモーニング娘15期生の初々しさに激惚れしていて、『ひなあい』では上村ひなのさんの天才的所作から目が離せずにいる。

ということで眉村ちあき。夏ごろから妙に惹かれていた彼女のライブにようやく行くことができた。結論から言うとめちゃくちゃ良かった。なんでこんなに心が引きつけられているのか、それが実はあんまりよくわからないんだけど(歌がうまい、それだけで十分好きになる要素ではあります)、ライブを観てさらに好きになったのは彼女の発言の突拍子のなさ。突拍子がなく、それでいて全人類を肯定してくれるような温かさが彼女の言葉には宿っているのだ。

これに関してはもうね、理屈じゃないんだよね…。眉村ちあきのライブは現状、動画・写真撮影OKなので、YouTubeに上がってくるライブ映像をこれからも追っていきたいな〜。

12月のビッグニュースとして最後に。12月25日発売の『QuickJapan VOL.147』にて「YouTube on the border 2019」という特別企画の文・構成を担当しました。霜降り明星やカジサック、オリラジあっちゃんといった芸能人がYouTubeに進出する昨今において、その企画内容を考えている放送作家さんというのも当然のようにいます。それはテレビバラエティで活躍する放送作家さんがやっているのが基本で、今回は最前線で暗躍する4人の作家さんが集結し、2019年のYouTubeシーンを振り返りました。内容もりもりの座談会記事になっています。YouTubeについてある程度詳しい気でいたけど、紹介される7割くらいが観たことがないYouTuberだったり思わず肘を打つ発言のオンパレードだったりしたので、とにかく必見でございます! クイック・ジャパンは高校生の時から読んでいた雑誌だし、総合カルチャー誌としてこれ以上のものはないと思うので、そこで書けたことがめちゃくちゃうれしい。読み返してみると粗が気になってしまうけど、もっといい文章書きたいな〜と励みにもなりました。これからもコツコツがんばっていこう。

〈2020年1月絶対観るものリスト(おもに積読)〉朝井リョウ『どうしても生きてる』、ヤマシタトモコ『違国日記』1〜3巻、岩明均ヒストリエ』11巻、田島列島『水は海に向かって流れている』2巻、オカヤイヅミ『ものするひと』3巻、CSで録画したハル・ハートリー監督作品、坂元裕二最高の離婚』『問題のあるレストラン』、タナダユキ監督作品

 

My Best Films of 2019

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兵庫に里帰りしてもわざわざ京都(みなみ会館)まで行って『象は静かに座っている』(4時間弱の超大作)を観にいったり、実家では今年見逃した作品をストリーミング配信でカバーしたり、2019年は最後の最後まで映画を観切った。鑑賞数はだいたい110本くらい。例年は外国映画のほうが全然多かった気がするけど、今年は6〜7割くらいが日本映画になるくらいたくさん観た年だった。得意ジャンルしかブログや評論の文章を書けないってことで偏ってしまっているので、来年はもうちょっと多ジャンルを観たいな〜、ってな感じでさっそく今年のマイベストフィルムベスト20を列挙していきます!

 

20.トッド・フィリップス『ジョーカー』

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2〜5位と10位、20位はかなり迷った。そのあたりの順位は個性が出るところだと思うから他人のランキングを観ていても気になるとこ。20位にいきなり2019年の象徴的作品を持ってきたのは、正直本作への評価があんまり固まっていないからだ……。鑑賞中の陶酔感でいうとベスト10に入れてもいいくらいだったけど、よくよく本作のメッセージを反芻してみると2016年にぶちのめされた『怒り』を越すものではないなとか考えたり。こうやって比べてしまうのもよくないよな。これが公開された後、別の映画で「これもジョーカーみたい」「あれもジョーカーみたい」って感想が溢れかえっていたのが個人的にはちょっと気持ち悪かったんですよね。そんなに普遍的な映画ではないでしょうって。それでも比べてしまうのは、ストーリー的な新しさはない(=現実社会を反映し得てはいないということではないが)からだと言い切ってしまってもいいかもしれない(暴論でございます)。『象は静かに座っている』『幸福なラザロ』『家族を想うとき』のほうがよっぽど辛く、この時代に生まれた意味もわかる。それでも娯楽作としてめちゃくちゃおもしろかったので20位には選びまっせ。そんでDCよくやった!


