縞馬は青い

縞馬は青い

映画とか、好きなもの

陽の当たる場所へ/森下佳子『だから私は推しました』第3話

f:id:bsk00kw20-kohei:20190811220500j:image

「私はあの子のオタなの」。そう告白しながら、徐々に黄色く染まっていく愛。まるで、後ろで出番を控えるサニーサイドアップに共鳴するかのように、まるで彼女たちに照らされているかのように、悔しさを吐露しながらも愛は美しく光り輝いていく。どうして彼女たちが身の程をわきまえる必要があるのか。がんばってる子を応援することに、なぜ遠慮が必要なのか。自分の思いを告白し、文字通り一皮むけるまでのこのシークエンスに、心を掴まれずにはいられなかった。

愛が心のうちに秘めた感情に向き合う間に、サニーサイドアップという地下アイドルはその名が示す「陽の当たる場所」への一時的なステップアップを果たしている。というよりも、彼女たちがそこへ上がってきたからこそ、愛もすべてを投げ打つ決心がついたのかもしれない。彼女たちがめざすのは、サニーサイドで堂々とパフォーマンスをする未来。その第一歩を踏み出した愛とアイドルたちの姿が重なって描かれることで、ストーリーにも厚みが生まれ出す。そしてそれを共依存によるものとみなすのは、あまりにも短絡的なのだ。なぜなら、愛の建設的なアイデアによって動画配信の視聴者が増え、ハナの頑張りと彼女からもらったオタTが愛の決心を後押しするなど、お互いに自立することでいい影響を及ぼし合うという関係を私たちはしっかり見ていたから。桜井ユキさんが主演している『真っ赤な星』という映画があるのだけど、その作品でもまさしく自立する女性2人の姿が描かれていて、それはもう美しいとしか言いようのない光景だった。愛とハナを見て少なくとも僕は、この世で一番美しい関係性だと強く思うのだ。

f:id:bsk00kw20-kohei:20190811223927j:image

第1話でことごとく「否定したはずのものに導かれてきた」愛は、ここでもまた、オタクという言葉を受け入れることで違うステージに歩みを進めることになる。オタへの階段を登った愛がなぜ刑務所という絶望(?)の未来に向かうことになったのか。めっちゃ気になるわ〜〜*1

*1:ネットで服の値段を見て、「チェキ25枚分か」とチェキ計算してしまう感じ、、めっちゃわかるな。僕の場合は映画鑑賞料金が生活のベースになってる。。

あなたと私、目があった/森下佳子『だから私は推しました』第1-2話

m.youtube.comアイドルが髪を切る。そこに圧倒的な生の煌めきと幸福感が宿るのは、やっぱりこのMVを思い出してしまうからなんだろう。髪を切るなんてほんの些細な出来事かもしれないけれど、それを彼女が軽やかに踊りながら見せると、「何かいいことが起きそうな予感」に世界が満ち溢れる。似たような「予感」を、NHKよるドラ枠ではじまった『だから私は推しました』というドラマの第1話を見ていて感じた。いい予感か悪い予感かはまだわからないけれど、「何かが起きそう」という予感が漂っているのだ。

f:id:bsk00kw20-kohei:20190810081501j:image
このドラマの主人公・遠藤愛(桜井ユキ)と彼女が“推す”ことになるアイドル・栗本ハナ(白石聖)は、まるで運命に導かれるようにしてある日突然、出会うことになる。地上と地下、OLとアイドル、出会うはずのなかった彼女たちを引き寄せるのは、「私は推される側の人間にはなれなかった」という悲痛な現実だ。アフターファイブはジムにヨガ、週末は彼氏とデート、平日の夜には映えるレストランで女子会をして、インスタでいいねを押してもらうことを生きがいにしていた愛。彼女はその日、恋人にイタいと言ってフラれ、落としたスマホを求めて彷徨うと、地下のライブハウスにたどり着いていた。そこで見たのは、キラキラしたアイドルのなかにひとりだけどうしようもなく歌とダンスが下手くそで、「なんでそこにいるの?」と突っ込んでしまう女の子。その子の惨めさに自分を投影してしまった愛は、酔いにまかせて暴言をぶちまけてしまう。「なんだよその前髪!コミュ障かよ!」って。最悪の出会いだった。もう会わないだろうと決め込んでいたものの、彼女への罪悪感とそこにいた「自分の分身」のようなハナのことが気になって、愛は後日、もう一度ライブハウスへと訪れることになる。しかしそこには、前に会った時とは違う、前髪を切って少しだけ堂々としたアイドルの姿があったーー。

「だから私は推しました」。“推す”理由となる「出会い」はこのようにして紡がれる。このドラマでどこまで深く語られるかはわからないけれど、ハナへとぶつけた暴言はきっと、すべて愛自身のことなのだろう。前髪のこともたぶんそう。前髪を上げて自信満々かのようにおでこを出す愛と、前髪を切ったハナとの身体の照応が、彼女たちの同質性を強く決定づけている*1。一転して気になるのは、刑務所らしき薄暗い部屋にいる目にかかりそうなくらいの前髪をした愛の姿。地下のライブハウスにも似た「陽の当たらない場所」で瓜田を押し倒すまでの日々を訥々と語る愛は今、何を思っているのか*2。そこに見る一定の不穏さ。

「推した理由」が「押し倒した理由」に徐々につながっていくという物語の構造にも言えることだが、このドラマではそうした因果応報的な、宿命的な愛の行動を軸にストーリーが進んでいく。そこでさらに気づくのは、愛が、「一度消えたはずのものに導かれている」点だ。“落とした携帯”が地下へと誘い、“人格を否定した”ハナに生きがいを見出す。“切られたクレーム電話”はまるでハナへの暴言と同じで、身につまされた愛は再び会いに行くことを決意する。そうなると気になるのは、愛がバカにした「オタク」という言葉や、第2話の時点でいなくなった瓜田が、今後どのように物語へと関わってくるか。人生の“いいねを無くした”愛が、ハナとの出会いを通して再びいいねを取り戻すまでの記録。になってほしいというのが、率直な願いだ。いやはや、『あまちゃん』や『武道館』などアイドル側の視点に立ったドラマは数あれど、アイドルオタクとともに描くドラマは珍しいのでとてもわくわくしている。とんでもない作品が生まれそうな「予感」に満ち溢れてはいませんか?

*1:彼女たちの服を中心に目立っているドラマのイメージカラー的な「黄色」も気になるところ。

*2:“また、「サニーサイドアップ」というグループ名には、「『サニーサイド』という日の当たらない地下の反対である日向と意味する言葉と、『ダウン』の対義語である『アップ』。もっと上に行きたい、日向を目指したいと思いながらも今置かれている場所で腐ることなく活動している熱意あるグループを描きたいという意味が込められています」と話す。”ーーhttps://thetv.jp/news/detail/197443/p3/

カルチャーをむさぼり食らう(2019年7月号)

f:id:bsk00kw20-kohei:20190804115143j:image気分が落ちているときに一番支えになるのは「お笑い」だ。映画を観て涙を流すでも、音楽を聴いて体を揺らすでもなく、理性を失いながら顔をぐちゃぐちゃに歪ませて笑う。カルチャーに順序をつけるのもおかしいことだけど、映画よりも音楽よりも、お笑いが自分にとって一番大事なものだということを最近噛みしめている。どれもないと生きていけないんだけど。笑いに執着して生きているのはアイデンティティの一つである関西弁を去勢された元関西人現シティーボーイのせめてもの抵抗なのかもしれない。バラエティや漫才がないと僕は生きていけない。ほんとうに生きていけないのだ。そもそも僕にとってカルチャーとは、「食」と同じくらい大事なもの。だから貪り食って、こうやって文章として排泄している(排泄が追いついてなくてこの日記が下痢みたいになってる)。吉本うんぬんにつなげるつもりはまったくなくお笑いについて書き出したんだけど、最近すごく思う。日々の出来事にただ笑い、泣き、ときに考えさせられながら、自分の心のうちを好きに書いていきたいなって。日々ツイッター上を流れる情報の狂ったスピード感と、物事に優先順位をつけないと取り残されてしまうその速さに辟易として、そんなふつうのことを忘れちゃってた。ということで今月も数多のカルチャーに救われました。

