縞馬は青い

縞馬は青い

映画とかドラマとか、好きなもの

先週食べたカルチャー(21年2月3週目)

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「湯に浸かったてたらさ、なんかずっと見られてるなぁって思って。もうずっと見てくんの。その人のほう見返してみても、まだ見てて。なんか付いてんのかなぁ?って不思議に思ってたりしたら、マスクつけてることに気づいて。マスクつけながら温泉浸かっててん」。そんな話に笑いを誘われたりしながら、近ごろは春の訪れを感じています。さいきんは人生で初めてくらい本をたくさん読めるようになって、イコール在宅勤務で家にこもるようになり自炊もして夜は酒を飲まずゆっくり読書か映画を観るようになり、それで思考のぐるぐるをある程度文章としても昇華することができていてとても好循環の生活ができているような気がする。と書いてしまうと少し不安にはなるのだが。ということで先週あたりに観た映画、演劇、お笑い、小説、ドラマの記録。


- 空気階段第4回単独LIVE『anna』
空気階段の単独を観るのは初めて。「踊り場」も熱心なリスナーではないので絶対観たいと思っていたわけではないのだけど、不思議な圧に押されて配信日に観た。

まずは驚きがあった。こんな演劇みたいに精巧につくりあげられた単独ライブが存在しえるんだという驚き。その次に感動。まるでひとつの街に生きる数多の浮浪者たちの生き様を切り取ったかのような、それが“ふたり”の芝居だけで生み出される至極のダイナミズム。そして根底にある、笑い、人生の可笑しみ。あまりの完成度に泣けてしまうコントではあるのだけど、やっぱりそこには圧倒的な“笑い”のたくましさが横たわっていて。ある人の人生の立ち行かなさが、また別の人の人生に(ときには水を差し、ときには光を与えながら)交わっていく世界の回り方、構成の妙にめちゃくちゃ心を乱された。

即DVDを買った。きっと何度も見返すことになるだろう映像になると思う。余談だけど、4月に公開される今泉力哉監督の『街の上で』とかなり似たところのある映画だと思っています。今年のベストカルチャーは「人と人が交差点で出会い、可笑しみの劇(コント/ドラマ)を繰り広げていく」この2作品にほぼ確しました。

 

- 今泉力哉『あの頃。』

少し前に試写で観たのでもう一度映画館で観ようと思ってますが。ハロオタではあるのだけどせいぜい10年くらい前に好きになりはじめたので(振り返るとあんがいながい)黄金期はお姉ちゃんが熱狂していた姿しかほぼ知らず、ゆえにホモソーシャルなファンダムの空間みたいなものに共感できる要素はひとつもなかったのだけど、結局どのジャンルなのかよくわからない今泉力哉的作風に押されながらとても面白く観た。

レコーディング室で罵倒される主人公の姿を扉越しに外から映す冒頭からよくて、それは部屋の“ポストに差し込まれた”あややのDVD→鑑賞して涙し、“部屋を飛び出していく”という、扉一枚で“圧迫感”と“開放”を、「推しとの出会い」をハイパードラマチックに切り取ってみせる演出のうまさにつながっている。あとはなんといっても終盤の思い切りがすごい。あの長い時間をかけて、少しペースダウンしながらも、ひとつの時間の終わりをフラットに捉える姿勢に感動した。詳しくはネタバレになるのであれだけど、ああいう映画の構成の仕方は今泉監督にしかできないと思う。全体的に目線がフラットですよね。それは今泉監督が特定のアイドルを推したことがないゆえの距離感であったり、それでも多分にあるアイドル/オタクへの興味・リスペクトであったり、ファンダムとの意識的な(不/)接触であったりにも通じる納得の態度だと感じる。『アイネクライネナハトムジーク』のときとかとも比べ、めちゃくちゃ商業映画との折り合いに巧みが増してきてると感じていて、今後もとても楽しみなんです。あといいのか悪いのか、長谷川白紙の劇伴が存在感ありすぎた(笑)。


- 西川美和『すばらしき世界』

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前作の『永い言い訳』で最高の擬似家族映画を見せてくれた西川美和監督の最新作。あれからはや4年強。ひとつの映画をつくりあげる時間と労力の量に驚かされるが、紡がれる物語の強度はリサーチと膨大な取材の賜物だろう。奇しくも『ヤクザと家族』という、ヤクザの生存権が消え失せたこの時代にカタギとして生きようとする男の姿を描く映画が2つ重なった2021年冬。あちらは20年という長いスパンで物語を描いていたのに比べて本作は13年服役したあとの「出所後」のみを描いているから、やはり厚みが違う。そしてその作劇のアプローチも、どこまでいっても家族や血縁に閉じていってしまう前者とは対照的にこちらは徹底的に血のつながらない他者との相互ケアのうえに成り立つ“すばらしき世界”を描こうとしていて好感が持てる。役所広司がまずはとてつもない。リアルすぎて思わず吹いてしまう芝居がいくつかある。そして仲野太賀は言わずもがな、六角精児、北村有起哉、ちょい役だけど田村健太郎も、脇を固める俳優陣が真に迫る芝居をしていて持っていかれた。