19.片山慎三『岬の兄妹』

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日本版『ジョーカー』なんて口が裂けても言わないけど、同系統の映画として自国のこの作品の方を強く推したい。ポン・ジュノの助監督とかをしていたらしい監督が、日本の闇をややユーモアも含めつつ鮮烈に描き出してくれていた。ヒロインの和田光沙さんとか、出演者のひとりで『若さと馬鹿さ』の監督でもある中村祐太郎さんとか、非常に将来が楽しみなひとたちがいっぱい出ていた。

厚い雲に覆われた日常/片山慎三『岬の兄妹』 - 縞馬は青い


18.デイミアン・チャゼルファースト・マン

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やっぱりチャゼルの映画が大好きだ。ニール・アームストロングという歴史的大偉人を題材にしておきながら、あまりに暗く孤独な作家性が滲み出てしまうあたりを観て僕はそう強く思い直した。「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」。月に降り立った彼が言ったその名言を「彼にとっては大きな飛躍だけど、人類にとってはあまりにも小さな一歩」である超パーソナルなストーリーにすげ替えた監督の驚くべき手腕。大きな世界を使って個人的な世界を捉える映画としては『アド・アストラ』もよかったなぁ。


17.イ・チャンドン『バーニング 劇場版』

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忘れられない画・音が多すぎる。公開前に何故かNHKで60分に編集されたバージョンが放送されていて観てしまったのだけど、あれがなければもうちょっと好きになっていたかも。「火」が妖艶すぎる。


16.二宮健『チワワちゃん』

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鮮烈。全編を覆うヴィヴィッドなピンク色が、なんだかこれが青春色だよね(ぜったい違うんだけど)と思わせられてしまったから革新的ですばらしい。ちなみに中国の青春映画『芳華-Youth-』もピンク(と赤と純白)だったんだよな。

デフォルメされた青春の死/二宮健『チワワちゃん』 - 縞馬は青い


15.中川龍太郎『わたしは光をにぎっている』

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中川龍太郎は2019年のうれしい大発見だった(『四月の永い夢』も今年観たんですよね)。映像・ストーリー・詩・主題歌、そして役者。すべてが同じ空気感を共有していて観ていて気持ちよかった。そうだから、カネコアヤノや松本穂香に対する愛も一斉にこの作品にぶち込んでしまっている気がする。映画としてちゃんと評価すると、澪がエチオピア料理屋みたいなとこに行くとこが一番よかったかな。東京には意外と人間の熱があることを知った。個人的には、『テラスハウス』東京編でペッペがデイリーヤマザキに行く場面との照応にグッときている。

言霊と光、心を導いて/中川龍太郎『わたしは光をにぎっている』 - 縞馬は青い


14.深田晃司『よこがお』

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観ながら沼にずんずん引き込まれていく感覚はなかなか得られるものではない。受動的な媒体である映画の怖さを体感する瞬間が詰め込まれていた。


13.ラーズ・クラウム『僕たちは希望という名の列車に乗った』

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脚本のうまさでいうと今年いちばん印象に残っているかもしれない。心地いいテンポ感で何度も切り返していく感じ。若い役者たちの顔もすごいよかったな。


12.白石和彌『凪待ち』

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『ひとよ』よりも圧倒的にこちらが好き。香取慎吾の汚れ方もいいし、恒松友里の通り抜ける声もいいし、ラストはもう完璧。思い返すとやや物語的すぎる気もするが。白石監督が擬似家族を撮ったことに感動を覚えたから逆に『ひとよ』では拍子抜けした。


11.ジョシュ・クーリー『トイストーリー4』

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トイ・ストーリーにそんなに思い入れがないからかもしれないけど、3に負けず劣らずこれもよかったよ。興奮がずっと持続する100分間だった。

僕たちはどこで生きていく?/ジョシュ・クーリー『トイストーリー4』 - 縞馬は青い


10.二宮健『疑惑とダンス』

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ということで10位にはインディーズ映画を。二宮健が2度目の登場である。映画的には『チワワちゃん』のほうがすごいんだけど、ミニマルすぎる設定・舞台と役者に委ねられたものの大きさからすれば、これ以上の着地点はないと思う。ことし劇場でいちばん笑った映画だし、「映画で遊ぶ」という監督の姿勢も気に入った。もっと遊んでほしい。