音のならない夜

いま一番笑わせてくれるのは千鳥。もっぱら『相席食堂』と『テレビ千鳥』に生かされている。相席食堂については以前ブログを書いたのだけど、やっぱりあの、誰も拾わなければ“醜態を晒している”ようにしか見えない芸能人たちが、ふたりのツッコミによって生命を得る姿にグッときてしまうのだ。まったく新しく、それでいて美しいいのちを。今月は蛭子さんの回がおもしろかったかな。そんで『テレビ千鳥』は7月29日放送の「海に飛び込みたいんじゃ‼︎」回が定期的に見たい最高の番組だった。「押すなよ」のくだりでそれを言ったノブではなく言われた大悟が迷いなく海に飛び込むという新しすぎる笑い*1を5、6年前に関西の番組(土曜の朝といえばな「せやねん」)ではじめて見たときにめっちゃ笑ったのを覚えてる。そんな千鳥×ロケの代名詞的な「海ダイブ」をロッチ中岡、三四郎小宮、プラマイ岩橋との競演のもとで繰り広げるロケ。元水泳部から見ても中岡の飛び込みはきれいすぎてそういうとこで爆笑してると笑いすぎて咳が止まらなくなった。最高だ。

tver.jp最近、やっと霜降り明星のよさがわかってきた*2。ていうかめっちゃ好き。オールナイトを聞くようになってオープニングがしっかりおもしろいことに惚れ惚れしてしまった。YouTube毎日投稿をはじめたときはやっぱり第7世代は違うぜ、と思ったけど今のところ毎日見るほどではないのでもう少しだけがんばってほしい気持ち。意外とYouTubeは一筋縄ではいかないんだよね〜。ひとつ気になるのは彼らが忙しすぎるところ。心配になってしまうのはあまりよくない。ーー最近は決まった音楽しか聴かなくなってしまい、それはほとんど中村佳穂のことを指している。フジロックYouTube中継ではじめて歌ってる映像をちゃんと見たけど、楽しそうすぎるし声が七色すぎるし、聴いてて楽しすぎない??「アイアム主人公」とか「SHE’S GONE」とか、サビを思わず口ずさんちゃう系が好き。

7月31日*3。カネコアヤノと峯田和伸の弾き語りツーマンへ行ってきた。熱心な音楽ファンではないので銀杏BOYSはほぼ存じ上げなかったのだけど(峯田さんは映画でよく見る人っていうイメージの方が強い)、とにかくカネコアヤノの弾き語りを求めに定時退社でLIQUIDROOMに急いだ。もう、、よすぎよ、、。夏らしいショートカットに涼やかなノースリーブワンピース姿で現れたかわいい女の子が魂を震わせながら歌う歌。バンドセットもいいけどこれを見たかったんだよな〜!!声を吹っ飛ばした後の狂った感じの顔が好き。優しいトーンのトークは癒しすぎる……。初披露の新曲「ひかりの方へ」もとてもよかったし、もう夏!!って感じで夏でした(語彙力)。そんでよ。峯田さんやばいっす。フジロックの映像も見たけど「生きたい」は心に直接流れ込んできたし、「SKOOL KILL」での奇行とかにぶっ飛び笑ったりした。高円寺に住む民として銀杏BOYSは聞いておきたいよね、たぶん。

今月のハロプロ情報。新グループのBEYOOOOONDS(ビヨーンズと言います)がもうすぐメジャーデビューする。そのトリプルA面シングルのMVが軒並み素晴らしく、激烈にハロプロ色をしていて最高なのだ*4。とりわけ見ていただきたいのは松岡茉優も唐突にTwitterで宣伝していた「ニッポンノD・N・A!」という曲。けっこう人数が多いグループだけどみんなが輝くMVに仕上がっている。冒頭のラップ(平井美葉さん)からどうしようもなく心掴まれてしまうんだよ。寸劇×歌をコンセプトにした変わったグループで彼女たちの楽曲には基本的に劇が組み込まれているのだけど、それって全然テレビサイズに対応できなさそうで、そういうのにも惹かれてしまうんだよなぁ(笑)。新時代の到来を信じたい。


BEYOOOOONDS『ニッポンノD・N・A!』(BEYOOOOONDS [The Japanese D・N・A!])(Promotion Edit)


【ハロ!ステ#300】Hello! Project 2019 SUMMER!BEYOOOOONDS、ハロー!キッチン、Juice=Juice特等席、こぶしファクトリーお知らせ MC:竹内朱莉&中西香菜

ずっと見たかったドラマ『デート〜恋とはどんなものかしら〜』をレンタルしてビンジウォッチした。今年ベストドラマに確定。4年も前のドラマだけど。長谷川博己のまくしたてる感じが生理的に大好きで、それは『鈴木先生』でも感じてたことなんだけど今回もよかったな〜。そしてそれ以上に杏ちゃんの声、立ち居振る舞い、奇天烈なアヒル口が最高だった。古沢脚本のドラマは無条件に楽しめる。今期のドラマは『だから私は推しました』くらいしかたぶん見ないと思う*5。ーー7月15日。そんなことあるのか、という話だが間違えてチケットを取ってしまい、平田オリザ作・演出の『その森の奥』を観劇してきた。こまばアゴラ劇場*6。ただ、大好物のディスコミュニケーションものの作品だったので普通によかった。日本人と韓国人とフランス人が10人以上出てきて、字幕とかもあってとにかく情報量が半端ない演劇。猿の研究に関わる人たちが会話のなかで人間の本質に迫っていくさまはカタルシスがすごかった。カオスな会話劇のなか、がんばっても受け取れるのはごくわずかだから、情報を取捨選択する必要性を感じたものだ。必要なものを必要なだけ摂取して、想像力を働かして生きていきましょう。

映画が耳元でささやいた

f:id:bsk00kw20-kohei:20190804115206j:image月の中ごろに『オルエットの方へ』というフランス映画を観た。これは飯田橋にある「アンスティチュ・フランセ東京」っていうフランス文化センターで行われた「バカンス映画特集」で観たやつ。他にもみたいものがいっぱいあったんだけど「バカンス映画特集やて!?」といきり立った頃にはもう特集期間は終盤で……。にしてもこの映画、最高だったな。先月から個人的に波がきてるフランス映画ブームに拍車をかける大傑作。社会人女性3人がただバカンスに出かけーーでもそのバカンスが3、4日とかじゃなく2週間強くらいでーー途中でその中のひとりを狙う男が介入してきたりして、基本的には彼女たちが遊んでる姿をただ眺めているだけっていう、それなのにめちゃくちゃ心を動かされてしまうバケモン映画だった。ヌーヴェルヴァーグを先導したうちのひとり、ジャック・ロジエ監督、覚えた。レンタル屋に置いてないからハマりきれないのが悲しみだよな〜。いやはやバカンス映画は至高。

今月も15本くらい映画を観ておきながら、先月の終わりに観た『ホットギミック』、というか山戸結希のことで頭がいっぱいだった。ユリイカの特集号は買ったものの内容量が多すぎてまだ読みきれてない。でも一番はじめの監督インタビューがかなりおもしろいことを語っていた気がする。山戸監督の映画はほんとうに届けたい人に届くようなシステムが形成されているのかという疑問がいつも浮かぶわけだけど、これを読んでやっぱりちゃんと考えてるんだなぁと感心した。山戸監督を先頭バッターとして、最近、「映画じゃなきゃダメなんだなこの人」と感じる監督をよく観る。そのひとりが石井達也という人で、テアトル新宿で観た『万歳!ここは愛の道』という映画にはすごいものが映っていてびっくり仰天した。フェイクドキュメンタリー的な物語の主人公は石井達也その人。2年付き合ってきた彼女がある日突然その2年分の記憶をなくし、石井監督はその様子をカメラに収めようとする。おもしろいのが、自身も映画監督であり石井達也の彼女である福田芽衣が「記憶を失った」のはまぎれもない事実だということだ。いや、そこすらも僕には怪しく見えたのだけど。どちらにしろ、今にも死んでしまいそうな2人が映画を用いることでそのなかで生き続け、そうして映画世界が現実に侵食していく。なかなか言葉に表しづらいな…。つまるところ、映画はいろんなものを救えるんだ!という希望が詰まった作品だと感じた。

