縞馬は青い

縞馬は青い

映画とか、好きなもの

あるかなきかの窓辺 どら焼きの予感/杉田協士『春原さんのうた』

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転居先不明の判を見つめつつ春原さんの吹くリコーダー

ちくま文庫『春原さんのリコーダー』より)

この原作短歌だけを頼りに映画を観ていると、気づいたらこんなところまで来ていた。どういう道を辿ってここまで来たのか、果たして言語化できるだろうか。

カフェの2階にある窓際の席で、ふたりが外を眺めている。その視線の先には五分咲きくらいの桜の木。「満開になったらまた来てね」と店員に言われ、沙知は「はい」と応えるも、その後彼女と春原さんが同一フレームに存在することは永遠になくなってしまう。すぐ次のカットはベランダにいる春原さんと、部屋の中から彼女を見る沙知。まさしくフレームを隔てて窓のあちらとこちら側にいるように、手の届かない存在になってしまうふたり。これは分たれた沙知と春原さんの物語。喪失感を一緒に背負えないまわりの人たちは、みんなとんでもなく優しく彼女たちのことを見守っている。観客もまた、4:3の画面アスペクト比で撮られたこの映画を、窓から外を見つめるように鑑賞することになる。

原作の示す「転居」は、この映画では3つ存在している。まず日高さんという人が宮崎の実家に帰り、次にその部屋に沙知が住むことになり、のちのち沙知は春原さんに葉書を送ると、「転居先不明の判」を押されて返ってきてしまう。日高さんの転居と、沙知の転居と、春原さんの転居。沙知の転居理由だけがこの映画では明確にされていない気がする。いや、春原さんがどこかへ行った理由も明確にされていない。彼女たちはなぜかもといる場所から「動いた」。動いた場所から葉書を出して、動いていたから届かなかった。その「移動」の連関は、終盤の船上にまで続く。

また原作の示す「リコーダー」は、3人の人物によって吹かれる。まず沙知の叔母である妙子が押し入れの中にあるソレを見つけて吹き、次にその持ち主である日高さんに近い人物・幸子が吹き、最後に沙知が転居先不明の葉書を弔いながら吹く。劇中で春原さんが吹くことはないけれど、たぶんおそらく彼女も過去に吹いていたらしい。隠れていた妙子はリコーダーの音で剛おじさんに存在がバレる。幸子のリコーダーは眠っていた沙知を起こす。だとすれば、沙知のリコーダーの音も春原さんに届いただろうか。

この映画といえばどら焼きの存在も忘れがたい。叔父さんも叔母さんも、3つずつどら焼きを持ってくるのは意図的だろうか。自分と沙知、あと沙知の大事な人へ向けて捧げられているように思う。叔父さんが唐突に泣いてしまうのは、その大事な人の存在を近くに感じたからだろうか。3つのケーキを持ってきた友だちの翔子は「自分が食べたかったから」と言っていたけど、この場合はそのままの意味で受け取っていいのかな。この映画で唯一、沙知がひとりで何かを食べるシーン、それは春原さんへ葉書を書いたあとに食べるどら焼き。あるいは妙子が、どら焼きを食べる沙知を写真で撮る瞬間の沙知がとてつもなく幸せそうに頬張っている姿を見るに、どら焼きは存在の予感を覚えさせる。

「撮る」行為は6度出てくる。去り際の日高さんが撮る沙知の写真、大学の課題で学が撮る沙知の映像、希子が撮るアイスを食べてる沙知の写真、沙知が撮る迷い人の写真、妙子が撮る沙知の写真、学が撮る沙知が風林火山の書をしたためる映像。留め置いておきたいという衝動のもとで撮られているような数々。ただ、撮られた写真の中にいる人と私は、どうしても過去と現在に分たれてしまう。窓を挟んだあちらとこちらみたいに、写真の中と外がある。ふだん映画を観ていると、ほんとうにその人が存在していそうと思えたり、スクリーンのなかに吸い込まれて同化してしまうような感覚に陥ることがあります。『春原さんのうた』を見終えたあとに舞台挨拶にいろんな役者さんが登壇していて、ああ生きてるんだなあと思ったと同時に、彼女たちの個人的な体験と映画とのシンクロ話を聴いていると、ふいに涙が滲んだ。この映画でもある場面で窓に映像が投影されたとき、そこに映るものの「存在」が、「そのとき存在していた」と「いまも存在している」を往復する。カメラ・写真・映画を取り払った目の前に、あなたがいる。写真・映画のなかにも、あなたが生きている気がする。カメラは「あるかなきかの存在をあらわにする窓」になる。『春原さんのうた』という窓と、劇中に登場するカメラという窓、二重に窓があり、その最前には私たち観客がいる。観客一人ひとりが存在している。

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「移動」が連動していく映画である。春原さんの旅立ちと日高さんの引っ越しに連なって、沙知は転居する。道に迷っている人に声をかけて案内すると、その人の思い出深い場所に辿り着く。予告なしに突然訪れる剛おじさんは、バイクに乗せて沙知を外に連れ出していく。ラストに向けて沙知と翔子は、北へ北へと歩みを進める。

夜が明けてやはり淋しい春の野をふたり歩いてゆくはずでした

ちくま文庫『春原さんのリコーダー』より)

これは東直子さんの原作短歌集『春原さんのリコーダー』に記されている歌のひとつ。冒頭に記した原作短歌の、ページを挟んだちょうど裏側にこの歌があって、杉田監督はこれを裏原作のように思いながら本作を撮っていたという。ポスターのスチール写真にもこのイメージが用いられている。「転居先」の短歌が春原さんの存在を留め置いた歌で、「夜が明けて」の短歌が沙知の今を切り取った短歌のように思える。そのふたつの短歌はまた隔てられているものの、お互いに作用し合う。

ふたりで一緒に歩いていくこと、移動していくことは叶わなかった。でも、ともに歩んできた道筋は、今もまだはっきりと見えるような気がします。窓は隔てているけれど、あなたの存在は常に感じている。リコーダーが届いたお返しなのか、あなたからさっちゃんの歌が聴こえてくる気がしました。私は不意にどら焼きが食べたくなる。観葉植物に水を与えて、残った水を自分にもやりました。桜が咲いて、蝉がじりじり鳴いて、ちょっと風が強くなってきた。また日が経てば、あの木に桜が咲くでしょう。

劇場を出て、電車に乗って、家に帰ると、僕は元いた場所からずいぶん遠くに移動している気がした。どら焼きが食べたい。そんなこんなで生きていきます。

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©Genuine Light Pictures

2021年のお気に入りポップカルチャー66

f:id:bsk00kw20-kohei:20220109143312j:plain2021年に見たお気に入りです。新作映画は別エントリーに記しました。だいたい順不同。

bsk00kw20-kohei.hatenablog.com

 

1.ハロー!プロジェクトのライブ/行ったやつ:『Hello! Project ひなフェス 2021 Juice=Juiceプレミアム』(21.3.27@幕張メッセ)、『Hello! Project 2021 秋「続・花鳥風月」風公演』(21.11.23@パシフィコ横浜 国立大ホール)、『Hello! Project Year-End Party 2021 ~GOOD BYE & HELLO ! ~ Juice=Juiceプレミアム』(21.12.31@中野サンプラザ)/配信:『アンジュルム コンサート2021「桃源郷笠原桃奈卒業スペシャル~」』、『Juice=Juice Concert 2021 ~FAMILIA~ 金澤朋子ファイナル』、『モーニング娘。'21 コンサート Teenage Solution ~佐藤優樹 卒業スペシャル~』ほか
www.youtube.comグループの単独コンサートのチケットは取れないものが多かったけど、ハロプロ箱推しだから案外ハロコンだけで心が満たされている。でも今年はJuice=Juice単独観にいきたい。

 

2.カネコアヤノのライブ『ライブナタリー “カネコアヤノ×ハンバート ハンバート”』(21.4.8@めぐろパーシモンホール 大ホール)、『カネコアヤノ 日本武道館ワンマンショー 2021』(21.12.8)、「boidsound映画祭 in 新文芸坐 Vol. 2 『カネコアヤノ Zeppワンマンショー2021』」(21.12.30@新文芸坐


www.youtube.comついに全くチケットが取れなくなってしまった人。2021年は幸運だったのかもしれない。


3.坂元裕二『大豆田とわ子と三人の元夫』、『坂元裕二 朗読劇2021「忘れえぬ 忘れえぬ 風間俊介×松岡茉優」』(21.4.21@よみうり大手町ホール)realsound.jp坂元裕二のドラマを超えるテレビ番組はここ10年生まれていない。

 

4.Netflix『セックス・エデュケーション シーズン1〜3』f:id:bsk00kw20-kohei:20220108162424j:image物語のために登場人物たちが動かされるのではなく、一人ひとりが意思を持って動くことで紡がれるドラマ。今後ストーリーやギミック先行のドラマ・映画を見れなくなるかもしれないくらい素晴らしかった。

 


