縞馬は青い

縞馬は青い

映画とか、好きなもの

My Best Films of 2022 - 曇りの日が続く

f:id:bsk00kw20-kohei:20230104111557j:image映画に「面白い」「感動した」「興奮した」以外の指標はあるのだろうか。中学生のころに大好きなハリーポッターシリーズが完結し、マーベルにいつしか興味をそそられなくなってから、思えばそういうことを無意識に考えながら映画に接してきたように思う。僕は学生時代から古典映画をたくさん観ていたようなシネフィルではないし、いわゆる娯楽大作的な、簡単に言えばストレス発散になるような映画も好んで観てきた(いまも嫌いなわけではない)。でも5年くらい前からそういうものに惹かれなくなって、いつしか僕は映画に人生を重ねるようになった。日々生きている中での疑問や課題を、映画を通して再確認/新発見できることに充実を覚える。あの人は何を考えているんだろう、なぜ人と人は心が通じ合わないんだろう、これからどう生きていけばいいんだろうーー。映画と日々が密接すぎるから、日常生活で人と雑談していてもすぐに観た映画やドラマのことを絡めて話してしまうクセがあった。こんな映画を観て、こういうことを考えたんだよ。そういえばあの映画にもそういうことが描かれてたよね。その割に絶望的に説明が下手で、結局なんの話をしたいのかわかってもらえないことがあった。

さいきん僕は、人と話をするときにあんまりカルチャーの話をしないようにしよう、というマインドになってる(特に相手が観てないものに関して)。単純にまじで話がちぐはぐで、結局「面白かった」としか言えないくらいに感想が簡素化されてしまうから。面白いしか言えないなら、娯楽映画だけ観ていればいいのに…。でも違うんです、映画から僕は大事なものを受け取っているんです。2022年の10本(+10本)は、そんな気分に寄り添ってくれた映画たち。面白さを言語化したい、大事な映画たちです。

 

10.井上雄彦『THE  FIRST SLAM DUNKf:id:bsk00kw20-kohei:20221231184215j:image中学生の頃にバスケ部に所属していて、それはそれはヘタクソで全く使いものにならなかった。たまに出る試合ではめちゃくちゃテンパって、ボールを手にした瞬間の視野の狭さったら酷かったと思う。実写ではできない角度から被写体を捉えられるのがアニメーションの魅力のひとつだと思うけど、それで言うとこの映画はとにかくカメラポジションが素晴らしい。上部からの遠景でふたりの男の子の行く末を映していたかと思えば、急に地上に降り立って臨場感あふれる試合シーンに突入する。その場面における、選手たちの視野の狭い映像がリアリティがあって思わずあのヘタクソながら必死に走っていた日々のことも思い出す。『ケイコ 目を澄ませて』を観た後だったから、ただ運動が連なっていく映像の美しさにも魅了された。山王工業の面々の後ろ姿もたまらん。ワールドカップとかもすごい映画的で面白かったけど、スポーツを映画にした一種の成功例になったんじゃないかしら。人が走り、跳び、合図を出し合い、ボールをつなげる、その運動の連なりのみによって生まれるエモーション。だから正直バックグラウンドの語りはちょっとノイズな気もする。

9.セリーヌ・シアマ『秘密の森の、その向こう』f:id:bsk00kw20-kohei:20221231184423j:image女性の心が解放されるようないわゆるフェミニズム的な映画が好きなのだけど、これは自分の周りにいるいろんな母娘の存在を横に置きながら、投影しながら観た。なんと言っても、母と娘がその役割から一瞬離脱することで一人ひとりとして出会い直す、友だちになる、その展開がよかった。ネリーとマリオンが顔はそっくりなのに鏡像のように描かれていかないことにも意味があると思う。似ているけど違うし、ぜんぜん違うけど似てる部分もある。それを認め合って関係していけるだろうか。

8.ギヨーム・ブラック『みんなのヴァカンス』f:id:bsk00kw20-kohei:20221231184454j:image夏の間に2回観にいくつもりだったのに結局夏は終わってしまった! ギヨーム・ブラックは新作を心待ちにしている監督のひとりで、これを観られただけで生きていてよかったと思える。 2022年は『VACANCES バカンス』という自主制作の雑誌をつくったのだけど、もちろんこの映画もきっかけであり参照元のひとつだった。バカンスはただハッピーでノーストレスなだけではあり得ず、解放的な時間の中で同時に孤独や切迫、自分と向き合うことによる苦しみを感じずにはいられない。休みであり、生命力を充填する時間であること。僕はかれらとバカンスに行けてほんとうによかった。