7月、これは傑作だ、と思った新作映画は『トイストーリー4』と『よこがお』。トイストーリーはターミネーター4(字面似てるから引き合いに出してみた)みたいな変な方向性じゃなくてちゃんとトイストーリーでやる意義を感じる物語でよかった。深田晃司監督の『よこがお』は爆発的におもしろい。こんなにおもしろい映画、ほかにないだろとすら思った。どうあがいても、観ながら足元が沼に引きずり込まれてしまう。ずんずんずんずん、ゆるりゆるりと。前作『海を駆ける』を飛ばしてしまってたから久しぶりの感覚で、もはや爽快に沼に突っ込んでしまった。圧倒的に悪夢ではあれど、主演・筒井真理子のよこがおが美しいからかすべてが温かく肯定されている気がする。でも、気がするだけなんだよな。もう、頭の毛の1本まで見えなくなるほんのちょっと手前まできている。ーーそういえば月初めに今イチオシの劇団・贅沢貧乏の過去作上映があり、『フィクション・シティー』という作品を観た。

sheishere.jpこの世界はすべてフィクションでできている、という語りは意外と自分にとって新鮮で、そっか、じゃあ抜け出すこともできるんだなと感心してしまった。〜しなければいけない、〜であるべき、という変な設定がはびこる世界に私たちは生きているわけだけど、そんなものに従う必要は全くないのだ。フィクションはぶっ壊していい。フィクションに縛られて潰れてしまうのはごめんだ。しかし難しいのは、あるフィクションから抜け出しても、実はまださらに大きなフィクションに包まれていること。抗うことに意味はあるのか。9月に上演される新作も楽しみ。ーー8月の話題になってしまうけど今日観たので新鮮なうちに。8月3日、五反田団の『偉大なる生活の冒険』を観劇した。はつ五反田団。前田司郎が撮った『ジ、エクストリーム、スキヤキ』っていう映画が大好きだからいつか演劇を観たいと高校生くらいの時からずっと思っていて、やっと観れた。あるアパートの一室で繰り広げられるとても小さなお話だったけど、絶望と希望が詰まっていておもしろかったな〜。劇場がいやにむし暑く、それも含めたむさ苦しい夏の演劇って感じでこの時期にぴったりの。前田さんの演技が自然で柔らかく*7、マヨネーズを口元につけた内田慈さんがとんでもな愛らしさだった。妹役の新井郁さんも玉田さんも絶妙だったし、その彼女役の人も少ない時間で笑いをかっさらっていた。壁の奥には何も見えないけれど、じっと何かを見ているうちはまだ生きられるのかもしれないな。

■ほか、よかったコンテンツ・テキスト*8

shonenjumpplus.com

note.mu

www.cnn.co.jp

文芸オタクの私が教える バズる文章教室

文芸オタクの私が教える バズる文章教室

 

*1:どういうお笑い?

*2:M-1でさえピンときてなかったんだけど。

*3:今回は時系列バラバラです。

*4:アンジュルム改名時やこぶしファクトリーデビュー時もそうだったけど、ハロプロはデビューシングルから最高潮に熱が高く、デビューとは思えないクオリティに驚く。

*5:『偽装不倫』の杏ちゃんの感じは普通すぎてもったいないよな〜…。

*6:菱田屋を通り過ぎるという耐えられない屈辱……

*7:才能の塊かよ。

*8:「いつか怪物になるわたしへ」というnoteがとんでもない名文だったのに消した?消された?みたいです。なぜ……。200103追記https://note.com/okaki_tabetai/n/n347af9c82a47

僕たちはどこで生きていく?/ジョシュ・クーリー『トイストーリー4』

f:id:bsk00kw20-kohei:20190722003314j:image

おもちゃだって生きる場所を選んでもいい。与えられた居場所に居続けるのもひとつの生き方だし、新しい居場所を求めるのもまたひとつの道。何よりも重要なのは、そこがほんとうの自分の居場所なのかどうか、心のうちがハッキリとしていることではないか。「なぜ生きているの?」おもちゃからそんな言葉を聞くことになるとは思わなかったが、この言葉を聞いた瞬間、これはおもちゃの擬人化を通した「私たちの物語」だったんだということを改めて考えさせられた。僕たちはどこで生きていくのか、それは僕たち一人ひとりが決めていいものだ。


アンディがひとり遊びに興じる姿が少年時代の自分と強烈に重なっていたこともあり、トイストーリーにはそれなりに思い入れがあったはずなんだけど、『トイストーリー3』がどんな物語だったのかすっかり忘れてしまっていた……(だから本作に全然違和感がなく、ウッディの勇姿を観てこらえながらも号泣してしまった)。アンディが大人になったように、そうして僕も大人になって、おもちゃと遊んだことなんか忘れちゃって、トイストーリーのことも忘れちゃってと、そんなことはまぁしょうがないことなんだろう。たとえフォーキーのように生みの親に愛されたって、結局自分のことを最後まで面倒見てくれるのは自分しかいないのだ。自分の生きる道は自分で探すしかないし、決めていくしかない。持ち主のために生きるというのは一番美談的で美しく幸せな生き方ではあるけれど、世界には迷子になってしまったいわゆる孤児みたいなおもちゃもいるし、アンティークショップで求めてくれる誰かを待つおもちゃもいる。彼らが教えてくれるのはこの世界の多様な生き方に他ならない。しきりにゴミ箱へと向かうフォーキーをウッディが掬い上げるのは、ボニーのためであることはもちろん、フォーキーに「別の居場所」があることを知ってもらうためだったように感じられた。必要とされなくなったウッディという描写はあまりにも悲しく映るものの、それによって新たな生き方に気付きだす様には心が掴まれてしまう。まるで定年を迎えた僕の父親みたいで……。自分の未来の姿でもある。いや、今の姿でもあるのか。


悪役の立ち回りだったギャビー・ギャビーは、一途に必要とされることを求めていたハーモニーについに必要とされず、自分は無価値であると自戒する。彼女に選ばれることをずっと望んでいたから。それでもウッディは、ボニーであれば必要としてくれるかもしれないと彼女を慰める。感動したのは、そのあとの場面でギャビー・ギャビーが自ら生きる場所を見つけ、ある迷子の女の子を「選んだ」ことだろう*1。ギャビー・ギャビーを拾った女の子は「“私たち”迷子なんです」ってたぶん見回りの人に言った気がするんだけど、それを聞いてとてもホッとしたのだ。おもちゃだって、対等な関係を望んでもいいのかもしれないと、そう思えたから。誰とだって対等な関係を望んでもいい。


ウッディやギャビー・ギャビーの内なる声・心情が、外に飛び出る瞬間の美しさ。彼らの「無限の彼方」への旅たちに、大いなる祝福を送りたい。

f:id:bsk00kw20-kohei:20190722003358j:image

*1:彼女はウッディからボイスボックスを受け取ったことで“内なる声”を獲得したのだ。

カルチャーをむさぼり食らう(2019年6月号)

f:id:bsk00kw20-kohei:20190630121827j:plain

ユーロスペースのフライヤーが並ぶ壁面をおさめた画。ブレにブレてる。

好きな人に告白してフラれたりした6月。昔から、常に刺激を受けながら1分1秒も無駄にせず生きていきたいと思っていたり、人一倍好奇心が旺盛だと思っている自分ですが、東京に来てからというもの、それにますます拍車がかかっている気がする。今回の告白もある種、日々の暮らしへの刺激を求めたものだったのかもしれない。しかし相手のことを好きなのは事実なようで、それは手紙で告白して返事が来るまでの3週間、実に無気力に生活してしまったことに表れているように思う。1分1秒も無駄にしたくないのに、仕事終わり家に帰ったあと、毎日そわそわしてなにもできなかったのだ。そんな日々も、こうして文章にすることで何か意味あるものに昇華されると思うとうれしいな。日々は続き、あの子との関係も何事もなかったように続いていくのだろう。6月はいい映画をたくさん観て、同時に、いっぱい映画を観なければと決意し、映画にどっぷり浸かることを決めた月。映画について書くことがますます楽しくなってきた。

