縞馬は青い

縞馬は青い

映画とか、好きなもの

寄生虫は輪廻のなかを蠢く/ポン・ジュノ『パラサイト 半地下の家族』

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(※物語の展開・ラストにがっつり触れるレビューなのでどうか観賞後にお読みください)

 

「計画を立てると必ず、人生そのとおりにいかなくなる。絶対失敗しない計画は、“無計画”であることだ」

本作においてさまざまな人物から発せられた「計画はあるの?」という問いかけに、キム・ギテク(ソン・ガンホ)は諦念にも似た上記の回答を示す。計画は崩れ去ってしまうものなのだから、そんなものには意味がない。「誰が今日、体育館で寝ることを計画のなかに含んでいたのか?」と。

とは言っても、キム一家による大豪邸への“寄生計画”は極めて順調に進んでいたと言っていいだろう。疑い深い観客としては、「うまくいきすぎではないか?」と訝ってしまうくらいだった。4人全員がパク一家に迎え入れられ、次なる一手はギウがダヘと結婚することか、と未来計画を立てていたところだ。大豪邸のリビングで一時の幸福感に包まれていたそんなおりに突如、計画を阻む輩=前家政婦のムングァンが進入してきたことでいとも簡単にその計画は崩れ去ってしまう。ただし、私たちはここである事実に気づきはしないだろうか? このムングァンと地下に居つくその夫こそ、「計画を阻まれた側の存在」であるということに。だって、キム一家が寄生することがなければ、ムングァンは何ごともなく家政婦を続け、彼女たちは一生この家に世話になることができたのだから。キム一家の計画を阻んだのはムングァンだが、それ以前に、ムングァンの計画をキム一家が阻んでしまっていたという辛い事実がそこには横たわっているのだ。

そして無視してはいけないのが、彼ら以外にも計画を阻まれている人間がいるということだ。言うまでもなくそれはパク一家のことである。寄生されていること自体がもちろん計画にはないことだが、最も無計画を象徴するのはあの忌まわしいクライマックス、息子・ダソンの誕生日を「サプライズ」で祝うために、母がギジョンにケーキ運びを充てがう場面だろう。そこで予想外にも包丁をもった男が現れ、ダソンは気絶し、最終的に夫は殺されてしまう。誰も救われない、誰もお互いを救うことができない、地獄のような展開である。

そうして無残にも計画が無為になってしまったものたちは、この厳しい世界を“くだる”しか道がなくなる。キム一家は街を降り、あるいはギテクは地下室で警察からの追手を防ぎ、ムングァンは地下室から上にあがってこようとするも、ギテクの妻・チョンソクによって蹴落とされてしまう。一家の大黒柱を失ったパク一家にしても、これまでと同じ生活が送れるとはとても考えづらく、階層を下ることを余儀なくされるに違いない。

圧倒的に裕福な家庭だったパク一家のことを一旦脇に置いておくとして、同じく階層の下方にいるパク一家とムングァン夫妻がなぜ互いに手を取り合うことができなかったのか。

「自分が上にいると、下にいる人間が見えなくなる。」それこそが本作の最大のテーマであり、人間の業が生み出す根の深い問題であるように思うのだ。机の下にキム一家が隠れていることに気づかず、パク夫妻はイチャつきだしてしまう。下界では大洪水が起きた次の日も、気持ちいい朝を迎えている。一方でキム一家も、まさか地下室に人が住んでいるとは思いもせず、自分たち家族のことだけを考えて寄生計画に励んできた。そしてムングァンは、キム一家の正体を知るといきなり豹変したように彼らを脅しはじめ、悠々と地上で夫の肩を揉むに至る。そこでまたキム一家からの反逆に遭い、最終的には地獄のクライマックスにつながっていき……。

地獄の誕生日会から息子を連れて逃げ出そうとする大豪邸の主人・ドンイクは、ギジョンが刺されていることに目もやらず、早く運転してくれ、早く鍵をよこせ、と言う。災害時において一家の家長が家族を守ろうとするのは当然のことなのだが、(一応)招いた客であるギジョンを見捨て、鼻をつく匂いにだけはなぜか敏感な姿。それを見たギテクは衝動で彼を刺し、自らもまた大豪邸を後にしようとする。*1

実は本作、オープニングでかかる音楽と半地下の家を下方向にパンしていく映像が最後の最後、ラストシーンでも全く同じ構造になっており、そこから『パラサイト』という映画自体が「円環構造」を成していると読み取ることができる*2。キム一家は半地下の生活に戻り、あの豪邸に住むことを再び「計画」するのだ。その計画が成功するかどうか。本作を観ていれば、とてもじゃないけど成功するとは思えない。階層を上ることは不可能、あるいは階層を上がろうとすれば他に苦しむものが出る、と伝えるしんどすぎるエンド。この輪廻から抜け出すにはどうすればいいのか。その答えを安易に提示しない(もしくは答えなんてないのかもしれない)のが本作の巧さであると思う*3

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*1:螺旋状の階段を下っていくあの前後の場面の「日光」と「影」の演出が見事で、真上から捉えたその映像は、ギテクの「影」だけが日向を動いていたり、螺旋状を一度上にあがってすぐに下がったり、これまでの展開を絶妙に表象してみせている。この「日光」と「影」というのは、入らない半地下/強く射し込む大豪邸の庭、と階層の対比においてもたびたび明示されてきたものだ。

*2:大豪邸の玄関にある階段も地下シェルターと繋がる階段も螺旋状をしていて円環を想起させる。そして登場人物たちは何度もそこから滑り落ちてしまう。

*3:赤鉛筆(脈拍)、唇、偽造文書のハンコ、梅シロップ、タバスコ、犬用ジャーキー……。侵入を暗示し、血を連想させる“赤”も本作においてすごく印象的だった。いやしかし、とにかくすごい。社会派映画でこれほどまでにエンターテインメントを指向できた映画はないだろうし、演出・脚本の教科書としても最適なテキストだと思う。よくできすぎているのが、唯一の欠点。一部Twitterではそうした指摘があるし自分もそう思うけど、こんなにイマジネーションが膨らむ映画、そうそうないんじゃなかろうか。個人的にはめちゃくちゃ好みの作品です。

*4:パク・ダヘ役のチョン・ジソがかわいすぎました。ていうかみんな顔がよかった。

ノア・バームバック『マリッジ・ストーリー』|その言葉で変わってしまうほど過去はヤワじゃないはず

言葉はいとも簡単に過去を改変してしまう。ときに痛々しく、またあるときには優しく包み込むように。そうした「言葉の鋭敏さ」をひしひしと痛感させられるのが、『マリッジ・ストーリー』という映画がもつ魅力(、あるいは恐ろしさ)のひとつだと思う。

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◆言葉が物語る幸せな日々

本作では少なく見積もっても4度、そうした「言葉の鋭敏さ」に登場人物たちが翻弄される場面が訪れる。

その1度目は言うまでもなく、かつて愛した結婚相手の好きなところをメモに書き出した冒頭シーン。ずっと観ていられるし、言葉をすべて書き出したいくらい愛に溢れたあの心和む場面である。ミルクボーイのネタみたいになってしまうけど一部抜粋すると、ニコール(スカーレット・ヨハンソン)は「気まずい場面で相手を気遣える」「家族の問題に関しては常にうわて」「家族の髪も切る」「贈り物のセンスがいい」「負けず嫌い」、そして「僕が一番好きな女優だ」。一方チャーリー(アダム・ドライバー)は、「意思が強い」「苦行のようにいっぱい食べる」「節約家」「家事が得意」「負けず嫌い」「イヤになるほど子煩悩」、そんなよき父親。

