縞馬は青い

縞馬は青い

映画とかドラマとか、好きなもの

先週食べたカルチャー(20年7月1週目あたり)

先週観た映画、ドラマ、バラエティ、YouTube、ラジオの記録。いじめ加害者を描いた映画『許された子どもたち』とNetflixの『呪怨:呪いの家』にやられた。下に書いてないのだと、霜降せいやの影響で今さらMCバトルにハマってしまってる。言葉のあんな操り方ずるい。とりわけAuthorityが好きです。

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ダイアンのYouTubeチャンネル(『ダイアンのYOU&TUBE kissin’you ’85』)に夢中なのです。とくにコロナ自粛が明けたあとの3本の動画が素晴らしい。問答無用に笑ってしまう。関西のテレビでも昔からよく見ていながらダイアンの面白さって実はあんまりわかってなかったのだけど、“リモートジェンガ*1の企画なんかはユースケの駄々こねる感じとかそれに付き合ってあげる津田とのゆるふわで息のあった関係性が垣間見えて、ダイアンの良さってこれなのかもしれない、と思ったりした。ラジオ(よなよな)が抜群に面白いらしいんで、いつか聴いてみたい。

先週のカルチャー日記で、そろそろ聴き始めないとな、と言っていた空気階段の踊り場』TBSラジオ)をようやく。とりあえずPUNPEEが表紙の「QJ Vol.147」の踊り場特集ページを読んで、そこでまとめられていた恋愛ヒストリーにまつわる5週分だけをラジオクラウドで一気に聴いた。鈴木もぐらは番組のなかで「いま熱烈に恋をしている人」の話を突然し出し、その回の最後に電波を通じて彼女に告白する(2017.9.9→2017.9.17)。その様子を一歩引いたお笑いの目線で見ていた水川かたまりが、自身の恋愛話になると急に周りが見えなくなる、そのエグみが出るほどの人間臭さが彼らの魅力なのだろう。そのすべての軌跡がドキュメンタリーとして番組に刻まれているのだろうということが、かたまりが彼女にプロポーズする回(2018.10.12→2018.10.26)を聴いただけでなんとなく伝わってきてしまう。これは面白い。ある回で発せられる「でも後悔させてくれよな!って感じです」という言葉。こんなの聴くことになるとは思わなかったぞ……。

浅草に落語を観にいくという高等な遊びをしてきた。座席は現状の映画館と同じくひと席開け。お客さんもまだそんなに戻ってきていないのだろうな…という数だった。落語ってすごいのな。11時くらいに行けば16時半くらいまでぶっ通しで観れるみたい。さすがに長いし特段目当ての落語家さんがいたわけでもなかったので途中で出てしまったけど。なんかぜんぶ面白かったし、うわぁテレビ観てるみたいって感じですごかったんですが、とりわけ三笑亭夢丸さんの『庭蟹』が楽しかったなぁ。今度は神田伯山目がけて行きたい。

『美食探偵』が全9話を完走。4月開始の民放ドラマでは真っ先に最終回を迎えた。撮影開始時期が早かったりしたみたいだ。日テレ日曜10時半のドラマって今まで自分はお呼びでないというか、まったくハマるタイプの作品がなかったのだけどこれはめちゃくちゃ面白かったぞ。ストーリーは言うなれば『スターウォーズ』みたいな光と闇の戦いって感じで王道。特筆すべき内容はなくただただファンタジーな印象を持つものの、役者が中村倫也小池栄子武田真治志田未来など演技に安定感がある人が集まっていてストレスがない。そしてその演技派たちを押さえつけてしまうヒロインの小芝風花がまぁ毎回圧倒的なアクトを見せつけてくれて、観続ける意味がかなり明確になっていった。こっからめっちゃ売れてほしいな。

『ぼる塾チャンネル』で日光旅行のドライブトーク*2が上がっていた。喋ってることぜんぶがコンテンツになるなんて、物凄い素材量だな。いやはや、楽しい旅行のあいだもずっとカメラを回してくれて、それをエンタメとして消費させてくれて、彼女たちには多大なる感謝をしなければいけない。『空気階段の踊り場』もそうだろう。私たちは彼女たちの人生の一部を消費してしまっているという意識は、リアリティショーの勃興以後常に持ち続ける必要があると思う。初期のモーニングの話で盛り上がるあんりと田辺さんと、ついていけず自由に遊び出すはるちゃん最高だったな。なんか彼女たちの会話を聞いてたら昔好きだった『セレぶり3』(セレブになりたい女性3人がただだべってるシットコム)というドラマを思い出して、YouTubeでちょっと観てしまった。グータンヌーボとかもよく観てたし、女性の会話って飽きない。

ララチューン』宝塚記念企画*3。この週は「しもふりチューブ」でも宝塚記念企画があったけど(相変わらず最高!)、10万賭けて思わぬ結果になったニシダのイッてしまってる目がドキュメンタリーすぎる。「インターハイのハイタッチ」に爆笑。

YouTubeの話題が続きます。YouTubeばっか観てると過去にハマったエンタメとかがぶり返してしまったりする。赤西×錦戸のYouTubeチャンネル『No Good TV』佐藤健山田孝之をゲストに招いたワンナイト人狼動画*4がいくつか挙がっていて、めっちゃ観てしまうんだよな。まず佐藤健くんが人狼マニアということで一定のクオリティが担保されつつ、他も全員役者だから見応えが半端ない。実は人狼ゲームっていうコンテンツを僕は黎明期の頃からずっと好きで、どっちかっていうと自分がやるよりも上手い人のやつを観るのが好きなのだけど。なかでも麻雀プロたちがやる人狼が大好きだった記憶。

渋谷HUMAXシネマズで『許された子どもたち』という映画を観た。この映画は傑作とか駄作とかの言葉で評価するのは難しい。でもそれなりに多くの人に観られるべき作品だと思うので、興味がある人は観てみてほしい、と言いたい。監督の膨大な研究量(エンドロールで流れる参考文献の数はもはや論文の領域)と、その思考の先を映画で追究しようとする圧倒的な熱量を帯びた、“いじめ加害者”を描く濃密な映画。普段目を逸らしがちなこういう現実はやっぱり映画館という空間でしか観られないから、ほんとうに観れてよかったと思う。ほとんどの登場人物が子どもなのだけど、その子どもたちの演技がめちゃうまくて没入させてくれる。とくに教室の討論のシーン。志向するところは坂元ドラマ『それでも、生きてゆく』に近いけど、テイストはかなりしんどいので観るのには元気と勇気がいる。そういえば濱口竜介『PASSION』の教室シーンも思い出した。悪意はどこから来て、どこへ行くのか。

しっかりと記録しておく必要があるのは、『魚座どうし』、『レ・ミゼラブル』、『もみの家』、『はちどり』、『許された子どもたち』と、2020年上半期の映画に多くの“子どもたち”が描かれていたこと。社会で生成された毒物が下のほうに沈殿し、爆発を強いられてしまう、子どもたちの映画が多くあったこと。上記に記した映画はぜんぶ傑作レベルの完成度が高い作品だった。

