縞馬は青い

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映画とか、好きなもの

『花束みたいな恋をした』の世界に坂元裕二のドラマがあればどうなっていただろう

2018年1月16日。大学4回生の最後の冬だというのに僕はまだ就職活動をしていた。

それまでサボっていたというわけではなく、ただただ受けて落ちてを繰り返していた。深夜に梅田駅から高速バスで出発し、まだ空が薄明るい時間に東京駅八重洲口鍛冶橋駐車場に降り立つ。もう東京に来るのは最後かなとそのとき思っていた気がする。同日に2社の面接をうまくいれることができ、朝に1社目を受けにいく。会社に到着し、いざなわれた席に座り担当者を待った。胸の位置くらいにあるテーブルにノートパソコンを置き、腰の位置くらいにある椅子に座って黙々と仕事をする人々が見える。とてもおしゃれな空間だった。担当者がきて、うちの会社はこんな仕事をしています、という説明をしてもらう。企業のオウンドメディアを主につくっている、みたいな説明をされたように記憶している。あまり覚えていない。自分がなにをしたくてここにきたか、そのことを伝えたが、あまり反応はよくなかったように思う。しかしその日の夜に受けた2社目では、これが驚くほど受けいれられた。いま思えば漠然として空虚な夢だった気がするが、とにかく反応がよかった。ここで働くんだ、という予感が胸をざわめき立てる。うれしかった。うち、トイレにウォシュレットがないんだけど大丈夫?と聞かれ、冷えるのでそれは困ると答えたか、痔っぽいのでそれは困ると答えたか、ぜんぜん大丈夫です!と答えたか。まったくおぼろげな記憶だが、初出社の日にトイレにウォシュレットがついていたのを見て喜びを感じたのははっきり覚えている。心地いい場所だった。

その面接の日に東京にあるミニシアターの「ユーロスペース」で観たのがアキ・カウリスマキの『希望のかなた』だった。冗長なトーンに耐えきれずたぶんけっこう寝た。緊張から解き放たれて、かなり疲れていたからかもしれない。それでも映画の独特な空気感や孕むメッセージの一部分は覚えている。寝たにも関わらず、偉そうにもこんなツイートもしていた。

あなたが笑う未来さえあればそれでいい。なんでこんなことを書いたのかは例に漏れずまったく覚えてないけど、それを見返した2021年1月30日の僕は泣いている。よかったね。

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2017年1月17日に『カルテット』の放送が始まり、3月21日に最終話を迎えた。2018年1月10日に『anone』がスタートし、3月21日に最終話が放送された。遡れば2016年1月18日から3月21日には『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』が月9枠で流れていた。

『花束みたいな恋をした』には数えきれないほどのサブカルチャーポップカルチャーの存在があるが、ただひとつ、あるはずなのに足りないものがあり、それは言うまでもなく坂元裕二脚本のドラマである。観ていないはずがない。『初恋と不倫』を読んでいないはずがない。『またここか』を観ていないはずがない。その当時兵庫に住んでいた僕が就活真っ只中の6月に就活の予定ではなく坂元裕二是枝裕和トークショーを観るために早稲田大学大隈記念講堂にまで足を運んだのに、彼らがそこにいないはずがない。「青春ゾンビ」を読んでいないはずがない。

『花束みたいな恋をした』の世界にもし坂元裕二のドラマがあったとして、もしくは実際にはあるし観ているけど描かれていないだけとして、そうすれば彼らの未来は変わっていただろうか。そんなことを夢想せずにはいられない。だっていつだってあのドラマの世界には、いつまでもわかりあえない私たちの哀しさと、対岸にいながらも空間と時間を共有していきどころを見つけていく登場人物たちの姿があったから。

答えはノーだろう。坂元裕二のドラマがあったとて、あのカップルは別れていた。なんとなくだが強い確信をもってそう思う。彼らを繋げたのはカルチャーだったけど、引き裂いたのもカルチャーだったと、空間を分かつあの本棚をみてそう感じたからだろうか。

ただひとつ言えるのは、これで終わりではないということだ。人生は続く。引き裂かれても、離れても、わかりあえないと心が悲鳴をあげても。人と人はいつかまた交差し、もしかしたら話をしはじめるかもしれない。その際に、「そういえば坂元裕二の『花束みたいな恋をした』って私たちの物語みたいだったよね」「いやぜんぜん違うでしょ」みたいな会話があったとしたら、わかりあえなかった日々もきっと笑いへと昇華される。