実際には、あの言葉たちは紙に書き出されたままで読まれることがなかったものだ。無機質で、感情が宿ることのない言葉。しかしそこは映画がもつ奇跡の産物か。“いつか読まれること”を期待するかのように、言葉と映像は巧みに「彼らの結婚生活における幸せな時間」を再現し、私たち観客を一瞬で引きつけていく。本編をすべて観終わってから改めてこの冒頭を眺めると、“生活のいいところだけ”を切り取っているということもなんとなくわかってしまう。でも「伸びっぱなしになったチャーリーの髪」と「それを切ってあげるニコール」、「節約家、家事の得意ぶりを発揮するチャーリー」や、何よりもお互いに「負けず嫌い」な姿は後々の場面にも随所で覗かせている。そんな“いいところ”の印象が徐々に薄れていってしまうのが、このあとに展開される離婚劇の怖さだ。

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◆脚色のないニコールの本音

「言葉の鋭敏さ」を物語る2度目はそのあとすぐ、ニコールが弁護士のノラ(ローラ・ダーン)を訪れ、チャーリーの不満を漏らす場面。

ノラ「もう少し詳しく事情を聞かせて 私たちはあなたの話を語るんだから」

ニコール「説明するのは難しいわ 愛がないとかいう単純な話じゃない」

簡単な言葉で言い表すことはできない。そう前置きしながら、ニコールはチャーリーとの出会いから結婚生活、劇団やチャーリーへの不満、離婚を決意した理由までを訥々と振り返り、溜め込んでいた感情を放出していく。ここで語られることがなんの脚色もない彼女の本音なのだろうということは、スカーレット・ヨハンソンの等身大の演技を観ていればわかるだろう。

ニコール「私は夫の活力にエサを与えていただけ」「私はだれかの所有物」「夫は私を見てない 独立した人間として見てない」

冒頭で語られる日々のささやかな幸せにも決して嘘はないけれど、離婚を決意するに至るまでのフラストレーションが溜まっていたのも事実としてある。その複雑に混じり合った過去と決別するためには、「ささやかな幸せ」の方を切り取って捨ててしまう必要があったことは言うまでもなく、弁護士のノラを媒介として「不満の言葉」がさらなる鋭さを携えてチャーリーに突きつけられることになる。

それが離婚調停の場面につながり、応戦するためにチャーリーも荒手の弁護士(レイ・リオッタ)を雇うことに。そこからはもう、切なすぎる「言葉の刺し合い」のような展開が続く。

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◆刺し違える言葉と言葉。そして、生きている

「言葉の鋭敏さ」改め、「言葉の刺し合い」が激化する3度目の場面。それはニコールがチャーリーの家に訪れ、「もう一度私たちだけで話し合えるかも」と、離婚調停の振り出しに戻ろうとするシーンだ。結論から言うとその試みは失敗し、壁は凹み、チャーリーは泣き崩れる。「なんてことだ……」。かつて愛した人に思わぬ暴言を投げかけてしまったチャーリーがそう漏らす場面の苦々しさたるや……。

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「言葉」はそれだけに、過去を丸ごと否定してしまうほどの威力をもつ。しかし『マリッジ・ストーリー』という映画の真価が発揮されるのは、その言葉になんとか抗おうとする彼らの姿を捉えている点にあるように思う。複雑な想いが混じり合った過去を、その混じり合った状態のままに記憶しておくという努力。映画はあらゆる過去を肯定し、「Being Alive」、“生きているんだ”と甲高に訴える。

Someone to hold me too close.

Someone to hurt me too deep.

Someone to sit in my chair,

And ruin my sleep,

And make me aware,

Of being alive.

Being alive.

このアダム・ドライバーの歌唱も非常に胸を打つ場面である。ニコールやヘンリーとの身長差もあってのことか、その身体性が時おり浮き彫りになっていたチャーリー。離婚の通達を受けた際やノラからの電話で弁護士を立てろと催促されたとき、彼はなす術もなく呆然と立ち尽くしてしまう。その大きな身体がニコールとの大喧嘩によって縮こまってしまったり、不意に腕を傷つけて横たわってしまったりする場面にこそ、彼の愛らしさが表出されているだろう。そんなチャーリーが心から湧き出るように歌う歌。人との関わりは煩わしいこともあるけれど、だからこそ生きているんだ、と実感する、これも過去と現在を全肯定してみせるシーンである。

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◆抗うことで届く手紙

この映画には救いがある。泥沼の離婚劇を描きながらも『マリッジ・ストーリー』と銘打ってみせるように、「離婚」ではなく「結婚生活」にスポットライトを当てた本作は、ニコールとチャーリーによる言葉への抗いをもってしてやがて救いとなる奇跡を生む。ニコールが「チャーリーの好きなところ」を書き出したメモを、ヘンリーが拙い発音で読み上げる場面だ。いや、あれは奇跡などではなく、本作の流れからすれば当然の帰結だったのかもしれない。ヘンリーの目の届く位置にあの紙が置いてあったのだとすれば、その前にニコールが読んでいたとほぼ断定できるから。ニコール→ヘンリーと介してチャーリーへと届く「手紙」。

ヘンリーが一つひとつ丁寧に読み上げ、あの無機質な言葉たちにじわりじわりと感情が乗りはじめる、その映画的快感。それは「言葉の温かさ」に気づく瞬間でもあるかもしれない。言葉は簡単に、過去を否定/肯定することができうるけれど、複雑な想いが混じり合った過去を一方向に規定することなんてできっこない。できないでいてほしい。過去は過去としてあり続け、「生きている」実感を得る手助けをしてくれる。そう踏ん切りをつけられればようやく、私たちは未来を見据えて歩き出すことができる。

長い道のりを画面の奥へと車で走り去っていくチャーリーの画をもって本作は終わりを迎え、そして人生はずっと先へと続いていく。

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ポップカルチャーをむさぼり食らう(2019年12月号)

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『ビート・パー・MIZU』のヒロイン・石川瑠華さん

年末年始の省エネモード発動〜! ゆるい感じで書いていきますよ〜。ってな感じで4月からつけはじめたカルチャー日記もなんとか飽きずに続けてこれて、今年は以前よりも多様なカルチャーに触れることができたように思う。というのは嘘で、結局今年は徹頭徹尾「映画」の1年だった。一応、公の場で映画の文章を書けるようになりたい、と思って上京してきているから、まぁ当然の成り行きではあるし満足しているのだけど、もっともっと映画以外にも「おもしろいもの」に接していきたいという思いがあるのです。誰よりもミーハーな好奇心旺盛マンなので。「以前よりも多様なカルチャーに触れることができた」と2020年の年末には言っていたい。多様なカルチャーとは言ってもまずは漫画・小説を含む「本」かな。近ごろ、文章力・語彙力・知識の限界を感じることが多いから、おもしろいものに接したいという欲以上に、やらなければいけない喫緊の課題としてこれは挙げられます。あとやっぱり映画はもっと観る必要があって、ちょっと新作鑑賞を抑えて旧作を掘りまくる時期が来ているように感じる。観たい映画は山ほどあるし、新宿のTSUTAYAなんかにはなんでも置いてるっぽいし、幸いなことに環境は整っているのだ。毎月ひとり監督を設定して観ていこうかな。演劇は年10本強ペースでいい感じで、ドラマは毎週追うのがしんどくなってきてるから毎クール2、3作で充分。ライブは行きたいときに行く。時間を無駄にしたくないしあんまり観たくないなと思ってたYouTubeは仕事としては求められる部分もあるかもしれなくてそれなりに観なきゃいけない。おもしろすぎて逃れられないんだよなYouTubeって。でも逃すことができないカルチャーなのは確か。がんばってメリハリつけて観ていこう。ぬるりと書き連ねた2020年のカルチャー抱負、以上。お金と時間が足りないぜ。

