縞馬は青い

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映画とかドラマとか、好きなもの

SFの話をしてるんじゃなくて/贅沢貧乏『わかろうとはおもっているけど』

2019.3.3 VACANT

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最近、ディスコミュニケーションを描く物語に夢中すぎる。うまく通じ合えない瞬間にこそ人間の本質は宿るんじゃないかとさえ思いこんでいるフシがある。思い返してみると昨年一番好きだった映画『ファントム・スレッド』もそういう作品だったと思うし、同じく昨年からめちゃくちゃハマった濱口竜介の映画群はまさしくそれが物語の根底にある。最近見た『ひかりの歌』、『疑惑とダンス』、『デザイナー 渋井直人の休日』なんかもこれこれ!!と唸りながら見ていた。おまけに今は「わかりあえなさ」の最高潮みたいな映画を撮るジョン・カサヴェテスに没頭している。なぜこんなに好きなのかはわからないけど、ディスコミュニケーションを描くことによって光りだすものが必ずあって、これらの作品にも常にそういうものを感じていた。

贅沢貧乏『わかろうとはおもっているけど』ZEITAKU BINBOU "I'm Trying to Understand You, But" - YouTube

そうした好みがあることは薄々感じていたのだけど、本作に関しては無意識に「そういう作品」を選びとっていて自分でもびっくりしてしまった。たぶんステージナタリーか何かのツイートがTLに流れてきて、一瞬で題名に惹かれてしまったんだとおもう(あとロロの島田さんが名を連ねていたから)。山田由梨主宰の劇団・贅沢貧乏『わかろうとはおもっているけど』。タイトルだけでもう最高。だってこんなタイトル、絶対にディスコミュニケーションの作品なんだもん。そして結果的にそうで、鑑賞中は「この作品を無意識に選んでくれた自分ありがとう」という状態だったのだけど、本作のおもしろさはそれだけじゃなかった。この演劇を観なければ知ることができなかったことがいくつかあったので、そのことについて書き記しておきたいと思う。

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身体の距離と心の距離は必ずしも一致するわけではない。相手に慣れれば慣れるほど、距離の近さに特別感がなくなるほど、相手のことがわからないということを強烈に感じることがある。家族とかが一番の例だと思うのだけど、それは悲しくもあり、避けようのないことでもある。本作が描くのは、大好きな人との子どもを授かったのになぜか喜ぶことができない女性と、そうした彼女の姿勢を疑問に思い、困惑する彼との「わかろうとはおもっているけど、どこまでもわかりあえない」関係性。冒頭から随所に垣間見える「会話と心のズレ」がポイントになっていて、身体的な接触を随所に挟むことでその本当の意味での距離の遠さが強調されていくのがおもしろい。(彼女が喜べない理由のひとつが、SEXに同意していなかったからというのもまさしくそう)そうして男と女の決定的なわかりあえない部分を描きながらも本作がさらに秀でているのは、出産や結婚などの男女間の価値観の違いを“家事”や“いびき”など身近な事象に転化させたり、同性でもまったく異なる考え方が提示されるなど、男女のお話だと思っていたら徐々に「個々」のわかりあえなさに飛躍していく点にある。これは語り方がうますぎて見ている間ずっと心が豊かだった。そしてあくまでも「わからない」とは言わないところがさらに本作の誠実なところだと思う。決して諦めようとしてないところがいい。机の下に潜り込んだ彼が「逃げてはない」と言う場面が印象的で、身体の距離の近さというのは「きっとわかりあえる」と信じ続けることの表象でもあるのだと感じさせる。身体までもが離れてしまってはもう終わりだから*1。基本的には希望に満ちた作品。

 


もうひとつ本作を見て気づくことができたのは、「女性は妊娠するとお腹が大きくなる」という至極当たり前のこと。というよりもその一大事さというか。これももしかすると身体の変化に心がついていかないといった「身体と心の不一致」が不安の原因なのかなぁと考えたり。何も身体の変化だけではなく、例えば家事の話の際にも出ていたような「変化にうまく対応してしまいそうな自分」に怖さがあったり。これも男女の身体だけを逆転させた終盤の流れのおかげで、自分の心にも染み入るように感じることができたし、「マタニティーブルー」のようなカテゴライズされた言葉の危うさに心が締め付けられるようだった。あの男女を除いた登場人物の個々のアイコン的な“髪の毛”が捻じ曲げられていくという身体的な変化もすごくおもしろく、切実に問いかけられる。

 


「心」では微妙にわかっていても、それを「言葉」にしようと試みることにもまた別の難しさがあるからディスコミュニケーションの根は深い。言葉はときに全然思ってもないことを伝えてしまうときもあるし。実際この演劇感想も何もかもうまく書けなくて驚く。島田桃子さん演じる主人公が子どもができたのにうれしくないということを友だちに語ったあと、その友だちが数秒間黙り、そのあとで「黙っちゃってごめん。簡単に返答できることじゃないからさ」みたいに一回返答を待つシーンがすごくよくて、コミュニケーションにはああいう誠実さが必要なのだろうなと思った。

それにしても5人の役者が全員魅力的だったな。

高橋源一郎×贅沢貧乏・山田由梨 現実を作り変える作家たちの力 - インタビュー : CINRA.NET

このインタビューを読むと山田由梨さんのめざすところがとてもよくわかる。

もしかしたら僕は、この「ディスコミュニケーション」という敵とずっと戦ってきたのかもしれない。

*1:これに関してはこのあと数日考えて、「身体までもが離れてしまってはもう終わり」というのは、この作品の意図とはちょっと違うかもなって思った。別に距離が離れていても心の距離が遠ざからないこともあるし。「決定的にわかりあえない」ことを受け入れた先に、それでも“生(食事をするという行為)”を渇望するという描写にこそ意味があるのかもしれないと思った。わかりあえないと知ることは必ずしも絶望ではない。本作に関してはむしろ希望として描いているように感じる。