7.ポール・トーマス・アンダーソンリコリス・ピザ』f:id:bsk00kw20-kohei:20230104134610j:imageゲイリーとアラナのふたりに同期しているようなカメラワークが愛おしい。カメラは走り続けるかれらを迎えることはあっても追いかけることはせず、同時に動き出し、同じ速度で走り、突然の失速や後退に振り落とされたりする。振り落とされるたびに一方からまたどちらかが走り出し、もう一方を捉えんとする。でもこのふたつの流動体はなかなか掴みきれない。というかまたすぐにどこかに走り出していく青春の衝動。だからこそかれらが合流し、カメラの横を過ぎ去っていく(そのあとを追いかけない)ラストシーンがたまらなく美しいと思った。走り続ける身体である映画が、スクリーンを飛び越えていった瞬間。人の感情は流動し、他者とすれ違い続ける生き物だけど、あのときだけ同じ方向を向いていたならそれでいいと思わせる魔法の邂逅と越境。

6.ジュリア・デュクルノー『TITANE/チタン』f:id:bsk00kw20-kohei:20221231184537j:image観たことがないもの対する困惑と気持ち悪さを、快感が追い越してきた。本質的にこういう人智を超えたものが好きなんだと思うけど、それにしても今になってシーン一つひとつを思い出そうとしてみてもその繋がりを頭の中で構築するのは難しくて、でもあのとき確実に僕は心を揺り動かされていて、これに関しては映画に言語は敵わないということを告白せざるを得ません。

5.デヴィッド・ロウリー『グリーン・ナイト』f:id:bsk00kw20-kohei:20221231184615j:imageこの映画をみんながどう観るのか気になるけど、僕はストーリーに対して共感に似た類の感情を抱きました。特に主人公が何度も何度も逡巡する場面に対して。その感じわかるよ、辛いよね、と一緒に苦しみながら観た。勇気を持って権威を断ち切った男の話を壮大に、ファンタジックに描いた映画だと思ってるけど、これは案外パーソナルな側面もあると思う。僕は最近手放したことを重ねながら観た。このままだと絶対によくならない未来が見えたときに、どういう選択ができるか。あと、『ア・ゴースト・ストーリー』の白い布とかもそうだったけど、デヴィッド・ロウリーの映画の中のモノの手触り、テクスチャを感じられる美術に惹かれる。

4.今泉力哉『窓辺にて』f:id:bsk00kw20-kohei:20221231184640j:image今泉さんは「過ぎ去っていく時間」「失われていく記憶」と「それでも残るもの」に対しての眼差しが深い監督だなと改めて感じた。それは机にうつ伏せで寝る妻に対して掛けられるブランケットや、取れたボタンを縫い直す行為、ベッドの上にそっと置かれるスマホなんかに現れていたと思う。それぞれが孤独で、優しくて、それはもしくはエゴかもしれなくて。終盤に出てくる写真を見たところで、もろもろの思いが重なって感涙した。ああいうモノを自分は人生のうちにどれだけ残すことができるだろうか、なんてことを思った。どれだけ、というかひとつでもいいのだけど。端的に言えばあれは(妻やその母にとってのアルバムは)、これがあるから生きていける、と思えるような愛のこもったお守りになり得るはずだ。ああいうモノにこそ人を生きさせる、明日を歩ませる力があると思う。それを映画の中に発見できる喜び。個人的には『街の上で』と並んで今泉映画ベスト。

3.ジャック・オディアール『パリ13区』f:id:bsk00kw20-kohei:20221231184652p:imagef:id:bsk00kw20-kohei:20221231184855p:image『燃ゆる女の肖像』『秘密の森の、その向こう』のセリーヌ・シアマと『ファイブ・デビルズ』のレア・ミシウスというフランスの重要監督がふたりも脚本に名を連ねている時点で、只者ではない映画の薫りがぷんぷんするやつ。これはフェチに突き刺さる偏愛の部類に入る映画で、登場人物たちの造形から、モノクロかつ被写界深度の浅い映像、ちょいダサの映画音楽、主にセックスやジェンダーに関する現代的なテーマを織り込んだ恋愛譚の構成に至るまで、ぜんぶ最高。これをきっかけに原作であるエイドリアン・トミネのグラフィックノベルにも触れることができてまた興味範囲が広がった。