 

何のために悲しい物語はあるのか

なんか12月に観た映画はしんどい(辛い)映画が多かった。たまたまなのか、無意識に選んでいたのか。辛いとは思いながらも映画的に観てすべて高水準のおもしろいものばかりだった。例えば早稲田松竹で観た『悲しみは空の彼方に』(ダグラス・サーク監督)。今から60年前公開のこのアメリカ映画では、女性4人の10年間を描くことで人種差別・性差別・親子の確執などなど多くの社会問題を浮き彫りにしていた。12月13日公開ケン・ローチ監督の『家族を想うとき』では、イギリスの地方都市に住む(経済的には普通かちょっと普通以下くらいの)家族のスパイラル的に転落していく日常が描かれている。実家に帰ってまでなんか今年中に観ておいたほうがいいと思って2時間かけて観に行った『象は静かに座っている』。これも4時間というあまりにも長い時間をかけて、中国の田舎に暮らす先の見えない人々のしんどすぎる日々が群像劇で語られていた(製作中に29歳で自死してしまったフー・ボー監督の処女作であり遺作)。アップリンク吉祥寺でやってくれた『ワンダーウォール』(ドラマ)や「今年見逃した映画枠」で年末にレンタルして観た『幸福なラザロ』(伊/アリーチェ・ロルヴァケル)『魂のゆくえ』(米/ポール・シュレイダー)といった映画も、あまり未来が見えないような辛い結末を迎える。

これらはどれも、「それでもなんとか生きていく」とはなかなか言いづらい、しんどい映画ばかりだ。それぞれの映画を観たときは映画的なすばらしさ(辛い日々を描きながらも何故だか目を逸らせない吸引力、映画的快感)にしか目がいってなかったけど、実家に帰って自分の家族や社会を見渡してみると、「確かに世界はそういうふうに救いようがないくらいしんどくなっている」と思うことが多く、それらの映画が生まれた意味をようやく認識できた。でも生まれた背景は痛いほどわかるけど、カルチャーとして存在する意味はどこにあるのだろうか。年末年始で坂元裕二の傑作と名高い『それでも、生きてゆく』を観ている。(まだちゃんと観てなかったんですよね…。)「なぜこんなに悲しい物語があるのか」。劇中で発せられるその言葉を反芻する日々だ。カルチャーを摂取し続けること、そしてそれらについて書くことに意味はあるのかとすら思う日々を過ごしているけど、『それでも〜』を観たあとに何かしらの答えのようなものが出るんじゃないかと思ってる。FODの1か月無料登録の期間中に『最高の離婚』と『問題のあるレストラン』も観たいぞ〜。2020年の大期待映画『花束みたいな恋をした』(坂元裕二脚本)に向けて。

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眉村ちあきのライブはすごい

はなしかわって、今月とくに書いておきたいのは眉村ちあきの単独ライブに行ったこと。その前に唐突ですが、『今気になる女の子ベスト』を記します。女優・アイドルを問わず、好きだな〜活躍しそうだな〜って思うだいたい25歳以下くらいの女の子、っていうゆるゆるの基準で(笑)。

今もっとも好きな女優である三浦透子は紅白で観られてとてもうれしかった。あの貫禄でまだ23歳とはほんとうに恐ろしい。とりあえず『架空OL日記』の劇場版が楽しみっすね。インディーズ映画の登竜門的イベントである「MOOSIC LAB」で(2本+短編2本しか観てないけど)一番おもしろいと思った『ビート・パー・MIZU』、その主演の石川瑠華もよかったな〜。今年『左様なら』という映画でもちょっとヒールな演技を観て印象に残っていたけど、本作のめちゃくちゃポップな役回りも板についていた。17歳でその類まれなる演技力を示しまくっている南沙良。2019年は言うほど映画やテレビで見る機会はなかったので今年は期待したい。『もみの家』(坂本欣弘監督)『ピンぼけの家族』(NHK)という絶対おもしろいだろう作品が待機しています。18歳の森七菜は言わずもがなな活躍ぶり。けもなれで田中圭の母親の独身時代を演じていたのが心に残っている彼女は、今年一発目に岩井俊二の『ラストレター』が控えている。松竹史桜は『若さと馬鹿さ』で初めて認識したけど思い返してみると「ほりぶん」の演劇にも出ていた。1月は「ナカゴー」の演劇にも出るので楽しみ。彼女の独特な空気感が好き。ハタチ周辺の松本穂香恒松祐里箭内夢菜、中田青渚、関水渚は引き続き見守っていきたいお人たち。ハロプロではモーニング娘15期生の初々しさに激惚れしていて、『ひなあい』では上村ひなのさんの天才的所作から目が離せずにいる。

ということで眉村ちあき。夏ごろから妙に惹かれていた彼女のライブにようやく行くことができた。結論から言うとめちゃくちゃ良かった。なんでこんなに心が引きつけられているのか、それが実はあんまりよくわからないんだけど(歌がうまい、それだけで十分好きになる要素ではあります)、ライブを観てさらに好きになったのは彼女の発言の突拍子のなさ。突拍子がなく、それでいて全人類を肯定してくれるような温かさが彼女の言葉には宿っているのだ。

これに関してはもうね、理屈じゃないんだよね…。眉村ちあきのライブは現状、動画・写真撮影OKなので、YouTubeに上がってくるライブ映像をこれからも追っていきたいな〜。

12月のビッグニュースとして最後に。12月25日発売の『QuickJapan VOL.147』にて「YouTube on the border 2019」という特別企画の文・構成を担当しました。霜降り明星やカジサック、オリラジあっちゃんといった芸能人がYouTubeに進出する昨今において、その企画内容を考えている放送作家さんというのも当然のようにいます。それはテレビバラエティで活躍する放送作家さんがやっているのが基本で、今回は最前線で暗躍する4人の作家さんが集結し、2019年のYouTubeシーンを振り返りました。内容もりもりの座談会記事になっています。YouTubeについてある程度詳しい気でいたけど、紹介される7割くらいが観たことがないYouTuberだったり思わず肘を打つ発言のオンパレードだったりしたので、とにかく必見でございます! クイック・ジャパンは高校生の時から読んでいた雑誌だし、総合カルチャー誌としてこれ以上のものはないと思うので、そこで書けたことがめちゃくちゃうれしい。読み返してみると粗が気になってしまうけど、もっといい文章書きたいな〜と励みにもなりました。これからもコツコツがんばっていこう。

〈2020年1月絶対観るものリスト(おもに積読)〉朝井リョウ『どうしても生きてる』、ヤマシタトモコ『違国日記』1〜3巻、岩明均ヒストリエ』11巻、田島列島『水は海に向かって流れている』2巻、オカヤイヅミ『ものするひと』3巻、CSで録画したハル・ハートリー監督作品、坂元裕二最高の離婚』『問題のあるレストラン』、タナダユキ監督作品

 

My Best Films of 2019

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兵庫に里帰りしてもわざわざ京都(みなみ会館)まで行って『象は静かに座っている』(4時間弱の超大作)を観にいったり、実家では今年見逃した作品をストリーミング配信でカバーしたり、2019年は最後の最後まで映画を観切った。鑑賞数はだいたい110本くらい。例年は外国映画のほうが全然多かった気がするけど、今年は6〜7割くらいが日本映画になるくらいたくさん観た年だった。得意ジャンルしかブログや評論の文章を書けないってことで偏ってしまっているので、来年はもうちょっと多ジャンルを観たいな〜、ってな感じでさっそく今年のマイベストフィルムベスト20を列挙していきます!