5.『M-1 グランプリ2021』とりわけ予選の侍スライス、スナフキンズ、空前メテオ、軍艦、ヨネダ2000、人間横丁、レインボー、滝音、準決勝のロングコートダディ、敗者復活戦のマユリカ、本戦のランジャタイ、真空ジェシカ


www.youtube.com準決勝を配信で観たときに、ロングコートダディは「肉うどん」で優勝すると確信した。ダメだったけど。12月19日、いちばん笑ったのは本戦ではなく敗者復活戦のマユリカ疑惑がある。今年はマユリカポッドキャストを聴こう。


6.『M-1グランプリ2021決勝体験ライブ』とりわけランジャタイ(21.12.23@配信)
www.youtube.com1年前も観たけどこのライブまじで本戦に負けず劣らずすごい。「決勝に行けなかった芸人が、偽巨人師匠=プラス・マイナス兼光などモノマネ審査員の前でネタを披露する『決勝を擬似体験するライブ』」だったのが、決勝に出場しているのにこっちにも参加する者がなぜか増え続け(今回は5/10)、会場は∞ホールから草月ホールへグレードアップ。こうなるとガチライブなのかイロモノライブなのかわからないのだけど、その受け止め方がコンビによっても違うのが面白かった。真空ジェシカとランジャタイはお笑い好きに向けてとことんふざけてみせた一方で、他のコンビは真面目にネタをやっていた。コンビの色でしかないのだけど、前者の対応力は好きになってしまう。

 

7.『キングオブコント2021』とりわけ男性ブランコボトルメール
www.youtube.com年末の単独ライブの配信チケットを買ったけど時間がなくて見れなかった。今年は生で観れますように。

 

8.ロングコートダディ「単独ライブDVD『じごくトニック』」、『滝沢カレンの秘密基地』

滝沢カレンと醸し出す空気がよすぎたので一緒に番組やってほしい。

 

9.空気階段『anna』

 

10.玉田企画『サマー』(21.5.22@下北沢・小劇場B1)f:id:bsk00kw20-kohei:20220108163150p:plainこのタイトルのせいで内容が一瞬思い出せなくなるけど、大事なデータを消しちゃった玉田真也演じる役の開き直った顔は忘れられない。

 


11.ダウ90000(「テアトロコントspecial/コントライブ『夜衝』」「第二回本公演『旅館じゃないんだからさ』」21.9.26@ユーロライブ)
www.youtube.com

 

12.遠野遥『教育』

この文体の虜です。

 

13.島口大樹『鳥がぼくらは祈り、』

有害な父親の影響下で育った4人の少年が絶望の将来をどう生きていくか。縦横無尽に4人を横断する文体が肌に馴染んできてからがとても刺激的。

 

14.乗代雄介『旅する練習』

ものを書くという処世術。

 

15.チェ・ウニョン『ショウコの微笑』

女性同士の友情の話に弱い。表題作は変なところで号泣してしまった。『偶然と想像』第3話もそうだけど、出会ったほうがいい人たちが、出会うべくして出会う物語には尊さがある。

 

16.オカヤイヅミ『白木蓮はきれいに散らない』

こちらも女性同士の友情を描いた作品。このマンガに出てくる50代の女性たちは、自分の母親でもある。

 

17.増村十七『バクちゃん』『ムー・タウンの子供たち』

2015年初版の『ムー・タウンの子供たち』を最近読んだけど、この頃からテーマは変わらない。でも絵柄が『バクちゃん』では圧倒的にポップになっていた。

 

18.松本大洋『東京ヒゴロ』

熟年の漫画家と編集者の青春の話。思えば老いることについてずっと考えてしまっているのは、自分の30代以降の姿がまったく見えないからだろうな。

 

19.ひうち棚『急がなくてもよいことを』

2年ぶりに実家に帰って、親や友だちとほんとうに有意義な時間を過ごした。帰りの新幹線はやっぱり混んでいて、ぱんぱんの自由席の通路に立つことになったけど、運よく途中で隣の席に座っていた人が降りたので座らせてもらった。横に座っていた母娘と思われるふたりが同じように上を向いて眠っていた光景がなんかよかった。


20.和山やま『女の園の星』

群像劇は物語の中の多様性を可能にする。

 

21.今村夏子『むらさきのスカートの女』『こちらあみ子』

遠野遥と今村夏子の小説を同系統の興味から手に取っている気がする。それをまだ言語化できない。

 

22.津村記久子『君は永遠にそいつらより若い』

坂元裕二を感じた。ホリガイさんとイノギさんは、『カルテット』のすずめちゃんと巻さんのよう。

 

23.清水宏風の中の子供』(21.4.25@新文芸坐)f:id:bsk00kw20-kohei:20220108164303j:plain子どもが子どものまま映し出されている、清水宏の子ども映画をもっと観たい。

 

24.ホウ・シャオシェン『冬冬の夏休み』(21.5.3@k’s cinema)f:id:bsk00kw20-kohei:20220108164519j:plain


25.レゾ・チヘイーゼ『ルカじいさんと苗木』(21.2.21@シネマヴェーラf:id:bsk00kw20-kohei:20220108164355j:plain

世界にはまだこんなに美しい映画があった。

 

26.『現代アートハウス入門  ネオクラシックをめぐる七夜』で観た作品、とりわけビクトル・エリセミツバチのささやき』(21.1.30@ユーロスペース)、佐藤真『阿賀に生きる』(21.2.4@ユーロスペースqjweb.jp現代アートハウス入門」は、映画監督や評論家による60分近い解説付きの古典映画の上映イベント。ラインナップにはけっこう難解とされている映画も多くかったけど、ほとんど毎回、「映画の見方がわからない」という観客からの質問が寄せられる(そして司会の方が拾ってくれる)敷居の低さがよかった。

 

27.『ケリー・ライカートの映画たち 漂流のアメリカ』@シアターイメージフォーラムで観た4作品、とりわけ『ウェンディ&ルーシー』と『ミークス・カットオフ』f:id:bsk00kw20-kohei:20220108164708j:plain

 

28.クシシュトフ・キェシロフスキ『デカローグ デジタル・リマスター版』(21.4.10@シアターイメージフォーラムf:id:bsk00kw20-kohei:20220109142155j:image

 

29.大前粟生『おもろい以外いらんねん』


30.野地洋介+生湯葉シホ『元気が足りないラジオ』open.spotify.com


31.『アキナのアキナいチャンネル』とりわけ「【シーズン2】三重県伊勢志摩エバーグレイズ編」
www.youtube.com


32.ほりぶん『これしき』(21.7.28@花まる学習会王子劇場)f:id:bsk00kw20-kohei:20220108165412j:plain

 

33.『ある結婚の風景』(U-NEXT)f:id:bsk00kw20-kohei:20220108165518j:plain

 

34.NHK渡辺あや『今ここにある危機とぼくの好感度について』f:id:bsk00kw20-kohei:20220108165659j:plain

 

35.ロロ『vol.9「ほつれる水面で縫われたぐるみ」vol.10「とぶ」』(21.7.3@吉祥寺シアター)、『Every Body feat.フランケンシュタイン』(21.10.16@東京芸術劇場シアターイースト)f:id:bsk00kw20-kohei:20220109133232j:plain

 

36.テレ朝、岡田惠和『にじいろカルテ』f:id:bsk00kw20-kohei:20220109133358j:plainrealsound.jp


37.TBS、宮藤官九郎『俺の家の話』f:id:bsk00kw20-kohei:20220109133627j:plain

 

38.日本テレビ金子茂樹『コントが始まる』realsound.jp


39.『あんあん寄席〜100分SP〜』とりわけ忘れる。(21.9.23@野方区民ホール)f:id:bsk00kw20-kohei:20220109133909p:plain


40.『K-PRO大旋風』(21.4.18@西新宿ナルゲキ)とりわけスタンダップコーギー

スタンダップコーギーほど一回性を体現する漫才師はいないだろうな。観れてよかった。


41.『マヂカルラブリーno寄席』

 

42.諫山創進撃の巨人

 

43.真造圭伍『ひらやすみ』


44.NHK『100分de萩尾望都

 

45.『かが屋の!コント16本!2』

 

46.『明日のたりないふたり

 

47.岸政彦『断片的なものの社会学

 

48.はてなブログ「anomeno」

自分は書けないときはほんとに書けないし何も発せなくなるときがあるのだけど、約半年の間、感情をうねらせながらほぼ毎日綴られていたあなたの日記が救いでした。考えるだけでなく書くことはやっぱり大事だと思えて、ブログでもtwitterでもない私的な場所に日記を書くようにしていた。それでもなかなか続かないけど。


49.上野千鶴子鈴木涼美『往復書簡 限界から始まる』


50.『文學界 2022年1月号』


51.映画『リトル・ガール』のパンフレット


52.北村紗衣『批評の教室』

 

53.エリック・ロメール「四季の物語」シリーズ

夏にメルカリで2万くらい出してDVDボックス買った。廃盤だからこれでも安いほう。ロメールは3年以内にぜんぶ見たい。


54.木皿泉『すいか』

 