映画

6月1日の映画の日に映画を3本観た。余談ですが、1900円に値上げしてからというもの、TOHOや新宿のシネコンにまじで行かなくなってしまった。絶対に1900円は出してやらないぞという意地があるのだろう。いつも割引いてくれるミニシアターちゃんにゾッコンだから、わざわざシネコン野郎に高い金を払ってやる義理はまったくない。そうすると結果的にゴジラのような大作映画とかアニメ映画とかは間引かれていく。それはそれで悪くないかもな。で、3本観たのだけど1本のことしか覚えてない。その一本が傑作すぎて。塩田明彦『さよならくちびる』。最高だった。次の日も観に行った。もっと最高だった。いかにも映画好きが好きそうな映画という感じで、Twitterでは「演出がすごい!」とか、「言葉ではなく表情や動きで登場人物の関係性を表現してるのがすごい!」とかいう絶賛レビューで溢れかえっていたのだけど、演出を語り出すなんておまえは映画評論家かよと思ったりもした。でも気づいたら自分もこの映画の演出面のおもしろさについてブログを書いてしまっていたのだ。一面的には退屈な映画ではあるし、音楽映画にしては音楽もそこまでいいわけではないのだけど、その背面に流れるささやかな描写の積み重ねに心をつかまれてしまう。うるさいやい!と突っ込まれそうだけどそういう「映画の奥底に潜む楽しさ」について文章を書きましたのでぜひ。おもしろくないと思った人にこそ読んでほしいな。

対して、表のストーリーがしっかりしすぎていると感じたのが『長いお別れ』。『湯を沸かすほどの熱い愛』の中野量太監督作。僕が大好きな“家族映画”のジャンルに長けた監督の映画だけど前作も含めてちょっと好きじゃないんだよな。毎回“ちょっと”好きじゃない。話がよくできすぎているところに、魅力ではなく嫌味を感じるのだと思う。家族映画はうまく締められてしまうとおもしろくない(あくまでも個人的に)。『クレイマークレイマー』『お引越し』『歩いても歩いても』『トウキョウソナタ』『そして父になる』『幼な子われらに生まれ』『永い言い訳』などなど、崩壊した家族が「努力」をもってして現実に向き合うスタート地点にやっと立つまでの描写にハッとするのだ。赤黄青緑の色分けで家族4人の家族の中でのポジションを表し続ける映画なんておもしろくない。崩壊しない安心感などいらない。スクラップアンドビルド万歳!ーーその夜というか翌早朝チャンピオンズリーグ決勝、あえなく敗戦した我らがトッテナムホットスパーの雄姿を見て勇気づけられた。今はさほど興奮してないけど応援しはじめた7年前くらいの中学生の自分に伝えたら飛び跳ねてドギマギするだろうな。勝ち負けとかまじでどうでもいいのよ(でも勝ってほしかった)。ーーテラスハウスはやっぱりおもしろい。なんでカメラがそこかしこに設置されている家で平然と生活ができるのか、家賃・食費などはどうしているのか、みんなあの豪邸や高級外車に似合う最良ルックスすぎはしないか、などなど疑問点はいっぱいあるものの、それも含めてあれこれ考えるのが楽しいのだ。東京編の圧倒的スピード感について考えていたら、家の構造による作用や大きな分類として3つの性格の人物が住んでいることに気づいた。ストレートにものを言う性格に発破をかけるしきりのない家。東京オリンピックまでの間におもしろい事件がいっぱい起こる気がする。そんな内容の振り返りコラム(4話ごとの更新)を担当しています。

realsound.jp

m.youtube.com

このあたりで手紙の返事が来てふわっとふられた。それからというもの映画を週に3本レンタルするようになったり、映画本を読んだりとても充実している。3年間友達関係でいた子に告白したタイミングで、ちょうど『月極オトコトモダチ』という映画を観た。男女の友情は成立するのか、ってな感じのやつ。自分の場合、下心がないと深く接しようとは思わない(というか接し方が下手)から親友になったとしても今回みたいな結末を迎えるのだろうと思う。それもこれもテラスハウスのせいだ。ーーオールタイムベスト級に心をえぐられた映画『町田くんの世界』。なにかを大声で叫びたいくらい好き。なんだ。レビューのなかに書きそびれたところでいうと、やっぱり前田あっちゃんの圧倒的な存在感だろうか。おっさんにしか見えない大賀の私服デートもいい。今年ベストは『ひかりの歌』という映画で当確しているのだけど、2位はこの作品で内定しました。DVD買って見倒してやるし漫画も買うぞ。ついでに6月が終わったので2019年上半期の新作映画ベストを記そう。①ひかりの歌 ②町田くんの世界 ③愛がなんだ ④さよならくちびる ⑤アベンジャーズ/エンドゲーム ⑥僕たちは希望という名の列車に乗った ⑦岬の兄弟 ⑧疑惑とダンス ⑨凪待ち ⑩チワワちゃんーーほぼ日本映画ですね。去年の『ファントム・スレッド』みたいな衝撃的な外国映画にはまだ出会っていない。

神保町花月で鎌田順也作・演出の『予言者たち』を観劇。ナカゴー/ほりぶんの主催である鎌田さんが、よしもとの芸人・ライスやサルゴリラらとともにつくった演劇、という捉え方でいいだろうか。(近作しか観てないけど)近作にも頻出した「予言者」がインフレ状態で多数出てきて(ていうか登場人物全員予言者で)、笑いを次々に生み出す構図。この吉本新喜劇的にトレースし続ける作劇にほんのちょっとだけ飽きてきたかもしれない。今回のストーリーはいつもと比べても薄味で、なんだか物足りなく感じてしまった。ナカゴー『まだ出会っていないだけ』、ほりぶん『飛鳥山』が傑作すぎたのだろうな。でも、毎回チケット代2500円でこのクオリティは本当にお得なので観られる方はぜひとも。その週には『旅のおわり世界のはじまり』、『小さな恋のうた』、『町田くんの世界』(2回目)を観た。やっぱり町田くんの世界がおもしろいな。2回目にもかかわらずボロボロと泣いてしまった。ご存知モンパチの楽曲をモチーフにした映画『小さな恋のうた』は開始数分で予想外の展開へ移行して驚かされたものの、境界を超える/超えないを主軸ストーリーとしたとても観やすい青春映画だったと思う。旧作レンタルの映画にも琴線にふれるものがたくさんあった。なかでもおもしろかったのは岩井俊二四月物語』、成瀬巳喜男乱れ雲』、市川準『会社物語』、マイク・ニコルズ『卒業』。『四月物語』は主演の松たか子がフレッシュすぎて愛おしい。本編67分。これくらいの尺感でラストにどきりとさせられる映画が好きだ。f:id:bsk00kw20-kohei:20190622093851j:image

大傑作『乱れる』の発展系のようでいて結局最後に“ヤルセナキオ”が顔を出す成瀬の遺作『乱れ雲』。「超えられない」こと(その描写)にこれだけ執着する監督もおもしろい。無理とはわかっていながらも「越えようとする」ということに大きな意味を見出しているのだと思うし、その不器用かつテクニシャンな感じがとても好み。f:id:bsk00kw20-kohei:20190622093902j:image

定年退職を間近に控える中年男性の走馬灯的悲喜劇の『会社物語』は中盤以降からの徐々な盛り上がりにやられた。妙な「悲しさ」が全編を覆っているけれど、そのなかにも希望を見つけて拾わせてくれる。市川準の映画はこの素朴さがクセになる。女性キャストたちとワンポイントリリーフのイッセー尾形が魅力を放っていた。f:id:bsk00kw20-kohei:20190622093914p:image

