縞馬は青い

縞馬は青い

映画とか、好きなもの

悲しい

先週末のこと、2年7か月付き合った彼女と別れることになった。ふたりにとってとてもポジティブな選択だった(と信じてる)し、泣きながら笑いながら決断したことだったにも関わらず、やっぱり家でひとりでいるときや駅のホームで青空を眺めてるとき、ごはんを食べてるときとかシャワー浴びてるとき、ほんとに何気ない一瞬にまだ彼女の熱が残っていて、その余熱に溶かされてどうしようもなく悲しくなる。書き出してみたはいいものの、今はまだこの先が書けそうになかった。

雑誌をつくりました

f:id:bsk00kw20-kohei:20221127225552j:image

雑誌をつくって文学フリマで売りました。Web販売もしてるのでぜひ覗いてみてください。

vacanceszine.theshop.jp

「心のバカンス」を追い求める独立系カルチャー雑誌。創刊号では編集発行人がとにかく好きな人や気になる人に寄稿を依頼し、エッセイから現代川柳、怪談、旅行記、マンガ、小説まで極めて多彩な表現が集まりました。
また、定期的にYouTube生配信をしている夏目知幸さん×高橋翔さんや、『M-1 2022』3回戦の動画でも話題の忘れる。へのインタビューを収録。巻末では僕たちバカンス編集部が、「これぞバカンス」という映画や音楽をレビューしています。

 

■Staff
編集・発行|原航平+上垣内舜介
デザイン|岸田紘之
■A5変形(W135mm×H220mm)、本文86ページ
■2022年11月20日発行
--------------------

■目次
<インタビュー>
夏目知幸×高橋翔|つかずはなれずの距離感で 僕らのまんじがためは続く
忘れる。|伝染していくトランス状態

<寄稿>
島口大樹|僕の生活 [エッセイ]
暮田真名|仮着陸 [現代川柳]
深津さくら|つれかえる [怪談]
kiss the gambler|沖縄旅行記 [旅行記
ナカムラミサキ|ハイ・シティ [マンガ]
今泉力哉|グレースケール [小説]

<巻末コラム>
原航平|多幸感 起き抜けに
上垣内舜介|電気イルカはポルトヨーロッパの夢を見るか
森美和子|くらげ
僕らのバカンス特集(編集部がレコメンドする、バカンスを描いたカルチャーたち)

表紙イラスト|中山望
--------------------

敬愛して止まない今泉力哉さんに短編小説を書いていただいたり、『鳥がぼくらは祈り、』でこの人の本は一生読んでいきたいと思った小説家の島口大樹さんに生活についてのエッセイを執筆いただいたりしています。『VACANCES バカンス』というタイトルなのに余裕がなくてブログすら書けなかった。

5年前に新卒でライターになってから、さまざまな文章を書いてきました。でもそのどれもが自分でないといけないものではなくて、何かこれまでの実績について自己紹介するときに「どこどこの媒体で書きました」とか、「〇〇さんにインタビューしました」としか言えなかったこれまで。それでもぜんぜん満足してたしそのすべてに自分が書いたものだという納得感はあったのだけど、ずっとどこかに自分で何かを作れたらいいなという思いがあった。自分がつくった、自分が書いた、自分が編集したと胸を張って言えるもの。そう思えるものをちゃんとつくれていまは純粋に感激している。同僚のライターである上垣内舜介さんとデザイナーの岸田紘之さんと一緒につくったのだけど、やっぱりひとりでは何もできなかったと思う。

f:id:bsk00kw20-kohei:20221127230240j:image

文学フリマがとにかく楽しかった。人を前にして自分がつくったものを売るというのが初めての経験でうまくいかない部分も結構あったし、最初の一冊が売れるまでめっちゃソワソワした。でも結果的に沢山の人に手に取ってもらえて、知り合いも来てくれて、会ってみたかった方々ともお話できた。5時間しかないから店番を順番に交代して他のブースを回る時間も確保しておくつもりだったのだけど、ブースを離れるのが嫌すぎました。誰が来てくれるかわからないので。結果的にお会いできなかった方もいたようなのですが、またいつかお話できるといいなあ。来年5月28日の次回の文フリも出す予定です。なんというか、冗談ではなく生きがいがひとつ増えた感じがする。

f:id:bsk00kw20-kohei:20221127225625j:image

自宅隔離は11日までだけど郵便で投票する手段があるという紙が、食料とともに届いた。目が回りながら細かい文字を見て区の選挙管理委員会に電話したりしたけど、結局時間的にも現実的にも無理だった。選挙用紙みたいなものを手配できても最終的には知人か同居人にポストまで持っていってもらう必要があり恐ろしくハードルが高い。しかも選挙当日の6日くらい前から動き出さないと資料の手配なんやかんやで投票に間に合わないという仕様で、結局こういうのはやってまっせアピールでしかなく、本当に利用したい人のための設計にはなっていない。そう感じてしまう。あれこれ言うならすぐに期日前に行っとくべきなので僕が悪いです。いやそんなわけない、と思いつつ。ひげを伸ばしっぱなしにしていたら真空ジェシカの川北さんに似てることに気づいた。

