縞馬は青い

縞馬は青い

映画とか、好きなもの

秋臭秋臭秋(2021年9月1週目)

f:id:bsk00kw20-kohei:20210907224652j:image

夏の終わりにはそれ特有の匂いがあると彼女は言った。それって秋のはじまりのあの金木犀の匂いと一緒でしょ、と思ったし実際に言ってみたのだけど、彼女は違うと言う。今がその頃合いなのかな。夏が終わるより先に、秋ははじまってしまうような感じがするんだよな。

キングオブコントの決勝進出者が発表されて、気が早いけどもういよいよ年末という感じ。いつまで経ってもその放送日が「この秋」から変わらなくて、まぁたぶんシルバーウィークあたりにやってくれるんだろうけど、もう「この秋」きちゃってますよと言いたい。いや言わなくていいか。かが屋が決勝行けなかったのは悲しいけど、焦りとプレッシャーがあるだろうなかでしっかり準々通過しただけでもすごいと思う。かが屋のコントはいますごい変身の途上にいる気がしていて、そのうちなんかすごい次元に行きそうなのでそのときまでKOCは楽しみに待ちたい。月末発売の『芸人雑誌』で賀屋さんにその辺りのことをたくさん訊いたのでぜひ読んでほしいです。かが屋のコント美学と加賀さん復帰後の変化についての個人インタビューです。ということで僕の優勝願望予想はニッポンの社長。次点でうるとらブギーズ。そういや、準決の次の日に街で見かけたあの芸人さんも決勝進出していて嬉しい。街っつうのは高円寺のことだけど、こんかい高円寺芸人多すぎ。最高の大会になりそうだなぁ。

honto.jp

労働にさいなまれるとYouTubeしか見れない人間なので最近は暇をつくって読書に精を出している。U-NEXTでNHKオンデマンドに入って『100分de名著』を漁ることにも奮闘している。勉強って楽ちい…なんてこと思っちゃうくらいには新たな知識を得ることが大好き。『100分』は現代的なテーマに密接してる名著を厳選してるしほんと素晴らしい番組。「日本人論」「チェーホフ『かもめ』」「ブルデューディスタンクシオン』」「パスカル『パンセ』」「サルトル実存主義とは何か』」「ボーヴォワール『老い』」の回を観た。近ごろは大学で学んでいた社会学に原点回帰するのがいいんだろうなっておもったり、哲学とかの名前聞いたことあるけど全然何やってるか知らん系の人が気になってきて見ている。一気に見過ぎてこんがらがり必至だけども、映画や小説に接しながら、生活しながら、いろいろな教訓をゆっくり咀嚼していきたいと思う。なにより伊集院さんの司会っぷりと学者たちとのグルーヴィーな会話にどきどきみぞみぞする。

1Q84』を読み終えた。前半は風呂敷が広がりまくってかなり惹きつけられたけど、後半(特にBOOK3の前編)がひどく退屈でしんどかった。最後の最後はよかったけどね。なんにせよ村上春樹の長編に初挑戦だったわけで、ナルシシズムが滲み出る文章とかこれは読み続けたら自身の身体に跡がついてしまうんじゃないかってくらい影響力のある特異な文体だったから、休み休み他の作品にも触れてみたいと思う。幸いなことに、ほぼ全作会社にあるので。今のところ『ドライブ・マイ・カー』が入った短編集のほうが好き。あの短編集は映画の元ネタのひとつにもなった(そして重要なモチーフを形作っている)『木野』がとりわけゾクゾクする。

10月に公開される『草の響き』の原作も読んだ。村上春樹と同世代だけど全然違う人生を歩んだ佐藤泰志の小説。『きみの鳥はうたえる』と同じ本に収められてる。心の病を抱えた青年が運動療法のもとただ走り続ける話で、これがとてもいいんだ。短かくて終盤がとくにいい。僕もユー・キャント・キャッチ・ミーと宣言しながら走り続けたい所存。