 

20.トッド・フィリップス『ジョーカー』

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2〜5位と10位、20位はかなり迷った。そのあたりの順位は個性が出るところだと思うから他人のランキングを観ていても気になるとこ。20位にいきなり2019年の象徴的作品を持ってきたのは、正直本作への評価があんまり固まっていないからだ……。鑑賞中の陶酔感でいうとベスト10に入れてもいいくらいだったけど、よくよく本作のメッセージを反芻してみると2016年にぶちのめされた『怒り』を越すものではないなとか考えたり。こうやって比べてしまうのもよくないよな。これが公開された後、別の映画で「これもジョーカーみたい」「あれもジョーカーみたい」って感想が溢れかえっていたのが個人的にはちょっと気持ち悪かったんですよね。そんなに普遍的な映画ではないでしょうって。それでも比べてしまうのは、ストーリー的な新しさはない(=現実社会を反映し得てはいないということではないが)からだと言い切ってしまってもいいかもしれない(暴論でございます)。『象は静かに座っている』『幸福なラザロ』『家族を想うとき』のほうがよっぽど辛く、この時代に生まれた意味もわかる。それでも娯楽作としてめちゃくちゃおもしろかったので20位には選びまっせ。そんでDCよくやった!


19.片山慎三『岬の兄妹』

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日本版『ジョーカー』なんて口が裂けても言わないけど、同系統の映画として自国のこの作品の方を強く推したい。ポン・ジュノの助監督とかをしていたらしい監督が、日本の闇をややユーモアも含めつつ鮮烈に描き出してくれていた。ヒロインの和田光沙さんとか、出演者のひとりで『若さと馬鹿さ』の監督でもある中村祐太郎さんとか、非常に将来が楽しみなひとたちがいっぱい出ていた。

厚い雲に覆われた日常/片山慎三『岬の兄妹』 - 縞馬は青い


18.デイミアン・チャゼルファースト・マン

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やっぱりチャゼルの映画が大好きだ。ニール・アームストロングという歴史的大偉人を題材にしておきながら、あまりに暗く孤独な作家性が滲み出てしまうあたりを観て僕はそう強く思い直した。「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」。月に降り立った彼が言ったその名言を「彼にとっては大きな飛躍だけど、人類にとってはあまりにも小さな一歩」である超パーソナルなストーリーにすげ替えた監督の驚くべき手腕。大きな世界を使って個人的な世界を捉える映画としては『アド・アストラ』もよかったなぁ。


17.イ・チャンドン『バーニング 劇場版』

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忘れられない画・音が多すぎる。公開前に何故かNHKで60分に編集されたバージョンが放送されていて観てしまったのだけど、あれがなければもうちょっと好きになっていたかも。「火」が妖艶すぎる。


16.二宮健『チワワちゃん』

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鮮烈。全編を覆うヴィヴィッドなピンク色が、なんだかこれが青春色だよね(ぜったい違うんだけど)と思わせられてしまったから革新的ですばらしい。ちなみに中国の青春映画『芳華-Youth-』もピンク(と赤と純白)だったんだよな。

デフォルメされた青春の死/二宮健『チワワちゃん』 - 縞馬は青い


15.中川龍太郎『わたしは光をにぎっている』

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中川龍太郎は2019年のうれしい大発見だった(『四月の永い夢』も今年観たんですよね)。映像・ストーリー・詩・主題歌、そして役者。すべてが同じ空気感を共有していて観ていて気持ちよかった。そうだから、カネコアヤノや松本穂香に対する愛も一斉にこの作品にぶち込んでしまっている気がする。映画としてちゃんと評価すると、澪がエチオピア料理屋みたいなとこに行くとこが一番よかったかな。東京には意外と人間の熱があることを知った。個人的には、『テラスハウス』東京編でペッペがデイリーヤマザキに行く場面との照応にグッときている。

言霊と光、心を導いて/中川龍太郎『わたしは光をにぎっている』 - 縞馬は青い


14.深田晃司『よこがお』

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観ながら沼にずんずん引き込まれていく感覚はなかなか得られるものではない。受動的な媒体である映画の怖さを体感する瞬間が詰め込まれていた。


13.ラーズ・クラウム『僕たちは希望という名の列車に乗った』

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脚本のうまさでいうと今年いちばん印象に残っているかもしれない。心地いいテンポ感で何度も切り返していく感じ。若い役者たちの顔もすごいよかったな。


12.白石和彌『凪待ち』

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『ひとよ』よりも圧倒的にこちらが好き。香取慎吾の汚れ方もいいし、恒松友里の通り抜ける声もいいし、ラストはもう完璧。思い返すとやや物語的すぎる気もするが。白石監督が擬似家族を撮ったことに感動を覚えたから逆に『ひとよ』では拍子抜けした。


11.ジョシュ・クーリー『トイストーリー4』

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トイ・ストーリーにそんなに思い入れがないからかもしれないけど、3に負けず劣らずこれもよかったよ。興奮がずっと持続する100分間だった。

僕たちはどこで生きていく?/ジョシュ・クーリー『トイストーリー4』 - 縞馬は青い


10.二宮健『疑惑とダンス』

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ということで10位にはインディーズ映画を。二宮健が2度目の登場である。映画的には『チワワちゃん』のほうがすごいんだけど、ミニマルすぎる設定・舞台と役者に委ねられたものの大きさからすれば、これ以上の着地点はないと思う。ことし劇場でいちばん笑った映画だし、「映画で遊ぶ」という監督の姿勢も気に入った。もっと遊んでほしい。

踊るしかないこんな夜は/二宮健『疑惑とダンス』 - 縞馬は青い


9.片渕須直『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』

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実は2016年にオリジナル版を観たときは案外ピンときてなかった映画。このたびの新作では大幅に映像が追加されただけでなく、全体的にかなり編集が加えられていたようで、全く新しい作品になっていた。(昭和)19年→20年と進んでいく物語の構成が、2019年→2020年と進む現在時間と妙に一致しているように思えたのが評価する最大の理由だ。もちろんそんなわかりやすい数字だけじゃない。この荒み切った世界で、たしかに生を紡いでいる人々の姿に以前より感情移入できる場面が多すぎた。


8.塩田明彦『さよならくちびる』

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まずは主要役者3人が最高。賛否分かれるとこではあるけど僕は音楽もすごい好き。そして何よりも、映画的演出の見事さに陶酔した。車に乗ったり降りたりするだけの映画。なのにこんなにおもしろい。

境界線を溶かす「音楽」という魔法ーー映画『さよならくちびる』で反復される“不在”と“存在”の意味 - 縞馬は青い


7.西谷弘『マチネの終わりに』

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昨年の『ファントム・スレッド』『ア・ゴースト・ストーリー』の枠はこの映画に与えたい。亡霊的恋愛映画枠とでも言えるだろうか。