踊るしかないこんな夜は/二宮健『疑惑とダンス』 - 縞馬は青い


9.片渕須直『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』

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実は2016年にオリジナル版を観たときは案外ピンときてなかった映画。このたびの新作では大幅に映像が追加されただけでなく、全体的にかなり編集が加えられていたようで、全く新しい作品になっていた。(昭和)19年→20年と進んでいく物語の構成が、2019年→2020年と進む現在時間と妙に一致しているように思えたのが評価する最大の理由だ。もちろんそんなわかりやすい数字だけじゃない。この荒み切った世界で、たしかに生を紡いでいる人々の姿に以前より感情移入できる場面が多すぎた。


8.塩田明彦『さよならくちびる』

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まずは主要役者3人が最高。賛否分かれるとこではあるけど僕は音楽もすごい好き。そして何よりも、映画的演出の見事さに陶酔した。車に乗ったり降りたりするだけの映画。なのにこんなにおもしろい。

境界線を溶かす「音楽」という魔法ーー映画『さよならくちびる』で反復される“不在”と“存在”の意味 - 縞馬は青い


7.西谷弘『マチネの終わりに』

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昨年の『ファントム・スレッド』『ア・ゴースト・ストーリー』の枠はこの映画に与えたい。亡霊的恋愛映画枠とでも言えるだろうか。

狂う男、狂わされた女ーー死の季節に生が薫る『マチネの終わりに』 - 縞馬は青い


6.真利子哲也『宮本から君へ』

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ドラマでは新卒サラリーマンの仕事の奮闘を描き、映画では彼の恋愛に主眼を置く。現在の東京にいてあの歳で結婚するやつはいないし、こんな暴力的なコミュニケーションが存在する世界は知らない。しかしそこのリアリティを吹っ飛ばしてもこれだけ心を鷲掴みにされてしまうのはなぜなんだ。それは、徹底的に男性性を駆逐していく主人公・宮本の姿があったからだと思う。ほんと熱量が高すぎた。


5.今泉力哉『愛がなんだ』

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もうね〜これに関しては好きとしか言いようがないよな〜。語りたくなる部分もめっちゃ多くて何度でも感想ブログを書けそうだけど、とにかく好きなんだよ、テルコやナカハラっち、マモちゃんも。みんな。

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4.ノア・バームバック『マリッジ・ストーリー』

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東京国際映画祭で観たときに劇場が笑いに包まれたり悲しみに暮れたりしていたあの時間を忘れることができない。アップリンク吉祥寺の静かな環境でもう一度観直して、傑作だと確信する。結婚生活の記憶が「手紙」を媒介して相手に届くという冒頭と締めの巧さ。アダム・ドライバーが「Being Alive」を熱唱する場面は映画史に残る名シーンだ。

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3.石井裕也町田くんの世界

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映画の世界だけでは「奇跡」を信じさせてくれ。思えばそう願い続けた一年だったようにも思う。細田佳央太と関水渚という新人俳優がとにかく素晴らしい映画だったし、遠景の追いかけっこシーンはいつまでも忘れることがないと思う。彼らの“身体のバタつき”がいやに愛らしかった。

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2.ケン・ローチ『家族を想うとき』

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非常に辛い映画だ。『町田くんの世界』のほうが好きかもしれないと何度も自分と相談しながら、戒め的な意味も込めてこの位置に置いておいた。現実は確かにこうひどくなっているかもしれない。それでも辛くなりすぎないのはその世界を愛ある家族を通して見せているからだと思う。つらいけど好きな映画です。

 


1.杉田協士『ひかりの歌』

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1月13日に観た作品が本年のベスト映画です。揺るぎようのない超強度なフィルムだった。そして言うなれば、『ジョーカー』や『家族を想うとき』『象は静かに座っている』といった苦しい映画を経たからこそ本作への思い入れがさらに強くなっていったように思う。この世界にはひかりがある。それだけで十分で、それがすべて。

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特別枠:山中瑶子『おやすみ、また向こう岸で』

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9月20日TOKYO MXで放送された20分くらいの作品。一応「ドラマ」ではあるらしいけど、映像作品としての完成度の高さに舌を巻いてしまったのでピックアップさせてください。山中監督の次回作はぜひ映画館で観たい。

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【2019ベスト映画20】

  1. ひかりの歌
  2. 家族を想うとき
  3. 町田くんの世界
  4. マリッジ・ストーリー
  5. 愛がなんだ
  6. 宮本から君へ
  7. マチネの終わりに
  8. さよならくちびる
  9. この世界の(さらにいくつもの)片隅に
  10. 疑惑とダンス
  11. トイストーリー4
  12. 凪待ち
  13. 僕たちは希望という名の列車に乗った
  14. よこがお
  15. わたしは光をにぎっている
  16. チワワちゃん
  17. バーニング 劇場版
  18. ファースト・マン
  19. 岬の兄妹
  20. ジョーカー