『あちこちオードリー』のハライチゲスト回、後半戦。ネタを作る側(若林・岩井)と作らない側(春日・澤部)の意見がぶつかり合う壮絶な回に。ネタを作らない側はもう漫才師ではなく“受取師”だ、とか言い出すあたりで普段から抱えてきた不満が止まらずだいぶヒートアップするのだけど、その様子は完全に夫婦喧嘩みたい。あのテンションで男性に不満をぶつける男性の姿を強く目に焼き付けておきたいなと、たぶん番組の趣旨とは違うところで勝手に勉強になった。

その若林が企画を持ち込んだというアメトーーク』“小物MC芸人”。いやぁ、これは面白すぎて笑いすぎて疲れた。特番がレギュラー化しそうになるときには必ずアンミカがゲストにやってきて、「元彼がスパイだった」話をしてくれるという小物MC芸人のあるある現象。これを“アンミカ・スパイリーチ”とネーミングした川島さんが天才でした。

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続けて観た先週の『テレビ千鳥』は一転してアメトーーク!反省会」企画。はんにゃ金田とアルピー平子が登場し、アメトーークでのまじでグロすぎるスベりシーンを再検証していくという地獄のような番組だった。でもこれができるのって本当に千鳥しかいないよなっていつも感心してしまう。テレビ千鳥でも相席食堂でも反省会企画が成立するのは彼らのツッコミ力があるからだろうし、元より相席食堂は人が失敗してちょっと恥ずかしいと思ってるところを千鳥がツッコむことで笑いに変える番組。人がつまずいたときに救済を与えるのが千鳥のお笑い。今回の企画もめちゃくちゃ体力が必要だっただろうけど、金田と平子は結果的にすごく面白くなっていたので、千鳥はほんとにすごいなって思った。

『MIU404』の第2話。あぁ、やっぱりこのドラマ結構キツい可能性が出てきた。カメラのピントの合い方に違和感があったり、顔のアップをあえてだろうけど画面の端に持ってきたり、ちょっとしたところでノイズが多くて見づらい。なんで警察の物語にしてしまったのだろう。ツッコみどころも気になってしまうから観ているのが少ししんどい(期待値が高すぎるが故の指摘であって、間違いなく面白い水準には乗ってる)。

きみの鳥はうたえる』の三宅唱が監督したことでも話題を呼んだNetflixオリジナルドラマ『呪怨:呪いの家』が公開されていて、これはビンジウォッチしてしまうほどに引き込まれた。と言っても第4話までをまず一気見して、そのときにはもう深夜2時くらいだったから、これは全6話観終えてしまうと寝れないかもしれないと思って次の朝に残りの2話を観たのだった。それくらい怖がりでJホラーなんてほぼほぼ観たことがないくらいだったのだけど、30分×全6話という気軽さもあって一瞬で観てしまった感じ。呪怨シリーズももちろん初めて。その原点をめぐる話ということはあれど、話は全然追えた。

本作、もちろん怖さもあるけど、それよりも惨さ、グロさのほうが強い気がする。園子温のグロ映画とかのほうがテイストは近いんじゃないだろうか。こういうホラー映画を評するときに「心霊的な怖さというより人間的な怖さがあって……」とかよく言うけれど、それともまた違う、人間の本質的な邪悪成分も垣間見える。第1話のあるシーン(猫)に象徴的なように、本作は「共鳴」の物語なのだろう。悪意は共鳴し、連鎖し、呪い、怨念となって蠢いていく。普段ホラーをまったく観ない&呪怨のストーリーを1ミリも知らない僕個人からは、悪意の伝染という意味で『恐怖分子』を、時間・空間の融解という点で『インターステラー』を思い浮かべたりもした。そういう豊かさも込められている。グロ耐性が無い人に加えて、とりわけ女性が観るのはキツい作品なのだろうなということが予想できる。それは第1話からして明らかで、とても危険な作品だということは言っておきたい。三宅作品もっと観てみよう。*5

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ハロプロソロフェス!』をCSテレ朝チャンネルで。ハロプロメンバー52人が、それぞれに過去の膨大なハロプロ楽曲アーカイブのなかから1曲を選び、練習して披露するという企画。ハロプロ研修生の実力診断テストに似ているようで、独特の緊張感がメンバーの表情からうかがえた。5時間ぶっ通しの番組を飽きずに観続けられたのだけど、なかでもBEYOOOOONDSの平井美葉さんのパフォーマンスが半端なくかっこよかった。平井美葉さんと言えば「ニッポンのD・N・A」という楽曲のイントロラップの印象が強くて、歌もダンスも卒なすこなしてるようなイメージ。もちろんダンスのレベルはハロプロ内でも随一なのだけど、ちょっと抑えてんじゃないの?ってくらい、空手のように型をはめていくダンスにちょっとだけ物足りなさも感じていた(僕の見方が悪いとしか言いようがない)。それが分かりやすく完全に爆発してしまったのが今回だった。こぶしファクトリーの「Come with me」を選曲。ジャニーズか宝塚歌劇的なフェロモンがだだ漏れでしたね。

 

今週食べたいカルチャー

PFF・オンライン映画祭』7/8(水)21:00〜 『あみこ』、『魚座どうし』トーク:山中瑶子監督×池松壮亮*6 上にも書いたけど2020年上半期の影の重要作『魚座どうし』を再び観れる機会がやってきた。『あみこ』も再確認して、山中監督の天才ぶりに打ちのめされたい。池松くんとのトークも楽しみ。

Hello! Project 2020 Summer COVERS ~The Ballad~』7月11日の中野サンプラザ回が当選したので難なく開催されれば久しぶりにライブへ行ける。これはハロプロメンバーハロプロ楽曲以外から選曲するバラードカバーライブ。これまた初めての取り組みだから楽しみたい。

よしっ都知事選行くぞ。

www.tbsradio.jp

*1:https://m.youtube.com/watch?v=8QGuOS5rchA

*2:https://youtu.be/JnKfl116-eg

*3:https://youtu.be/eRNZCjK47PE

*4:https://youtu.be/ea45slxxn7I

*5:毎回エンドロールで“神の子池”という北海道の景勝地が映し出されるのだけど、最近たまたま北海道道東の観光スポット!的な記事を書いていてよく目にしていたからハゲるほど驚いた。あの音楽もすごく不気味。

*6:https://pff.jp/jp/news/2020/06/pff_online2020.html

先週食べたカルチャー(20年6月4週目あたり)

先週観たバラエティ、映画、ドラマ、雑誌、YouTubeの記録。

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2週だけのかまいたち冠特番『かまいガチ』の1週目が放送されていて(2週目は7月4日深夜)、相手を引き立たせながら自分たちも引き立つという中々かまいたちらしさが出ている番組だった。今回はゲストとしてやってくる芸能人の悩みを聞いて、名言っぽい言葉でアドバイスをするという企画。自粛中のかまいたちYouTubeで名言企画をやっていたから、その派生という感じだろうか。なかでもアインシュタインとの絡みが楽しい。山内と少し交友があるRADWIMPS野田洋次郎に番組のある音楽を作らせたスタッフに対して、「今後、勝手にああいうのするのやめてもろていいですか」と山内。笑った。