55.村上春樹『女のいない男たち』


56.渡邊克幸『春を告げる町』(21.3.13@CINEMA Chupki TABATA)

2021年見た映画で一番心を掴んで離さなかった。思えばドキュメンタリーを多く見た一年だった。「でもどう伝えていったらいいでしょう。考え出したら、わからなくなりました」


57.山田太一『ながらえば』(日本映画専門チャンネルにて)f:id:bsk00kw20-kohei:20220109135535j:plain

 

58.岡田茉莉子主演、井上和男『熱愛者』(21.12.21@新文芸坐f:id:bsk00kw20-kohei:20220109135623j:plain

 

59.『さらば青春の光Official YouTube
www.youtube.com


60.伊藤沙莉エッセイ本『【さり】ではなく【さいり】です。』


61.カナメストーン「クモ退治」
www.youtube.com2021年のM-1は3回戦で敗退してしまったけど、そのあとの彼らの漫才がラジオやYouTubeに近い掛け合いになっていて、みるみる美しいものになっている。このネタの入りが好き。「俺らさ、よく零士の部屋でネタ合わせするじゃんか。その部屋でさ、ちっちぇえジャンプするクモがめっちゃ出てくるじゃん。あれなんか目障りっていうか気になるからさ、駆除してもいいのかなって思うけどなんか駆除しないじゃん。あれ次までにちょっと駆除しといてな」


62.銀兵衛「エビチリ」
www.youtube.com見たかった。解散しちゃった。


63.モグライダーファミコン
www.youtube.com

 

64.ABC『〜人生密着トークバラエティ!〜やすとものいたって真剣です』

 

65.Amazonプライム・ビデオ『バチェラー・ジャパン シーズン4』

初めて見たけどある種の気持ち悪さも含めて面白く見てしまった。

 

66.荒井裕樹『まとまらない言葉を生きる』

 

以上。

 

途中で完全に力尽きてしまって、とりあえず並べるだけ並べた。2021年リリースの創作物に限ってベストを選ぶと、①『セックス・エデュケーション』シーズン3、②坂元裕二『大豆田とわ子と三人の元夫』、③島口大樹『鳥がぼくらは祈り、』、④遠野遥『教育』、⑤諫山創進撃の巨人』、⑥ロロいつ高ファイナル、⑦HBO『ある結婚の風景』、⑧ひうち棚『急がなくてもよいことを』、⑨岡田惠和『にじいろカルテ』、⑩玉田企画『サマー』、でした。

 

My Best Films of 2021 - 魔法の時間について

f:id:bsk00kw20-kohei:20211229000303p:image映画の中に流れる時間が好きだ。それはだいたい、自分の場合ゆったりしすぎているか緊張感に溢れているかのどっちか。『サウンド・オブ・メタル』という映画で、ある日突然 耳の聴こえが悪くなってしまったドラマーの男が、聴覚障がいの少年と出会う。絶望の果て、荒んだ心に希望の兆しを与えてくれるのは、その少年との束の間の交流。滑り台で交わされるそのコミュニケーションには、もちろん言語はない。音もない。でも、滑り台をドラムに見立てて主人公がトコトコ叩くことで振動は少年に伝わり、それとともにもっと大きな何かが人の間を伝導した瞬間が映っていた。そういう瞬間が好きで映画を見ている。

何かが伝わってしまうときに生まれる二者間の緊張感、あるいは何もかもわかりあえないときの、離れすぎて緩みきった糸のようなもの。後者については『夏時間』という映画でいちばんに感じた気がする。映画に流れる時間というのは、現実に流れる時間と微妙に違うか、あるいは現実が濃縮・拡張されたものであるがゆえに、暗闇の空間から出た瞬間にその豊かな時間のことを忘れてしまう運命にあるのがなんとも哀しい。映像は思い出せても時間のことを思い出すのはとても難しいから「映画を観ていたその時間がすごくよかった、幸せだった」と言うほかないのだけれど、特に好きだった20の作品とともにその時間のよさ具合を、鑑賞してからかなり時間が経過した今の自分の視座から言語化してみたいと思う。

 


20.土井裕泰『花束みたいな恋をした』f:id:bsk00kw20-kohei:20211229223047j:image坂元裕二は「言葉」の人であり、これは紛れもなく坂元裕二の映画だ。この映画では、麦と絹の心の一致もすれ違いも、非言語的な映像ではなく会話やモノローグなどで言葉にされる。しかしそのすべてが軽薄にしか聞こえなかったのはなぜなのか、ずっと考えていた。坂元裕二はこのふたりのこと、絶対好きじゃないと思う。でも嫌いでもないと思う。彼らの軽薄さが幾度となく自分と重なり合った瞬間にゾッとした。ゾッとしつつも、救われたのかもしれない。

19.アミール・“クエストラブ”・トンプソン『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』f:id:bsk00kw20-kohei:20211229000935p:image知らない人たちが歌う歌を聴いている。ほんと誰も見たことない、聴いたこともない。それなのに響いてしまう魂の歌唱は、「革命」と呼ぶにふさわしい圧倒的な熱量を携えていた。

18.ジェーン・カンピオン『パワー・オブ・ザ・ドッグf:id:bsk00kw20-kohei:20211229084809j:image偽りの紐帯を取っ掛かりにして、あらゆる側面から男性性なるものにアプローチしている、現代的なカウボーイ映画であると思う。揺らぎ続けるカンバーバッチとコディ・スミット=マクフィーが美しい。

17.カーロ・ミラベラ=デイビス『Swallow/スワロウ』f:id:bsk00kw20-kohei:20211229201648j:image「飲み込む」という日本語には、肯くとか受け入れるという意味もある。この映画がまず面白いのは、ビー玉やイヤリングといった物品を次々と口にやり飲み込んでいく主人公の姿が、クソ夫の言うがままになんでもかんでも受け入れざるを得ない状況を表出していることだ。受け入れるしかないから飲み込む。それは彼女にとっての紛れもない処世術。マチズモの恐怖が美しすぎる映像とともに綴られている。

16.吉田大八『騙し絵の牙』f:id:bsk00kw20-kohei:20211229085955j:image出版社の権力闘争の描写は結局エンタメ的なデコレーションでしかなく、この映画が真に描くのはひとりの編集者が世界と対峙し、日常に歓びを見つけていくまでのバイオリズムだ。それは冒頭1分ほどの映像が示す通り。徹底徹尾、松岡茉優の映画。松岡茉優に合う映画が多いのか、松岡茉優が映画を飲み込んでしまうのか。

15.斎藤久志『草の響き』f:id:bsk00kw20-kohei:20211229090139j:image映画芸術荒井晴彦氏が、和雄(東出昌大)の青年時代のように見えるから青年パートを導入に持ってこないでほしかったと言ってたけど、それでええやんけと思う次第。ゴダールともロメールとも違う女1男2のトライアングルがふたつできて、どうしようもなく結びついてしまったのがあの映画だ。夜の闇のなか3人が並走する場面は、和雄が青年たちの未来であるかもしれないから哀しくも微笑ましかった。原作では「ユー・キャント・キャッチ・ミー」と宣言して走り去っていった男が、人の心には触れられないとわかりながらも触れようとする、その不器用な衝動に心が動かされた。

14.ホン・サンス『逃げた女』f:id:bsk00kw20-kohei:20211229090223j:image冒頭が特に好きだ。友人の家を探してふらついていると後ろからその友人が声をかけてくる。その髪型変ね、なんて言ったその次のセリフでは、でも似合ってるよ、なんて言ったりする。お酒はあんまり…なんて言った次の場面ではその人の顔は真っ赤だ。なんてチグハグで愛おしいんだろう。キム・ミニが発する「夫が言うには……」というミルクボーイ的言い回しが彼女の語彙を剥奪しているのも微笑ましかったけど、明らかに何か芯を見つけたような最後の顔もまた綺麗だった。

13.横浜聡子『いとみち』f:id:bsk00kw20-kohei:20211229090427j:image駒井蓮の発話のたどたどしさ。言葉にならない感情があるから彼女は三味線を鳴らしてみた。あなたの声が聴こえないからもっと熱心に聴こうとしてみた。共通言語がない世界で生きる私たちのお守りみたいな映画。

12.濱口竜介『偶然と想像』f:id:bsk00kw20-kohei:20211229090605j:image古川琴音が発する「いまきたみち引き返してもらっていいですか」を号令のようにして、みんながみんな、きたみち引き返しあの人に振り返って歩いた道歩き直して。ぜんぶ偶然でしかないのに、それは必然となって、他の取りこぼしたものは想像で補完する。第1話の度重なる偶然のいたずら、第2話のメールを送るまでの必然、第3話の想像のエチュード。偶然と必然と想像からなる、忘れられない一日の連なり。身体的接触よりも言語的交感のほうをエロティックに撮る濱口竜介。ただただ話が面白い。