2.三宅唱『ケイコ 目を澄ませて』f:id:bsk00kw20-kohei:20221231184755j:image
f:id:bsk00kw20-kohei:20221231184758j:imageこれは『ケイコ』を観た後のことだけど、三宅唱監督の過去作をちゃんと観られてなかったから『THE COCKPIT』と『Playback』などが組まれたオールナイト上映を観に行った。そこで最初に監督のトークがあって、会場からもいくつか質問が寄せられた。観客のひとりが『ケイコ』に関して、岸井さんの目の演技がすごくて、そこからいろんな感情を受け取ることができた、なぜああいう演技が可能になったのでしょう、と聞いていて、それに対して三宅さんは、特別目がどうこうというわけではないと思うんです、それがあるとしたら目から多くの感情を受け取れたあなたの目が素晴らしいのだと思います、と返していた。もうひとつ印象的だったのは、三宅さんはこの時代に映画をつくることに対して何か考えていることはありますか?という質問への答え。「僕はコロナも戦争も早く終わってほしいと思ってる。でもおそらく年が明けてもいいことがあれば悪いことも絶対にあると思います。その中で僕は、いいこと、楽しいことの方向の映画をこれまでもこれからもつくっていきたいと思っているんです」。年末にこういう話をしてくれる三宅監督のことがとにかく好きになったのはさて置き、『ケイコ』の英題である『Small, Slow But Steady』(少しずつ、ゆっくり、でも着実に)が現すように、映画ではこの言葉は病気の進行に対して使われていたけど、いいことも悪いことも起こる中で、着実によい方向を目指して生きていくほかないのだと思った。『ケイコ』は、ゆっくりでもいいから進み続けること、その先にある光を信じる私たちに寄り添ってくれる映画だと思う。

1.杉田協士『春原さんのうた』f:id:bsk00kw20-kohei:20221231184917j:image主人公の沙知は、大事な人を失ってしまう。そこからの彼女の日々、バイトに行ったり家事をしたり、風呂に入ったり寝たり食べたりを、カメラは一定の距離を保ちながらじーっと映し出す。ただ淡々と、説明的な要素も一切なく積み上げられていく生活の描写は、ともすれば「映画」としてめちゃくちゃつならないものになりかねないと思う。『ケイコ』も似たような側面がある映画だけれど、あちらには独特のリズム感があって、ミニマルでタイトにまとまっているが故の観ていて気持ちいい感覚があった。では『春原さんのうた』はどのように「映画」になっているのか。もちろん照明やカメラワークといった技術的な側面からの貢献によるものが大きいのだろうけど、それを下支えするスタッフ・役者その現場にいたそれぞれの人たちが、この彼女の「生活」を誰も軽視していなかったからそのままの空気感で伝わってきたのではないか、なんてことを思ったりする。すごく感覚的な話だけど*1。僕は自分の生活を軽視しているから、ブログに自分の日常に起きたことを書くのが苦手なのではないか。「面白く見せる」技術的な方法はあるだろうけど、それを駆使する前にそもそも生活それ自体に魅力を感じていなかったのだと思う。『春原さんのうた』を観てそのことを再認識させられたと同時に、自分の生活も今まで以上に大事にしてみたいと思うようになった。映画は120分で終わるし、彼女の生活もそこまでしか見届けられない。今度は続いていく自分の生活を、見守っていこうと思う。不安になったら、また杉田監督の映画を観たい。

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他によかった新作映画10本

  • レア・ミシウス『ファイブ・デビルズ』
  • 小泉徳宏『線は、僕を描く』
  • 松居大悟『ちょっと思い出しただけ』
  • イ・スンウォン『三姉妹』
  • 石川慶『ある男』
  • ジャスティン・チョン『ブルー・バイユー』
  • ジョーダン・ピール『NOPE/ノープ』
  • 川和田恵真『マイスモールランド』
  • 小林啓一『恋は光』
  • 加藤拓也『わたし達はおとな』

