縞馬は青い

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「愛」の映画と「恋」の映画(濱口竜介と今泉力哉についてのメモ)

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濱口竜介監督の最新作『偶然と想像』がベルリン国際映画祭で最高賞に次ぐ審査員大賞(銀熊賞)を受賞!おめでたい!『寝ても覚めても』がカンヌで絶賛されながらも賞を得ることがなかったから、ついにハマグチが世界に認められた!という感慨にふけっている。

現時点での僕のオールタイムベストのひとつに、『PASSION』という映画がある。濱口監督が東京藝術大学大学院の修了作品として撮ってしまった奇跡的な映画。その映画のメインキャストである渋川清彦、占部房子、河井青葉が『偶然と想像』にも名を連ねていて、より一層期待と興奮が止まらないのだ。3つの短編からなる今回の作品は予告編*1からして傑作の薫りがただよっている。それは今までの作品ともちょっと違う雰囲気で、連作短編という試みも含め新たな実験的な側面もあるのだろうと思う。

以前、日本映画専門チャンネルで『PASSION』が放送されたときに録画していたので、通算4回目になるのだけどこの機会にまた再見してみた。何度観ても理性を失うくらいに惹かれてしまう。物語のなかに引きずり込まれていく自分の心を止めることができない。傑作というのは観るたびにこうも味わいが違うのかと、また今回も面食らってしまった。『PASSION』はまぎれもなく「愛」と「暴力」についての映画だ。「愛」と「暴力」はほとんど似た性質をもつものであるとも語られていると思う。自分の内から湧いてくる側面と、避けようもなく外からやってくる側面があること。いや、もしかしたら内から湧くものなんてないのかもしれない、外からくるものを受け入れるしかないのではないかという訴え。「愛」も「暴力」も、自分や他者を変えてしまいうる恐ろしい性質をもつ行動であること。それゆえにまた、このうえなく美しいのかもしれない、自分の心を止められずに盲目的に突き動かされてしまうのではないか、といったようなこと。「愛」と「暴力」の映画とは言いながらも、登場人物たちがみなその本質を知らないことがこの映画の面白さである。「愛とはなんだ」「暴力とは?」と惑いながら他者との対話のなかで自身と向き合っていく、非常に人間らしいむきだしのかっこ悪さが描写されているからこそとても魅力的なのだ。

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濱口竜介が「愛」についての映画を撮る監督だと『PASSION』を観て再認識する前に、今泉力哉監督は「恋」についての映画を撮る監督だなという思いがここ最近頭を巡っていた。4月9日にようやく劇場公開される『街の上で』のすばらしさをなんとか言葉にすべく思いあぐねるなかで、「恋」という言葉が浮かんできたのだ。「愛」と「恋」の違いなんて実感的にはまだ知らないのだけど、ひとつには他者も自分も変化してしまう暴力性を秘めた思いやる心、あるいは“避けようのないもの”を「愛」と呼び、一方で「恋」とはただ単に「好き」だという気持ちのこと、そのものを世界のうちから発見したときの純粋な喜びや驚きのこと、そのせいで世界が真新しく見えてくる現象のことを言うのだと思う。やっぱり愛というのはとても暴力的な性質を持っていて、その意味で恋とはまったく違うもののような印象を抱く。このことは、『PASSION』と『街の上で』、もしくは『寝ても覚めても』と『愛がなんだ』を見比べればわかるように思う。『愛がなんだ』というのは愛の映画である気がするものの、そのタイトルが端的に指すように愛を棄却していく側面ももつ。ただ単に「好き」であるという気持ち、生殖行為にも結婚にも結びつかない、社会性からは遠く隔絶された「ただ恋することの喜び」が狂気的なまでに推し進められた映画であると感じる。原作からしてそうだったか、そうでもないかは思い出せないが、「恋」の映画監督である今泉力哉が撮ったことで奇跡が起きている側面もあるだろう。濱口竜介が撮ればきっと「愛」の映画になっていたんじゃないだろうか。

今泉力哉監督の映画が「愛」の映画にならないのには、暴力やセックス描写の少なさ(というより『愛がなんだ』くらいにしかない)が大きく影響していると思う。そう思ったのは『PASSION』を観たからなのだけど。今泉監督は登場人物たちの身体的な接触を嫌う。触れずに、胸ぐらを掴んだりせずに感情を表現できるならそうしたいと思う監督であり、それは実人生での接触の少なさが反映されているものでもある(って言ってた)。これ以上は憶測になるので書くのをためらうが、きっと今泉監督自身が愛よりも恋のほうが好きな人、しっくりくる人なのだと思う。

『街の上で』がとんでもなくいい映画であるのは「恋」が映りまくっているからだ。カルチャーへの、あるいは街への。そしてもちろん他者への。「恋」というのはまた、「過程」のことでもあると思う。「愛」に変わる前の存在であること、行動に変わる前の原初的な想いであること、人をまなざすこと、片想い、要するに「ああ、世界は、日々はこんなにも美しいんだな」という発見のこと。

今泉力哉監督が『ユリイカ 近藤聡乃特集号』に寄せていた『A子さんの恋人』についてのテキストをメモしておく。

…恋愛や人間関係の、別れる、付き合う過程なんかもそうだ。今、私は自分の映画でも、結末なんてどうでもよくて、その過程を描くことに興味が出てきている。誰も見てくれない逡巡や心の葛藤の時間を観客や読者だけは見てくれている。それが創作物の魅力の一端(であり、もしくは全部)だと最近は強く思うのだ。 P61