11.藤元明緒『海辺の彼女たち』f:id:bsk00kw20-kohei:20211229090710j:image技能実習制度を利用して日本に出稼ぎに来た3人のベトナム人女性が主人公。彼女たち同士の距離感とほとんど同じめちゃくちゃ近い位置にカメラマンがいて、その切迫した映像のことが強く心に残っている。嫌な日本人に怒られながら、ふたりがひとりを庇おうとする場面とかの、日本映画にありがちな作為的な感じの全くないリアリティとかもはやドキュメンタリーみたい。政治批判に振り切らないのも絶妙で、とにかく表情を捉えようとしていたのがよかったと思う。3人の女優がほんと素晴らしい。

* * *

10.エリザ・ヒットマン『17歳の瞳に映る世界』f:id:bsk00kw20-kohei:20211229093031p:image『海辺の彼女たち』との共時性を感じる。希望を失った拳は自らの腹に打ちつけられた。あるいはその手は、男性の性的搾取の恰好の的となった。再び手が開かれ、なんども手と手が繋がれるまでを描くこの映画が、唯一捉えられなかった赤子の手。ただただ世界は残酷であるけど、まだひとりじゃない。

9.沖田修一子供はわかってあげない』 f:id:bsk00kw20-kohei:20211229093503j:image田島列島の漫画には独特のリズムがあると思っている。それは、セリフに加えフキダシの外に書かれた小さく軽やかなテキストによって実現されている。沖田修一の映画にはリズムなんてまったくない。現実の時間に溶け合ったようなマイペースな映像が流れている。これは沖田監督の映画だから田島漫画のリズムは再現できない。でも美波ともじくんの蛇行する掛け合いとか、美波の友だち役の湯川ひなさんが発する「アデュー」という挨拶、もちろん先生モノマネの「なっ」も含めてまた新たなテンポが生まれてしまった瞬間に心をときめかせた。これぞ好きな時間、過ごしていてしあわせな時間。

8.リドリー・スコット『最後の決闘裁判』f:id:bsk00kw20-kohei:20211229091955j:imageラブロマンス、時代劇アクション、ミステリー、とさまざまなジャンルを横断する映画でありながら、最終的に大いなる闇がジャンルのエンタメ性を覆い尽くしてしまうのがすごい。終盤はセカンドレイプが繰り返されるただただ絶望の映像でしかなく〈最後の決闘裁判〉なるものも、どうせどっちが死んでもしんどいんだからお前らいいから早く決着つけろよと思わざるを得ない展開。ジャンルの転倒、馬の転倒、息子の転倒……終盤の転倒劇は、男性優位が転倒する予感だけをひとまずは示す。マット・デイモン&ベン・アフレックの脚本(&ニコール・ホロフセナー)、監督はリドリー・スコットであり、おじさんたちがこういう映画を撮ってくれるのはうれしい。

7.ダリウス・マーダー『サウンド・オブ・メタル 〜聞こえるということ〜』f:id:bsk00kw20-kohei:20211229092417j:image冒頭に書いたこと以外のことを言うならばやはり終わり方の素晴らしさに尽きるのだけど、それはさすがにネタバレになるので伏せる。どれもそうだけど、この映画ほど映画館で観ることに意味がある作品はないと思う。耳はち切れそうになるほどの音のうるささとかを体感してほしい。

6.岨手由貴子『あのこは貴族』f:id:bsk00kw20-kohei:20211229092507j:image門脇麦高良健吾に初対面する場面の明らかに一目惚れしてる目の感じとかまずめちゃくちゃかわいいのだけど、そう思ってしまうのは彼女のことを舐めてたからであって、いちばんカッコよかったのは終盤の自立に向かう一連だった。6車線くらい挟んだ向こう側の歩道にいるふたり組と手を振り合うシーンとか、ふだん声が小さい彼女が大声で水原希子を呼び止める場面とか、ボーダーを飛び越えていく感じがひたすら気持ちいい。上流階級を垣間見る異世界ものとしても面白いけど、実は此方と彼方は異世界ではないのかもしれないというオチも秀逸。鑑賞時はラストの解釈を間違えていたみたいだけど、あの笑顔は生きていることの証明に他ならなかった。

5.首藤凛『ひらいて』f:id:bsk00kw20-kohei:20211229092600j:imageコミュニケーションのアプローチとして、山田杏奈の行動は最悪で最高である。最悪な部分は、同じ属性の萩原聖人が体現しているとおり。最高の場面もまた、萩原聖人がかまぼこと包丁を持ってきたところで、衝動的に山田杏奈がビンタしたシーンに該当するだろうか。この最高具合を言語化するのがめちゃくちゃ難しいのだけど…。とにかく包丁が出てきた瞬間に、それは誰かから血が出るための道具だと思ってしまった*1。でも、ビンタ。自分勝手が世界を救うこともある。その強さってなんか憧れちゃう。芋生悠さんは今後素晴らしい映画にしか出てほしくない。

4.ユン・ダンビ『夏時間』f:id:bsk00kw20-kohei:20211229092824j:image弟に盛大に八つ当たりして泣かせてしまって、そのやり過ぎた具合に哀しくなって自分も泣いてしまって。おじいちゃんの家で過ごすゆるやかな夏の時間に、思い出すことのない情けない瞬間がたくさん詰まっていて、ぜんぶがなぜだかあのときの自分には心に沁みた。このとてつもない何気なさ、しかし心の中ではいろんなことが渦巻いている愛おしい映画について、この愛おしさをわかる人がいるといいなと無邪気にも望んでしまう。

* * *

3.今泉力哉『街の上で』f:id:bsk00kw20-kohei:20211229092804j:image2019年10月13日に初めてこの映画を映画祭で見て、1年以上ずっとこの映画のことを考えていた期間がある。だから衝動的に今泉監督にDMして会ってみて、あれこれ聴いてみた時間もあったことがもはや懐かしい。なぜそんなことができたのかいまの自分には理解できないけど、それこそが『街の上で』が描き出す、巻き込み巻き込まれる魔法の時間によるものなんだと思う。「まだ時間あります?明日早いですか?」から始まる関係があるのもまた人生のいたずら。

2.小森はるか+瀬尾夏美『二重のまち/交代地のうたを編む』f:id:bsk00kw20-kohei:20211229092753j:image東日本大地震に縁遠い20歳前後の若者が岩手県陸前高田市を訪れ被災者に被災体験を聴いて、その話を今度は自分の言葉で語り直すまでを追うドキュメンタリー。瀬尾さんの著書も熟読したし、都写美で開催中の展示(2019年に台風被害に遭った宮城県伊具郡丸森町の被災と復旧の語り継ぎ)にも行って、このユニットの活動には強く賛同している。その一方で、『二重のまち』を手放しで絶賛していたときに会社の同僚に指摘された「被災体験を語らせるのは暴力的ではないか」「2週間はあまりに短いと思う」という意見もずっと胸につかえてきた。また違うドキュメンタリーだけど、トランスジェンダーの7歳の子どもを描いた『リトル・ガール』を観てパンフレットを読んだときに、映画執筆家の児玉美月さんが「マイノリティ属性の個人が、マジョリティ属性の大多数の「学び」や「気付き」のために(も)、その身体を、生活を、人生を曝すこと……。そこには受容や承認などのポジティブな効能だけでなく、必ずマイノリティ属性側に「傷つき」があり、非均衡な構造的力学が働いている。」と語っていて、そこでまた考えが改まった。改めて本作に立ち返ると、小森監督のアプローチはかなり適切だと感じる。物語をつくるために過度に協力者たちの生活を映すことはないし、やはりこの映画はあくまでも4人の若者を中心に据えている。2週間という短さに、4人が、そして観客がどう向き合うのかというのは、彼女たちの語り直しから各々に受け継がれていく命題だ。

1.濱口竜介『ドライブ・マイ・カー』f:id:bsk00kw20-kohei:20211229222848p:image
f:id:bsk00kw20-kohei:20211229222856p:image
濱口竜介が実際に製作現場で実践しているワークショップや本読みという「準備」、あるいは演劇という「本番」を映画の中にそのまま取り込んでしまう『ハッピーアワー』や本作は、「映画をつくることの意味」みたいなものも含めていろんな文脈が重層的に折り重なりすぎて並のボキャブラリーではそのよさを言語化するのが難しいのだけど、とかく終盤の岡田将生から発せられる言葉には心臓が飛び出るほど心拍数が上がる実感があったし、三浦透子と犬が映るショットの強度にはまんまと感動した。ストーリー構成としては「一度壊れたものに、もう一度正面から向き合い、設計し直す」という濱口映画のいつものテーマの変奏でしかないのだけど、この映画は尋常じゃなくハイコンテクストであるのがやはり魅力的なのだろうか。その複雑さを、観ていたあの瞬間だけは感覚的に「わかる」。わかっていた。時間と心象が3時間かけて徐々に降り積もり、やがて心の奥深くの感情が抉り取られる。コミュニケーションはこうやって時間をかけて育んでいくしかないと身に沁みる体験。

 

