縞馬は青い

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映画とか、好きなもの

厚い雲に覆われた日常/片山慎三『岬の兄妹』

2019.3.1 イオンシネマ板橋

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上京する1年前にそれまでの22年間住んでいた田舎には、映画館というとイオンシネマ(昔はワーナーマイカルシネマズだった)がひとつだけあった。たいてい大作しかかからないから、シネフィリーをくゆらせだした大学生の終わりごろには1時間かけて大阪まで出ていってたくさんのミニシアター映画を観たものだけど、車を15分走らせてフードコートでビッグマックを食べてから映画を観て、帰り道のドライブ中にその映画について思考を巡らせていた、イオンシネマを巡るあの経験は特別なものだった。大阪から電車で帰る1時間もそれはそれで特別だったんだけど。3月1日の映画の日は『岬の兄妹』を観ようと意気込んでいた。それで退社後に観れる劇場がイオンシネマ板橋しかなかったから、ちょっと遠くはあったけど久しぶりにイオンシネマに行った。地元のイオンシネマ以外のイオンシネマに行くのははじめてだったけど、学生のときに通ったあの劇場とほとんど変わらない構造をしていて、軽く感傷に浸ってしまった。なんと言ってもスクリーンがおっきくて距離が近いのが最高だ。他人の後頭部とかまったく見えずにスクリーンにだけ目線が支配される感じ。そこで観た映画は、新宿とか渋谷で観るよりそこで観るのが最適だなと思わせる絶妙な地方感と退廃した終末的な空気が流れていた。おおよそ電車に乗って1時間、帰り道にその映画のことを考えた。

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映画『岬の兄妹』特報予告【2019年3月1日(金)全国公開】 - YouTube

足の悪い兄と自閉症の妹。この記述はあまりにも記号化しすぎているなと思うけど、映画は最初、この世界が基準とする「普通」の枠組みのなかでは生きられないふたりの兄妹の姿を記号的な部分も含めて印象的に映し出していく。妹が勝手に家の外に出て彷徨わないように兄は彼女を鎖で留め、扉にも南京錠をつけて頑丈に閉鎖する。それでもどうにかして家を飛び出していく妹はある夜、「普通」からはだいぶん外れた方法で生きる手立てを見つけてしまう。“冒険”という言葉が出てきてからの物語は複雑ながらも非常にシンプルだ。「生きるために」兄は妹の売春を斡旋し、そのことによってポケットティッシュに広告ビラを挟み込む1個1円の仕事が、1回1万円へと急激に跳ね上がる。そうすると当たり前のように暮らしは貧しさを抜け出し、家には光が入ってくる。

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印象的なシーンはいくつもある。売春の繰り返しが展開される中盤も、春から夏、夏から秋へと季節の移ろいを感じることができ、そこに息づく彼らの日々の営みには笑いや怒り、涙がある。空と海は基本的に晴れ渡ることがないけれど、ときにこの世とは思えない色をした終末感を漂わせ、またあるときには茜色が映えた美しさを見せる。とても豊かで、とても貧しい生活。どんどんどんどん 彼らのことが好きになる。


冒頭で家を飛び出した妹の真理子(和田光沙)を兄・良夫(松浦祐也)が「出てっちゃダメじゃないか!」と叱るとき、真理子は「出てってないよ!」と反論する。このひとことを聞いただけで、真理子にとって家に閉じ込められていることは非常にナンセンスなことなのだと思い知らされた。この大きな世界、海や空を見るためか、あるいは死んでしまった(良夫は、遠くに行ってしまった、と言う)母親を探してのことなのか。そうすると、この兄妹がたどり着いてしまった生命維持の方法は、必然性をともなって私たちに突きつけられる。


荒々しいラストのモンタージュののち、携帯電話の受話器に耳を当てる良夫と、その姿を見つめる憂いを帯びた表情の真理子。一瞬、時間が巻き戻ったのかと思ったけれど、それは違くてたぶん彼らはループ的な空間の中にいるのだと思う。季節の移ろい、売春、妊娠、堕胎(→売春、妊娠、堕胎)、食事、排便。「それでも人間かよ!」と罵倒されながらも、たしかに繰り返される生命の鼓動。暮らし。彼らふたりを好きになりすぎて、どうかどこにも行かないでくれと願っていたけれど、結局彼らはその円環の中でずっと生きているのだろう、生き続けるのだろうと最後の最後に気づいた。それはうれしくもあり、途方もない絶望でもあった。

 

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安藤サクラさんにも似た自由な演技と飛び抜けた愛らしさがあった和田光沙さん。「お兄ちゃん怒るよ!」が絶妙にかわいくて、「1回、1時間、1万円」と言うときのニヤニヤした顔が忘れられない松浦祐也さん。彼らの演技をこれからもいっぱい見たいし、片山慎三監督についていきたいと思わせるには十分すぎる、衝撃的な映画だった。