3月に試写で観た『はちどり』*1がようやく劇場公開されていたので再見しにユーロスペースへ。今のところココでしかやってなくて、けっこうほぼほぼ満席が続いてるらしい。個人的にはここ10年で観た青春映画のなかでも一番ってくらいのレベルで好きな映画。若草物語と本作が上映される世界がやってきてほんとうによかったなと思う。14歳の少女の「浮き沈み」としか言いようがない心の揺れ動きが非常に鮮明に映し出されていて、ときおりその振幅が社会と触れ合ってしまう瞬間にハッとする。部屋の階を間違えるくらい画一的で普遍的な団地で、地団駄ダンスをする彼女に届いた一個の小包。どこにでもあるけどあそこにしかなかった大切で苦しい記憶。自然すぎてもはや言及する必要はないけれど、女性の描き方の多彩さにも驚く。韓国、キム・ボラ監督の長編処女作。心の機微に触れる繊細さと時代の雰囲気を掴む大胆さがすでに共存してしまっていて、『ヤンヤン夏の想い出』『誰も知らない』をはじめとするいくつかのアジア映画を思い浮かべたりもしたけどこのテイストは唯一無二のものだと思った。多くの人に観られてほしい。

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ちなみにではありますが「2020年上半期ベスト映画」を10個挙げておく。

①ジョン・F・ドノヴァンの死と生 ②はちどり ③架空OL日記 ④パラサイト半地下の家族 ⑤ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語レ・ミゼラブル ⑦もみの家 ⑧ミッドサマー ⑨ラストレター ⑩魚座どうし(別枠:恵比寿映像祭で観たドキュメンタリー『二重のまち/交代地のうたを編む』)

例年のペースからはだいぶ少ない35本しか観れてないけど、満足度的にはだいぶ高い。特に上の3本とか、オールタイムベスト級の好きな映画が多かった。

ニューヨークのYouTubeチャンネルにて「ウーバーイーツでバイトしてる芸人」*2企画。東京では街を歩いていると10秒に1回くらい自転車に乗ったUber eats配達員を見かけるのだけど、そうなるともちろん芸人さんとかもやってるわけで。自分は利用したことがないので全くわからないのだけど、配達員側から見たウーバーイーツあるある、珍事件、裏側が語られていて面白かった。こういうアメトーークのローカル版みたいな企画もっとやってほしいな。女性の配達員はほぼ見かけないという話、こういう状況下でも男性にはわかりやすい職があって、女性にはないのかもしれないなと考えさせられる。

坂元裕二脚本の新作ドラマ『スイッチ』は、最初けっこう微妙かな(というか『最高の離婚』の下位互換感がすごすぎて)と思ったけど徐々にエンジンがかかってきて、1時間半経ったあたりで急に完全体の坂元ドラマが現れてしっかり度肝を抜かれた。序盤から中華の円卓であったり観覧車であったり“円環”を意識させているのだけど、それが松たか子が持つ“スイッチ”と阿部サダヲの7回にも及ぶ救済という人生の円環に繋がっていくとは。友だちと話してるとこのドラマは“秘密”についての話だと言っていて、カルピスの好みの配分とか両親の死とか、暗黙のうちに相手の感情を読み取る瞬間など、確かに相手の生態を知れば知るほど深まる人間関係のあり様が描かれていたと思う。でも中村アン眞島秀和が彼らの横に配置されているのは、そうした閉じた空間(=円環)から抜け出す美しさを描こうとしているからではないだろうか。再び円卓に立ち返るラスト。たぶん同じことをあの4人は繰り返しながら、やがて松たか子眞島秀和と、阿部サダヲ中村アンと結ばれていったほうが結局は幸せなんじゃないかなと何となく思った。ずっと同じことを繰り返していくのでもいいか。ぜひ連ドラ化してもらって、岸井ゆきのにももっとスポットを当ててほしい!

YouTube特集の『クイック・ジャパン』最新号*3。記念すべき150号目で僕も書いているのだけど(4号連続、やったー!)、他のページだと空気階段・水川かたまりの書き下ろし小説「アサミ〜愛の夢〜」がめっちゃ面白かった。ちょっとエッチで予測不能なロマンティックSF(?)小説。今度YouTubeで朗読劇もやるみたい。鈴木もぐらは高円寺に帰還したらしいし、そろそろ『空気階段の踊り場』に手を出したほうがいいな。

爆笑問題カーボーイで先週の霜降りANN0についての話題。「逆境を笑いで跳ね返した」と美談化されていることに苦言を呈しつつ、「そんな美談じゃないから。『笑いで返した』とかそんなことじゃない。おかしくなってボケまくって、ボケというモザイクで股間を隠しただけ」と現実に引き戻す太田さん。確かにそうで、すぐに私たちって簡単な話というか美しい話にしたがるよねってちょっと反省。「ただめちゃくちゃ面白かった」、それだけでいいのだ。それ以上の話については今週の放送冒頭でじっくり話していたしね。

今週の『相席食堂』はようやく収録が再開し、コロナ自粛前にギリ撮っていたというロッシーと須田亜香里のロケを放送。「相席食堂ってこんなんやった?」とのノブの発言どおり、訳の分からない展開に(笑)。まだ続くんかいと思ったけど来週の放送も楽しみ。

脚本・野木亜希子(『逃げ恥』『アンナチュラル』『けもなれ』など)×演出・塚原あゆ子(『アンナチュラル』『グッドワイフ』)のTBSドラマ『MIU404』の放送がようやく始まった。刑事ドラマだからストーリー的には『アンナチュラル』路線で、軽妙でスピーディな塚原演出によって気持ちいい二転三転ドラマが展開されている。というのを期待してたけど、第1話の時点ではあんまりうまくいってないというか、それこそ『アンナチュラル』の下位互換感、二番煎じ感が……。とくに星野源の演技と米津玄師の主題歌、安っぽいカーアクションがちょっと微妙…。『日本で一番悪い奴ら』と『最高の離婚』での性格を両方感じる綾野剛のキャラクターはいい感じなので、あまり期待しすぎず面白い回が2、3個あれば嬉しいなくらいのテンションで観ていきたい。

 

今週食べたいカルチャー

『あちこちオードリー』ハライチゲスト回の後半が6月30日に放送。先週の回も面白かったけど今週は相方への不満が爆発するみたい。

ハロプロソロフェス!』CSテレ朝で7月4日放送。その次の週には観客を入れてのライブをやるということでその再始動の早さに驚きつつ、ハロプロ過去楽曲を現メンバーがソロで歌うというこの企画もめっちゃ面白そう。倍率えぐそうなライブのチケットも当たっててほしい。

『カセットテープ・ダイアリーズ』7月3日公開、ブルース・スプリングスティーンに救われたパキスタン移民の少年を描いたイギリスの青春音楽映画。前評判がめっちゃよくて楽しみ。

あと映画館で『もののけ姫』やってるので観たい。

先週食べたカルチャー(20年6月2〜3週目あたり)