* * *

  1. ドライブ・マイ・カー
  2. 二重のまち/交代地のうたを編む
  3. 街の上で
  4. 夏時間
  5. ひらいて
  6. あのこは貴族
  7. サウンド・オブ・メタル 〜聞こえるということ〜
  8. 最後の決闘裁判
  9. 子供はわかってあげない
  10. 17歳の瞳に映る世界
  11. 海辺の彼女たち
  12. 偶然と想像
  13. いとみち
  14. 逃げた女
  15. 草の響き
  16. 騙し絵の牙
  17. Swallow/スワロウ
  18. パワー・オブ・ザ・ドッグ
  19. サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)
  20. 花束みたいな恋をした

* * *

コロナ禍の昨年と比べても新作映画の鑑賞本数が減ってしまった今年だったけど、代わりに素晴らしい特集上映にたくさん行けた一年だった気がする。そのあたりについては、よかったドラマ、演劇、小説などとともにまた違うエントリーに記したい。昨年のベスト記事に書いた今年の目標を幸いにも実現してしまったので、2022年はどうしたものか。ブログも含めて映画評をあまり書けない一年だったからそれを改善したいのと、好きだと思った映画にインタビューや批評で存分に関わりたい。5〜60年代の日本映画をもっと夢中に貪りたいのと、フランス映画に詳しくなりたい。来年もいい映画に出会えますように。杉田協士『春原さんのうた』、松居大悟『ちょっと思い出しただけ』は傑作なのでぜひ。

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*1:いま思い出した。芋生さんが出てた『ソワレ』がそういう感じだったから、包丁がミスリードとして機能していることに妙に感動したんだ。

ゆっくりしたい(2021年12月12日)

スナフキンズが『M-1 2021』3回戦と準々決勝で披露したネタより抜粋。

「いきなりなんやけど、今度合コンあんねんけど、くる?」

「(食い気味に)いく〜〜〜」

「はや〜〜」

「え、行っていいん?」

「ええよ」

「まじで?」

「おん」

「(両手を高く上げて)やったぁ!!! 合コン行ける〜〜〜ラッキ〜〜」

 

「来週の土曜日なんやけど」

「え、来週の土曜日?」

「おう」

「うわ最悪やぁ……俺その日無理や…予定入ってるわ…」

「まじで?」

 

「ちなみになんやけど、その予定って、なんの予定入ってんの?」

「あぁ…その日はちょっと………ゆっくりしようかなぁと思ってて…」

「え? …ゆっくり?」

「うん、家でゆっくり」

 

「いや、ゆっくりって、具体的になにすんの?」

「…それ本気で言ってる? いやいやいや、そんなんいちいち決めてたら、ゆっくりできひんから!!」

「いやでも、ゆっくりってそんなんいつでもいいやん! 他の日にーー

「俺は!! 来週の土曜日に!! ゆっくりしたいのお!!!!!」

スナフキンズはちょっと前にコントのネタで初めて見たのだけど、着眼点がほんとうに素晴らしくて好きなコンビだ。このネタも初めて見たとき大爆笑した。合コンに誘うやつと、誘われてけっこう嬉しそうなやつ。でも来週の土曜日は「ゆっくりする」という予定があるからどうしてもいけないんだ。「ゆっくりしたい」という言葉を発するときのボケの松永の動きが赤ちゃんみたいになってしまうのは、その切実さと人間の本来あるべき姿を物語っている。抜粋した内容のあとにツッコミの朝地が「子どもやん」とたしなめるように、この松永は幼児の心情に戻ってしまっているともとれるのだけど、「目的もなくゆっくりする」ということの尊さを僕はこれを見て思い出した。

 

文學界』の最新号が面白いとの噂で初めて買ったのだけど、哲学者・國分功一郎×オードリー・若林正恭の対談がほんとうに面白かった。ライターか編集者が付けたのだろうけど、対談のメインキャッチは「目的もなく遊び続けろ」。これが端的に内容を現している。スナフキンズのネタをまた唐突に思い出したのはこの対談を読んだからだった。

いまの大学生は忙しすぎる、もっと暇をつくるべきだ。という話の流れから、若林が『タモリ倶楽部』の収録で出会った「漁の投網をきれいに投げられるように、公園で練習している人」の話をする。若林は「これ、魚が取れたときが快楽の絶頂のところじゃないですか。なんのためにやってるの」とその人に質問したらしいのだけど、そうするとタモリさんに怒られたんだと。

若林「実際に自分で投げてみてよさが分かりました。なかなかうまくいかなくて、あ、今のが一番きれいだってなると気持ちいい。投網は魚を取ることを目的としているはずであるけど、そこではもう投網という手段だけが残ってるんですよね。」

國分はこれに対して、ヴァルター・ベンヤミンという人が言っていた「目的なき手段」という言葉を引いてみる。

國分「公園での投網は目的なき純粋な手段ですよね。何の目的も達成しない、ただの手段。つまり遊びですよね。でも遊びを忘れたら、人間はダメになっちゃう。」

若林「言葉を喋る前の赤ちゃんがずっとティッシュを出しているのとかありますよね。それが楽しい。いないいないばあとかもそうだし、手段だけっていうのは人の根源的な楽しみなのかもしれないですね。」


この1か月間くらいほとんど休みもなく働いていて心底疲れていたからか、久しぶりの休みだった土曜日の朝にゆっくりしながらこれを読んでいて妙に心に刺さってしまった感じがある。ちょっと前に自分の毛が抜け落ちて禿げる夢を見たのだけど、恋人にその話をしたら「夢占いでは心身共に疲れていることの現れ」だと言われた。占いは信じないけど、実際ごはんも適当だし睡眠は取れてるけど毎日終電で会社から帰って酒飲んで無理やり寝て起きてたから明らかによいサイクルではなかった。僕は元来的にゆっくりしつつサボりつつ生きていきたい性分だからなおのこと、この状況への恨みがありつつも、仕事はとりあえず終わるまでやるしかないから頑張っていた。それでようやくひと段落したタイミングで恋人とディズニーシーに行く予約を平日にしていたから無事に行って楽しんだ。雨風が激しかったのは残念だったものの、ひさしぶりにはしゃげたと思う。その次の日くらいに今度は恋人が禿げてる夢を見てしまってそのことも伝えたのだけど、ハッとして夢占いを見てみると、恋人への気持ちが薄れつつある証拠、とかいう文章が出やがった。まったくそんな自覚はなくてむしろ大好きなのだけど、この夢のことは彼女に伝えるべきではなかった。きっと夢占い調べるだろうから。忙しさよりもこういうのがいちばんしんどい。でもきっと忙しいから余裕がなくて結果的にこんな状況になってるに違いない。とにかくゆっくりしたいんだ。とりあえずこういうものが書ける状態になってよかった。

ポップカルチャーをむさぼり食らう(2021年9月)

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キングオブコント2021、神聖なくだらなさ

今回の大会に関してだけ言えば、僕はとにかくくだらないコントが好きだった。とにかくいい大会だった。R-1とは比べ物にならない、あらゆる点で完成度の高い番組。オープニングのあの音楽の感じ、今泉監督だからトリプルファイヤーなのかと思いきや、くるりの「アナーキー・イン・ザ・ムジーク」という曲だったらしい。めっちゃトリプルファイヤーみたいで『サッドティー』のとある場面を思い出した。『コーヒー&シガレッツ』オマージュの映像がおしゃれで、イワクラさんの表情とかめっちゃいい感じだった。

好きだったコントについて書き留めたい。男性ブランコ1本目。1番の衝撃でした。冒頭の浦井さんのいい声ナレーションが良すぎた。ただ、ああいう長台詞を最初にぶっこまれると頭が追いつかなくてちょっと入りにくいのだけど、その後の一発目の平井さんの発声が完璧だった。あの展開、〈ちょっとわからない→めっちゃわかる〉というギャップによって笑えたような気がする。それは終盤も同じくで、暗転も場面展開もせずに「ここまでは妄想だった」と見せてから、もう一度平井さんの完璧な発声を被せる。ここにも、〈ちょっとわからない→めっちゃわかる〉の流れがあった。ぜんぜんわからないわけではない。どういうふうに物語が進むのか、ちょっとだけわからない浮遊感が絶妙なのだ。その笑いの構造・形式は、自ずと男性側の〈出会う前の不安感→人となりを知って大好きになる〉という心理描写にも重なっている気がする。その平井さんの発声が出オチかもしれないと不安はよぎったけど「ゆうてるばあいかー」が最高すぎてずっと死にそうなくらい笑った。あの動きを今すぐ人の前でやりたい。男性ブランコはあまり知らないコンビだったから、これから力を入れて推していきたいです。この出会いが賞レースの醍醐味。