今村夏子の『こちらあみ子』もずっと読みたかったけど読めてなくてこのタイミングで。「こちらあみ子」「ピクニック」「チズさん」の3編。以前読んだ『星の子』と全然違う。全部が全部、なんかやばい。同じような物語を紡ぐ人がいたとしても、今村夏子の小説は圧倒的に映画で言うカメラの置き場所が唯一無二で、ちょっと異常な語り口をしてる。簡単に言えば、幾度となくぞっとさせられる。「こちらあみ子」は来年映画化されるらしいけど、お母さん役の尾野真千子ははまり役過ぎるにしてもあみ子を体現することもカメラに収めることも「果たしてそんなこと可能なのか!?」と思ってしまう。それくらい、人の想像力に生きうる世界を描き出すのがうまい。それにしても、「「ピクニック」を読んで何も感じない人」という圧倒的に抽象的なワードで会話してた『はな恋』の麦くんと絹ちゃんってやっぱりめちゃくちゃだよ。たぶん「ピクニック」を読んで何も感じない人ってのは超絶ピュアで憎めない人だし、いちばん怖いのは何か歪なものを感じながら感じないフリをする人だし、それ以前にこの小説は100人読んで100人違う意見を持つだろうから好きならちゃんとその認識の違いを話しあったほうがいいよ!って思った。あつくなっちゃった。

紅葉のジャケットが美しくて去年の秋に買ったよしもとばななの短編集『デッドエンドの思い出』をようやっと読んだ。よしもとばななは初めてで、これがどういう位置にある作品なのかわからない。でも表題作は著者が自分の作品のなかで一番好きと語っていたので代表作のひとつと言えるんだろう。登場人物たちがだいたいみんな優しくてほんとに心温まる人たちでほっこりする一方で、自分の肌に合うとは言い切れない何か引っ掛かりがあった。ひとつには登場人物が金持ちすぎることだろうか。あと友情関係が描かれないか、もしくは否応なしに友情関係が恋愛関係へと発展してしまうこと。〈物語における「恋愛」〉について考えることも多い今日この頃なので、とても好きな展開な気がするけどなんだか拒否反応があってしっくりこなかった*1

〈物語における「恋愛」〉ーーそれは『現代思想』9月号の特集「〈恋愛〉の現在ーー変わりゆく親密さのかたち」を読んで考えたこと、考えていること。初めてこの雑誌買った。テーマがどんぴしゃしゃすぎて本屋で見つけた途端レジ駆け込み。冒頭の対談からめちゃ面白かったけどちょっと咀嚼するには時間がかかりそうなテキストばかり。

松本大洋の新作『東京ヒゴロ』が素晴らしい。

読後にじわじわと感慨が深まっていくタイプの漫画。〈漫画家についての漫画〉という点に惹かれて買いまして、それと言うのも『バクマン』が大好きだからで。でも読んでみると、若さが滾っていた『バクマン』とは正反対の、〈中年の青春〉を描いた漫画家漫画であることに気づいた。そこにいるのは、所詮ビジネスである出版界に揉まれ過度に大衆に最適化してしまった漫画家や、その世界に呆れて生活者に還ったもの、書きたいことはあるが技術が足りないかわがままなもの、かつて人気漫画家であったが今はスーパーのパートに勤しむ主婦ら、出版界のメインストリーム(いわゆる『バクマン』の競争社会)を外れざる得ない人たち。その中心にいる主人公は、「本が廃刊の憂き目にあったのは、私が自らと読者の乖離を認識しなかったからに外ありません。」と語るベテラン編集者。彼が大手出版社を辞めようとするところから物語は始まり、それでも〈漫画に生きる〉中年たちの姿が描かれていく。慟哭し、衝動す。そんな言葉が読後に浮かんだ。誰もが思い通りにいかず泣き叫んでいる。それでも漫画という衝動が彼らを突き動かす。

書くとは瞬間を救い出すこと。第一が自分の経験を伝達する喜び、次に言葉で人や事物を永遠化させる喜び。

哲学者であり作家の、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの言葉だ。彼女は、作家は老いとともに力を失うのが常だが、画家は逆に熟練していくと『老い』で語っていた(らしい)。作家と画家のハイブリッドのような漫画家はどうなるだろうか。きっとせめぎあうなかで生きるしかない。慟哭と、衝動の狭間で。トーンは使わず墨汁で描いているというベタの味わいが素晴らしく、1話1話を締める一枚絵も非常に滋味深く、この漫画の〈絵画〉としての側面も熟年の域に達していると思う。今後が楽しみな漫画です。

 

*1:恋愛に閉じた『幽霊の家』と、恋愛から開かれていく『デッドエンドの思い出』との違いは留意すべきかもしれない。その違いにこそ意味がある短編集なのかも。