ラストシーンがあまりにも有名すぎる『卒業』はやっぱりそのラストシーンがおもしろい。『プロポーズ大作戦』と『太陽と海の教室』が好きなドラマベスト2なのだけど、その2作品がこの映画を通して強くつながっていることに気づいて驚いた。「The Sound of Silence」がこんなに何回も流れるとは思ってなかった。f:id:bsk00kw20-kohei:20190622093922j:image

アイドル

6月4周目はハロープロジェクト好きにとっては大きな変革の時期だった。Juice=Juiceの宮崎由加さんとアンジュルム和田彩花さんの卒業公演が連日武道館で。武道館はもちろん行けなかったしフジテレビTWOが見れる環境にあるにも関わらず見逃してしまった。やはりヲタクとは言えないレベルでずっと推移している。そうは言っても和田さんとは握手をしたこともあるので、感慨深い気持ちでいっぱい。YouTubeで公開されたJuice=Juiceのライブ風景の一部。これの『「ひとりで生きられそう」ってそれってねぇ褒めているの?』という楽曲がよすぎて鳥肌立ちまくった。段原さんの落ちサビがまじ半端ないのよ。


【ハロ!ステ#294】Juice=Juice ツアーFINAL 宮崎由加卒業スペシャル!MC:譜久村聖

最近のジュースジュースはスキルのある兵隊たちがどんどん入っていくシステムのグループと化していて、先日もハロプロ研修生から優秀な2名が配属されたのだけど、どんどん生でライブを観たいという思いが強まっている。その数日後、モーニング娘。’19にも新メンバーが3人加入した。生配信で行われた新メンバーお披露目。2人目に登場した北川莉央さんという女の子が出てきたときに、これはきた!と直感的にビビっときた。明らかに歌がうまい声質のよさ(実際得意らしい)と鞘師里保の面影を感じる滲み出るエースの風格。もうほんとうに、漏れ出ちゃってるの、なにかが。いやぁ、ライブ行きたいっすね。f:id:bsk00kw20-kohei:20190623224217j:image

4週目の週末は期せずしてフランス映画を劇場で5本(うち2本は短編)も観ることになった。それが、なにから話したらいいのかわからないくらい全部びっくりするぐらいおもしろかった。フランス映画には前々から苦手意識があったからなおさらだ。観た全作に共通しているのは、愛おしい日常描写と悲劇的な事件が交錯して描かれていて、その様を身近に(自分ごとであると)感じながら観てしまったこと。とりわけ素晴らしかったのはギヨーム・ブラックの『女っ気なし』という映画。この映画との出会い方もある種劇的で、同じ監督の『7月の物語』を観終わった後にその空気感が心地よすぎて次回上映のそれに飛び込んでしまったという流れ。とくに東京に来てからは予約しないで飛び込みで映画を観ることなんて全くなかったから、運命的な出会いに感じている。30代中盤くらいのデブでハゲで自信なさげな主人公男性(でもフランス人だから色気もにじみ出てる)が、バカンスにやってきた女ふたり親子と悲喜こもごもな日々を過ごす話。簡単に書くとそんな感じ。どこかわからないのだけどバカンスに訪れるくらいだから舞台は観光地かなにかで、それが微妙に退廃している雰囲気なのがとてもグッときてしまった。熱海的な位置づけの場所なんだろうと想像しながら、そこに住む鬱屈した中年男性の生活に癒されたり苦しめられたり笑ったりする。なかなか日本映画なんかでは見ないけど確実に存在している人種の男が描かれていて、妙に共感してしまったものだ。こういう映画が世界にあふれていてほしい。残念ながら東京での上映は終わってしまったけどアップリンク吉祥寺あたりが拾ってくれると思うのでぜひ見てほしい〜。僕も『やさしい人』を観れば一気に全作コンプリートだ。f:id:bsk00kw20-kohei:20190628233531j:image『月曜から金曜の男子高校生』という漫画をLINEマンガでちまちま読んでいる。とても癒されるストーリー。スクールカーストでいうと一番下のランクにいる男子たちが、恋をしたり部活に打ち込んだり、とにかく生き生きと日々を過ごしている情景。最近、こういった学園もののカルチャー作品で“スクールカースト”というものが描かれなくなってきたように感じている。それは別に学園内格差が無くなったというわけではなく、それを描く意義の喪失を意味しているのだろう、とか想像して。例えば成瀬や小津のように「境界を超えられないこと」や「わかりあえなさ」を表出してきた古典邦画が、近作で言うと『さよならくちびる』のように「曖昧な関係のままでもいいじゃん」と示しているように。「分断」を認識したあとに描くべきことは、それでも互いに歩み寄ろうとする意志に違いない。毎週リアルサウンドでまとめコラムを書いていた『俺のスカート、どこ行った?』にしても、第1話では明らかな上下関係が存在していた明智(永瀬廉)と若林(長尾謙杜)というふたりが最終話には親友かのように並んでいる、そういう描写に心を掴まれたものだ。いじめる/いじめられるという関係にあったふたりが和解する瞬間は描かれていたものの、その後の距離の縮まりをこのドラマは省略していて、いきなり仲良しになっている。NHKよるドラの『腐女子、うっかりゲイに告る』や『町田くんの世界』も、まるでスクールカーストなど存在しないかのような世界が描かれていた。スクールカースト以上に語るべき問題があるということでもあるのだろう。

月曜から金曜の男子高校生1巻 (LINEコミックス)

月曜から金曜の男子高校生1巻 (LINEコミックス)

 

 『日向坂で会いましょう』が毎回とんでもなくおもしろい。とりわけ6月24日放送の春日とロケする回はハンパなかった。どんなバラエティよりも笑えるし、加えて無尽蔵に癒されてしまうのだから、これほどいい番組はないと思う。イヤモニをした加藤史帆に指示を出す若林の姿(とても楽しそう)を見ていたら、バカリズムがMCを務めていた伝説的なアイドル番組『アイドリング』を思い出した。アイドルをひな壇に座らせMCを芸人が務めるというこの雛形を生んだパイオニアのような番組(『あさやん』やおニャン子クラブが出てた番組がどんななのか知らないので適当にパイオニアと言ってます)。このアイドルバラエティという番組の形式が僕は大好きで、アイドリングからAKBINGO、乃木どこ・乃木中、けやかけ、日向坂と(途中にもいろいろあった気がするけど)駆けてきたわけだが、ふとその魅力の本質について考えてみたくなる。アイドルの魅力や本性があぶり出される(あるいはまったくあぶり出されない子もいる)この番組スタイルの未知のパワーについてや、MC芸人との必ず合致する奇妙な相性、関西芸人が起用されづらい理由(なぜだろう)、バラドル養成機関としてのそれについてなどなど。だれか論じてくれないだろうか。『アイドリング』には「バカリズムは誰だ?」という最強のコーナーがあって、バカリズムがアイドルに無茶ぶりの指示を出しまくってそれはおもしろかったのだけど、日向坂のそれ(加藤史帆や松田好花)を見ていると明らかにアップデートされてると感じるのだ。ノリのよさにいやらしさがまるでない(アイドリングはなんか売れてやろう感がめっちゃあっていやらしかった)、余裕のあるボケ、笑い。乃木坂、欅坂、日向坂と、個人的には毎回新番組がはじまる度に興味が移ってしまっていたそのクオリティの上昇気流について、とても気になるところだ。そういう番組を幸か不幸かもっていないハロープロジェクトのことをアイドルのなかで一番推しているのだから、これもまた奇妙。坂道系のライブにはこれまでもこれからも行かないだろうから、まったく別物として見てるのだろうな。とにかく『日向坂で会いましょう』は最高。f:id:bsk00kw20-kohei:20190628232457j:image

