縞馬は青い

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映画とか、好きなもの

2020年5月のカルチャー雑記①リアリティショーとお笑い

 

信じられないスピードで情報と流行が入れ替わる現代にあって、今回のコロナは強制的に時流にストップがかかるいい機会だと最初の頃は楽観視していた。でもそんなことはあり得なくて、排水溝をなくした浴槽のなかに水が流れ込み、そして溢れ出ていくのをただただ黙って見ているしかないのが現実だった。自分の心のなかも同じで、毎日毎日何かについて思考を巡らせているのだけど、なんか吐き出し方がわからないというか、吐き出すことにまったく意味を感じないというか、かなり混乱していた。そうこうしているうちに世界はまたとんでもない早さで動き出して、そのスタートダッシュをし損ねてしまった気がする。世界にも自分にも、多くの悲しみがあり、怒りがあり、死があった。現在進行形で。もちろんネガティブなことばかりなんかでは決してなかったんだけど、負の力はすぐに正(生)の力を覆ってしまう。苦しかったのは、そんなときいつもなら助けてくれる愛するカルチャーが、正常な形をしていなかったことだ。というよりも、カルチャーを含むいろんなものに対して、その歪な原型に盲目だったのかもしれない。だからこそ今月も、カルチャー日記を書きそびれてしまいそうになりながらやっぱりカルチャーに向き合わないといけない。まとまった文章を書く気力と勇気が今はないので、3つのエントリーに分けて思考の断片を撒き散らします。①リアリティショーとお笑い、②リモート映像作品の救い、③恋の囚われとヴェンダースと。

テラスハウス』に出演していた木村花さんが亡くなってしまった。このことに対してもしかしていちばん許せなかったのは、「彼女がSNSで誹謗中傷を受けていた事実」を僕が全然知らなかったことかもしれない。(これはテラスハウスメンバー全員なのだけど)TwitterInstagramもフォローしてなかったから、事の残酷さに気づくまでにいくつかのネット記事で経緯を辿る時間が必要だった。いち視聴者としてはここで、「コンテンツにはのめり込んでいたけどそれと出演者の人生は別個のものだと思っているから、出演者が亡くなったことは寝耳に水だった」と開き直ってスルーすることができるかもしれない。でもそれはただ無知をひけらかすだけで、きっといちばん卑怯なことだと思う。実際、花さんがSNSに苦しんでいる描写はおそらく作品中にはほとんどなかったものの、彼女以外の他のメンバーがそれで深く傷ついている描写はこれまでにも嫌と言うほどたくさんあった。そして僕はそういう番組構造であることを承知したうえで、外(SNS)の世界だけを捨象してただ作品にのめり込んでいた。僕はテラスハウスが大好きだったし、出ている人たちも大好きだった。そして好きすぎてリアルサウンドで月に一回レビューを書いていた。にも関わらず、テラスハウスと他のコンテンツの最も差別化できる部分であり、いちばん劣悪な点でもあった「SNSが番組に強い影響を及ぼしていた悲惨な事実」を、僕はただの一度も書くことができなかった。山ちゃんの声が大きくなりすぎて危険だ、みたいなことしか書いてなかった。マジで馬鹿。

書くことを決めずに書き出しているから話が変な方向にいってる気がする。とりあえず自分はどうしようもない馬鹿だって話で、それについてまずは反省し尽くす時間が必要なのだけど、それと同時にテラスハウス以外にも危険なカルチャーがあることを認めなければいけない。SNSが劣悪なものだというのは周知のなかで、そのSNSが強く影響を及ぼしてしまうカルチャー。アイドル、YouTube、お笑い…。SNSで知り合ったファンにグループの内部情報を話してしまったあのアイドルのことをどうしても思い出してしまうし、ずっと見過ごされてきただけだったことが明らかになったあのラジオ番組の失言も、10年前に聴いてた時にはなにも疑問を浮かべなかったのだろうと思う。テラスハウスの山ちゃんの発言も、やっぱり聞いてて「ん?」と思うことは多々あったから、それがたとえお笑いに昇華されていようと少なからずよくない影響を及ぼしていたことには違いない。カルチャーと個人はSNSがある以前から互いに影響を及ぼし合ってきた。それもグラデーション的な心の変化を与えるものとして。良くも悪くもカルチャーがないと生きていけない自分は、その存在の危うさに常に向き合っていかなければいけない。いま最も危ないな、と思いながらも強く引き込まれているのがお笑い。なにも考えずに笑えるのがいちばん楽しいに違いない。でもいつだって、ふとした瞬間に覚える違和感には敏感であらなければならない。もう2度と大好きな人とカルチャーを失わないために、変わり続ける世界のなかで取り残されてしまったカルチャーのあり様を監視し続けなくてはいけない。

あとSNSはみんなやめたほうがいい。140字で政治を語ったり批判したりすることはできても、政治を批判してる人に反論したり、その人にまた反論したり、そんな建設的な会話ができると思うなよ。僕にはもう、Twitterの政治論争は戦争にしか見えない。頼むから自分の近くにいる人と徹底的に議論を交わしてくれ。嫌なら毎回1万字くらいの反論でやりあってほしい。そんなこと言ったってそんな未来はきっと訪れないのだけど。