ポップカルチャーをむさぼり食らう」というエントリーを1年以上、毎月やってきたのだけど、1か月のことを一度に振り返ることの難しさを感じつつあったので週一に変えようと思う。先週観て印象的だった映画、テレビ、ラジオ、雑誌、YouTubeの記録。

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結局当初の目標金額である1億円を早々に突破して3億円以上が集まったミニシアター・エイド基金。その支援者へのリターンである“サンクスシアター”がついに解禁されて、1発目に濱口竜介監督の『何食わぬ顔』を観た。2002年、東京大学在学中に撮られた8mm映画はなんでこうなるのか分からないくらい画質が悪いけど(フィルムだからだよね)、もうすでにハマグチ映画成分たっぷりで面白い。紛失、遅刻、欠員、疾走、到着……電車を起点としたそれらの動きと時おり発動する滑らかな会話劇。そして、「何と言ってもあそこがすごい…」っていうシーンがある。‪ヒロインの声が齊藤京子さんみたいなのと、出演もしてる濱口監督がかっこよくてバカっぽくて最高。‬

外出自粛明け1発目の映画館鑑賞に選んだのはジム・ジャームッシュ『パターソン』。『デッド・ドント・ダイ』の公開記念としてアップリンク吉祥寺で上映されてました*1。3ヶ月ぶりの映画館。久しぶりに観たら見方がガラッと変わってるアレを体感できたし、生活を取り戻し始めるにはぴったりな映画だった。アダム・ドライバーってほんとすごいよな。あんなに特徴的な身体をしてるのに、どこまでも普遍的に役になりきれるし、それでいて唯一無二の存在感がある。

6月12日、アンジュルムが2018年にやったコンサートツアー「十人十色」の武道館公演がYouTubeで生配信されていた。改めてメンバーの入れ替わりの激しさに驚きながら、10人が順々に入れ替わるメドレーの層の厚さに感服。今の8人+太田遥香さんの画はどうしても弱くなってしまう気が一瞬するものの、やっぱりアンジュルムは常に最高を更新し続けているなと感じる。新曲の「限りあるMoment」も時制を捉えていてさすが。

アメトーーク』の「バラエティ観るの大好き芸人」がまじで途中泣きそうになるくらい熱かった。『あちこちオードリー』、『有吉の壁』、『霜降りバラエティ』あたりはちゃんと観たいなと思う。QJWebでのてれびのスキマさんの連載もいい(お分かりのとおり今回のブログは多分に影響を受けています)。

「『アメトーーク!』のヤバい瞬間って、台本にないところをしゃべるとき。手震えるじゃないですか。怖いし、ホントは黙ってたい。でも言わなきゃって出た瞬間がおもしろいじゃないですか」と徳井が言っていたが、まさに今回の「バラエティ観るの大好き芸人」はその連続。出演者たちの言わなきゃ!言いたい!という気持ちがあふれ出ていておもしろかった*2

『しもふりチューブ』から神動画が誕生。粗品が52万を賭けた安田記念せいやがその記憶力と身体をめいいっぱい使って完全再現するという狂った企画(笑)*3。言っても動画のタイトルだけではあまりピンとこないのだけど、これが半端なく面白い。これで肺が潰れて死にそうになってるせいやは、このあとのあの伝説ラジオのときは完全にギア2いってたんだなと思う。

3か月以上ぶりのTOHOシネマズ(山崎紘菜さんに感動!!)で、『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語を。3月に試写で観ていたので実は2回目の鑑賞。シネコンで映画を観れる幸せ、映画の美しさ、観客のいい反応……これ以上ない映画体験でしたね。いつまでも三女のベスに想いを馳せてしまう。

『ラランドの化けの皮』。ラランドがTBSラジオではじめての冠特番。のびのびしてる〜〜というのが一番の印象。大竹まことのラジオにゲスト出演していたやつも堂々としてたから、これはどこに行っても通用するなと思いながら、『ラランドの声溜めラジオ』もずっと続けてほしいなぁと思う。

『オズワルドのおずWORLD』にて、伊藤と蛙亭・岩倉、森本サイダーがシェアハウスをするにあたり、同居人をひとり募集する公開オーディションを開催*4。ひと月前くらいにオズワルド畠中が同様に同居人を募集した際に、惜しくも落ちてしまった岩倉、森本サイダー。その様子を見て「この2人と家族になりたいと思った」伊藤によって開催された、終始謎であり面白な企画だった(3人が同期っていうのがめっちゃいいよなぁ)。4人分のコップを用意していた岩倉さんに思わず「かわいー!」と伊藤。それに呼応して参加者のひとりであるランジャタイ国崎が巨人師匠を4体用意しているという奇跡に腹抱えて笑った。それを観て引いちゃうサツマカワRPGも最高。ニューヨークの「女性スタッフオーディション」とか、霜降りの「桑子マネージャーの彼氏募集オーディション」とかもあるし、芸人YouTubeのオーディション企画はハズレがない。

蛙亭とラランド、ヒコロヒーが出演した『ゴッドタン』新世代男女芸人SP。“ヒコロヒーとみなみかわ”のネタを初めて見てしっかり惚れてしまった。これは『POP LIFE: The Podcast(相変わらず毎週面白い)#071で紹介されていた『軽い男じゃないのよ』に通じる男女逆転型のどぎつい社会風刺なのだろうけど、「これからわたしが“男芸人みたいな女芸人”やりますから、あなた“女芸人みたいな男芸人”やってください」というフリが一瞬の混乱を誘っていて素晴らしい。単純な男女逆転ではなく、あくまでも両方が混じり合っているというか、女性のまま男性を、男性のまま女性の精神を体現しようとする様に心を射抜かれてしまうのだ*5

CREA』6・7月号の「偏愛のすすめ。」特集がめちゃくちゃいい雑誌! 今泉監督が好きな恋愛映画、ハライチ岩井の10の偏愛、川谷絵音のパーカー、テレ東佐久間Pの偏愛エンタメ(シベリア少女鉄道と劇団あはひめっちゃ観てみたい)、かが屋・加賀の偏愛ポートレート、ヒコさんの俳優から選ぶドラマ紹介と、まぁ盛りだくさんな内容。WebではCREA編集者が自粛期間中にハマったお笑いカルチャーについてのトークを繰り広げていて、これまためっちゃ面白かった。人が好きなカルチャーの話をしてるの、なんでこんなに好きなんだろう。影響をしっかり受けたので、今度会社にいるお笑い好きの同僚たちと同じことやってみようと思う*6

『相席食堂』かまいたち山内となかやまきんに君が自信が出演した回の反省をするというめちゃくちゃな地獄回(笑)。『テレビ千鳥』の「Lemon反省会」もそうだけど、反省だけで面白くできるバラエティと芸人は強いな。YouTube等では「相席食堂は自分の格を落とした番組」と批判していた山内だが、終始、濱家の必要性と自信の空回りに言及していて笑ってしまう。なかやまきんに君の「ボディビルダーのなかでは喋れる方だと思ってほしい」という発言にも笑った。