フランス映画、というかギヨーム・ブラックの話に逆戻りします。特集上映のすべりこみで『やさしい人』を観ることができた。『女っ気なし』と比べるとかなり狂気的な展開が待ち受けていて驚いてしまったけど、根底にはもちろん同じものが流れているなと感じる。そして同じ雰囲気を纏うものとして、エドワード・ヤン坂元裕二の作品のことが思い起こされた。愛おしい日常と、それに付随する崩壊への不安感・狂気、逃れようのない転機、そしてラストに待ち受ける微細な光。街ーーとりわけ地方都市の風景を撮ることに熱心で、それと同時にそこにいる人々のドラマ、日常を紡ごうとする姿勢は、とても大好き。『ひかりの歌』にもちょっと似てるかも。杉田協士監督と同じくらい、ギヨーム・ブラックのことも知れてよかった。f:id:bsk00kw20-kohei:20190628233544j:image

ボーイもガールも

6月27日、OKAMOTO’Sの武道館ライブに行った。かっこいい以外の言葉が思い浮かばない。印象的なのは「BOYから大人への転換点だと思い、アルバムタイトルを“BOY”にした。でもツアーをやってるうちに俺たちはいつまでも“BOY”の気持ちを無くすことはないと気づいた」というオカモトショウの言葉。BOYとは無邪気に夢を見て、純粋に追い求める姿。それは女の子であってもおじいさんであっても、誰の心にも存在するものであると、そう彼は言っていた。ふと、生粋のアンジュルムオタクである蒼井優と菊池亜希子がW編集長を務めた『アンジュルムック』というアーティストブックに刻み込まれたキャッチコピーを思い出す。「ファンもオタもボーイもガールも」という文言。そしてまたふと思い出す。昨年の東京国際映画祭で『21世紀の女の子』を観たときに参加監督14人が登壇した挨拶でそのひとり山中瑶子監督が発していた言葉。女の子という言葉がタイトルに入っていて女の子しか出てこない映画だけれど、きっとおじさんにも届くはずの話であると。めっちゃ記憶が曖昧で監督の言葉も論旨が微妙にぶれていた気はするものの、つまるところ誰の心にも女の子はいるということを伝えたいのだろうと感じたものだ。こういう発言を聞くたびに、なんだか救われた気分になる。“BOY”や“女の子”というイメージの固定されているような言葉を用いながらも、その逆説を示すことで私たちの心は繋がっている、あるいは繋がっているはずだとみんなが甲高に主張するのだ。私たちは強く繋がっていけるに違いない。f:id:bsk00kw20-kohei:20190628234155j:image『21世紀の女の子』の総監督でもある山戸結希の新作『ホットギミック ガールミーツボーイ』を観た。たまにはキラキラ映画を観るのも悪くないなと開始10分くらいはのんきに鑑賞。しかし、「ガールミーツボーイ」という副題でありながらもヒロイン(堀未央奈)が3人の男性の間で揺れ、いろいろなものを奪われ、自立していかない様を90分くらい見せられるので、だんだんと焦ってくる。でも山戸結希だからという安心感はあった。長らく青春時代における恋(あるいは青春映画)の代名詞として使われてきた「ボーイミーツガール」という定型。それはそのままの意味で、男の子が女の子と出会い、苦楽を共にする物語を紡いでいくことによって「男の子が成長する」という作劇だったのかもしれない。そうしたものの対義として、もしくは少女漫画における、かっこいい男の子に身を捧げる少女のストーリーとは違うものを提示するという監督の意志として「ガールミーツボーイ」という副題は掲げられているのだろう。冒頭のタイトルバックにて「ボーイ」という字と「ガール」という字が入れ替わる瞬間を私たちは確認することで、この映画はガールのための映画であると認識させられる。しかしその前提のままではこの映画は終わらなかった。90分くらいで山戸作品特有の映像の密の濃さに疲れて(このタイミングで一旦映画が静かになったことも影響してる)集中力が切れて、それから105分くらいまで展開がないように感じてしんどかったのだけどラスト15分くらいがとてもよかったと思う。『溺れるナイフ』とかはそこまで好みではないのだけどそれとも違う本作での山戸作品の成長は、ヒロインが劇的な変化を遂げるのと同じ速度でまわりの男の子たちも成長していくところ。互いに影響を及ぼしあうことで、どんどんこの世界は複雑であると魅せてくる演出も見事だった。ロケーションとキャスティングが抜群にいい映画。無機質なマンションが高低差のある空間での声の往来によって生き生きとしてくるのが魅力的です。f:id:bsk00kw20-kohei:20190630193125j:image

『21世紀の女の子』で山戸結希がつくった短編映画のタイトルは『離れ離れの花々へ』。その名前にも似たロロの新作公演『はなればなれたち』を観劇。これまで劇場では青春劇「いつ高シリーズ」しか観たことがなかったので新鮮な気持ちでフルスケールの本公演に挑んだ。気持ちよさそうに発声し、からだを動かし、地面に寝転がる登場人物たち。彼らの姿はいつだって楽しさで満ち溢れていて、観るだけでこちらも元気になってしまう。映像では2年前くらいの本公演『父母姉僕弟君』も観たことがあったけど、正直これまで何度かロロの演劇を観てきてストーリーが深く心に刺さることはなかった。受け取るか受け取らないかの狭間で、物語が僕の脇をするりと通り抜けていく感じ。でも楽しいからなんとなく観ていたのだけど本作はなかなかに受容することができたと思う。舞台上と観客席との境界がたびたび破られるのがいい。確実にそこに「あった」と語る望月綾乃さんの力強さにやられた。森本華さんもめちゃくちゃキュート。板橋さんはめっちゃ声出てた。よかったなぁ。

f:id:bsk00kw20-kohei:20190630193048j:image東京芸術劇場アピチャッポン・ウィーラセタクンの『フィーバー・ルーム』をみた。いちおう演劇だと思って観に行ったから全然人出てこないしそんなことよりすごすぎるものを見せられて度肝抜いた。監督はこれを映画だと言っているが明らかに映像表現の域を超えたものだ。これから観る人のために詳述するのは避けたいのだけど、2Dの映像が段階的に拡張されていき、最終的に自分に迫ってくるーー文字にすると意味のわからない体験型の映像作品。夢の中をさまよっているのか、宇宙を放流しているのか、どうとでもとれる規模感の世界に投げ出され、プリミティブな感覚を得る。母親のお腹に中にいたときの感覚すらもが思い出せそうな、特異的な空間/時間芸術だった。インタビューとかの載ったパンフレットを無料でくれるのが嬉しみ深し。ーー夢に関する映画と言えば、Netflixで公開された『ANIMA』もすばらしい。『ファントム・スレッド』のPTA御大による新作短編映画。トム・ヨークの音楽もそれぞれのダンスも感覚を刺激するものばかりで、ずっと見ていたい夢の様相を見事に形作っている。あと乗り物に乗って終わる映画が大好きなんだよな〜。

そんなこんなで今月は結構濃いカルチャー生活でした。あと退屈なときは基本的にYouTubeをみてるのでそこに触れておくと、QuizKnockというチャンネルと(相変わらず)東海オンエアがすごくおもしろい。前者は企画力が高すぎて明らかにクイズ番組を更新していると感じる頭のいいチャンネル。後者はとにかくバカなチャンネル(逆説的に頭もいい)。リーダーのてつやが5、60万くらいのガチラブドールを買ったというのが最近のビッグトピックで、その行く末がとっても気になってる。是枝監督の『空気人形』を思い出してしまう、独特の空気感が流れ出していて楽しいんだわ。


てつやくんの家にラブドールが届きました

 

赤い風船=関水渚がもたらす映画の奇跡/石井裕也『町田くんの世界』

f:id:bsk00kw20-kohei:20190616230133j:image

いつになく感情的なレビューになります。好きすぎて好きすぎて、どうにかなっちゃうんじゃないかってくらい好きな映画だ。この作品を構成するすべての要素が好きだから、この感想だけですべてを補えそうにはない。特に好きだった、「ファンタジーがもたらす奇跡」というストーリー面の快感と、「細田佳央太・関水渚の愛おしすぎる身体=演技」について、クロスオーバーさせながら書いていこうと思う。もうこの時点で好きが溢れすぎて、何回も好きって言っちゃっている。