狂う男、狂わされた女ーー死の季節に生が薫る『マチネの終わりに』 - 縞馬は青い


6.真利子哲也『宮本から君へ』

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ドラマでは新卒サラリーマンの仕事の奮闘を描き、映画では彼の恋愛に主眼を置く。現在の東京にいてあの歳で結婚するやつはいないし、こんな暴力的なコミュニケーションが存在する世界は知らない。しかしそこのリアリティを吹っ飛ばしてもこれだけ心を鷲掴みにされてしまうのはなぜなんだ。それは、徹底的に男性性を駆逐していく主人公・宮本の姿があったからだと思う。ほんと熱量が高すぎた。


5.今泉力哉『愛がなんだ』

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もうね〜これに関しては好きとしか言いようがないよな〜。語りたくなる部分もめっちゃ多くて何度でも感想ブログを書けそうだけど、とにかく好きなんだよ、テルコやナカハラっち、マモちゃんも。みんな。

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4.ノア・バームバック『マリッジ・ストーリー』

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東京国際映画祭で観たときに劇場が笑いに包まれたり悲しみに暮れたりしていたあの時間を忘れることができない。アップリンク吉祥寺の静かな環境でもう一度観直して、傑作だと確信する。結婚生活の記憶が「手紙」を媒介して相手に届くという冒頭と締めの巧さ。アダム・ドライバーが「Being Alive」を熱唱する場面は映画史に残る名シーンだ。

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3.石井裕也町田くんの世界

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映画の世界だけでは「奇跡」を信じさせてくれ。思えばそう願い続けた一年だったようにも思う。細田佳央太と関水渚という新人俳優がとにかく素晴らしい映画だったし、遠景の追いかけっこシーンはいつまでも忘れることがないと思う。彼らの“身体のバタつき”がいやに愛らしかった。

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2.ケン・ローチ『家族を想うとき』

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非常に辛い映画だ。『町田くんの世界』のほうが好きかもしれないと何度も自分と相談しながら、戒め的な意味も込めてこの位置に置いておいた。現実は確かにこうひどくなっているかもしれない。それでも辛くなりすぎないのはその世界を愛ある家族を通して見せているからだと思う。つらいけど好きな映画です。

 


1.杉田協士『ひかりの歌』

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1月13日に観た作品が本年のベスト映画です。揺るぎようのない超強度なフィルムだった。そして言うなれば、『ジョーカー』や『家族を想うとき』『象は静かに座っている』といった苦しい映画を経たからこそ本作への思い入れがさらに強くなっていったように思う。この世界にはひかりがある。それだけで十分で、それがすべて。

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特別枠:山中瑶子『おやすみ、また向こう岸で』

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9月20日TOKYO MXで放送された20分くらいの作品。一応「ドラマ」ではあるらしいけど、映像作品としての完成度の高さに舌を巻いてしまったのでピックアップさせてください。山中監督の次回作はぜひ映画館で観たい。

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【2019ベスト映画20】

  1. ひかりの歌
  2. 家族を想うとき
  3. 町田くんの世界
  4. マリッジ・ストーリー
  5. 愛がなんだ
  6. 宮本から君へ
  7. マチネの終わりに
  8. さよならくちびる
  9. この世界の(さらにいくつもの)片隅に
  10. 疑惑とダンス
  11. トイストーリー4
  12. 凪待ち
  13. 僕たちは希望という名の列車に乗った
  14. よこがお
  15. わたしは光をにぎっている
  16. チワワちゃん
  17. バーニング 劇場版
  18. ファースト・マン
  19. 岬の兄妹
  20. ジョーカー

特別枠:おやすみ、また向こう岸で


鑑賞数に比例して日本映画が多数を占めるランキングになりました。この世界には愛があって、それだけで十分だ、っていう最後の結論は楽観的でしかないけれど、2位に『家族を想うとき』を入れていることでなんとなく意図を汲み取ってもらえると思う。ランク外なのに何度も言及している『象は静かに座っている』(めちゃくちゃしんどい中国の現代風刺映画)は思ったより心にグサリと刺さる作品だったようです。ちなみに旧作映画は『女っ気なし』『オルエットの方へ』『友だちのうちはどこ?』がさらなる映画への興味を広げてくれて、国内テレビドラマは『デザイナー 渋井直人の休日』『だから私は推しました』『グランメゾン東京』『グッドワイフ』『腐女子、うっかりゲイに告る。』が好きだった。(『パラサイト 半地下の家族』とか海外では2019年公開のこぼれ作もあるし)2020年はたぶんめちゃくちゃに豊作の1年になると思う。ノーランの新作『TENET』を観るのが一番楽しみで、今泉力哉監督の新作『街の上で』がどれだけ映画ファンに受け入れられるかも見もの。来年もいい映画に出会えるよう祈っています。

 

【追記】今年の日本映画振り返り

今泉力哉作品を筆頭に2019年は恋愛映画が豊作の年であったように思う。2018年の『きみの鳥はうたえる』『寝ても覚めても』『生きてるだけで、愛。』の流れを汲みつつ、より多様化する恋愛映画に接することができた一年だった。恋愛リアリティショーが流行して久しく、若者の恋愛離れも進んでいるように思われる昨今、ドラマや映画で恋愛を描くのは難しくなってきたと言われることも多い。しかしそれでも世に受け入れられる物語の形式はまだまだある。というか、まだまだみんな恋愛物語が好きなんだろうなと思う。長々と恋模様(すれ違い等)を描くドラマよりは、『愛がなんだ』や『マチネの終わりに』『宮本から君へ』のようにテーマ性が見えやすい映画のほうが恋愛を描きやすくなっているというのは一つ言えることかもしれない。ジャンルもので言うと青春映画と家族映画もいい作品が多かった。『町田くんの世界』や『ホットギミック ガールミーツボーイ』のように、従来のキラキラ映画から進化を遂げたような作品がいっぱい出てきたのも忘れられない。ただ、これまで青春映画を多数輩出してきた映画祭「MUSIC LAB」にひとつも青春映画がなかったのは印象的だ。その代わりに多かったのは、これまた恋愛映画ではなかっただろうか。家族映画は多すぎて見逃したものもあるけれど、『最初の晩餐』『凪待ち』『岬の兄妹』『沈没家族』がすばらしかった。『マリッジ・ストーリー』と『家族を想うとき』、『アス』などの外国映画もよかったから微妙に影に隠れているけど。『パラサイト 半地下の家族』もそうだし家族映画はここ数年でとでも重要な位置を占めはじめている。今年1位に選出した『ひかりの歌』(これも純然たる恋愛映画)のように、インディーズ映画にもまだ見ぬ底力、魅力がある。インディーズもほんとうにレベルが高く期待している若い監督もたくさんいるので今後もめちゃくちゃ楽しみなのである。ということで来年もさらに日本映画を深く彫っていきたい所存です!

