縞馬は青い

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映画とかドラマとか、好きなもの

寄生虫は輪廻のなかを蠢く/ポン・ジュノ『パラサイト 半地下の家族』

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(※物語の展開・ラストにがっつり触れるレビューなのでどうか観賞後にお読みください)

 

「計画を立てると必ず、人生そのとおりにいかなくなる。絶対失敗しない計画は、“無計画”であることだ」

本作においてさまざまな人物から発せられた「計画はあるの?」という問いかけに、キム・ギテク(ソン・ガンホ)は諦念にも似た上記の回答を示す。計画は崩れ去ってしまうものなのだから、そんなものには意味がない。「誰が今日、体育館で寝ることを計画のなかに含んでいたのか?」と。

とは言っても、キム一家による大豪邸への“寄生計画”は極めて順調に進んでいたと言っていいだろう。疑い深い観客としては、「うまくいきすぎではないか?」と訝ってしまうくらいだった。4人全員がパク一家に迎え入れられ、次なる一手はギウがダヘと結婚することか、と未来計画を立てていたところだ。大豪邸のリビングで一時の幸福感に包まれていたそんなおりに突如、計画を阻む輩=前家政婦のムングァンが進入してきたことでいとも簡単にその計画は崩れ去ってしまう。ただし、私たちはここである事実に気づきはしないだろうか? このムングァンと地下に居つくその夫こそ、「計画を阻まれた側の存在」であるということに。だって、キム一家が寄生することがなければ、ムングァンは何ごともなく家政婦を続け、彼女たちは一生この家に世話になることができたのだから。キム一家の計画を阻んだのはムングァンだが、それ以前に、ムングァンの計画をキム一家が阻んでしまっていたという辛い事実がそこには横たわっているのだ。

そして無視してはいけないのが、彼ら以外にも計画を阻まれている人間がいるということだ。言うまでもなくそれはパク一家のことである。寄生されていること自体がもちろん計画にはないことだが、最も無計画を象徴するのはあの忌まわしいクライマックス、息子・ダソンの誕生日を「サプライズ」で祝うために、母がギジョンにケーキ運びを充てがう場面だろう。そこで予想外にも包丁をもった男が現れ、ダソンは気絶し、最終的に夫は殺されてしまう。誰も救われない、誰もお互いを救うことができない、地獄のような展開である。

そうして無残にも計画が無為になってしまったものたちは、この厳しい世界を“くだる”しか道がなくなる。キム一家は街を降り、あるいはギテクは地下室で警察からの追手を防ぎ、ムングァンは地下室から上にあがってこようとするも、ギテクの妻・チョンソクによって蹴落とされてしまう。一家の大黒柱を失ったパク一家にしても、これまでと同じ生活が送れるとはとても考えづらく、階層を下ることを余儀なくされるに違いない。

圧倒的に裕福な家庭だったパク一家のことを一旦脇に置いておくとして、同じく階層の下方にいるパク一家とムングァン夫妻がなぜ互いに手を取り合うことができなかったのか。

「自分が上にいると、下にいる人間が見えなくなる。」それこそが本作の最大のテーマであり、人間の業が生み出す根の深い問題であるように思うのだ。机の下にキム一家が隠れていることに気づかず、パク夫妻はイチャつきだしてしまう。下界では大洪水が起きた次の日も、気持ちいい朝を迎えている。一方でキム一家も、まさか地下室に人が住んでいるとは思いもせず、自分たち家族のことだけを考えて寄生計画に励んできた。そしてムングァンは、キム一家の正体を知るといきなり豹変したように彼らを脅しはじめ、悠々と地上で夫の肩を揉むに至る。そこでまたキム一家からの反逆に遭い、最終的には地獄のクライマックスにつながっていき……。

地獄の誕生日会から息子を連れて逃げ出そうとする大豪邸の主人・ドンイクは、ギジョンが刺されていることに目もやらず、早く運転してくれ、早く鍵をよこせ、と言う。災害時において一家の家長が家族を守ろうとするのは当然のことなのだが、(一応)招いた客であるギジョンを見捨て、鼻をつく匂いにだけはなぜか敏感な姿。それを見たギテクは衝動で彼を刺し、自らもまた大豪邸を後にしようとする。*1

実は本作、オープニングでかかる音楽と半地下の家を下方向にパンしていく映像が最後の最後、ラストシーンでも全く同じ構造になっており、そこから『パラサイト』という映画自体が「円環構造」を成していると読み取ることができる*2。キム一家は半地下の生活に戻り、あの豪邸に住むことを再び「計画」するのだ。その計画が成功するかどうか。本作を観ていれば、とてもじゃないけど成功するとは思えない。階層を上ることは不可能、あるいは階層を上がろうとすれば他に苦しむものが出る、と伝えるしんどすぎるエンド。この輪廻から抜け出すにはどうすればいいのか。その答えを安易に提示しない(もしくは答えなんてないのかもしれない)のが本作の巧さであると思う*3

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*1:螺旋状の階段を下っていくあの前後の場面の「日光」と「影」の演出が見事で、真上から捉えたその映像は、ギテクの「影」だけが日向を動いていたり、螺旋状を一度上にあがってすぐに下がったり、これまでの展開を絶妙に表象してみせている。この「日光」と「影」というのは、入らない半地下/強く射し込む大豪邸の庭、と階層の対比においてもたびたび明示されてきたものだ。

*2:大豪邸の玄関にある階段も地下シェルターと繋がる階段も螺旋状をしていて円環を想起させる。そして登場人物たちは何度もそこから滑り落ちてしまう。

*3:赤鉛筆(脈拍)、唇、偽造文書のハンコ、梅シロップ、タバスコ、犬用ジャーキー……。侵入を暗示し、血を連想させる“赤”も本作においてすごく印象的だった。いやしかし、とにかくすごい。社会派映画でこれほどまでにエンターテインメントを指向できた映画はないだろうし、演出・脚本の教科書としても最適なテキストだと思う。よくできすぎているのが、唯一の欠点。一部Twitterではそうした指摘があるし自分もそう思うけど、こんなにイマジネーションが膨らむ映画、そうそうないんじゃなかろうか。個人的にはめちゃくちゃ好みの作品です。

*4:パク・ダヘ役のチョン・ジソがかわいすぎました。ていうかみんな顔がよかった。