特別枠:おやすみ、また向こう岸で


鑑賞数に比例して日本映画が多数を占めるランキングになりました。この世界には愛があって、それだけで十分だ、っていう最後の結論は楽観的でしかないけれど、2位に『家族を想うとき』を入れていることでなんとなく意図を汲み取ってもらえると思う。ランク外なのに何度も言及している『象は静かに座っている』(めちゃくちゃしんどい中国の現代風刺映画)は思ったより心にグサリと刺さる作品だったようです。ちなみに旧作映画は『女っ気なし』『オルエットの方へ』『友だちのうちはどこ?』がさらなる映画への興味を広げてくれて、国内テレビドラマは『デザイナー 渋井直人の休日』『だから私は推しました』『グランメゾン東京』『グッドワイフ』『腐女子、うっかりゲイに告る。』が好きだった。(『パラサイト 半地下の家族』とか海外では2019年公開のこぼれ作もあるし)2020年はたぶんめちゃくちゃに豊作の1年になると思う。ノーランの新作『TENET』を観るのが一番楽しみで、今泉力哉監督の新作『街の上で』がどれだけ映画ファンに受け入れられるかも見もの。来年もいい映画に出会えるよう祈っています。

 

【追記】今年の日本映画振り返り

今泉力哉作品を筆頭に2019年は恋愛映画が豊作の年であったように思う。2018年の『きみの鳥はうたえる』『寝ても覚めても』『生きてるだけで、愛。』の流れを汲みつつ、より多様化する恋愛映画に接することができた一年だった。恋愛リアリティショーが流行して久しく、若者の恋愛離れも進んでいるように思われる昨今、ドラマや映画で恋愛を描くのは難しくなってきたと言われることも多い。しかしそれでも世に受け入れられる物語の形式はまだまだある。というか、まだまだみんな恋愛物語が好きなんだろうなと思う。長々と恋模様(すれ違い等)を描くドラマよりは、『愛がなんだ』や『マチネの終わりに』『宮本から君へ』のようにテーマ性が見えやすい映画のほうが恋愛を描きやすくなっているというのは一つ言えることかもしれない。ジャンルもので言うと青春映画と家族映画もいい作品が多かった。『町田くんの世界』や『ホットギミック ガールミーツボーイ』のように、従来のキラキラ映画から進化を遂げたような作品がいっぱい出てきたのも忘れられない。ただ、これまで青春映画を多数輩出してきた映画祭「MUSIC LAB」にひとつも青春映画がなかったのは印象的だ。その代わりに多かったのは、これまた恋愛映画ではなかっただろうか。家族映画は多すぎて見逃したものもあるけれど、『最初の晩餐』『凪待ち』『岬の兄妹』『沈没家族』がすばらしかった。『マリッジ・ストーリー』と『家族を想うとき』、『アス』などの外国映画もよかったから微妙に影に隠れているけど。『パラサイト 半地下の家族』もそうだし家族映画はここ数年でとでも重要な位置を占めはじめている。今年1位に選出した『ひかりの歌』(これも純然たる恋愛映画)のように、インディーズ映画にもまだ見ぬ底力、魅力がある。インディーズもほんとうにレベルが高く期待している若い監督もたくさんいるので今後もめちゃくちゃ楽しみなのである。ということで来年もさらに日本映画を深く彫っていきたい所存です!

 

ハロプロ日記(2019年12月)

早くお雑煮を食べたい。そんなはやる気持ちを抑える12月、年の瀬の東京(から兵庫へ帰省中)。今年の4月からカルチャー日記をつけはじめたんですが、ほぼ毎月ハロプロと千鳥の話をしていたことに気づきました。飽き性の僕がこうなっているのは、ひとえに、新鮮さを供給し続けてくれる彼女/彼らの革新性によるところが大きいと思う。なかでも今月はハロプロコンテンツの摂取量が多かったから、いっそのこと別エントリーにしてしまおうと、こうなりました。いやまぁ里帰りして暇だから書いてるんですけどね。ちなみに相変わらず千鳥の摂取量も多い。

 