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劇場で観た旧作映画5選

ユリイカ』はオールタイムベスト級に心に刺さった映画だった。日々が続いていくという感覚に『ケイコ 目を澄ませて』や『春原さんのうた』も重なった。

文学・漫画10選

  • 永井みみ『ミシンと金魚』
  • 島楓果『すべてのものは優しさをもつ』
  • 朝比奈秋『私の盲端』
  • 高瀬隼子『おいしいごはんが食べられますように』
  • 今村夏子「嘘の道」(『とんかつQ&A』所収)
  • 島口大樹『遠い指先が触れて』
  • 大白小蟹『うみべのストーブ』
  • バスティアン・ヴィヴェス『塩素の味』
  • 増村十七『花四段といっしょ』
  • 中山望「ムーンドッグは待ちつづける」(『すいかとかのたね6号』所収)

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その他書籍5選

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ドラマ5選

  • 渡辺あや『エルピス-希望、あるいは災い-』(カンテレ)
  • 山田由梨『30までにとうるさくて』(AbemaTV)
  • 高田亮『空白を満たしなさい』(NHK
  • 坂元裕二『初恋の悪魔』(日テレ)
  • 生方美久『silent』(フジテレビ)

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演劇・舞台5選

  • 劇団アンパサンド『それどころじゃない』
  • ロロ『ここは居心地がいいけどもういく』
  • 画餅『サムバディ』
  • ダウ90000『ずっと正月』
  • 東葛スポーツ『パチンコ(上)』

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お笑いのライブ・ネタ10選

  • シシガシラ「ハゲメンヘラ」(2月の『あんあん寄席』)
  • 忘れる。「乗り過ごし」(4月の『あんあん寄席』)
  • 街裏ぴんく「預金残高」(4月の『グレイモヤ』)
  • ダウ90000「バーカウンター」(『サラリーマン川西の冬のボーナス50万円争奪ライブ』)
  • キュウ「方言」(『サラリーマン川西の夏のボーナス50万円争奪ライブ』)
  • かが屋「S」(4月の『グレイモヤ』)
  • クロコップ「ホイリスト」(9月の『グレイモヤ』)
  • 令和ロマン「ドラえもん」(『M-1グランプリ2022』敗者復活戦)
  • カベポスター「大声大会」(『M-1グランプリ2022』決勝)
  • さや香「免許返納」(『M-1グランプリ2022』決勝)

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音楽5選

  • 柴田聡子「雑感」
  • カネコアヤノ「わたしたちへ」「気分」
  • スカート「背を撃つ風」
  • OMSB「大衆」

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ライブ5選

 

「曇りの日が続く」という一節から始まるカネコアヤノの「気分」がいまの気分。晴れ渡る日も雨の日もあるけど、今年も映画やカルチャーに救われながら生きていきたいと思います。

 

*1:だからあの映画を観て眠くなったりするのも、イコール面白くないということではないと思う。むしろ体が動こかないときに部屋で寝ながら観たりしたい。

悲しい

先週末のこと、2年7か月付き合った彼女と別れることになった。ふたりにとってとてもポジティブな選択だった(と信じてる)し、泣きながら笑いながら決断したことだったにも関わらず、やっぱり家でひとりでいるときや駅のホームで青空を眺めてるとき、ごはんを食べてるときとかシャワー浴びてるとき、ほんとに何気ない一瞬にまだ彼女の熱が残っていて、その余熱に溶かされてどうしようもなく悲しくなる。書き出してみたはいいものの、今はまだこの先が書けそうになかった。

雑誌をつくりました

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雑誌をつくって文学フリマで売りました。Web販売もしてるのでぜひ覗いてみてください。

vacanceszine.theshop.jp

「心のバカンス」を追い求める独立系カルチャー雑誌。創刊号では編集発行人がとにかく好きな人や気になる人に寄稿を依頼し、エッセイから現代川柳、怪談、旅行記、マンガ、小説まで極めて多彩な表現が集まりました。
また、定期的にYouTube生配信をしている夏目知幸さん×高橋翔さんや、『M-1 2022』3回戦の動画でも話題の忘れる。へのインタビューを収録。巻末では僕たちバカンス編集部が、「これぞバカンス」という映画や音楽をレビューしています。

 

■Staff
編集・発行|原航平+上垣内舜介
デザイン|岸田紘之
■A5変形(W135mm×H220mm)、本文86ページ
■2022年11月20日発行
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■目次
<インタビュー>
夏目知幸×高橋翔|つかずはなれずの距離感で 僕らのまんじがためは続く
忘れる。|伝染していくトランス状態