 

ハロプロ日記(2019年12月)

早くお雑煮を食べたい。そんなはやる気持ちを抑える12月、年の瀬の東京(から兵庫へ帰省中)。今年の4月からカルチャー日記をつけはじめたんですが、ほぼ毎月ハロプロと千鳥の話をしていたことに気づきました。飽き性の僕がこうなっているのは、ひとえに、新鮮さを供給し続けてくれる彼女/彼らの革新性によるところが大きいと思う。なかでも今月はハロプロコンテンツの摂取量が多かったから、いっそのこと別エントリーにしてしまおうと、こうなりました。いやまぁ里帰りして暇だから書いてるんですけどね。ちなみに相変わらず千鳥の摂取量も多い。

 

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12月4日。国立代々木競技場第一体育館で行われたJuice=Juiceの単独ライブ「Juice=Juice Concert 2019 “octopic!”」へ行った。ハロプログループが一同に集結する“ハロコン”には何度も行っているけど、これまた単独公演を観るのは初めて。昨年東京に来てからアンジュルムモーニング娘。’19と観に行くことができていて、かつて田舎で動画を見漁るしかなかったハロヲタとしてはうれしい限りでございます。そんななかでJuice=Juiceに興味を持ったのっていつだったっけなぁ?って考えてみる。2013年に結成されたころには確かもうハロヲタになっていたから、そのときは新鮮な気持ちで観ていたと思う。でも今思えば、今年のBEYOOOOONDSに匹敵するような興味は抱いていなかったような。ハロプロ研修生のなかでもひときわ歌唱力・パフォーマンスが抜きん出ていた段原瑠々が加入し、既存メンバーの実力の深化も見え始めた2年前くらいから徐々に惹かれていったのだと思う。一応ハロプロをまったく知らない人にも説明しておくと、Juice=Juiceは、軒並みパフォーマンス力が高いと言われるハロー!プロジェクトの7つあるグループのなかでも群を抜いてすべて(歌唱・ダンス・ルックス)のレベルが高いグループ。モー娘のヲタであろうとアンジュルムのヲタであろうと、そこのところの認識はだいたい共有しているくらい、今のハロプロを象徴する実力派集団になっている。そうなると、ハロプロの醸す“ある種の完璧さ“に惹かれている僕としてはハマるのは当然の流れであり…。

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ライブ自体の感想をうまく書ける気がしないんで前日譚の話が長くなっちゃった。そんなわけでいま一番気になるグループのライブに行く運びとなりました。いやぁ〜ライブ、とにかくすばらしかったよね(笑)。黒とシルバーの衣装で最初出てきた瞬間、その神々しさに一瞬でやられてしまった。「女神」。彼女たちに一番似合う言葉はこれじゃないだろうかと思うくらいに。とくに心を鷲掴みにされてしまったのは植村あかりちゃんだ…。ちょっと前まで金髪だったのが黒髪ロングになっていて、これまた「神々しさ」としか言い表しようのない“美の化身”ぶり。デビュー時からの歌唱力の伸びがいちばんなメンバーだと思うけど、実際みてみるとそのパフォーマンスにも圧倒されてしまった。同じ背丈、髪型の段原さんとのシンメ感も最高。初夏ごろに2人入った新メンバーもやっぱりJuice=Juiceに見合う実力を兼ね備えていて、もうすでに「完璧」へと達していた。グループとして完成され尽くしている彼女たちはこれからどうなっていくんだろう。アイドルには隙があってしかるべきと思う自分もいつつ、これだけ洗練されているともう気持ちよさしかないし、今後も楽しみなのだ。

 

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【ハロ!ステ#319】モーニング娘。'19&Juice=Juice 新曲LIVE映像SP!ハロー!キッチン、つばきファクトリー最新MV公開! MC:山木梨沙&新沼希空


BEYOOOOONDSの快進撃が止まらない。これは自分の心のなかの話ね。レコ大新人賞とか、単独公演を成功させたのももちろんすごいんだけど。前述のJuice=Juiceライブのオープニングアクトとして出てきた彼女たちがとてもすばらしかった。最近発売されたアルバムに収録されている「元年バンジージャンプ」という曲を披露していて、これがもうね…今年ベスト級の神楽曲だったんだよね。令和元年の今年しか意味をもたない曲だけど、来年以降もやってくれることを切に願う。昨年のJuice=Juice武道館ライブでもオープニングアクトや幕間で出てきたりしていて(その頃はまだBEYOOOOONDSという名前は付いてなかった)、そのDVDを先月観ていたりしてたから感慨深くなってしまって。単独ライブに行きたい!と思わせるには十分のパフォーマンスでした。行きたいほんとに。とにかくBEYOOOOONDSは1年目にしていい楽曲が多すぎるのだ(後述のハロプロ2019私的ベスト楽曲を参照されたし)。

 


元年バンジージャンプ BEYOOOOONDS


Gyaoハロプロの番組が配信されている。『ハロプロ ONE×ONE』。 11月から始まっていたらしいのだけどあんまりハロプロってプロモーションがうまくないから、そのことに気づいたのは最近でした。ハロプロの番組ってたまにあるんだけど絶妙に興味をそそられない企画内容が多くて、これもどうせおもしろくないんだろうなぁと思ってみたんだけど、「これこれ〜!!」って歓喜してむさぼり視聴してしまったんですよねぇ…。簡単に言うと、企画者となる1人のメンバーが、グループを横断して好きなメンバーと1日デートをするっていう内容の番組。サシでロケするっていうと『けやかけ』でのそれが思い出されるけど、そうした企画を普段交わることが意外とあまりないメンバーたちが先輩後輩やグループの垣根を越えつつやってくれるところに特異性を感じる。そこには普段見えてこなかったメンバー同士の関係性やときには研修生時代から積み重ねてきた長い友情・憧れ・師弟関係・愛の営みが垣間見えたり。普段一緒に活動することのない他グループのメンバーとどうお互いを意識しあっているかって結構気になるところなんですよね〜。第1回の牧野真莉愛モーニング娘。’19)×高木紗友希(Juice=Juice)からゴリゴリにハロプロっぽくて最高。研修生時代の先輩の言葉に支えられて今までやってこれた、って真莉愛が言うそれだけで泣けてしまうのよ。個人的には#2のコンビ(宮本佳林×竹内朱莉)がとっても好きだ。

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12月はカントリー・ガールズの活動休止および全員グループ卒業、アンジュルム中西香菜卒業とお別れが重なり苦しい月だった。ただ悲しみに浸ってもいられないので、とりあえず今年の個人的ベスト楽曲を記します。ハロー!プロジェクト7グループの楽曲から選曲。


1.アンジュルム/全然起き上がれないSunday


アンジュルム『全然起き上がれないSUNDAY』(ANGERME [The Sunday morning that I can’t get up at all.])(Promotion Edit)

2.Juice=Juice/「ひとりで生きられそう」って それってねぇ、褒めているの?


Juice=Juice『「ひとりで生きられそう」って それってねえ、褒めているの?』(Promotion Edit)

3.BEYOOOOONDS/ニッポンノD・N・A!


BEYOOOOONDS『ニッポンノD・N・A!』(BEYOOOOONDS [The Japanese D・N・A!])(Promotion Edit)

4.BEYOOOOONDS/元年バンジージャンプ

5.Juice=Juice/微炭酸


Juice=Juice『微炭酸』(Juice=Juice[Lightly Sparkling])(Promotion Edit)

6.つばきファクトリー/ふわり、恋時計


つばきファクトリー『ふわり、恋時計』(Camellia Factory[Softly, the clock of love.])(Promotion Edit)

7.モーニング娘。’19/青春Night


モーニング娘。'19『青春Night』(Morning Musume。'19 [The Youthful Night])(Promotion Edit)

8.CHIKA#TETSU/都営大江戸線六本木駅で抱きしめて


BEYOOOOONDS /// 都営大江戸線の六本木駅で抱きしめて~夢幻クライマックス~GIRL ZONE (ハロコン2019冬)

9.BEYOOOOONDS/アツイ!