はて“すばらしき世界”とはいったいなんだろうと、観賞後に胸につっかえたものを各々が取り除いていくことになるだろう。見て見ぬふりをして世界に順応していくのが正しいのか、太賀のように一歩踏み込んでみるのがよいのか。ある意味純朴な主人公の荒唐無稽な生き様から、きっと多くのものを学べるはずだ。きっと順応と反発の間で生きていく可能性を、この映画は教えてくれていると思う。西川美和ケン・ローチに近づいてきた。

 

- 相米慎二『魚影の群れ』『風花』

ユーロスペース相米慎二特集上映。観たことがなかったやつと、大好きなやつを。相米の遺作である『風花』はなぜかわからないけどめちゃくちゃ惹かれるものがある。死と隣り合わせの主人公たちの哀愁がとても軽く描かれているところに惹かれているのか、それとも浅野忠信の酔っ払い演技のうまさにか、小泉今日子の落ち着きにか。行くあてがなく木の下に転がっているふたりが流浪の旅をする、その設定だけで、まぁ面白いには違いないのだよな。男女の彷徨を描きながらも決してロマンスに発展しかいかないところも、相米ってすげぇなと思うのです。

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- ナナ・クワメ・アジェイ=ブレニヤー『フライデー・ブラック』

新進気鋭のアフリカ系アメリカ人によって上梓された12の物語からなる短編集。装丁が最高にイカしてる。文体も、言葉のセンスも抜群で、取り上げられる黒人差別や資本主義社会、管理社会、不感症、セルフケアといった現代社会をとりまく主題がすっと入ってきてとても読みやすい。それでいてズドンとはらわたをえぐる読後感。とりわけ、BLM問題を物語に昇華した「フィンケルスティーン5」と、SF的な世界観のなかで感情が失われた人間の行く末が描かれていく「旧時代〈ジ・エラ〉」、ブラックフライデーにおけるショッピングモールを比喩ではなく“戦場”として直接描写した表題作「フライデー・ブラック」あたりがかなり刺激的だった。結論が出るような話ではない。ただ賽は投げられている。

フライデー・ブラック

フライデー・ブラック

 

 
- 瀬尾夏美『あわいゆくころーー陸前高田、震災後を生きる』

2月27日公開のドキュメンタリー映画『二重のまち/交代地のうたを編む』(小森はるか+瀬尾夏美)のレビューを書くため、瀬尾夏美さんの著書を読んだ。2011年4月に当時大学院生だった瀬尾さんは映像作家の小森はるかさんとともにボランティアで東北を訪れ、その後2012年に陸前高田に移り住んで創作活動を続けてきたかた。作家で、画家でもあり、東北では住人ではなくあくまでも旅人としての距離感を保ちながら風景と人々を記録してきた。

震災後から2018年3月までの歩行録(日記)が書かれたこちらの著書、とてもよかった。いろんな方向でめちゃくちゃよかった。まずひとつに、正確な「記録」としての側面。この10年でまったく震災に関わることがなく正直に言えば情報を調べる、思いを馳せるということすらほとんどできなかった自分にとっては、陸前高田が嵩上げ工事によって真っさらな土地のうえに新しいまちができていた激変や、そこに住む人々の心の移り変わりを捉えた文章はすべてが新鮮なものとして受け入れられた。そしてすばらしいところのもうひとつに、記録という「伝承」の側面がある。まがいなりにも書く仕事をしている自分にとって、「言葉」を扱うことの意義と可能性を感じられて学ぶことが多かった。瀬尾さん本人もインタビューで語ってることだが、ディスコミュニケーションに対処していく方法論、なかば“技術”とも呼べるようなものが“実践”されている、実用書としての側面もあるんだと思う。とても大事にしたい本。『二重のまち/交代地のうたを編む』(2/27公開)もすばらしくって、今年いちばん観てほしい映画です。

あわいゆくころ──陸前高田、震災後を生きる

あわいゆくころ──陸前高田、震災後を生きる

  • 作者:瀬尾夏美
  • 発売日: 2019/02/01
  • メディア: 単行本
 


- 大前粟生『おもろい以外いらんねん』

文藝2020冬号に掲載されていた中編小説。特に前半は芸人を目指す高校生の姿を青春小説的に見せながら、徐々に「お笑い」への批評的な視点が介入し、終盤には男らしさの解体にまで挑んでいくスペクタクル純文学。アイドルとお笑いを題材にした小説って、いまの時代感、流行りの投影でもあるのだろうけどめちゃくちゃ面白くて興味深い。きっといまの時代を物語として描くには、アイドルとお笑いが題材として最適なんだろうなと最近の文藝の作品(『推し、燃ゆ』、児玉雨子『誰にも奪われたくない』)を連続して読んだいま考えている。なぜ最適なのかというと、私たちがその構造・体制にときおり問題意識をもちながらも、アイドルとお笑いに心酔している、そこにしか救いを求めることができない時代に生きているからだと思うのだけど。「アイドルを推す」ことも「お笑いをみて笑う」ことも、私たちは常にそこに潜んでいるかもしれない「暴力」の存在に自覚的である必要がある。そんなことひとつも考えずに熱狂してきたあのときの自分たちと、暴力にすがるわたしたちの弱さに向き合いながら。