<寄稿>
島口大樹|僕の生活 [エッセイ]
暮田真名|仮着陸 [現代川柳]
深津さくら|つれかえる [怪談]
kiss the gambler|沖縄旅行記 [旅行記
ナカムラミサキ|ハイ・シティ [マンガ]
今泉力哉|グレースケール [小説]

<巻末コラム>
原航平|多幸感 起き抜けに
上垣内舜介|電気イルカはポルトヨーロッパの夢を見るか
森美和子|くらげ
僕らのバカンス特集(編集部がレコメンドする、バカンスを描いたカルチャーたち)

表紙イラスト|中山望
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敬愛して止まない今泉力哉さんに短編小説を書いていただいたり、『鳥がぼくらは祈り、』でこの人の本は一生読んでいきたいと思った小説家の島口大樹さんに生活についてのエッセイを執筆いただいたりしています。『VACANCES バカンス』というタイトルなのに余裕がなくてブログすら書けなかった。

5年前に新卒でライターになってから、さまざまな文章を書いてきました。でもそのどれもが自分でないといけないものではなくて、何かこれまでの実績について自己紹介するときに「どこどこの媒体で書きました」とか、「〇〇さんにインタビューしました」としか言えなかったこれまで。それでもぜんぜん満足してたしそのすべてに自分が書いたものだという納得感はあったのだけど、ずっとどこかに自分で何かを作れたらいいなという思いがあった。自分がつくった、自分が書いた、自分が編集したと胸を張って言えるもの。そう思えるものをちゃんとつくれていまは純粋に感激している。同僚のライターである上垣内舜介さんとデザイナーの岸田紘之さんと一緒につくったのだけど、やっぱりひとりでは何もできなかったと思う。

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文学フリマがとにかく楽しかった。人を前にして自分がつくったものを売るというのが初めての経験でうまくいかない部分も結構あったし、最初の一冊が売れるまでめっちゃソワソワした。でも結果的に沢山の人に手に取ってもらえて、知り合いも来てくれて、会ってみたかった方々ともお話できた。5時間しかないから店番を順番に交代して他のブースを回る時間も確保しておくつもりだったのだけど、ブースを離れるのが嫌すぎました。誰が来てくれるかわからないので。結果的にお会いできなかった方もいたようなのですが、またいつかお話できるといいなあ。来年5月28日の次回の文フリも出す予定です。なんというか、冗談ではなく生きがいがひとつ増えた感じがする。

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自宅隔離は11日までだけど郵便で投票する手段があるという紙が、食料とともに届いた。目が回りながら細かい文字を見て区の選挙管理委員会に電話したりしたけど、結局時間的にも現実的にも無理だった。選挙用紙みたいなものを手配できても最終的には知人か同居人にポストまで持っていってもらう必要があり恐ろしくハードルが高い。しかも選挙当日の6日くらい前から動き出さないと資料の手配なんやかんやで投票に間に合わないという仕様で、結局こういうのはやってまっせアピールでしかなく、本当に利用したい人のための設計にはなっていない。そう感じてしまう。あれこれ言うならすぐに期日前に行っとくべきなので僕が悪いです。いやそんなわけない、と思いつつ。ひげを伸ばしっぱなしにしていたら真空ジェシカの川北さんに似てることに気づいた。

コロナになって3日ぐらい経って、ちょっとずつ大丈夫になってきた。かなり熱も出たけど、いまは喉がずっきーんと痛いくらい。ここまででいちばん怖かったのはかかりつけのクリニックに行ったときだった。他の病院がどうかわからないのだけどそこは疑いのある人に対しては外にあるテントで診察をするタイプのところで、先生も完全防備。それ自体は当然だと思うのだけど、その外のテントで、ひとりベンチに座って微風の扇風機を浴びながら、50分近く待たされてしまったのだ。炎天下ではないからめちゃくちゃ暑いわけではなかったけど、外だからそれなりに暑かった。体温も39度近くあったし。お金を払うときに「暑いですよね…大丈夫でしたか?」と看護師さんに言われてヘラヘラしながら「大丈夫です〜」と答えた過去の自分が頑張りすぎていて今はめちゃくちゃ怒っている。いや、実はそんなに怒ってないかもしれない。ようわからん。