ファンタジーがつくりだすパワーの凄まじさを考える。もしかしたら僕は、ディズニーやピクサーのアニメーションを見逃すことによって大切なものを受け取り損ねてきたのかもしれないとか。『町田くんの世界』では、まるで小さい頃に読んだ絵本のように美しい世界が広がり、登場人物たちはみんな光輝いていて、映画的で劇的な奇跡が最後に彼らを包み込む。たまらなく愛おしい物語だ。これほどまでに映画の奇跡を実感したことは、今までになかった。

f:id:bsk00kw20-kohei:20190616230219j:image

全人類を家族だと思っている、そんな神のような善人・町田くん(細田佳央太)が、たったひとつしかない“恋”の存在にはじめて触れる瞬間。冒頭の保健室での出会いの場面からしてもうパーフェクトに心を掴まれてしまうのだ。「高校」「保健室」「密室に男女ふたり」という特別な状況下であっても、「普通(現実世界)ならば何も起きない」だろうことが、「特別なことが起きうるかもしれない(ファンタジーが現実にも起きうる)」とこの映画は常に訴え続けていると思う。保健室で男女ふたりきりになっても、リアルならば恋に発展することはまぁないかもしれない。しかしここは「高校だから(映画だから)」そういうことが起きるかもしれない。

カーテンの隙間から町田くんの存在を認識した猪原さん(関水渚)は、思わずそのカーテンで遮られた部屋を踏み出て、出血したまま硬直している町田くんの看病にあたる。この、同じ部屋にいながらも絶妙な距離にあった(しかもカーテンという境界があった)ふたりが急接近するという描写。そうした演出的な緊張感の創出に、まずはどきりとする。日々何10人という人を助け、心を潤してきたのだろう町田くんだけれど、このふたりにおいて最初に助けられることになるのは猪原さんではなく、町田くんだった。保健室から出ていった猪原さんを町田くんはむやみに追いかけ、ちょっと怖がられてることくらいわかりそうだけど追いかけ続け、「ありがとう」と伝える。もう、好きになってしまっている。ファーストコンタクトから、町田くんは猪原さんのことを特別な存在として認識するようになっているのだ。同じく猪原さんも、その帰りに河原で奇妙な夢を見る。少年が手放した赤い風船を追いかけ、宙に浮かぶ町田くんの姿。赤い風船とはもちろん、直前の場面で追いかけっこを繰り広げた猪原さんへとリンクするもの。ファーストコンタクトにして、好き同士は成立してしまっている。だから観客である僕は、ふたりの愛おしさを想い、冒頭から好きが溢れ出てしまうのだ。この映画には「好き」という感情とその本質にある「愛」が溢れかえっている。

f:id:bsk00kw20-kohei:20190616230250j:image

彼らの愛を阻むのが町田くんの「人類愛の強さ」であるというのがとても厄介だ。どれだけ町田くんのことを好きになっても、町田くんは違う人のこと“も”好きだから、なかなか思うようにはいかない。町田くんにしても、特別な存在に対して「特別な態度」をとることができなくてムズムズしている。細田佳央太と関水渚のすばらしいところは、この心情をあらわす“身体のバタつき”が異様に美しいことである。なぜだかうまくいかないことに2人とも心を乱され、身体が勝手に動き出す。光がさす夜の河原での対峙、プールサイドで「どんな人が好きなの?」と問われたときの関水渚の動き、貧乏ゆすり、河原での追いかけっこ長回し。ふたりの顔は常に百面相をしていて、極めていびつ。動きはとても大げさに見えるかもしれないが、そのぶん彼らは「言葉を発することができていない」。ジタバタと動くことでしか、その複雑な心情を表現することができないのである。

f:id:bsk00kw20-kohei:20190616230316j:image

「普通(現実世界)ならば何も起きない」だろうことが、「特別なことが起きうるかもしれない(ファンタジーが現実にも起きうる)」とこの映画は常に訴え続けている。

この硬直した状態を助けてくれるのは、町田くんが日々救ってきた人々の愛。みんなからの愛を受けて、飛び立ちそうになる猪原さんを追いかけることを決めながらも、自転車が倒れてしまったり、少年が風船を手放す瞬間に出会ってしまうなど、とことん間が悪い。誰かを救おうとすれば、他の誰かをないがしろにしてしまう可能性があるというのは、池松壮亮が言う現実の姿だ。困っている人を助けていたら、大事な時間に遅れてしまった。あるいは大事な時間に遅れてしまうから、困っている人のことを見過ごす。そんな現実に対してこの映画が示すのは、ファンタジーという奇跡だった。風船をつかむことで町田くんはまるでスーパーマンのように空を飛び、猪原さんを捕まえることに成功する。わたしたち観客は、映画という奇跡が世界を救う瞬間を垣間見ることになる。町田くんも、町田くんの世界も、この世には存在しないファンタジーかもしれない。しかしそれでも、わたしたち観客には町田くんの姿が「見えている」。“見えている”というのは予想以上に重要なことで、わたしたちの「想像力」を助けてくれるもの。ファンタジーがリアルへと侵食しうる希望を、町田くんはわたしたちに与えてくれたのだ。

f:id:bsk00kw20-kohei:20190616230336j:image

 

カルチャーをむさぼり食らう(2019年5月号)

f:id:bsk00kw20-kohei:20190505144907j:image

薄給サラリーマンにとってゴールデンウィークというのは本当に長い。時間がありあまっちゃうとかではなく。どうしようもなく浪費癖があるので、湯水のようにお金が消えていくのだ。映画をみて演劇をみて、ときどき酒をたらふく飲んで、おいしいごはんを求め、本を読みにカフェへ行く。GW明けにもろもろの引き落としもあったらしく、気づいたときにはびっくり困窮者になっていた。(本業もライターですが)副業のライター業でちまちまお小遣いを稼ぎながら、ちょっとずつ節約するという生活スタンスを求められているらしい。それに関してはそんなに苦ではないけど、視界が狭くなってしまいそうで心配。そんな5月。

 

5月1、2日は二宮健監督(『チワワちゃん』『疑惑とダンス』など)のコンプリートワークスと題した特集上映に2日連続で行っていた。LOFT 9 SHIBUYA にて。くだんの監督についてはそれこそ『チワワちゃん』を観る前までは認知すらしていなかったのだけど、その後、3月に公開された『疑惑とダンス』を観てからというものたちまち最注目監督になっていた。大阪芸大山下敦弘、熊切和嘉、石井裕也)の血を引くような絶妙なゆるさに加え、俳優との多大なる信頼関係によって生まれる奇跡的な演技=ショットがクセになる映画をつくる監督だ。2日で短編含めて10本くらい観ることになり、スタイリッシュな映像を志向しながらも本編の内容にはだいたい人間の醜い部分が映っていること、そしてそれを笑いに昇華しようとする試みに好感を持った。『セシルボーイズ』『デリバリーお姉さん』(『〜NEO』もよかったけどオリジナルもいい味出てた)がまぁまぁおもしろくて、あとは『MATSUMOTO TRIBE』の松本穂香が最高だった。制作費いっぱいあるほうがいい映画撮れる監督さんだと思うので、今後に期待っす。