ニッポンの社長。6月に難波のよしもと漫才劇場へ足を運んだ際にたまたまあのバッティングセンターのコントをやっていたのを見て、そのときは座席から転げ落ちそうになるくらい笑った。そのときと同じくらいかより新鮮に爆笑した。ニッポンの社長こそとにかくくだらない。くだらなさすぎてむしろ美しい。上半身のねじり方、ケツの表情、膝のねじり方、ケツの表情、左打ちのフォーム。めちゃくちゃ神聖で馬鹿馬鹿しい。ニッ社はこれくらいセリフが少ないコントが好きだし、松っちゃんがなんか言ってたけどテンポなんてぜったい詰めないでほしい。今回、ほとんどのコンビ・トリオのネタが説明ゼリフをめちゃくちゃカットしていることにも後々気づいて素晴らしいと思った。ニッポンの社長は来年優勝します。

うるとらブギーズ。ちょっと前までYouTubeにあのネタがアップされていて、10回くらいは見たと思う。定菱は笑いたい日の救世主だった。その映像はおそらく数年前の舞台で撮られたもので、ウケかたがハンパないし、うるブギのふたりもノリノリで、めちゃくちゃ幸福だった。今回、ちょっと硬いように見えたのと、冒頭の佐々木さんがちょっとだけやかましく聞き取りずらかったのと(すみません)、八木さんの笑いそうで笑わないけど結局笑ってしまう表情の機微が存分に発揮されていないように感じて(彼のインスタに上がってるたくさんの動画を見てほしい)、大好きなネタだからこそモヤモヤしたし悔しかった。うるブギ優勝予想だったもんで。でもParaviで見返したら純粋に爆笑できて、やっぱり最高の出来だったのかもしれない。惜しかった。平場が苦手なコント職人は尊い(でもニューヨークチャンネルでのふたりを見てると相手によっては平場もぜんぜんいけるに違いない)。

そいつどいつもめちゃくちゃ面白かった。床拭くところ怖すぎておかしすぎ。ザ・マミィの1本目のコントの切り口も素晴らしすぎた。

設定の凝り具合、キャラクターの強さ、ドラマ性。あくまでもだけど、今大会に関してはぜんぶ弱いコント(要するに、セットは簡易で設定も凝りすぎず、キャラクターは強すぎずリアリティもあり、ドラマ性は薄めで総じてくだらないコント)のほうが好きだった。ただ、何度も見ると、男性ブランコのシンプルなドラマ性の高さにめちゃくちゃ感動する。(おそらく)文通相手の文字の具合から性格を想像している、省略された前置きの可愛さとか。くだらなく、また想像すれば奥深くもある振り幅が、素晴らしいコントの条件だとすれば、やっぱり空気階段は圧倒的にかっこよかった。1本目の審査のあと、松っちゃんの後ろで泣いている女性がいてグッときました。『anna』をもういっかい見返そう。「メガトンパンチマンカフェ」のもぐらの長台詞が大好き。語り足りないし、みんなが語りたがるキングオブコントって最高。

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■許されるならこの贅沢をいつまでも

9月はふたつのお笑いライブに行った。月初には神保町よしもと漫才劇場へ。お笑いライブに行くといつも驚くのは、面白すぎること。異常に笑ってしまうし、椅子から滑り落ちるのを止めるのにたいへん(頻繁に滑り落ちたくなる)。こんなもの行きまくっていたら中毒になるに違いない。

僕が行ったのはいろんな芸人がネタを披露するいわゆる一般的なネタライブで、しっかりネタを見たことがなかった令和ロマンと9番街レトロが目当てだった。神保町は7年目までくらいの芸人しかいないので非常にフレッシュ。全組面白すぎてビビったのだけど特によかったのは前述の2組と、素敵じゃないか、色彩わんだー。色彩わんだーはスタンダップコーギーみたいになる瞬間がカオスでよかった。令和ロマンと9番街レトロはレベチ…。なかむらしゅんのツッコミがふにゃふにゃしながらも強くてクセになる。

月末には「あんあん寄席〜100分SP〜」というライブへ。野方にある中野区野方区民ホール。家からバスで3分の位置、速すぎて帰りは降り過ごした。いつの日かの『anan』に取り上げられたメンツで構成されたライブらしい。シシガシラ、カナメストーン、忘れる。、サスペンダーズ、令和ロマンの5組。1本ずつネタをやって、それがだいたい40分くらいで、残った60分は企画をやるという時間構成狂ってるやつ。2本ずつネタを見たい気がしたけども、結果的に企画がめちゃくちゃ面白かったので満足です。カナメがいると面白いよなー。サスペンダーズのボソボソっとした感じもたまらんし、いじられるシシガシラと忘れる。たちも愛らしい。そしてこのライブの新発見は、忘れる。でした。漫才がめちゃくちゃ面白い。もっともっと見たい!もっと!ニューヨークとカナメストーンの同期として名前はちょいちょい聞いてたけど、こんなに面白いならたぶん彼らと並んでくれるに違いない。うるブギやこういったメンツを世に出すためにもニューヨークには頑張ってもらわないといけない。

お笑いライブではないけどダウ90000の演劇本公演『旅館じゃないんだからさ』にも足を運ぶことができた。ユーロライブ、9月26日昼の回にて。これは革命でした。おそらく今年のあらゆるカルチャーのベスト10には入ってくる。最高、爆笑、涙。ビデオ屋という設定の哀愁と、8人いるキャラクターのバックグラウンドの濃さ、小気味いいワードが降り続くテンポのいい会話劇と、真面目な場面の抑えたテンポとのギャップ。なによりも、今回の主演、園田祥太さんの表情と声のボリュームとかっこ悪さが素晴らしすぎた。めちゃくちゃ笑ったあとに、図らずも泣きそうになるシーンがあって、それはひとえに演技力によるものかなと。金子大地をもっと風情ある感じにした顔をしている園田さんなので、こりゃひとりで売れてしまうかもしれない。あと、こういった若い劇団の面白いのは、作・演出家と演者がお互いの弱点を補い合い、強みを引き出しあいながら成長しているように見えるところ。要するに成長過程な感じ。今回は第二回本公演、第一回本公演も今はVimeoで配信されていて、こういう生まれたての才能を最初から追える機会はなかなかないのでそういうもの好きな多くの人に見られてほしい。10月17日まで配信中。男4:女4という、大学インカレサークル感(もともとそうなんだろうけど)がツボで、YouTubeのラジオもちょっとずつ聞いて本格的にファンになりかけている。配信でもう一回見てちゃんとレビュー書きたいなぁ。

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■忘れられないけど忘れてしまう生活の断片

***

仕事で大学生に取材することがよくあり、その日も経営学を学ぶ大学2年生に、主に大学でどういうことを学んでいるのかを聞いた。こういった取材では、事前に質問シートをメールで送って、大まかに回答を書き込んでもらったものを確認した上で取材に挑む。そのシートのなかに「コロナ禍で授業はどう変わりましたか?」という質問があった。彼女が答えたのはこんなようなこと。入学してから対面授業をほとんど経験していないけど、まわりには起業した人やインターンを始める人がいるから、私もついていこうとがんばっている。与えられた環境で精一杯自分にできることをやる。でも、大学に行って、たわいもない会話をするという普通の大学生活も送ってみたい。ーー特に最後の回答に胸がきゅっとなった。取材の際にもそのことに触れると、実際、入学してから今までで2回しか対面授業を経験していないと彼女は言っていた。原稿にこの内容を書くスペースはまったくなかった。

***

大学からの深い仲で今は同じ街に住んでいるのに、半年に一回くらいしか会わない(=連絡もとらない)友だちがいる。ちなみに大学生のときはほぼ毎日一緒にいた。そいつから夜に急に電話がかかってきて、「PS2ってはらちゃんに返したっけ?」と言われた。大学生のときに貸したっきり返してもらってないし、ぜんぜん返していらないからあげたつもりでいたやつ。「いや、返してもらってないんちゃう?」とか言っていたら、ごそごそと何か掻き分ける音がするなか「あーあったわぁ」と嬉しそうに発見を報告してくれた。「懐古厨やから」って言ってた。そのまま会おうやーってことになって、次の日にお茶しに行った。お互いの彼女についての話になったときに、その友だちが彼女と性行為をしまくっているという話を前に聞いていたので、「やりまくって子どもできんようになー」とかなんとか適当なことを言ってしまったと思う。詳しい語尾の感じとか言い方とかは忘れてしまったけど、とにかくその言葉に対して彼は、ちょっと前に彼女が妊娠して、堕した、という話をした。「知り合いにこの話したらめっちゃ怒られたわ」とも苦笑いしながら言っていた。僕は肯定も否定もしたくなかったので、相槌を打ったり大変やったなぁ、彼女がつらいやろなぁとか返していたと思う。やっぱり怖いという電話があって、仕事を引き上げてすぐに会いに行ったその日のこと、たまに思い出して彼女が泣くことがある、そんな話もしていた。奇しくも『透明なゆりかご』というドラマを観ている最中だったけど、僕は何も言えなかったし、何も言わなかった。