コロナになって3日ぐらい経って、ちょっとずつ大丈夫になってきた。かなり熱も出たけど、いまは喉がずっきーんと痛いくらい。ここまででいちばん怖かったのはかかりつけのクリニックに行ったときだった。他の病院がどうかわからないのだけどそこは疑いのある人に対しては外にあるテントで診察をするタイプのところで、先生も完全防備。それ自体は当然だと思うのだけど、その外のテントで、ひとりベンチに座って微風の扇風機を浴びながら、50分近く待たされてしまったのだ。炎天下ではないからめちゃくちゃ暑いわけではなかったけど、外だからそれなりに暑かった。体温も39度近くあったし。お金を払うときに「暑いですよね…大丈夫でしたか?」と看護師さんに言われてヘラヘラしながら「大丈夫です〜」と答えた過去の自分が頑張りすぎていて今はめちゃくちゃ怒っている。いや、実はそんなに怒ってないかもしれない。ようわからん。

リコリス・ピザ』早く見たい。試写とかの評判を聞いてると格別に面白いらしく、監督のポール・トーマス・アンダーソンは僕もフェイバリットのひとりなので(特に前作の『ファントム・スレッド』が大好き)、自分の前の席に座っているカルチャーフリークの同僚に監督の過去作を見て予習しましょう!とか言って意気込んでいたのにその同僚ともども病に侵されてしまい、映画の日である7月1日の夜に取っていたチケットは無駄になった。無駄になったチケットは他にもいっぱいあったけど、すべて代金を払わずにキャンセルすることができた。

せっかくだから『ストレンジャー・シングス』見るぞぉと意気込んだものの、一度見たことがあるシーズン1を復習する途中でコロナの怠さもあって中断してしまった。さいきんとんとドラマが見れなくなった。パンデミックが起きた世界を描いた『ステーション・イレブン』というSFドラマもU-NEXTで見進めていたのだけど、10話中5話見たのに最後まで見るのが億劫になっている。最後らへんがめっちゃ面白いらしいし、「自費出版のマンガ」が物語を動かすキーアイテムになっていたり面白いところはあるけど。謎が謎として提示され続けるのではなく、ちょっとした違和感が積み重なっていく宙吊り状態に僕は身を任せたいのだ。とか言ってみる。

 

福岡旅とアンジュルム遠征

5月6日と7日に福岡へ行った。7日に博多の会場で行われるアンジュルムのコンサートを見るのがビッグイベントで、その前後に観光をかましていく素晴らしい自作ツアー。東京の会場でやっている公演に行ってもいいのだけど、こういういわゆる遠征っていうものをずっとしてみたかった。今回の福岡アンジュルム遠征を提案してくれたのは恋人のセシル(仮称)。セシルはずっとアンジュルムが好きで、僕はハロプロ全体をかなり幅広く応援してるからどのグループでも見たくて、結果的にゴールデンウィークアンジュルムの福岡公演に行くことになった。他のグループ(つばきファクトリー)の東京での公演にも申し込んでいたけど人気で取れなかったから、地方公演に手を出してよかったなとめちゃ思う。そんで行った。とりあえずいっぱい食べた。まずはその話から。

もつ鍋の正解知らないけど絶対、酢醤油でしょ

6日の11時ごろに福岡空港に到着してまず行ったのが、空港から車で5分くらいの近場にある「牧のうどん」。うどん屋。セシルのお姉ちゃん曰く、めっちゃうまいらしい。ごはんなんて、めっちゃううまい以外に言いようがない。その言葉を信じた。福岡に何店舗かある牧のうどん。数あるトッピングの組み合わせの中でも「肉ごぼううどん」(すき焼きっぽい味付けの牛肉とごぼう天がのっている)が最高とのことでそれを食べた。めちゃくちゃ最高にうまかった。すき焼き味ってなんでこんなにうまいんだ。我が家は父親がすき焼き大好きにも関わらず母と姉があんまりすき焼きのことをよく思ってなくて、父親の誕生日くらいにしか食べられないすき焼き。僕は好き。その少ないパイから女性はすき焼きが嫌いなものなんだとずっと思ってたけど、それは間違いらしい。セシルもおいしそうに食べていた。職場からいいカメラを拝借したためいい写真も撮れてる。