BEYOOOOONDS『アツイ!』(BEYOOOOONDS [HOT!])(MV)

10.こぶしファクトリーハルウララ


こぶしファクトリー『ハルウララ』(Magnolia Factory [Haru Urara-Beautiful Spring])(Promotion Edit)


BEYOOOOONDSおよびその内部グループ(CHIKA#TETSU)から4曲、他はだいたい1曲ずつの選曲になりました。ミュージックビデオの完成度、パフォーマンスの新しさをもってしても、やはり2019年のハロプロはBEYOOOOONDSの年だったと言うほかないと思う。ここまで革新的なグループになるとは予想できていなかったので、その度肝抜かれ度も加味しつつ。新メンバーがそれぞれ加入したモー娘。、アンジュ、JJは楽曲のよさとその初々しさがうまく噛み合っていた。とくに1位2位に選んだ2曲は段違いの出来。微妙にアンジュルムから心離れてきたかなって思ってたところで11月にこれがきたから、ほんとやってくれたって感じだ。昨年の勢いが凄かったからこそつばきファクトリーはちょっと停滞感は否めなかっただろうか。こぶしファクトリーは一回ライブ行ってみないとその凄さが分からないのかもな。どうしても「辛夷の花」のときあたりからの変化が見えづらいグループ。来年はこぶし、つばき、BEYOOOOONDSのライブへ行くのをなんとなくの目標にしたい。2019年のハロプロは変化が多すぎた1年だったから、来年どうなるのか非常にたのしみです。2020年も“アツイ!”1年になってくれ〜。

ポップカルチャーをむさぼり食らう(2019年11月号)

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11月は、“人生でいちばん口内炎が痛い日”があった。これはその日に書いている。憎たらしいったらありゃしないそいつは、下の歯にちょうどあたる位置にできていて、しゃべるのはおろか、何もしてなくてもずっと全身を痛みが貫いてくる。こうやって事細かに描写して読んでる人にその痛みをお裾分けすることでしか心身を和らげられないのだけど、お陰さまで言うほどでもないかなという気分になってきました。ありがとうございます。今日は一日中取材をしててしゃべり倒しだったんでほんと死ぬかと思った。

けどなんとか生きて家路についたので、服を着替えて20時ごろに再び家を出てアップリンク吉祥寺に行き『若さと馬鹿さ』という映画を鑑賞。古アパートに同棲して暮らす30手前のダラダラカップルの日常が描かれた映画。粒子が粗く自然光をとらえた温かい映像がとてもよくて、一つひとつの生活描写もグッとくるものばかり。例えるならば『きみの鳥はうたえる』『愛がなんだ』のような自然さ。とことんダメなふたりだからこそ共感して無理なく寄り添える。締め方はちょっと気に食わなかったけど、それ以上に主演の松竹史桜さんの魅力が爆発していて、今年みたインディーズ映画のなかでもかなり印象に残る映画だった。『岬の兄妹』には俳優として出ていた中村祐太郎監督、こういう映画を撮り続けてほしいな。映画を観終わったあとは最寄りの銭湯で体を温め、心身のパワーをチャージした。仕事終わりでも映画観て銭湯に行ける。まるで休日みたい!と思ってめちゃくちゃ元気になりましたとさ。めでたしめでたし。

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いやでもね、まだ口内炎の話題はつづきますけどね。笑うのすら激痛だからしんどかったんだけど、Gyaoで見られるM-1 3回戦のみんなのレコメンドがTwitterでいっぱい回ってくるもんだからまぁ見ちゃうよね。シンクロニシティは爆笑しそうになったので思わず停止してしまい後で見ることに(それくらい最高)、蛙亭、ラランド、ミルクボーイ、シシガシラ、キュウ、Dr.ハインリッヒ、しんぼる あたりが最高だった。そのせいで口内炎ができてから4日くらい経った今も、一向に治る気配がなく酷くなってきています。しかしM-1楽しみっすね!(笑いたいけど笑えないという経験は、「笑ってはいけない」の擬似体験としてはおもしろかったけど、普段爆笑できることの幸せを強く噛み締めた。みんな笑えるんだから、たくさん笑って生きていこうね。)

* * *

口内炎は治った。でも体調が悪いのでプラマイゼロ。と言いたいところだけど、やっぱりおいしいごはんと笑いという感情を取り戻した僕は最強だ。なんだってできちゃう。いやはや、テレビ千鳥の「高級レストランに行きたいんじゃ!」回のおもしろさったら……。友だち同士の悪ふざけ極まれり、な笑い。若年のシェフとスタッフさんがちょっと悲しそうな顔をしていたのは気になったけど、内心どう思ってたのか気になるな。アート映画をあんな風に笑いに変えられたら俺はぜんぜん笑っちゃうんだろうな。ーーAマッソを久しぶりにYouTubeで見かけたら、すごいおもしろくなくなっててショックだった。こんなことあるかと思って加納さんがちくまwebで連載しているコラムを読みにいったら、秀逸な文章で唸ってしまうという…。第19回「拳銃!」。何気ない日常の所作の積み重ねがドラマになり、最後にはサスペンス味を帯びだすというスペクタクルテキスト。第18回の森見登美彦風テキストもいい。やっぱりおもしろいんですよAマッソは。安堵。

www.webchikuma.jp

今月は後半の体調崩し期の前に『最初の晩餐』『マチネの終わりに』『わたしは光をにぎっている』と3つも感想エントリーを書けたので満足。『わたしは光を〜』では、言霊を信じて強く生きてやりたい、と踏ん張って意気込んだけど、そうするとしんどいときに取り返しがつかないことになるんだと最近気づいたので、もうちょっと適当にゆるく生きるのが性に合っていそうだ。こうやって、言葉を言葉で打ち消すのはとても大事。リアルサウンドに寄稿した「桜井ユキ評」が思ったよりよく書けて、彼女と彼女が演じるキャラクターたちのことがもっと好きになった。意志を強く持っているけれどそれゆえに生きづらく、時々迷いの表情が現れる女性たち。『真っ赤な星』の桜井ユキがその最たる例だと思う。三浦透子もいるしユマニテは強い。

Netflixで12/15配信、11/29に劇場先行公開の映画『マリッジ・ストーリー』がとてもとてもすばらしい。『フランシス・ハ』『マイヤーウィッツ家の人々』の大好きなノア・バームバック監督。東京国際映画祭でひと足早く見たとき、劇場がまるで『フルハウス』に差し込まれた笑い声みたいに数秒ごとにどんどん受けていて、なんか映画を観ているよりお笑いを観ているみたいな、それくらい異様なお笑い家族映画だった。だけど内容は、幸福だった家族が離婚を決め、血みどろの裁判に突入していく様が描かれているので『ブルーバレンタイン』のように極めて地獄。甘辛の塩梅がえげつないほどうまいから、笑えるし、本気で苦しくなるし、泣いてしまう。スカーレット・ヨハンソンアダム・ドライバーは、間違いなくベストアクトだし、あの体格差は妙に愛らしかった。配信されたら数日は冒頭シーンを繰り返し観ると思う。『最高の離婚』が好きなひと、絶対観るべし。