『あちこちオードリー』かまいたちが出演。「いつまでたっても例えツッコミの題材が更新されない」という悩みで思いが合致する濱家と若林。奇しくもヒコロヒーとみなみかわの漫才の内容に通じてしまう部分はあるものの、オードリーふたりがずっとキン肉マンとBTTFで通してるのは愛おしいよな。ミーハーではないという苦しみを抱えながら、若林は若林らしさを貫いてほしいなと思う。濱家がいじられキャラから脱せるのかどうかはめちゃくちゃ微妙。関西のバラエティでもそんなに(千鳥とかと対比すると)カリスマ的な回しができる人だとは思ったことがなかった気がする…(笑)。最近のかまいたちYouTubeが視聴者のコメントによって盛り上がっているように、濱家は圧倒的な普通の人感、ただゲラな感じがいいのだ。

DVDをレンタルしてクドカン脚本の『ごめんね青春』をちまちま観ていて、ようやく最終回を観終えた。結局思ったよりハマらず…、テン年代のベスト青春ドラマはやっぱり『鈴木先生』かな…という気持ちに。「この年まで青春を引きずってしまった」という錦戸くんのセリフ、懺悔の物語という軸、男と女、神さまと仏さまの混交、どこまでもグレーな終わり方にはグッとくる。波瑠が満島ひかりの“姉”を演じていることに、その違和感のなさにびっくりした。満島ひかりがとてもいい。

6月20日霜降り明星オールナイトニッポン0』伝説回。しょうもないスキャンダルが、2時間の魂のお笑いによって遠く吹き飛んでしまった。自分自身はずっと聴いているリスナーではなかったので「ポケットいっぱいの秘密」のコーナーとかは知らなかったのだけど、そういうのを超えてくる圧倒的なエンターテインメントがあそこにはあった。大好きなアグネスで番組全体を包みながら、最近身につけた安田記念再現まで駆使してぶつかっていくラスボスバトル的展開。いいともの再現もエグかったし、副担任に降格した金八先生、早すぎる仁鶴師匠、ポケひみフランス語ver.のフリオチ、野党!!、ぐわんぐわんしながら後半は終始めっちゃ笑ってたと思う。霜降り明星はんぱねぇな。

『ぼる塾チャンネル』の「ぼる塾日光旅編」*7! ぼる塾がついに旅! 面白くないわけがない! 軽自動車の後部座席にすっぽり収まる田辺さんとあんり、テンション高すぎるはるちゃんの冒頭から最高で、旅館に到着してはしゃぐ姿も多幸感と爆笑の連続。ベッドに投げ出される田辺さんの映像、なんであんなに面白いんだ…。車内で明太フランスの話をしてて思い出したけど、最近ローソンの「マチノパン めんたいフランス」(150円)にハマり倒している。それはさておき、このホームビデオ感出せるのはぼる塾くらいだろうな。

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今週食べたいカルチャー

『はちどり』6月20日公開、1994年に生きるある中学生少女を描いた韓国の青春映画。試写で一回観てるけど、大傑作なのでもう一回観にいく。

『スイッチ』6月21日21時放送。坂元裕二脚本のテレビ朝日スペシャルドラマ。阿部サダヲ松たか子もさることながら、石橋静河岸井ゆきの井之脇海を坂元ドラマで観られる贅沢感を噛みしめたい。

恋の彷徨者たちの足跡ーー今泉力哉作品における“迷子”と“交差点”についての覚書(『街の上で』論序論)

今泉力哉監督の最新作『街の上で』が公開されたタイミングで書こうと思っていたこと、来春以降に延期となってしまったので一旦この機会にまとめてみました。世紀の大傑作映画につながる、今泉映画論の序論的扱いです。それにしても『街の上で』のTシャツ(大橋裕之のイラスト!)がかわいすぎて、届いてから2週間でもうすでにめっちゃ着てしまっている。

* * *

いきなり結論を言うようだが、今泉力哉監督が撮る映画というのはつまるところ、迷子が迷子のまま世界を彷徨い続ける、「“愛すべき迷子たちに捧げられた映画”である」と言うことができるのではないだろうか。どんなに強い信念を持っていても、今泉映画の登場人物たちは、みな一様に迷子に“させられてしまう”。

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『愛がなんだ』のテルコを起点として

最もわかりやすいのが『愛がなんだ』(2019)の山田テルコ(岸井ゆきの)である。彼女は「マモちゃんが好き」という確固たる思いを抱きながらも、その実は酷く方向性を見失ってしまっている女性。例えばマモちゃん(成田凌)に急に呼び出される冒頭の場面では、彼女の意思とは関係なしにこれまた急に外に追い出され、テルコは金麦500m缶を煽りながら夜道を彷徨い、行き場を失ったまま親友の葉子(深川麻衣)に助けを求める。葉子の指示を受けながら下高井戸方面へとタクシーを促すテルコの姿勢は、まさに“迷子”としか言いようがない頼りない顔をしているだろう。

中盤の、機嫌の悪いマモちゃんに朝早く起こされ、土鍋を両手に抱えて道に立ち尽くす場面であるとか、すみれ(江口のりこ)の悪口をひと通りラップで言い終えたあとに「ざまぁみろ」と言葉が反復し立ち止まってしまう場面とかも、テルコ=“迷子”なのだとすればとても象徴的なシークエンスだ。

テルコ:私はどっちかになっちゃうんだよね。「好き」と「どうでもいい」の。だから、好きな人以外は自然とぜんぶどうでもよくなっちゃう

同僚(穂志もえか):自分も?

『愛がなんだ』という映画は、マモちゃんに出会ってしまったテルコが自我すらも含めた全体重をそこに傾けてしまい、だからこそ会社を辞めたり行き場を失ったりしてしまう、徹底した迷子映画なのだとひとまずは結論づけてみたい。そうすると、主に恋愛群像劇を紡ぎ出す今泉映画の共通点が、この“迷子”にあると考えることはできないだろうか。今泉映画の登場人物たちは、恋に迷うだけでなく、一方ではどうしようもなく人生にも迷ってしまう。


『パンバス』で孤独を追求する深川麻衣、『退屈な日々にさようならを』で恋人の過去を辿る松本まりか

すべてを書き出してしまうと長くなってしまうので簡潔に。例えば『知らない、ふたり』(2016)という映画は、昼間の公園のベンチで出会ったある男女の物語が恋愛群像劇のうちの1パートを占めている。そこでは、韓国人青年・レオン(レン)が女性・ソナ(韓英恵)に一目惚れしてしまい、冒頭ではそのストーキング劇→家を見つけるまでが描かれている。その後、ソナの方もレオンの存在が気になりだし、初めて出会った公園を探そうとするのだけれどあの日は二日酔いだったからあんまり覚えてなくて苦戦する、といった物語が展開されていく。要するにレオンもソナも、お互いの存在を知ってしまったことで急に道に迷い始めてしまう。

『パンとバスと2度目のハツコイ』(2017)は、主人公・市井ふみ(深川麻衣)が結婚に疑問を浮かべまっすぐに孤独を追求するものの、同級生の変化に触発されたり妹に心の内を見透かされたりして、徐々に変化すること(≒迷うこと)を強いられていく話(その意味では最近の映画だと『ストーリー・オブ・マイライフ』のジョーの物語にも少し共通する)。

