縞馬は青い

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山田テルコはひとり静かに越境するーー映画『愛がなんだ』におけるアシ(足)をなくしたテルコについて

 

「山田さん、うちくる?」

マモちゃんはそうキラーワードを放って颯爽とタクシーに乗り込み、「世田谷代田まで」と運転手に告げる。そして窓越しにおいでおいでのサインを受けたテルコは、エサに飛びつく犬のようにタクシーへと吸い込まれていく。

呼び出された瞬間からまるでマモちゃんの家へと終着することが運命付けられていたかのようなテルコの自然な身の運び。同じように、呼び出されて追い出される冒頭シーンにおいても、缶ビールというエンジンを手にして夜の街を歩きながら、その道の果てしなさに滅入ったテルコはついに葉子へと電話をかけ、葉子の指示どおりに高井戸方面へとタクシーを向かわせる。このようにして他人に依存しながら移動するテルコの姿はある種、自我が欠落しているようにすら映る。そう、山田テルコという女性は常に自らのコンパスを見失い、“アシ(足)がない”存在として描かれているのだ。彼女はいつまでも、ひとりでに歩き出すということに意味を見出すことができない*1

 

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それを最も示唆するのは、ポスターに使用されているこのジャケット画像のふたりの姿だろう。このポスター画像の裏話については舞台挨拶などでも度々語られているようだが、僕が聞いたアフタートークでは、編集段階でうまくハマらなくなって不採用になってしまった場面なのだと今泉監督が明かしていた。結婚式のパーティで知り合った夜に、ヒールが折れて歩けなくなったテルコをマモちゃんがおんぶするという場面を実際に撮っていたのだという。要するにあの夜からテルコはアシをなくし、マモちゃんに身を委ねることを決めてしまったのである。


すべてを飲み込んでしまうテルコが徐々に言葉を吐き始める

マモちゃんという迷路に迷い込んでしまったテルコは一度たりとも彼への不満を漏らすことなく、反対に、“すべてを飲み込んでしまう”存在として克明に描写されていく。それは、単に言葉を飲み込む*2という意味だけでなく、文字どうり食べ物や飲み物を飲み込む飲食シーンの多さにこそ現れているだろう。例えば、同僚の女性に「いまどき男でクビって」と言われたあとに「そうだよねぇ」とヘラヘラしながら答えてビールをゴクリと流し込んだり、年越しは餃子がいいと言った本人だけがなぜかいない場所で、日本酒と餃子を交互に口に入れたり、「(マモちゃんは)結局自分系じゃん?」とすみれに言われたあとそれでいいのだと言わんばかりにパスタを吸い込む場面などに刻み込まれている。マモちゃんがいるいない以前の問題にも思えるが、とにかく悲しいことにテルコは、目の前にある現実を飲み込むことをシいられてしまっているのだ。

 

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そうして成されるがままに身を運び、すべてを飲み込んでしまっていると、テルコ(や鏡像関係にある仲原)の望む現状維持という目標にも暗雲が立ちこめるように。いつのまにかマモちゃんにはすみれさんという好きな人ができていて、仲原は葉子との関係に見切りをつけてしまっている。そうするとダンマリを決め込んでいるわけにはいかなくなり、この理想と現実との歪みを受けて、テルコはついに心のうちにあった言葉を吐き始めるのだ。

「幸せになりたいっすね!」と言う仲原には「うっせぇバーカ!」と語気を荒げ*3、葉子にはあなたがやっていることは父親と同じことだという、おそらく一番葉子にとっては辛いだろう(しかし的を得た)批判を浴びせる。その言葉は葉子を経由しながらも、結局マモちゃんを通してテルコへと伝えられることになるのだから、これほど皮肉的なことはないだろう。「俺たちちゃんとしよう」と、体調を崩して思考回路が鈍ったテルコにそんなパンチが打ち込まれる。そこで用意されるのは、重ったるい味噌煮込みうどんなどではなくやさしい味の醤油煮込みうどんであるから、やはりテルコは飲み込まざるを得ない状況に陥ってしまうのだが。ここに来てようやく彼女は気づいたのではないだろうか。マモちゃんのいない人生など想像することができないと。失ってなるものかと。だから必死で未来へとつながる言葉を取り繕って、どうか飲み込んでくれとマモちゃんには多い方のお茶を手渡す。その目論見がどうやら成功したらしいということは、お茶を飲み込み、うどんを一口すするマモちゃんの姿にこそ表れているのだろう。

「そうまでしてマモちゃんにくっついていたいの?」と自問自答して「そうだよ」と自信を持って答える姿に、もはや過去の自我の欠如したテルコの面影は見当たらない。オリの向こう側へとひとり静かに越境し、象にバナナをやっているラストシーン。もう、オリのこちら側へと戻ることはできないということを示唆しつつも、その佇まいはこれ以上ない自身で満ち溢れている。テルコの想いは今もまだ、マモちゃんへと注がれ続けているのだ。

 

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*1:すみれのことをラップ調でディスったあとにマモちゃんの言葉が蘇ってくる場面や、朝早く起こされて土鍋を抱えている場面など、行き場を失って立ちすくんでしまう姿もとても印象的。

*2:テルコの心のうちを表すナレーションの多さも今泉作品では珍しく感じる。33歳になったら会社辞めて飼育員になると言ったマモちゃんに、テルコは泣き、理由は告げない。

*3:鏡像関係にある仲原は別れ際に唾を吐く。