***

休日の昼前に家を出ると、数軒先のアパートの2階から大爆音で音楽が流れていることに気づいた。まわり2軒先くらいまでは響き渡りそうな感じ。でもそれが演歌か歌謡曲っぽい音楽だったのとめちゃくちゃ秋の涼しい天気とマッチしていて不思議と不快ではなかった。アパートは網戸になっていて、完全にあそこから聞こえているとわかった。部屋の中もちょっと見えてしまったのだけど、阪神タイガースの横断幕とか帽子的なものが見えた気がする。夕方帰ってくると、依然として音楽が垂れ流されていた。ちょうど通り過ぎたときに「あまぎ〜〜ご〜え〜〜」と鳴り響いた。それから2週間くらい、あの部屋の窓は閉め切られていてもう音楽は聞こえてこない。その日きりのことだった。

******

生活の断片というものは、すぐに記憶から忘れ去られてしまう。それでも、残り続けるものがある。岸政彦『断片的なものの社会学』を読んでから心に何かが残りながらもどうしようもなかったことをいくつか書いてみた。だからなんだ、という話はいくらでもあるだろうけど、結論づけられないものにこそ大切な何かがある気がする。9月12日放送の『かまいたちの知らんけど』で、濱家が37年通ったイズミヤの閉店が取り上げられていた。めちゃくちゃ感動したし、場所によって記憶が蘇ること、逆を言えば場所がないと記憶もなくなってしまうことの残酷さに打ちひしがれた。この物語によってもしかしたら一番悲しい結末は、昔通った思い出の建物が、知らぬ間に潰れていたこと、ではないだろうか。そういう可能性もあるわけで、別れを告げることもなく思い出される記憶もなく、そのまま失っていくものがあるんだなと想像する。それは『断片的なものの社会学』の一編「誰にも隠されていないが、誰の目にも触れない」に書かれていること。生きるってどうしようもなく寂しいし寄るべないなって思って、でもそれがいいとも思った。ETV特集『私の欠片、東京の断片』も見た。『東京の生活史』読みたいな〜。

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■ いくつか読んだ本や漫画のこと。

今村夏子をどんどん摂取しようと思い、芥川賞受賞作の『むらさきのスカートの女』を手に取った。これは『ピクニック』の進化系みたいな……めちゃくちゃ面白かった。近所に住むフリーターであるむらさきのスカートの女と、彼女を逐一観察している黄色いカーディガンの女。語り手=黄色いカーディガンの女の、信頼できない語り手というのともどこか違う親近感と手の届かなさの表裏一体。遠野遥の小説のなかのひとり語りを読んでるときと同じ地に足つかない感情になる。いま何を読んでるんだろう、でもページをめくる手が止まらん…という感じ(これ系どんどん知りたい、村田沙耶香さんとかもそんな感じなのかな)。今村夏子さんは黄色いカーディガンの女を書きたかったのかなぁとか。

『ひらやすみ』第1巻がかわいかった。29歳フリーター男とその従姉妹の大学1年生が平屋で生活を始める話。舞台は阿佐ヶ谷。それもあってかとにかく人当たりのいいフリーター男は、『A子さんの恋人』のヒロ君みたい。中央線沿いの物語はどうしても愛着が湧くのです。

積読していた『夜と霧』を読んだ。今の自分には、この本を読んで何かがわかるということはなかった。山中瑶子監督があるときバイブルだと言っていたことともに、残酷な描写などを記憶に留めたい。

Netflixで映画化される『ボクたちはみんな大人になれなかった』の原作を読んだ。中年男性がエモーショナルに過去を回顧する話で、正直まったく入り込めなかった。タイトルが少しいや。

『【さり】ではなく【さいり】です。』という、伊藤沙莉さんのフォトエッセイ本がある。今年の6月に発売されたやつ。ここに、『ボクたちは〜』と同じく「過去に人からもらった言葉」を軸に生きてきた伊藤沙莉さんのめちゃくちゃ素晴らしいエッセイがたくさん記されていて、これには感動の嵐だった。この本にはリアル伊藤家の食卓のレシピとかも載っていて、その中の「絶品ニラ玉」をつくったらめちゃくちゃうまかった。自らの料理に絶品と付けてしまう愛らしさよ。伊藤沙莉さんは『ボクたちは〜』で重要な役を演じている。

 

そういえば、高円寺南口にあるアール座読書館というカフェにこの前はじめて行って、すごくいい空間だった。本を読むための守られた場所。誰でも書き込める日記帳が机の上に並べられてあって、すごい長文の近況報告が書いてあったり、心の病に苦しんでる日々の生活が書いてあったり、店への愛が綴られていたり。僕のマリさんの『常識のない喫茶店』という本も読んだので、カフェや喫茶店への想いが膨らんでいる。

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■辻褄なんて合わないのが人生なのだから

映画はかなり選んで見るようになっていて、それよりも本を読むことに躍起になっている、近ごろ。『空白』は吉田恵輔なので観た。直後の感想はFilmarksに書いた。信頼しているフォロイーの方がとても意味のある批判をしていて、観たあともいろいろ考えている。主に、終盤の展開に感動してしまってよかったのかどうかについて。活弁シネマ倶楽部の監督インタビューを見ると、吉田恵輔監督が結末になんとしても「希望」を据えたい人だということがわかった。その希望を希望として見せるために、地獄の場面は徹底的に地獄として描くんだとも言っていた。それは吉田恵輔監督の作風として面白いとしても、本作においてある男ふたりにだけ希望を見せて、女性たちが軒並み地獄を見せられている(希望を与えずに終わる)のはいかがなものなのか。要するに、主人公に希望を与えるための辻褄合わせとして、ある人物たちは地獄のまま消えていく。こう書くととても気持ち悪い構成なのは一目瞭然だけど、結果的にそうなっているのは事実。このクソな社会で、中年男性に希望を見せる(若い女性を地獄に落とす)映画にどれほどの意味があるのだろう。filmarks.com

こんなことを言いたくなるのは『セックス・エデュケーション』が素晴らしすぎたからに他ならない。シーズン3が配信されるこのタイミングで最初から見始め、最後まで一気に見終えた。隅々まで気が利いたドラマだと思った。ある結末を見据えて辻褄を合わせるためにキャラクターが動いていく物語は数多くあるし、そんなものに慣れすぎてしまっていたのかもしれない。ここに描かれているのは、一人ひとりアイデンティティがあって、予測不能な心の動きがあって、それゆえのすれ違いや、どうしても折り合わない感情、あるいは偶然の連帯がある、ほんとうの意味での心と関係たちだった。今ここに生きる私たち以上に、ドラマの世界は自由で荒唐無稽。なんだか現実すらも辻褄合わせの連続のように思える世界だからこそ、ドラマを観ている途中ずっと気持ちよかったのかもしれない。余計なことを言ってしまうことでの決裂、あるいはそれすら言えないことでのすれ違い。どちらのディスコミュニケーションも、S3のテーマであるだろう「分断された世界」の前では非常に希望に見えた。

アイザックの扱い方だけよくわからなかったのだけど…よいドラマだからこそなんであのキャラだけあんなに便利に動かされたのかだけ気になる。シーズン2の終わり方もどうせ最後にはああなるんだろうと予想できて『プロポーズ大作戦』(大好きだけど…)みたいなこと今やられても…って思ってちょっと嫌だったし、そういう噛ませ犬的なキャラがいないのがこのドラマの魅力だったから残念だった。しかもよりによってその噛ませ犬が身体障がいを抱えていてトレーラーハウスに住んでいるという圧倒的マイノリティという点。誰か説明してほしい。

『お耳に合いましたら』もついに終わってしまった。来週が待ちきれないというタイプのドラマではなかったけれど、終わってしまうと急に寂しくなる。ずっとそばにいてくれるような安心感があった。松本監督と伊藤万理華さんの組み合わせは何度でも見たい。ダンスも見たい。

9月19日、下北沢映画祭で山中瑶子『魚座どうし』×金子由里奈『眠る虫』の上映とトークがあったので喜び勇んで見にいった。監督山中瑶子、主演金子由里奈の『したくてしたくてたまらない女 2019』という短編の上映もあって(それ目当てでもあった。山中瑶子監督の映画は全部見る)。どっちの映画もなんども見るとより面白くなっていく。

 

10月はユーロスペースキアロスタミ特集上映が楽しみ。大好きな『友だちのうちはどこ?』『桜桃の味』も映画館では観たことがないので、あわよくばぜんぶ観たい。な!