5月3日。ほりぶんの舞台『飛鳥山』をみる。ナカゴーの作・演出も手がける鎌田順也さんのもうひとつのワーキングプレイス。ほりぶんは初めてみた。基本的にはナカゴーと同じで、血管破裂すんじゃねぇかってほど大げさな演技をする役者たちと、そのことも含めて途切れない「笑い」を生み出していく作劇スタイルが特徴。演者は女性しかいないというのも、その特異さを強調していると思う。第7回公演となる今回ははじめて男性出演者(黒田大輔)がひとり加わったのことで、それまでのを見てないからなんとも言えないけど。とにもかくにもおもしろい。ソフトクリームが懐中電灯へと変化してさまざまに人を往来していく様に悲哀を感じたり、いきなりガチもんのサンバダンサーが2人も現れて唖然としたり、圧倒された。あの規模の演劇でこれだけ心を動かされるのは間違いなくコスパいいと思う。

f:id:bsk00kw20-kohei:20190604235915j:image

5月5日。東京国際映画祭ですでに観ていた『あの日々の話』(玉田真也監督)を再見。前にみたときはめっちゃ笑ったんだけど、2回みても特に新たな発見があるタイプの映画ではないと思うので、細部が気になりだしてしまった。それにしても、マウントの取り合いで場の空気を転がしていく玉田さんのお話と役者たちの洗練された演技は何度見ても楽しい。似たタイプの映画である『疑惑とダンス』のほうがたぶん客入ってたから、(劇作家である玉田さんがあえて挑戦する)映画の独自性が出てくればもっとおもしろくなるんだと思う。なんて偉そうに言っちゃって。

5月6日。J:COMさまさま。映画チャンネルで録画していた『友だちのうちはどこ?』(アッバス・キアロスタミ)を観て、傑作すぎて打ちふるえたのだ。友だちが忘れたノートを少年が友だちのうちに届けようとするだけの映画なのに、なんでこんなおもしろいんだよ。あの一瞬だけ窓は開け放たれていて、僕たちはどこへだって出掛けることができたのかもしれないな。何度だってみたい映画がまたひとつ増えた。

友だちのうちはどこ?ニューマスター版 [DVD]

友だちのうちはどこ?ニューマスター版 [DVD]

 

 

5月7日。ポレポレで『沈没家族』をみる。「沈没ハウス」という稀有な家の中で育った加納土くんが、大学の卒業制作でこの映画を撮るまで。その過程を描写したドキュメンタリー。自分の過去をさらけ出すというのはとても度胸のいることだと思うし、たぶん賛否両論迫ってきた(この映画を批判することは加納土くんを批判することと同じになる)だろうけど、当の本人が案外自信満々でいい。それでも私とあなたの関係性(の名前)について考えるときに、相手側にその判断を委ねてしまうのがなんとも歯がゆいな。彼らの自信のなさと、それでも強固な事実関係に揺さぶられて、それはそのまま家族というものを表していると思った。手放しには肯定できない、実験的な新しい家族についての映画。複雑なまま、思考し続けることが大事なのだと思う。あとゴールデンウィークは『若葉のころ』『藍色夏恋』『愛情萬歳』と台湾映画をいっぱい観たけどぜんぶイマイチだったな…。ツァイ・ミンリャン『愛情萬歳』はもう一度見たいかも。半分くらいまでほとんどセリフないのがめっちゃいい。

飛ばして5月13日。試写会で白石和彌監督の新作『凪待ち』をみた。すんごいおもしろい。月間ベスト級の映画ではあった。

香取くんの多面的表情ももちろんいいのだけど、恒松祐里がハンパないのよ。どれだけ彼女のよさを連ねてもその演技の前には無為と化してしまうだろうからひとつだけ挙げると、スポーン!と心に突き刺さる透き通った声が最高。今年これから5本も出演作が公開されるらしい。そして5本ともおもしろそうで目をつけてた映画。いやぁたのしみな女優さん。


映画『凪待ち』予告(30秒)

5月14日。先月ハマり散らかしていたテラスハウスの新シーズンがはじまった。舞台は再び東京へ。軽井沢ののんびり感とノスタルジー、自然風景が大好きだったから“街”を映すことが少ない東京にはわくわく感が減少するものの、前の東京編にもなかった「スピード感」という特徴が早速現れてきて楽しい。この家には遠慮を知らずずんずん壁を破る2人の男女と知らぬ間に相手の心に入り込むのがうまい2人の男女と、落ち着いた2人の男女が住んでいて、そのことが物事を加速させていると感じる。そうは言ってもある程度のところで一旦停止しそうですが。テラスハウスについて書く機会が与えられそうなので詳しくはそこで。

5月19日。『僕たちは希望という名の列車に乗った』という映画に打ちのめされた。冷戦下の東ドイツで教師と国に反抗した学生たちの話。政治性を多分に含みながらも青春ドラマとしてのできがとてもよくて、不勉強な自分でも心を掴まれてしまった。男2、女1+男1の主要4人の役者がとにかく巧い。自分を見つめるために「境界を超える」。逃げのない映画。悪いとこが見当たらないわ。今さらですが、『腐女子、うっかりゲイに告る』がとてもいいです。ロロの三浦さんが脚本を手がけるドラマ。セリフ一つひとつに配慮と愛と優しさがある。『カランコエの花』のつづきみたいな物語がテレビドラマとして放送されている尊さを称えないといけない。切実に、全人類に見てほしいです。

5月23日。『ウィーアーリトルゾンビーズ』を試写で。この映画に興味をもったなら、まずは監督の前作『そうして私たちはプールに金魚を、』をご覧ください(以下公式)。20数分のさくっと短編です。おもしろすぎてゲロ吐くんじゃないかな。最新作はその短編を長編映画にしましたって感じで正直微妙だ。セリフも短編のほうがよっぽど「生きてる」。「ゲーム映画」としてみると近作の『ブラック・ミラー:バンダースナッチ』の数百倍好きだけど。vimeo.com

Juice=Juiceとモー娘の新譜を続けざまに聞いて、よすぎて耳が溶けた。とりわけ『「ひとりで生きられそう」ってそれってねえ、褒めているの?』というヤバいタイトルのJuice=Juice新譜にやられた。ジュースもつばきもモーニングもアンジュもちょっとずつ気になってるからソロコンに行って存分に楽しむ自信はないのだよなぁ。兵庫においてきたハロー好きの親友が東京に来てくれるのを待つか。


Juice=Juice『「ひとりで生きられそう」って それってねえ、褒めているの?』(Promotion Edit)


モーニング娘。'19『青春Night』(Morning Musume。'19 [The Youthful Night])(Promotion Edit)

『映画術 その演出はなぜ心をつかむのか』という本を図書館で借りて読んでいて、視界がひらけすぎて楽しい。映画監督の塩田明彦氏が、映画にある「動線」や「顔」「視線と表情」といった演出にスポットを当て、そういった「ストーリーの裏に存在する映画的技法によって生み出される映画の“豊かさ”」を説いていく本。こんな本に出会うのをずっと待ち望んでいたのだよ。映画ってのはやっぱりめちゃくちゃおもしろくて奥が深く、より多層的な視座を手に入れたような気持ちになってうれしい。この本をもとにして塩田監督の最新作『さよならくちびる』(これについては6月のカルチャー日記に持ち越しますが、傑作です!!)の評を書きました。塩田先生の授業を受けたあとにレポート書きましたって感じでおもしろかった。

 

お金がないから本を読む月間にしようと意気込んだものの読んだのは『桐島、部活やめるってよ』『愛がなんだ』『映画術〜』『夫のちんぽが入らない』の4冊だけ。3年前くらいからオールタイムベストに掲げている『桐島〜』の小説版をまだ読んでなかったことに今さら気づき驚いたけど、やっぱりおもしろかった。スクールカースト上位の人は自分を上だと誇示しない!と友だちは言い張っていたけど、そんなの人それぞれだし、菊池みたいなやつは絶対いると思う。ていうか朝井リョウが菊池なのか。風助と前田くんと菊池にちょうど3分の1ずつくらい共感した。映画の感想もそろそろちゃんと書いてみたいな。

桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)

桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)

 
夫のちんぽが入らない (講談社文庫)

夫のちんぽが入らない (講談社文庫)

 
愛がなんだ (角川文庫)

愛がなんだ (角川文庫)

 

  

おもしろかったWeb記事

p-dress.jp

sheishere.jp

hanako.tokyo

 

おもしろかった動画

m.youtube.com

 

m.youtube.com

パオパオチャンネルの活動休止は悲しい。(休止前)最後の動画、手紙って。いいよねぇ…。

realsound.jp

realsound.jp