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12月4日。国立代々木競技場第一体育館で行われたJuice=Juiceの単独ライブ「Juice=Juice Concert 2019 “octopic!”」へ行った。ハロプログループが一同に集結する“ハロコン”には何度も行っているけど、これまた単独公演を観るのは初めて。昨年東京に来てからアンジュルムモーニング娘。’19と観に行くことができていて、かつて田舎で動画を見漁るしかなかったハロヲタとしてはうれしい限りでございます。そんななかでJuice=Juiceに興味を持ったのっていつだったっけなぁ?って考えてみる。2013年に結成されたころには確かもうハロヲタになっていたから、そのときは新鮮な気持ちで観ていたと思う。でも今思えば、今年のBEYOOOOONDSに匹敵するような興味は抱いていなかったような。ハロプロ研修生のなかでもひときわ歌唱力・パフォーマンスが抜きん出ていた段原瑠々が加入し、既存メンバーの実力の深化も見え始めた2年前くらいから徐々に惹かれていったのだと思う。一応ハロプロをまったく知らない人にも説明しておくと、Juice=Juiceは、軒並みパフォーマンス力が高いと言われるハロー!プロジェクトの7つあるグループのなかでも群を抜いてすべて(歌唱・ダンス・ルックス)のレベルが高いグループ。モー娘のヲタであろうとアンジュルムのヲタであろうと、そこのところの認識はだいたい共有しているくらい、今のハロプロを象徴する実力派集団になっている。そうなると、ハロプロの醸す“ある種の完璧さ“に惹かれている僕としてはハマるのは当然の流れであり…。

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ライブ自体の感想をうまく書ける気がしないんで前日譚の話が長くなっちゃった。そんなわけでいま一番気になるグループのライブに行く運びとなりました。いやぁ〜ライブ、とにかくすばらしかったよね(笑)。黒とシルバーの衣装で最初出てきた瞬間、その神々しさに一瞬でやられてしまった。「女神」。彼女たちに一番似合う言葉はこれじゃないだろうかと思うくらいに。とくに心を鷲掴みにされてしまったのは植村あかりちゃんだ…。ちょっと前まで金髪だったのが黒髪ロングになっていて、これまた「神々しさ」としか言い表しようのない“美の化身”ぶり。デビュー時からの歌唱力の伸びがいちばんなメンバーだと思うけど、実際みてみるとそのパフォーマンスにも圧倒されてしまった。同じ背丈、髪型の段原さんとのシンメ感も最高。初夏ごろに2人入った新メンバーもやっぱりJuice=Juiceに見合う実力を兼ね備えていて、もうすでに「完璧」へと達していた。グループとして完成され尽くしている彼女たちはこれからどうなっていくんだろう。アイドルには隙があってしかるべきと思う自分もいつつ、これだけ洗練されているともう気持ちよさしかないし、今後も楽しみなのだ。

 

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【ハロ!ステ#319】モーニング娘。'19&Juice=Juice 新曲LIVE映像SP!ハロー!キッチン、つばきファクトリー最新MV公開! MC:山木梨沙&新沼希空


BEYOOOOONDSの快進撃が止まらない。これは自分の心のなかの話ね。レコ大新人賞とか、単独公演を成功させたのももちろんすごいんだけど。前述のJuice=Juiceライブのオープニングアクトとして出てきた彼女たちがとてもすばらしかった。最近発売されたアルバムに収録されている「元年バンジージャンプ」という曲を披露していて、これがもうね…今年ベスト級の神楽曲だったんだよね。令和元年の今年しか意味をもたない曲だけど、来年以降もやってくれることを切に願う。昨年のJuice=Juice武道館ライブでもオープニングアクトや幕間で出てきたりしていて(その頃はまだBEYOOOOONDSという名前は付いてなかった)、そのDVDを先月観ていたりしてたから感慨深くなってしまって。単独ライブに行きたい!と思わせるには十分のパフォーマンスでした。行きたいほんとに。とにかくBEYOOOOONDSは1年目にしていい楽曲が多すぎるのだ(後述のハロプロ2019私的ベスト楽曲を参照されたし)。

 


