縞馬は青い

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ノア・バームバック『マリッジ・ストーリー』|その言葉で変わってしまうほど過去はヤワじゃないはず

言葉はいとも簡単に過去を改変してしまう。ときに痛々しく、またあるときには優しく包み込むように。そうした「言葉の鋭敏さ」をひしひしと痛感させられるのが、『マリッジ・ストーリー』という映画がもつ魅力(、あるいは恐ろしさ)のひとつだと思う。

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◆言葉が物語る幸せな日々

本作では少なく見積もっても4度、そうした「言葉の鋭敏さ」に登場人物たちが翻弄される場面が訪れる。

その1度目は言うまでもなく、かつて愛した結婚相手の好きなところをメモに書き出した冒頭シーン。ずっと観ていられるし、言葉をすべて書き出したいくらい愛に溢れたあの心和む場面である。ミルクボーイのネタみたいになってしまうけど一部抜粋すると、ニコール(スカーレット・ヨハンソン)は「気まずい場面で相手を気遣える」「家族の問題に関しては常にうわて」「家族の髪も切る」「贈り物のセンスがいい」「負けず嫌い」、そして「僕が一番好きな女優だ」。一方チャーリー(アダム・ドライバー)は、「意思が強い」「苦行のようにいっぱい食べる」「節約家」「家事が得意」「負けず嫌い」「イヤになるほど子煩悩」、そんなよき父親。

実際には、あの言葉たちは紙に書き出されたままで読まれることがなかったものだ。無機質で、感情が宿ることのない言葉。しかしそこは映画がもつ奇跡の産物か。“いつか読まれること”を期待するかのように、言葉と映像は巧みに「彼らの結婚生活における幸せな時間」を再現し、私たち観客を一瞬で引きつけていく。本編をすべて観終わってから改めてこの冒頭を眺めると、“生活のいいところだけ”を切り取っているということもなんとなくわかってしまう。でも「伸びっぱなしになったチャーリーの髪」と「それを切ってあげるニコール」、「節約家、家事の得意ぶりを発揮するチャーリー」や、何よりもお互いに「負けず嫌い」な姿は後々の場面にも随所で覗かせている。そんな“いいところ”の印象が徐々に薄れていってしまうのが、このあとに展開される離婚劇の怖さだ。

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◆脚色のないニコールの本音

「言葉の鋭敏さ」を物語る2度目はそのあとすぐ、ニコールが弁護士のノラ(ローラ・ダーン)を訪れ、チャーリーの不満を漏らす場面。

ノラ「もう少し詳しく事情を聞かせて 私たちはあなたの話を語るんだから」

ニコール「説明するのは難しいわ 愛がないとかいう単純な話じゃない」

簡単な言葉で言い表すことはできない。そう前置きしながら、ニコールはチャーリーとの出会いから結婚生活、劇団やチャーリーへの不満、離婚を決意した理由までを訥々と振り返り、溜め込んでいた感情を放出していく。ここで語られることがなんの脚色もない彼女の本音なのだろうということは、スカーレット・ヨハンソンの等身大の演技を観ていればわかるだろう。

ニコール「私は夫の活力にエサを与えていただけ」「私はだれかの所有物」「夫は私を見てない 独立した人間として見てない」

冒頭で語られる日々のささやかな幸せにも決して嘘はないけれど、離婚を決意するに至るまでのフラストレーションが溜まっていたのも事実としてある。その複雑に混じり合った過去と決別するためには、「ささやかな幸せ」の方を切り取って捨ててしまう必要があったことは言うまでもなく、弁護士のノラを媒介として「不満の言葉」がさらなる鋭さを携えてチャーリーに突きつけられることになる。

それが離婚調停の場面につながり、応戦するためにチャーリーも荒手の弁護士(レイ・リオッタ)を雇うことに。そこからはもう、切なすぎる「言葉の刺し合い」のような展開が続く。

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◆刺し違える言葉と言葉。そして、生きている

「言葉の鋭敏さ」改め、「言葉の刺し合い」が激化する3度目の場面。それはニコールがチャーリーの家に訪れ、「もう一度私たちだけで話し合えるかも」と、離婚調停の振り出しに戻ろうとするシーンだ。結論から言うとその試みは失敗し、壁は凹み、チャーリーは泣き崩れる。「なんてことだ……」。かつて愛した人に思わぬ暴言を投げかけてしまったチャーリーがそう漏らす場面の苦々しさたるや……。

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「言葉」はそれだけに、過去を丸ごと否定してしまうほどの威力をもつ。しかし『マリッジ・ストーリー』という映画の真価が発揮されるのは、その言葉になんとか抗おうとする彼らの姿を捉えている点にあるように思う。複雑な想いが混じり合った過去を、その混じり合った状態のままに記憶しておくという努力。映画はあらゆる過去を肯定し、「Being Alive」、“生きているんだ”と甲高に訴える。

Someone to hold me too close.

Someone to hurt me too deep.

Someone to sit in my chair,

And ruin my sleep,

And make me aware,

Of being alive.

Being alive.

このアダム・ドライバーの歌唱も非常に胸を打つ場面である。ニコールやヘンリーとの身長差もあってのことか、その身体性が時おり浮き彫りになっていたチャーリー。離婚の通達を受けた際やノラからの電話で弁護士を立てろと催促されたとき、彼はなす術もなく呆然と立ち尽くしてしまう。その大きな身体がニコールとの大喧嘩によって縮こまってしまったり、不意に腕を傷つけて横たわってしまったりする場面にこそ、彼の愛らしさが表出されているだろう。そんなチャーリーが心から湧き出るように歌う歌。人との関わりは煩わしいこともあるけれど、だからこそ生きているんだ、と実感する、これも過去と現在を全肯定してみせるシーンである。

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◆抗うことで届く手紙

この映画には救いがある。泥沼の離婚劇を描きながらも『マリッジ・ストーリー』と銘打ってみせるように、「離婚」ではなく「結婚生活」にスポットライトを当てた本作は、ニコールとチャーリーによる言葉への抗いをもってしてやがて救いとなる奇跡を生む。ニコールが「チャーリーの好きなところ」を書き出したメモを、ヘンリーが拙い発音で読み上げる場面だ。いや、あれは奇跡などではなく、本作の流れからすれば当然の帰結だったのかもしれない。ヘンリーの目の届く位置にあの紙が置いてあったのだとすれば、その前にニコールが読んでいたとほぼ断定できるから。ニコール→ヘンリーと介してチャーリーへと届く「手紙」。

ヘンリーが一つひとつ丁寧に読み上げ、あの無機質な言葉たちにじわりじわりと感情が乗りはじめる、その映画的快感。それは「言葉の温かさ」に気づく瞬間でもあるかもしれない。言葉は簡単に、過去を否定/肯定することができうるけれど、複雑な想いが混じり合った過去を一方向に規定することなんてできっこない。できないでいてほしい。過去は過去としてあり続け、「生きている」実感を得る手助けをしてくれる。そう踏ん切りをつけられればようやく、私たちは未来を見据えて歩き出すことができる。

長い道のりを画面の奥へと車で走り去っていくチャーリーの画をもって本作は終わりを迎え、そして人生はずっと先へと続いていく。

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