『退屈な日々にさようならを』(2016)では、亡くなってしまった恋人の過去(かつて存在していた生)を求め、原田青葉(松本まりか)が彼の故郷を訪ねるシークエンスがあった。彼女は真っ直ぐにその場所へとやってきたものの、彼が死んだことを彼の家族に知られるとやはり、「あんたおかしいよ。死んでるの知っててそいつの地元にふらふら来てさ、平気な顔して家族に会うって絶対おかしいって。あんたほんとはなにしに来たの?」と問い詰められてしまう。ゆえに目的をなくして迷子にさせられてしまう。でも青葉は何度も問うのだ、「でも生きてたでしょ?」「ほんとうってなんですか?」と。

 

“迷子にさせられてしまう”という共通点

途中から徐々に文章にも忍ばせましたが、重要なのは彼女たちが“迷子にさせられている”という点なのではないかと思う。

みな真っ当に何かを考えて生きているだけなのだ。それなのに、例えばテルコの場合は「マモちゃんが好きすぎた」ことで仕事ができず、会社を辞めさせられ彷徨者となってしまう。市井ふみは孤独の世界に留まることを許してもらえず、この混沌の世界に放り出されてしまう。原田青葉は彼の過去を見にきただけなのに、彼の家族からは部外者にされてしまう。彼女たちはみな、社会が決めた“普通”から逸脱してしまった、いわゆるマイノリティたちなのだ。今泉映画が温かいのは、そうした彷徨者たちに対しての懐の深い眼差しが存在しているからではないだろうか。


迷子を眼差す迷子……そこに交差点がある

今泉映画が特徴的なのは、ただ迷子を描くだけでなく、その迷子を眼差すもうひとつの視線にカメラを向けているところにある。社会から逸脱してしまった人も、成長できない人も、きっと他の誰かが見ていてくれている。だからすべての人生が肯定され、誰もがその世界の主人公になれる。

登場人物たちの関係性が毎回当然のように三角関係にも四角関係にも発展し、やがて人物関係が一周して外の世界から閉ざされたサークルのようになるのにはおそらくそんな理由があるのだろう。そして今泉映画ではあろうことか、そのみんなを一堂に介させてしまうことで、彷徨者たちの世界を天国に仕立て上げてしまう。

登場人物たちはさまざまな交差点で出会い、やがて散り散りに……。この“交差点”というのはそのままの意味の「道路上」のことだけでなく、カフェや映画館、ライブ会場、居酒屋、ラーメン屋、公園、古着屋、浜辺などなど……今泉映画の登場人物が辿る通過点すべてを内包しゆく。『パンバス』や『愛がなんだ』のラスト付近、その別れのシークエンスでも見られた交差点は、きっと彼女たちの眼差しの交差のために用意されている。

しかしいやはや、登場人物たちが彷徨うだけの映画がなぜこんなにも面白いのか。それにはたぶん、過去の偉大な“迷子映画”たちが答えてくれるに違いない。なぜ映画は迷子を映し出し、登場人物たちは恋に囚われるのか。

 

丹生谷貴志ヌーヴェル・ヴァーグ論「恋の囚われ」要約

ヌーヴェル・ヴァーグと総称される映画たちの功績とは、「映画を、あるいは映画に付随する生全体を“恋の狂気”にまで推し進めたことである」とする、美学・美術史研究の丹生谷貴志さんのヌーヴェル・ヴァーグ論が激烈に面白かったので要約しておきたい。この文章を読んでいる間ずっと、ゴダールトリュフォーロメール、リヴェットと横並びで今泉映画のことを思い浮かべていた。

まずここで言う“恋の狂気”とはなんなのか。

恋の狂気とはおそらく、ドゥルーズの言うbêtise(獣性)の領域である。つまり、恋が狂気と化すのは、恋が生殖と家族形成という「国是」から切り離される時、快楽主義からさえ見放される時だろう。

これでもまだ難しい。“恋”にはまず、「生殖への準備のために進入してくる」、「家族と再生産と自然共同体の準備としての恋愛」という側面がある。しかし“恋が狂気と化す”とき、それら一切から逸脱した恋は「彷徨いの獣性bêtiseの領域に出て行くのだ」と丹生谷氏は書き連ねる。

彼らのモティベーションは恋の囚われであるということただそれだけであり、寝たいという欲望は決して生殖への欲望には結び付かず、一緒にいたいという渇望は決して家族への欲望に結び付くこともない。つまりは恋の狂気=bêtiseとは、社会から見放され、同時に動物性の穏やかな充足からも見放された状態であり場所であるだろう。(中略)要するに社会にも、その裏面である家族=生殖共同体にも属することのない「無為の、明かし得ぬ共同体」、ただ恋の狂気、恋の囚われであるということだけがそこに残る。純粋化された狂気の恋だけが残る。

家族主義的、社会的規範からは到底切り離された場所にある“恋の狂気”。そして映画とはそもそも、この“恋の狂気”そのものであるからして、それを現前して見せたヌーヴェル・ヴァーグは「映画そのもの」なのであると丹生谷氏は半ば強引に続ける……。

ヌーヴェル・ヴァーグはジャンルとしての恋愛映画とは異質の恋の狂気の世界を開く。そしてそこに彼らの決定的な映画性のしるしがある。と言うのも、キャメラは本質的に恋の狂気の機械だからである。人工性と動物性の中間に開いた宙吊りの眼、見ることへの欲望と盲目が同じものであるような、そうした獣性の瞳としてのキャメラ。純粋化された恋の狂気そのものとしてのキャメラ。だからヌーヴェル・ヴァーグは、映画の本質そのものである恋の狂気そのものを律儀になぞり生きようとし、キャメラの恋の彷徨いそのものを反復し続けるのであり、映画とは恋の狂気そのものに他ならないことを示すのである。

映画は恋の狂気そのものである。それでも今なお、日本でも世界でも*1家族主義に侵された映画が氾濫しているのはなぜなのか。

或る意味では、家族主義的映画の存続は社会学的な問題である以前に、映画のもっともミニマムな属性への恐怖から来ているのかもしれない。世界を恋の狂気とその彷徨いへと変移させてしまう映画的狂気(?)への脅えが家族主義的映画への固執を生み出しているのかもしれない。その意味で、ハリウッドが或いは日本が家族主義的な地平に固執すると同時に真の映画的領域への介入を止めてしまったのは偶然ではないだろう。再び繰り返すが映画は終局的には恋の狂気の場所であり、家族の存続と対立する世界に他ならないだろうから。……

そしてだから、その意味で、陳腐な言い方だが、ヌーヴェル・ヴァーグは映画を映画そのもの、映画以上でも以下でもないもの、つまりは恋の狂気として露出させたという点でなお「未来の映画」に属するのだと言うことも出来るに違いない。すべての映画が恋の狂気となる時、始めてヌーヴェル・ヴァーグは完了することになるだろう*2。(後略)

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*1:ここで丹生谷氏は小津安二郎の異様さや、『クレイマー、クレイマー』『普通の人々』などのピューリタン的家族映画にも言及している。