元年バンジージャンプ BEYOOOOONDS


Gyaoハロプロの番組が配信されている。『ハロプロ ONE×ONE』。 11月から始まっていたらしいのだけどあんまりハロプロってプロモーションがうまくないから、そのことに気づいたのは最近でした。ハロプロの番組ってたまにあるんだけど絶妙に興味をそそられない企画内容が多くて、これもどうせおもしろくないんだろうなぁと思ってみたんだけど、「これこれ〜!!」って歓喜してむさぼり視聴してしまったんですよねぇ…。簡単に言うと、企画者となる1人のメンバーが、グループを横断して好きなメンバーと1日デートをするっていう内容の番組。サシでロケするっていうと『けやかけ』でのそれが思い出されるけど、そうした企画を普段交わることが意外とあまりないメンバーたちが先輩後輩やグループの垣根を越えつつやってくれるところに特異性を感じる。そこには普段見えてこなかったメンバー同士の関係性やときには研修生時代から積み重ねてきた長い友情・憧れ・師弟関係・愛の営みが垣間見えたり。普段一緒に活動することのない他グループのメンバーとどうお互いを意識しあっているかって結構気になるところなんですよね〜。第1回の牧野真莉愛モーニング娘。’19)×高木紗友希(Juice=Juice)からゴリゴリにハロプロっぽくて最高。研修生時代の先輩の言葉に支えられて今までやってこれた、って真莉愛が言うそれだけで泣けてしまうのよ。個人的には#2のコンビ(宮本佳林×竹内朱莉)がとっても好きだ。

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12月はカントリー・ガールズの活動休止および全員グループ卒業、アンジュルム中西香菜卒業とお別れが重なり苦しい月だった。ただ悲しみに浸ってもいられないので、とりあえず今年の個人的ベスト楽曲を記します。ハロー!プロジェクト7グループの楽曲から選曲。


1.アンジュルム/全然起き上がれないSunday


アンジュルム『全然起き上がれないSUNDAY』(ANGERME [The Sunday morning that I can’t get up at all.])(Promotion Edit)

2.Juice=Juice/「ひとりで生きられそう」って それってねぇ、褒めているの?


Juice=Juice『「ひとりで生きられそう」って それってねえ、褒めているの?』(Promotion Edit)

3.BEYOOOOONDS/ニッポンノD・N・A!


BEYOOOOONDS『ニッポンノD・N・A!』(BEYOOOOONDS [The Japanese D・N・A!])(Promotion Edit)

4.BEYOOOOONDS/元年バンジージャンプ

5.Juice=Juice/微炭酸


Juice=Juice『微炭酸』(Juice=Juice[Lightly Sparkling])(Promotion Edit)

6.つばきファクトリー/ふわり、恋時計


つばきファクトリー『ふわり、恋時計』(Camellia Factory[Softly, the clock of love.])(Promotion Edit)

7.モーニング娘。’19/青春Night


モーニング娘。'19『青春Night』(Morning Musume。'19 [The Youthful Night])(Promotion Edit)

8.CHIKA#TETSU/都営大江戸線六本木駅で抱きしめて


BEYOOOOONDS /// 都営大江戸線の六本木駅で抱きしめて~夢幻クライマックス~GIRL ZONE (ハロコン2019冬)

9.BEYOOOOONDS/アツイ!


BEYOOOOONDS『アツイ!』(BEYOOOOONDS [HOT!])(MV)

10.こぶしファクトリーハルウララ


こぶしファクトリー『ハルウララ』(Magnolia Factory [Haru Urara-Beautiful Spring])(Promotion Edit)


BEYOOOOONDSおよびその内部グループ(CHIKA#TETSU)から4曲、他はだいたい1曲ずつの選曲になりました。ミュージックビデオの完成度、パフォーマンスの新しさをもってしても、やはり2019年のハロプロはBEYOOOOONDSの年だったと言うほかないと思う。ここまで革新的なグループになるとは予想できていなかったので、その度肝抜かれ度も加味しつつ。新メンバーがそれぞれ加入したモー娘。、アンジュ、JJは楽曲のよさとその初々しさがうまく噛み合っていた。とくに1位2位に選んだ2曲は段違いの出来。微妙にアンジュルムから心離れてきたかなって思ってたところで11月にこれがきたから、ほんとやってくれたって感じだ。昨年の勢いが凄かったからこそつばきファクトリーはちょっと停滞感は否めなかっただろうか。こぶしファクトリーは一回ライブ行ってみないとその凄さが分からないのかもな。どうしても「辛夷の花」のときあたりからの変化が見えづらいグループ。来年はこぶし、つばき、BEYOOOOONDSのライブへ行くのをなんとなくの目標にしたい。2019年のハロプロは変化が多すぎた1年だったから、来年どうなるのか非常にたのしみです。2020年も“アツイ!”1年になってくれ〜。