リコリス・ピザ』早く見たい。試写とかの評判を聞いてると格別に面白いらしく、監督のポール・トーマス・アンダーソンは僕もフェイバリットのひとりなので(特に前作の『ファントム・スレッド』が大好き)、自分の前の席に座っているカルチャーフリークの同僚に監督の過去作を見て予習しましょう!とか言って意気込んでいたのにその同僚ともども病に侵されてしまい、映画の日である7月1日の夜に取っていたチケットは無駄になった。無駄になったチケットは他にもいっぱいあったけど、すべて代金を払わずにキャンセルすることができた。

せっかくだから『ストレンジャー・シングス』見るぞぉと意気込んだものの、一度見たことがあるシーズン1を復習する途中でコロナの怠さもあって中断してしまった。さいきんとんとドラマが見れなくなった。パンデミックが起きた世界を描いた『ステーション・イレブン』というSFドラマもU-NEXTで見進めていたのだけど、10話中5話見たのに最後まで見るのが億劫になっている。最後らへんがめっちゃ面白いらしいし、「自費出版のマンガ」が物語を動かすキーアイテムになっていたり面白いところはあるけど。謎が謎として提示され続けるのではなく、ちょっとした違和感が積み重なっていく宙吊り状態に僕は身を任せたいのだ。とか言ってみる。

 

福岡旅とアンジュルム遠征

5月6日と7日に福岡へ行った。7日に博多の会場で行われるアンジュルムのコンサートを見るのがビッグイベントで、その前後に観光をかましていく素晴らしい自作ツアー。東京の会場でやっている公演に行ってもいいのだけど、こういういわゆる遠征っていうものをずっとしてみたかった。今回の福岡アンジュルム遠征を提案してくれたのは恋人のセシル(仮称)。セシルはずっとアンジュルムが好きで、僕はハロプロ全体をかなり幅広く応援してるからどのグループでも見たくて、結果的にゴールデンウィークアンジュルムの福岡公演に行くことになった。他のグループ(つばきファクトリー)の東京での公演にも申し込んでいたけど人気で取れなかったから、地方公演に手を出してよかったなとめちゃ思う。そんで行った。とりあえずいっぱい食べた。まずはその話から。

もつ鍋の正解知らないけど絶対、酢醤油でしょ

6日の11時ごろに福岡空港に到着してまず行ったのが、空港から車で5分くらいの近場にある「牧のうどん」。うどん屋。セシルのお姉ちゃん曰く、めっちゃうまいらしい。ごはんなんて、めっちゃううまい以外に言いようがない。その言葉を信じた。福岡に何店舗かある牧のうどん。数あるトッピングの組み合わせの中でも「肉ごぼううどん」(すき焼きっぽい味付けの牛肉とごぼう天がのっている)が最高とのことでそれを食べた。めちゃくちゃ最高にうまかった。すき焼き味ってなんでこんなにうまいんだ。我が家は父親がすき焼き大好きにも関わらず母と姉があんまりすき焼きのことをよく思ってなくて、父親の誕生日くらいにしか食べられないすき焼き。僕は好き。その少ないパイから女性はすき焼きが嫌いなものなんだとずっと思ってたけど、それは間違いらしい。セシルもおいしそうに食べていた。職場からいいカメラを拝借したためいい写真も撮れてる。

その日の夜に「とりかわ粋恭」という焼き鳥屋で食べた「とりかわグルグル巻き」という食べ物もおいしかった。これは会社の社長がおすすめしてくれたやつ。その名のとおり鶏皮を串にグルグルに巻いて、3日くらいかけてじっくり焼いたり乾燥させたりして旨味を閉じ込めているらしい。焼き鳥はタレ派で、この店はたぶん塩しかなくて、これはタレだともっとおいしい可能性もあると思ったけど、タレで出してるお店も結構あるらしい。リサーチ不足。あと「笹身しぎ焼き」という串もうまかった。ささみをレア焼きしたやつをわさび醤油につけて食べるタイプで、マグロの刺身みたいにさっぱりしつつ肉感もあって初めておいしいと思ったささみだった。焼酎が濃くて2杯のウーロンハイで完全に酔った。屋台にも行って明太たまご焼きを食べた。お目当ての「小金ちゃん」は10人くらい並んでいたから、諦めてその横の屋台に入った。普通においしかったし、屋台は涼しくていいなぁ。天神あたりを歩いているときに仮面ライダーがいた。かっこよく街を闊歩する後ろ姿しか捉えられなかった。