*2:ユリイカ 総特集ヌーヴェル・ヴァーグ30年』丹生谷貴志「恋の囚われ」p156-163

2020年5月のカルチャー雑記②リモート映像作品の救い

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世間で流行りの『愛の不時着』『梨泰院クラス』(第1話だけ観た)には手を伸ばさず、『ハーフ・オブ・イット』も観たけど微妙にハマらなかったり、『鬼滅の刃』も『約ネバ』も『ヒロアカ』もアニメには興味をそそられなかったり、コロナ以前にかろうじて製作された良質な作品にことごとく嫌われてしまった自分は、結局なにを観てたかというと旧作映画とYouTubeばかり観ていた。あとメルカリの沼に落ちてしまって、昔のユリイカとかリュミエールとかswitchとかを買って映画批評をむさぼり読んでた。


そのなかでも「リモートで製作された映像作品」というのがあって、“今の時期はこれを観ておくべきだろう”という確固とした意思があったわけでもないのだけど、気づいたらそればっかり観ていたことになる。かまいたちとかニューヨークとか、芸人がzoomを使ってする生配信動画を合わせれば、5月に摂取したカルチャーはほとんどがYouTubeで完結していたかもしれない。期せずしてYouTube関連の記事をたくさん書いたりしていて、もう僕はYouTube系ライターになりつつあるし(本当は映画ライターになりたい)。

 
でも6月に入ってドラマも映画もちょっとずつ動き出してきているので、いったんの区切りとして良かった作品をリストアップしてみた。何人かのTweetでも見たように「映像作品にいかに撮影が必要か」というのを思い知らされもしたけど、今できることに最大限に取り組んだこの作品たちはカルチャーの火種を絶やさない唯一の救いだったし、それぞれに強く光り輝いていたと思う。


二宮健監督が主導している「SHINPA」という映画上映プロジェクトがある。昨年のゴールデンウィークには二宮監督の過去作が一挙上映されていて、何日か通ったのも記憶に新しい。コロナ禍でいち早く、大きな映画プロジェクトを立ち上げたのがこのSHINPAだった。「在宅映画制作」と題して、延べ24人の映画人が新作映画を「オール在宅制作」で撮り下ろし。二宮健を筆頭に、深田晃司今泉力哉、松居大吾、柄本佑渡辺大知といった豪華な面々が5月1日から代わる代わる新作をYouTube上で発表した。24作品もあるので半分も観れてないけど、飛び抜けて面白かった作品がいくつかある。そのひとつが岩切一空監督の『第七銀河交流』。モキュメンタリーとホラーとアイドル映画が混じり合った大傑作映画だった。

www.youtube.com

岩切監督というのは、そもそもがこの、モキュメンタリーとホラーとアイドル映画を混淆した作品をつくる作家である。『花に嵐』では、早稲田の映画サークルに入った“僕”(岩切一空本人役)がある1人の女の子にカメラを向けることでこの世界の最深部に誘われていく様が描かれている。次作の『聖なるもの』もまぁ乱暴に言ってしまえばほぼ一緒。はてなのエントリーにも書いたのだけど、彼の作品は映画史を純粋に辿りながら、時おり今どきのYouTube的な要素が覗く点が刺激的。彼がTwitterで「だいにぐるーぷ」や「レインボー」といったYouTubeチャンネルの名を挙げて「映画みたい」と時々呟いていることにもわかるように、彼にとっては映画とYouTubeには恐らくさして境界線はない。そうした、「映画にYouTube」を取り入れてきた岩切監督がついに、逆に「YouTubeに映画を持ち込んでしまった」のが本作『第七銀河交流』なのである。このコロナ禍でしか実現しなかった企画かもしれないけど、岩切作品とYouTubeがついに真の意味で出会ってしまった。その作品には、“第七”芸術たる映画が、3つのパラレルワールドーーいわば映画の光の“3”原色ーーを通して再び私たちが出会う未来の銀河を描く、壮大な世界が紡ぎ出されていた。

今泉力哉『MILK IN THE AIR』、深田晃司『move / 2020』、近藤啓介『動物暴走教師』等もよかったけど、岩切監督のやってることが異次元すぎて他が霞んでしまう。素晴らしいものを観た。あと坂元裕二のリモートドラマ『Living』もめちゃよくって感激した。特に1、2話ね。ズバズバぶっ刺してくる言葉の威力が半端ない。あとあと、Webで公開されてる映画だと、ANAの『再見』という映画がけっこうよかったです。監督・竹内里紗(『21世紀の女の子』「Mirror」)×脚本・宮崎大祐(『TOURISM』)で、ジャック・リヴェット『北の橋』みたいな彷徨いの映画を撮り上げてしまっていた。

www.ana.co.jp
YouTubeで観れる岡田惠和脚本、吉田羊×大泉洋の『2020年 5月の恋』と、「超、リモートねもしゅー」の2作目をまだ観れてない。そうこうしてるうちに映画館に行ける日々が戻ってきたね。3か月ぶりの映画館はアップリンク吉祥寺で『パターソン』を観て、これは日常を取り戻すにはぴったりな映画だな、と思った。初めて観たときは眠たかったけど、今回は妙にしっくりきた。

外を覗くこと、扉を開くこと、書くこと……『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』雑感

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『ストーリー・オブ・マイライフ』はさまざまな“関係性”を描いた映画である。僕は若草物語の原作を知らなかったから、最初はその登場人物の多さと人物関係がわからなくてちょっと焦った。でもヒロインである次女・ジョー(シアーシャ・ローナン)を中心として、長女と次女の、次女と三女の、次女と四女の、娘たちと母の、そしてジョーやエイミー(フローレンス・ピュー)とローリー(ティモシー・シャラメ)の関係性が軽妙な手さばきで描かれていくから、みるみるうちに物語に引き込まれてしまう。7年前と現在ではその関係性も、人のいる場所も大きく変わっている。しかし時おりジョーが走ったり、電車に乗ったり、アイススケートをしたり、馬車に乗ったりすることで、離れ離れの人と人が結びつけられていく。

本作の特徴的な演出として、「窓から外を覗く」「窓を開ける」「敷居をまたぐ」といった、“境界線”とその“越境”を表出したシーンの頻出が挙げられるだろう。

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人と人の間には決してわかりあえない、混じり合うことを許さない壁が存在しているのは確かだろう。それが本作で言うところの「窓」だとして、しかし彼女たちはいとも簡単にその境界線を越えてみせてしまう。

たとえば冒頭、作品を持ち込む際に扉の前でひと息つく場面(→そして彼女は作家の扉を開く)にはじまり、物乞いを受けて四姉妹が朝食を持っていき、その姿をさらに上流階級のローリーが窓から覗く場面(要するに身分や階級の壁を越境している)や、ジョーとローリーが出会い(舞踏場から一歩足を踏み入れた部屋のなかで彼女たちは出会う)、中の人に気づかれないようにバルコニーでダンスする姿、あとはジョーやお父さんが帰ってくる場面の開扉もそうだし、ベスが回復し、一方では亡くなってしまう一連のシーンもわざわざベスをいったんベッドから退け、ジョーが階下のダイニングを「覗き伺う」行為にドラマを宿している。そうした境界線を越える/越えない描写の積み重ねによって、彼女たちの多様な関係性が徐々に炙り出されていくのである。