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秋臭秋臭秋(2021年9月1週目)

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夏の終わりにはそれ特有の匂いがあると彼女は言った。それって秋のはじまりのあの金木犀の匂いと一緒でしょ、と思ったし実際に言ってみたのだけど、彼女は違うと言う。今がその頃合いなのかな。夏が終わるより先に、秋ははじまってしまうような感じがするんだよな。

キングオブコントの決勝進出者が発表されて、気が早いけどもういよいよ年末という感じ。いつまで経ってもその放送日が「この秋」から変わらなくて、まぁたぶんシルバーウィークあたりにやってくれるんだろうけど、もう「この秋」きちゃってますよと言いたい。いや言わなくていいか。かが屋が決勝行けなかったのは悲しいけど、焦りとプレッシャーがあるだろうなかでしっかり準々通過しただけでもすごいと思う。かが屋のコントはいますごい変身の途上にいる気がしていて、そのうちなんかすごい次元に行きそうなのでそのときまでKOCは楽しみに待ちたい。月末発売の『芸人雑誌』で賀屋さんにその辺りのことをたくさん訊いたのでぜひ読んでほしいです。かが屋のコント美学と加賀さん復帰後の変化についての個人インタビューです。ということで僕の優勝願望予想はニッポンの社長。次点でうるとらブギーズ。そういや、準決の次の日に街で見かけたあの芸人さんも決勝進出していて嬉しい。街っつうのは高円寺のことだけど、こんかい高円寺芸人多すぎ。最高の大会になりそうだなぁ。

honto.jp

労働にさいなまれるとYouTubeしか見れない人間なので最近は暇をつくって読書に精を出している。U-NEXTでNHKオンデマンドに入って『100分de名著』を漁ることにも奮闘している。勉強って楽ちい…なんてこと思っちゃうくらいには新たな知識を得ることが大好き。『100分』は現代的なテーマに密接してる名著を厳選してるしほんと素晴らしい番組。「日本人論」「チェーホフ『かもめ』」「ブルデューディスタンクシオン』」「パスカル『パンセ』」「サルトル実存主義とは何か』」「ボーヴォワール『老い』」の回を観た。近ごろは大学で学んでいた社会学に原点回帰するのがいいんだろうなっておもったり、哲学とかの名前聞いたことあるけど全然何やってるか知らん系の人が気になってきて見ている。一気に見過ぎてこんがらがり必至だけども、映画や小説に接しながら、生活しながら、いろいろな教訓をゆっくり咀嚼していきたいと思う。なにより伊集院さんの司会っぷりと学者たちとのグルーヴィーな会話にどきどきみぞみぞする。

1Q84』を読み終えた。前半は風呂敷が広がりまくってかなり惹きつけられたけど、後半(特にBOOK3の前編)がひどく退屈でしんどかった。最後の最後はよかったけどね。なんにせよ村上春樹の長編に初挑戦だったわけで、ナルシシズムが滲み出る文章とかこれは読み続けたら自身の身体に跡がついてしまうんじゃないかってくらい影響力のある特異な文体だったから、休み休み他の作品にも触れてみたいと思う。幸いなことに、ほぼ全作会社にあるので。今のところ『ドライブ・マイ・カー』が入った短編集のほうが好き。あの短編集は映画の元ネタのひとつにもなった(そして重要なモチーフを形作っている)『木野』がとりわけゾクゾクする。

10月に公開される『草の響き』の原作も読んだ。村上春樹と同世代だけど全然違う人生を歩んだ佐藤泰志の小説。『きみの鳥はうたえる』と同じ本に収められてる。心の病を抱えた青年が運動療法のもとただ走り続ける話で、これがとてもいいんだ。短かくて終盤がとくにいい。僕もユー・キャント・キャッチ・ミーと宣言しながら走り続けたい所存。

今村夏子の『こちらあみ子』もずっと読みたかったけど読めてなくてこのタイミングで。「こちらあみ子」「ピクニック」「チズさん」の3編。以前読んだ『星の子』と全然違う。全部が全部、なんかやばい。同じような物語を紡ぐ人がいたとしても、今村夏子の小説は圧倒的に映画で言うカメラの置き場所が唯一無二で、ちょっと異常な語り口をしてる。簡単に言えば、幾度となくぞっとさせられる。「こちらあみ子」は来年映画化されるらしいけど、お母さん役の尾野真千子ははまり役過ぎるにしてもあみ子を体現することもカメラに収めることも「果たしてそんなこと可能なのか!?」と思ってしまう。それくらい、人の想像力に生きうる世界を描き出すのがうまい。それにしても、「「ピクニック」を読んで何も感じない人」という圧倒的に抽象的なワードで会話してた『はな恋』の麦くんと絹ちゃんってやっぱりめちゃくちゃだよ。たぶん「ピクニック」を読んで何も感じない人ってのは超絶ピュアで憎めない人だし、いちばん怖いのは何か歪なものを感じながら感じないフリをする人だし、それ以前にこの小説は100人読んで100人違う意見を持つだろうから好きならちゃんとその認識の違いを話しあったほうがいいよ!って思った。あつくなっちゃった。

紅葉のジャケットが美しくて去年の秋に買ったよしもとばななの短編集『デッドエンドの思い出』をようやっと読んだ。よしもとばななは初めてで、これがどういう位置にある作品なのかわからない。でも表題作は著者が自分の作品のなかで一番好きと語っていたので代表作のひとつと言えるんだろう。登場人物たちがだいたいみんな優しくてほんとに心温まる人たちでほっこりする一方で、自分の肌に合うとは言い切れない何か引っ掛かりがあった。ひとつには登場人物が金持ちすぎることだろうか。あと友情関係が描かれないか、もしくは否応なしに友情関係が恋愛関係へと発展してしまうこと。〈物語における「恋愛」〉について考えることも多い今日この頃なので、とても好きな展開な気がするけどなんだか拒否反応があってしっくりこなかった*1

〈物語における「恋愛」〉ーーそれは『現代思想』9月号の特集「〈恋愛〉の現在ーー変わりゆく親密さのかたち」を読んで考えたこと、考えていること。初めてこの雑誌買った。テーマがどんぴしゃしゃすぎて本屋で見つけた途端レジ駆け込み。冒頭の対談からめちゃ面白かったけどちょっと咀嚼するには時間がかかりそうなテキストばかり。

松本大洋の新作『東京ヒゴロ』が素晴らしい。

読後にじわじわと感慨が深まっていくタイプの漫画。〈漫画家についての漫画〉という点に惹かれて買いまして、それと言うのも『バクマン』が大好きだからで。でも読んでみると、若さが滾っていた『バクマン』とは正反対の、〈中年の青春〉を描いた漫画家漫画であることに気づいた。そこにいるのは、所詮ビジネスである出版界に揉まれ過度に大衆に最適化してしまった漫画家や、その世界に呆れて生活者に還ったもの、書きたいことはあるが技術が足りないかわがままなもの、かつて人気漫画家であったが今はスーパーのパートに勤しむ主婦ら、出版界のメインストリーム(いわゆる『バクマン』の競争社会)を外れざる得ない人たち。その中心にいる主人公は、「本が廃刊の憂き目にあったのは、私が自らと読者の乖離を認識しなかったからに外ありません。」と語るベテラン編集者。彼が大手出版社を辞めようとするところから物語は始まり、それでも〈漫画に生きる〉中年たちの姿が描かれていく。慟哭し、衝動す。そんな言葉が読後に浮かんだ。誰もが思い通りにいかず泣き叫んでいる。それでも漫画という衝動が彼らを突き動かす。

書くとは瞬間を救い出すこと。第一が自分の経験を伝達する喜び、次に言葉で人や事物を永遠化させる喜び。

哲学者であり作家の、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの言葉だ。彼女は、作家は老いとともに力を失うのが常だが、画家は逆に熟練していくと『老い』で語っていた(らしい)。作家と画家のハイブリッドのような漫画家はどうなるだろうか。きっとせめぎあうなかで生きるしかない。慟哭と、衝動の狭間で。トーンは使わず墨汁で描いているというベタの味わいが素晴らしく、1話1話を締める一枚絵も非常に滋味深く、この漫画の〈絵画〉としての側面も熟年の域に達していると思う。今後が楽しみな漫画です。

 

*1:恋愛に閉じた『幽霊の家』と、恋愛から開かれていく『デッドエンドの思い出』との違いは留意すべきかもしれない。その違いにこそ意味がある短編集なのかも。

対面の消失

気に入ってるカフェでごはん&読書したあと店を出ると、すーー、っと知っている人が通り過ぎていった。この街ではもう何度目かの発見になる。ある芸人さんなのだけど、いつも紫色のシャカシャカっぽいズボンを履いているのですれ違うとすぐに気づくのだ。吉野家で牛丼を必死に食べていると、U型のテーブルのトイメンにその人がいて彼もまた必死に牛丼をかき込んでる場面に遭遇したこともある。あれは夜の12時手前くらいだった。

すーー、っと通り過ぎていった芸人さんは大きな荷物を抱えていた。たぶんコントに使う道具か何かだろう。そういえば、とすぐに思い出したのは、昨日がキングオブコントの準決勝だったこと。その芸人さんも出ていたので、そして結果は昨日のうちに出ているので、どちらにせよ並々ならぬ感情を抱えて道を歩いているということになる。思わず追跡してしまった。なんの目的もなく後を追ってみる。すぐに駅に到着して中に吸い込まれていったのでそこでささやかな尾行は終了したのだけど。我々観客には6日に発表されるKOCの決勝進出者。彼の歩き方からすれば通ってるっぽかったけど、通っててほしいなと念じて帰路についた。