2日目のお昼はチキン南蛮。チキン南蛮って宮崎じゃなかたっけと思いつつ、「チキンナンバン タカチホキッチン」はその本場宮崎の味をお届けしているお店だった。鶏肉が驚くほどジューシーでおいしかったなぁ。衣の食感がめちゃくちゃ独特で何にも形容できなかった。すごいサクサクってわけじゃなくて、油っぽいベチャベチャでもなくて、なぜか肉と一体化していた。擬音で表すなら、シニシニ。自分らしさを追求した服を纏っているかっこいい人みたいな鶏肉と衣とタルタルソースだった。

お昼過ぎに公演を見て、夜はもつ鍋を食べた。いろいろお店を調べる中で見つけたのは「もつ幸」。酢醤油につけて食べるこの店のスタイルがさっぱりしてそうでよかったのと、〆のちゃんぽんに胡麻を大量にふりかけたやつがさらによさそうでここに決めた。初めて食べたもつ鍋は想像以上に自分好みのお味だった。酢醤油がよすぎる。心は一生食べていたかったけどお腹だけはいっぱいいっぱいになってくる感じが無情だった。もつ鍋の正解はしらないけど、絶対これがいいと思う。

もちろん食べてるだけでなくていろんな場所にも行った。マリンワールド海の中道、糸島の森の中にあるカフェ(人に教えたくないくらい素晴らしい)、桜井二見ヶ浦大濠公園、天神〜薬院あたりの古着屋。

大濠公園の近くに「Linde CARTONNAGE/リンデ カルトナージュ」という手紙と文房具のお店を見つけて入ってみると、とにかく万年筆とインクと印刷と紙を愛する店主のお兄さんがいて、一つひとつ熱く語ってくれた姿が忘れられない思い出になった。万年筆って高級なイメージがあるし普段使いするには使いづらいんじゃないかという思いもあったけど、店主はもっとカジュアルに使ってみてほしいと言っていて、ほしいと思いつつ、でもその場では踏みとどまった…。海外の映画とかを見てると万年筆にインク入れて手紙を書いてるシーンとかあってかっこいいと思うのだけど、まだいまいち、例えば取材中のメモにそれを使えるのかというとわからない。使ってみたい。万年筆は買えなかったけど何か記念に持って帰りたいという思いもありつつ、印刷業も手がける店主がこだわるリゾグラフプリントで最高にクールなイラストを刷ったポスターに惹かれておみやげにした。Toyamegという福岡を代表するイラストレーターさんらしい。福岡のところどころで見たヤシの木、ハワイ語で書かれた「ココナッツの家」という文字、バカンス感が胸躍るのと、とにかく色の出方とアナログ的な掠れた質感がいい。折れないように雑誌に挟んで大事に持って帰った。何か一つのことに対してものすごい情熱をかけている人が開いているお店を東京でももっと見つけて行ってみたいなぁと思った。