おもろい以外いらんねん

おもろい以外いらんねん

 

 

- 『イキウメの金輪町コレクション』乙プログラム(『輪廻TM』『ゴッド・セーブ・ザ・クイーン』『許さない十字路』『賽の河原で踊りまくる「亡霊」』)

初のイキウメ@東京芸術劇場シアターウエスト。空気階段を観て久しぶりにガチ演劇が観たくなったのと、あと枝優花監督が鑑賞ツイートしてたのを観てよし!行こうと思ってギリギリチケット買えた。映画化されている『太陽』、『散歩する侵略者』は観てたので、ずっと興味は抱いてたんですよね。今回は短編集ということもあって、たぶんとても見やすい内容だったんじゃなかろうかと思う。笑えるSF。面白かった。最後の一編なんかは、ちょっとまだよくわかってないんだけども。印象に残り続けると思う。

 

- 『俺の家の話』

毎回面白いなぁ面白いなぁと声に出しながら観ている。あと長州力のセリフぜんぶに腹抱えて笑ってる。中年兄妹とおじいちゃんの家族旅行がこんなにワクワクするドラマ、他にないでしょ。第5話は寿限無と大州の反抗期が同時に描かれていて、大州の反抗期は寿一と被るところがあって、寿限無の反抗期の鬱憤は寿一に矛先が向き、なんかまとめんのむずいけどとにかくすべて辻褄が合っていてリアリティラインが的確で、すごいすごいと言いながら観続けられるドラマだ。相変わらずマスク、能面、プロレスのマスクの使い方もびびりまくりの巧さだし。この抜群のストーリーテリングで介護やら親権やら血縁やらお金の問題やらが描かれるとなると、そりゃよだれ垂らしながら観てさらりとハッとしちゃう。


- 『にじいろカルテ』

岡田惠和の脚本の、ちょっと歪だけど圧倒的な優しさがある筆致に惹かれている。『ひよっこ』は見そびれて総集編しか見てないので、気づいたのは前クールの『姉ちゃんの恋人』からなんだけど。「人が話す場」をつくったり、相互ケアを描くことにとても意識的な脚本家だと思う。第5話の、自分を「普通の人」だと思って葛藤する太陽(北村匠海)の描写は、岡田惠和の新境地という気がする。これまではなんらかの強すぎる問題を抱えた人ばかりが描かれていた気がするので。ただ、普通の人なんていないんだよなってことが、やっぱり「人が話す場」の創出によってもたらされていく。


- 乗代雄介『旅する練習』

とても好きな小説でした。こういう作品こそうまく言葉にできればいいのだけど、いまの自分にはちょっと難しい。偉大すぎて。亜美の放ったある言葉がずっと思い起こされる。ずっと思い起こされたい。

旅する練習

旅する練習

 

 

- レゾ・チヘイーゼ『ルカじいさんと苗木』

昨年の今ごろにシネマヴェーラ渋谷で開催していた「ソヴィエト&ジョージア映画特集」。今年もやんないかなぁって昨日ふと思って調べてみたら、ちょうど昨日からまた始まっていた。ということで行った。

大大大大大傑作。世界にはまだこんなにも美しい映画があった!ちょっとよすぎてびっくりしちゃったな。今回のブログで挙げたカルチャー、まじでぜんぶバイブルにしたいほどの作品たちだらけでそろそろ語彙力も尽きてきた。雑多にカルチャーと接していると、あれと似たような題材だなみたいに感じることがたまにあって。本作はおじいちゃんとその孫が梨の木の苗木を求めて旅をする話だったんだけど、それはもう『旅する練習』と重ねて観ていた。ルカじいさんの分け隔てない最高な性格、言語の通じないアメリカ人に向かって果敢に気持ちを通していく姿勢、祖父から孫に継承されるグルジアの民謡、「音楽」で溶ける境界線、声と声の重なりのこれ以上ない歓び、記憶は失われていくということ、消さないためにまた語り直す・植え直す意思、ほんとうに大事なものを見極める選球眼。などなど、ルカじいさんと孫の旅路からとてつもなく多くのことを学んだ気がする。それはきっと、上に挙げたカルチャーと複合的に交わりながら。

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