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乗り物をうまく活用している作品はなんかめちゃくちゃ心を惹かれてしまう。『このサイテーな世界の終わり』シーズン2もすばらしかった。アリッサとジェームズはS1から「横に並ぶ」というだけで特別な意味づけをされているから、車で“彼らの間にいるボニー”という表象の仕方や、最後のほうの展開は鳥肌モノだった。もっとみていたい。ーーここにきて高畑勲にハマる。『おもひでぽろぽろ』も純然たる乗り物映画。寝台列車でひとり過去を回顧し、田舎で同乗した青年に心を許して、最後の電車での決断に至るまで。『WOOD JOB!』とか最後の流れほぼ一緒やん!とか思ったし(大好き)、『四月の永い夢』とも通じる部分が多々ある。主人公のタエ子にはめちゃくちゃ共感できてしまうタイプの人間です。ーー続けてみた『かぐや姫の物語』も半端なかったなぁ。照射されるのは現代人が抱えるフラストレーションと同じもので、その生きづらさに真っ向から立ち向かいながら、この彩りに満ちた世界の美しさを垣間見せる。「生きるために生まれてきたのに」と嘆くかぐや姫の儚さたるや。数少ないアニメ映画鑑賞数のなかでは一番好きな作品だ。

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シャムキャッツのEP『はなたば』がめちゃいい。なかでも「はなたば 〜セールスマンの失恋〜」をリピートして聴いてる。三部構成みたいな音楽のなかに、かわいい日常と異世界感と切なさの刹那が盛り込まれていて、なんだかクセになって繰り返し聴いてしまうんだよな。〈くたびれたコンビニの前で缶ビールを開けたときにふと思った〉〈プールサイドで涼しい風にちょっと当たっていたかったね〉とかまずフレーズが最高だし、言葉が音のなかに最大限に詰め込まれてて耳心地もいい。

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ある事情からYouTubeにめちゃくちゃ刺激を受けたひと月だったのだけどその折に見た『みんなのかが屋』がとてもおもしろかった。かが屋のふたりが展開するYouTubeチャンネル*1。漫画『バクマン』で亜城木夢叶のライバルとして登場する七峰透が編み出した漫画制作の手法ーーインターネットで募ったモニター50人から物語のアイデアを得て、それを組み合わせて漫画を作るーーに感銘を受けた加賀くんが、「悪いモンがやったからダメになったけど、(俺たち)良いモンがやったらうまくいくんじゃないか」との発想でうまれた企画とのこと。生配信で行われる『みんなのかが屋』は“15分”の制限時間のなかで視聴者からアイデアを募り、ひとつのコントを作り上げていく。これがまぁ想像以上に毎回よくできていて、ハプニング的なものも含めてぜんぶおもしろいのよ。1回目放送のひとつ目の『トイストーリー』を題材にしたコントからもう2人の魅力が爆発してて最高なのでぜひご覧あれ。


みんなのかが屋 15分でコント1本つくる生配信 概要

今月最後のビッグトピックといえばアンタッチャブルの復活ですね。ネットでバズってるのを確認してから後追いで見ることになったけど、わかっててみてもめっちゃおもしろいし、今世紀最大のグッとくる〜案件だったわ。『M-1 2004』のときのネタを見返したり、TLでまわってきた柴田さんがネタ中に爆笑しちゃうやつ見たり、単純に幸せでした。また見れる、と思いながら振り返れることの喜び。

来月は12月なんで演劇とかYouTubeとかの年間振り返りorベスト(映画は個別エントリーで)を書きまっす。いや〜忙しい忙しい。インフルエンザにだけは注意したい。

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*1:作家として『Aマッソのゲラニチョビ』『しもふりチューブ』等の白武ときお氏が参画。

言霊と光、心を導いて/中川龍太郎『わたしは光をにぎっている』

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確信的な 朝を何度も迎えにゆくために/これからもずっと どうにかしなくちゃ/君をおどろかせていたい/確信的だ 今日は必ずいいことあるはずだ/追いかけたバスが待っていてくれた/かっこいいまま ここでさよなら ーー「Home Alone」

恋しい日々を抱きしめて/花瓶に花を刺さなくちゃ/部屋の電気をつけなくちゃ/明日の目覚ましかけなくちゃ ーー「恋しい日々」

君の不安を取り除くのは/お祈り 呪術か魔法/それがだめなら 外にでも出て 美味しいものでも食べてみなーー「カーステレオから」

 

主題歌の「光の方へ」は本作を締めるのにこれ以上ない曲だ。そして映画を観ているあいだ、カネコアヤノの楽曲が紡いできたたくさんの力強い詩のことを思い出した。辛さも喜びもすべてを包み込んで、日々の営みを自分自身で柔らかく肯定していく“祈り”のような言葉たち。「言葉は光、光は心ーー。」。澪(松本穂香)の祖母がそう言うように、言葉は言霊となって行く先を照らす光となり、やがてその光は己の心を抱きしめ、鮮やかな色に染め上げていく。「わたしは光をにぎっている」。劇中で何度も繰り返されるこのタイトル(山村暮鳥の詩)のなんと力強いことか! 読むたびにたくましくなっていく澪の声色は、映画にあった無数の光を掴んだまま私たちを遠く、光の方へと連れて行ってくれる。

 

できないことも頑張って/やってみようと思ってる ーー「祝日」

言葉が反射する こころの底に/言葉じゃ足りないこともあるけど/瞳は輝きを続ける ーー「光の方へ」

 

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カネコアヤノの楽曲と同時に想起したのは、今年3月に放送された『世界ウルルン滞在記』で“世界一寒い村”へ旅に出ていた松本穂香の姿だった。

 

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-50℃にも及ぶ極寒の地で、その小さな身体を酷使しながら家畜の世話をしたり掃除をしたり、子どもをソリみたいなものに乗せて学校まで送っていったり。その辿々しくも一生懸命にホームステイ先の家族たちと歩幅を合わせようとするさまには無条件に心を引きつけられてしまった。その姿とぴったり重なりゆく本作における澪というキャラクターは、松本穂香自身にかなり近いものがあったのだろうと思う。だからこそ、中川龍太郎監督と山村暮鳥の詩、カネコアヤノの歌とともに四身一体となって本作の祈りを体現してみせている。銭湯の入り口にちょっぴり背伸びして暖簾をかけるシーンの反復、あれには坂元裕二(『カルテット』の世吹すずめ、『初恋と不倫』の三崎明希)による生への肯定と同じものを感じる。一挙手一投足がとても彼女らしい。それにしても松本穂香さん、あまりにもかわいすぎひん?

 

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「場所や風景が主人公の映画」とは、中川監督がたびたびインタビューで吐露していること。言葉や人物だけでなく、本作における「立石」という再開発地域や「銭湯」「エチオピア料理屋」「映画館」「商店街」といった“場所”は登場人物の一人ひとりとして強く輝きを放っている。言うなればその場所にいる“人間”や刻まれる“記憶”は、手のひらで掴んだ光のようなものだ。掴んだ手を放すのと同じように、場所がなくなると、人も、そこにあった記憶も薄れていってしまう。しまいには何もかも無くなってしまうかもしれない。そうした“消えていくもの”に対してどう反応し、未来を生きていくか。この映画が見つめるのは、おぼつかないけれど“しゃんと“終わらせて、その先を歩いていく、登場人物たちの一歩一歩だ。

ひとつのものが終わり、新しくなにかを始めるとき。私たちは言いようもない不安に襲われ、孤独に闇を抱えてしまうことがあるかもしれない。幸福な記憶は薄れ、今の恐怖感だけに心が支配されてしまうかもしれない。しかしそれでもこの映画を観ればきっと、確実にそこにあった光のことを、また別の場所に必ずあるだろう光のことを想い、前を向いて歩きだすことができるはずだ。そうしてひとたび光をにぎってしまえば、あとはこっちのもん。わたしは光をにぎっている。この言葉を心に深く刻みこみ、そう力強く生きてやりたい。*1

 

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