The ANGERME, BIG LOVE

2日目のお昼に行ったアンジュルム公演。旅の中にこういうビッグイベントを用意するのがこんなに面白いとは思わなかった。アンジュルムの単独コンサートに行くのはおそらく2018年の夏ぶり。ひなフェスとかではもちろん見ているけれど。作詞作曲をアンジュルム愛に満ちあふれた堂島孝平が手がけた「愛すべきべきHuman Life」という爆アゲ曲が最近生まれてしまって、何十回も見るほど大好きだったので、このタイミングでコンサートに行けるのも嬉しさ盛り盛りだった。ライブレポートというものが書けないので詳細に振り返ることはできない。でも、これまでに行ったどのコンサートよりも、おそらく強く記憶に残るものになった。それは福岡に来ているという特別感もあるのだけど、それ以上にあの会場の空間が愛おしすぎたから。リーダーの竹内朱莉さんが体調不良のために途中で不在となったことがこのライブの一番の事件であったことは間違いない*1。正直そのことにはびっくりしたし、タケちゃん大丈夫??の感情が大きすぎて落ち着いて見られない時間も多くあった。ただ、不在を補うリカバリーがすごすぎた。誰がどのパートを歌うか、明確に記憶している人にはあの光景がどう見えていたのだろう。その目を持っていた人も羨ましい。みんなの表情が結構見える席だったから、いろんな顔が見えた。不在になる前のタケちゃんの、強すぎるダンスと余裕のある表情(とてもその後体調不良になるとは思わなかった)。おそらくしんどいながらも一度また戻ってきたときの、今まで見たことがない悟りきったような表情。泣いてしまう上國料萌衣さんと佐々木莉佳子さん。つられる後輩たちもいれば、逆に勇ましく前を向くメンバーもいた。(なんとなくは予想できるけど真相はわからない)2分予定のMCを10分くらいまで延ばさないといけなくなったかみこは、咄嗟にじゃんけん大会を開催した。会場のファンたち全員を相手にじゃんけんし、最後のひとりになるまで続けた。そのひとりのことを「おめでとうございます!今日の主役はあなたです!」と言っているかみこを見てめっちゃ笑った。ユーモアが不安を一瞬で吹き飛ばす。コンサート中に何が起きていたのか、舞台裏ではどんな苦悩があったのか。彼女たちは何も見せることはないし、何も言わないし、終演後に更新された各メンバーのブログでも最小限の表現に留められていた。そのことをあの空間ではファンたちも誰もが推しはかり、想像し、ときに不安を覚え、しかしリカバリーする後輩たちに感動し、帰ってきたタケちゃんに大丈夫だと念を送り、ペンライトを振り、かっこよかったと拍手で伝え、最後にはすべての思いが合わさって会場に万雷の拍手が鳴り響いた。タケちゃんが戻ってきたときの「君だけじゃないさ…friends」も驚くほどそういうことを歌っている歌詞だったし、最後に全員揃って歌った「愛すべきべきHuman Life」はやっぱり素晴らしくて、これがアンジュルムアンジュルムがつくりだす空間が体現するBIG LOVEなのか…と泣きながら納得した。本当に来てよかったと思った。こういう体験があると、より一層好きになる。こういう時間、こういう空間を求めて生きていると実感するとき。夜に更新されたタケちゃんのブログを読んだ。ここしばらくはアンジュルムのコンサートにまた行きたいと思いつづける日々を過ごすと思う。何よりも遠征というものが楽しくてハマりそうだ。次は東北の方とか行きたいな。






*1:普段ないことだから「不在」についてこうして大袈裟に書いてしまうけど、それでも半分以上はタケちゃんも出ていて、そのどれもキレッキレでかっこよくてめちゃくちゃ心を掴まれたことも書いておかないとだめだ。

劇団アンパサンド『それどころじゃない』

2022.3.26@アトリエヘリコプター

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うつ状態を表現したような演劇である。20秒に一回くらい、爆笑するタイミングがある可笑しい演劇である。でも可笑しな状況と並行してずっと目の前では怖いことも起きていて、笑うのと同時に気持ち悪さを覚える。這っているネズミを見る気持ち悪さというよりは吐き気がするタイプの心の中の気持ち悪さ。いやネズミも這っていたかもしれない。最後まで落ち着くこともなく最大に狂いながら笑える展開で終わる珍しいタイプのこの演劇だから、帰り支度をする間もずっとニヤけてしまったし駅に向かう道中でも面白かった〜と何度も口から漏れたのだけど、家に帰ってきてあの情景の怖さに再び気づかされる。まずリアリティのある日常会話から劇は始まり、徐々に平凡な日常に歪みが生まれていく。気づいたときにはもう取り返しがつかないでいる。水が飲めないという大きな事件を置いておいてお茶が飲めてしまったら、それで満足してしまうじゃないか。水が飲めないということを忘れてしまうじゃないか。こんなことを言う登場人物がいたが、とてもクリティカルな話だと思った。自分にとって大事だったあの怒りもこの哀しみも、ぜんぶなあなあにして生きていると終いには取り返しがつかなくなってしまう。これは『ドライブ・マイ・カー』と同じ主題だ。同じなのだけど、それが「つまめるもの出しますね」と言って棒がついてるタイプの飴ちゃんを持ってきたり歯を矯正したから見てほしいと言いながらもずっとマスクを着け続ける人がいたり極めて小さな事柄から違和感が端を発していくからこの演劇は面白い。唇が紫の女性が、寒そうだと周りに決めつけられながら、いやぜんぜん寒くないんですと訴え続ける描写はまた違う怖さがある。なぜ人は見かけで決めつけてしまうんだろう。この話とその話、リンクしているようには見えなかったけど、不感症とカテゴライズはともに現代の病。日常に潜むいちばん身近なホラー。次は6月に公演があるらしい。絶対観に行きます。