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長女は服飾、次女は文学、三女は音楽、四女は絵画と芸術一家の四姉妹が非常に愛らしいのだけど、なかでもジョーの「書く行為」に授けられたメッセージはやはり見逃すことができない。ちなみに、長女が生地を買ったり売ったり、三女がピアノを弾いたり弾けなかったり、四女が「三流の画家になるくらいならキッパリとやめてやる」と言い切ったりと、本作においては「人物と芸術」の関係性の描き方も丁寧で、特に長女の「生地を買ったり売ったり」だとかは一見無駄な動きに見えて、案外重要なストーリーを紡ぎ出していると思う。

そのなかでもジョーの「書く行為」に絞ると、彼女の作品は友人に否定されてしまったり、編集者にも大幅に削られてしまったり、あるいは妹に焼かれてしまったり散々な目にあっている。それでも彼女は書くことを諦めず、最後には『Little Women』を出版するに至る。彼女の「書く行為」のなかでも最も重要だと感じたのが、ローリーに想いを伝え直す終盤の手紙の場面。結局あれは、坂元ドラマ的な「届かなかった手紙」として漂流し、自らによって破り割かれてしまうわけだ。そしてその「書いても自分の本当の想いは相手に届かない」というのは、彼女がこれまで文学をやってきたなかでの記憶とまったく合致する。

それでも、というか、そうだからこそ、彼女は最後に物語を紡ぎ出すのだろう。そのことは、決して取り戻せない過去の時間や離れ離れになってしまった関係性を越境する行為にも繋がるだろうし、一方向に規定されない自由な女性の生き方をいつまでだって追究し続けるジョーの姿勢を言い表しているだろう。もう元には戻らない時間と、その愛おしい過去を自らの言葉で語り直し、その言葉を強く抱きしめて明日を生きていくある女性の話。書く行為に託された美しさやたくましさにもちろん僕としては心を鷲掴みにされてしまった。

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2020年5月のカルチャー雑記①リアリティショーとお笑い

 

信じられないスピードで情報と流行が入れ替わる現代にあって、今回のコロナは強制的に時流にストップがかかるいい機会だと最初の頃は楽観視していた。でもそんなことはあり得なくて、排水溝をなくした浴槽のなかに水が流れ込み、そして溢れ出ていくのをただただ黙って見ているしかないのが現実だった。自分の心のなかも同じで、毎日毎日何かについて思考を巡らせているのだけど、なんか吐き出し方がわからないというか、吐き出すことにまったく意味を感じないというか、かなり混乱していた。そうこうしているうちに世界はまたとんでもない早さで動き出して、そのスタートダッシュをし損ねてしまった気がする。世界にも自分にも、多くの悲しみがあり、怒りがあり、死があった。現在進行形で。もちろんネガティブなことばかりなんかでは決してなかったんだけど、負の力はすぐに正(生)の力を覆ってしまう。苦しかったのは、そんなときいつもなら助けてくれる愛するカルチャーが、正常な形をしていなかったことだ。というよりも、カルチャーを含むいろんなものに対して、その歪な原型に盲目だったのかもしれない。だからこそ今月も、カルチャー日記を書きそびれてしまいそうになりながらやっぱりカルチャーに向き合わないといけない。まとまった文章を書く気力と勇気が今はないので、3つのエントリーに分けて思考の断片を撒き散らします。①リアリティショーとお笑い、②リモート映像作品の救い、③恋の囚われとヴェンダースと。

テラスハウス』に出演していた木村花さんが亡くなってしまった。このことに対してもしかしていちばん許せなかったのは、「彼女がSNSで誹謗中傷を受けていた事実」を僕が全然知らなかったことかもしれない。(これはテラスハウスメンバー全員なのだけど)TwitterInstagramもフォローしてなかったから、事の残酷さに気づくまでにいくつかのネット記事で経緯を辿る時間が必要だった。いち視聴者としてはここで、「コンテンツにはのめり込んでいたけどそれと出演者の人生は別個のものだと思っているから、出演者が亡くなったことは寝耳に水だった」と開き直ってスルーすることができるかもしれない。でもそれはただ無知をひけらかすだけで、きっといちばん卑怯なことだと思う。実際、花さんがSNSに苦しんでいる描写はおそらく作品中にはほとんどなかったものの、彼女以外の他のメンバーがそれで深く傷ついている描写はこれまでにも嫌と言うほどたくさんあった。そして僕はそういう番組構造であることを承知したうえで、外(SNS)の世界だけを捨象してただ作品にのめり込んでいた。僕はテラスハウスが大好きだったし、出ている人たちも大好きだった。そして好きすぎてリアルサウンドで月に一回レビューを書いていた。にも関わらず、テラスハウスと他のコンテンツの最も差別化できる部分であり、いちばん劣悪な点でもあった「SNSが番組に強い影響を及ぼしていた悲惨な事実」を、僕はただの一度も書くことができなかった。山ちゃんの声が大きくなりすぎて危険だ、みたいなことしか書いてなかった。マジで馬鹿。

書くことを決めずに書き出しているから話が変な方向にいってる気がする。とりあえず自分はどうしようもない馬鹿だって話で、それについてまずは反省し尽くす時間が必要なのだけど、それと同時にテラスハウス以外にも危険なカルチャーがあることを認めなければいけない。SNSが劣悪なものだというのは周知のなかで、そのSNSが強く影響を及ぼしてしまうカルチャー。アイドル、YouTube、お笑い…。SNSで知り合ったファンにグループの内部情報を話してしまったあのアイドルのことをどうしても思い出してしまうし、ずっと見過ごされてきただけだったことが明らかになったあのラジオ番組の失言も、10年前に聴いてた時にはなにも疑問を浮かべなかったのだろうと思う。テラスハウスの山ちゃんの発言も、やっぱり聞いてて「ん?」と思うことは多々あったから、それがたとえお笑いに昇華されていようと少なからずよくない影響を及ぼしていたことには違いない。カルチャーと個人はSNSがある以前から互いに影響を及ぼし合ってきた。それもグラデーション的な心の変化を与えるものとして。良くも悪くもカルチャーがないと生きていけない自分は、その存在の危うさに常に向き合っていかなければいけない。いま最も危ないな、と思いながらも強く引き込まれているのがお笑い。なにも考えずに笑えるのがいちばん楽しいに違いない。でもいつだって、ふとした瞬間に覚える違和感には敏感であらなければならない。もう2度と大好きな人とカルチャーを失わないために、変わり続ける世界のなかで取り残されてしまったカルチャーのあり様を監視し続けなくてはいけない。

あとSNSはみんなやめたほうがいい。140字で政治を語ったり批判したりすることはできても、政治を批判してる人に反論したり、その人にまた反論したり、そんな建設的な会話ができると思うなよ。僕にはもう、Twitterの政治論争は戦争にしか見えない。頼むから自分の近くにいる人と徹底的に議論を交わしてくれ。嫌なら毎回1万字くらいの反論でやりあってほしい。そんなこと言ったってそんな未来はきっと訪れないのだけど。