その日の夜に「とりかわ粋恭」という焼き鳥屋で食べた「とりかわグルグル巻き」という食べ物もおいしかった。これは会社の社長がおすすめしてくれたやつ。その名のとおり鶏皮を串にグルグルに巻いて、3日くらいかけてじっくり焼いたり乾燥させたりして旨味を閉じ込めているらしい。焼き鳥はタレ派で、この店はたぶん塩しかなくて、これはタレだともっとおいしい可能性もあると思ったけど、タレで出してるお店も結構あるらしい。リサーチ不足。あと「笹身しぎ焼き」という串もうまかった。ささみをレア焼きしたやつをわさび醤油につけて食べるタイプで、マグロの刺身みたいにさっぱりしつつ肉感もあって初めておいしいと思ったささみだった。焼酎が濃くて2杯のウーロンハイで完全に酔った。屋台にも行って明太たまご焼きを食べた。お目当ての「小金ちゃん」は10人くらい並んでいたから、諦めてその横の屋台に入った。普通においしかったし、屋台は涼しくていいなぁ。天神あたりを歩いているときに仮面ライダーがいた。かっこよく街を闊歩する後ろ姿しか捉えられなかった。

2日目のお昼はチキン南蛮。チキン南蛮って宮崎じゃなかたっけと思いつつ、「チキンナンバン タカチホキッチン」はその本場宮崎の味をお届けしているお店だった。鶏肉が驚くほどジューシーでおいしかったなぁ。衣の食感がめちゃくちゃ独特で何にも形容できなかった。すごいサクサクってわけじゃなくて、油っぽいベチャベチャでもなくて、なぜか肉と一体化していた。擬音で表すなら、シニシニ。自分らしさを追求した服を纏っているかっこいい人みたいな鶏肉と衣とタルタルソースだった。

お昼過ぎに公演を見て、夜はもつ鍋を食べた。いろいろお店を調べる中で見つけたのは「もつ幸」。酢醤油につけて食べるこの店のスタイルがさっぱりしてそうでよかったのと、〆のちゃんぽんに胡麻を大量にふりかけたやつがさらによさそうでここに決めた。初めて食べたもつ鍋は想像以上に自分好みのお味だった。酢醤油がよすぎる。心は一生食べていたかったけどお腹だけはいっぱいいっぱいになってくる感じが無情だった。もつ鍋の正解はしらないけど、絶対これがいいと思う。

もちろん食べてるだけでなくていろんな場所にも行った。マリンワールド海の中道、糸島の森の中にあるカフェ(人に教えたくないくらい素晴らしい)、桜井二見ヶ浦大濠公園、天神〜薬院あたりの古着屋。

大濠公園の近くに「Linde CARTONNAGE/リンデ カルトナージュ」という手紙と文房具のお店を見つけて入ってみると、とにかく万年筆とインクと印刷と紙を愛する店主のお兄さんがいて、一つひとつ熱く語ってくれた姿が忘れられない思い出になった。万年筆って高級なイメージがあるし普段使いするには使いづらいんじゃないかという思いもあったけど、店主はもっとカジュアルに使ってみてほしいと言っていて、ほしいと思いつつ、でもその場では踏みとどまった…。海外の映画とかを見てると万年筆にインク入れて手紙を書いてるシーンとかあってかっこいいと思うのだけど、まだいまいち、例えば取材中のメモにそれを使えるのかというとわからない。使ってみたい。万年筆は買えなかったけど何か記念に持って帰りたいという思いもありつつ、印刷業も手がける店主がこだわるリゾグラフプリントで最高にクールなイラストを刷ったポスターに惹かれておみやげにした。Toyamegという福岡を代表するイラストレーターさんらしい。福岡のところどころで見たヤシの木、ハワイ語で書かれた「ココナッツの家」という文字、バカンス感が胸躍るのと、とにかく色の出方とアナログ的な掠れた質感がいい。折れないように雑誌に挟んで大事に持って帰った。何か一つのことに対してものすごい情熱をかけている人が開いているお店を東京でももっと見つけて行ってみたいなぁと思った。

The ANGERME, BIG LOVE

2日目のお昼に行ったアンジュルム公演。旅の中にこういうビッグイベントを用意するのがこんなに面白いとは思わなかった。アンジュルムの単独コンサートに行くのはおそらく2018年の夏ぶり。ひなフェスとかではもちろん見ているけれど。作詞作曲をアンジュルム愛に満ちあふれた堂島孝平が手がけた「愛すべきべきHuman Life」という爆アゲ曲が最近生まれてしまって、何十回も見るほど大好きだったので、このタイミングでコンサートに行けるのも嬉しさ盛り盛りだった。ライブレポートというものが書けないので詳細に振り返ることはできない。でも、これまでに行ったどのコンサートよりも、おそらく強く記憶に残るものになった。それは福岡に来ているという特別感もあるのだけど、それ以上にあの会場の空間が愛おしすぎたから。リーダーの竹内朱莉さんが体調不良のために途中で不在となったことがこのライブの一番の事件であったことは間違いない*1。正直そのことにはびっくりしたし、タケちゃん大丈夫??の感情が大きすぎて落ち着いて見られない時間も多くあった。ただ、不在を補うリカバリーがすごすぎた。誰がどのパートを歌うか、明確に記憶している人にはあの光景がどう見えていたのだろう。その目を持っていた人も羨ましい。みんなの表情が結構見える席だったから、いろんな顔が見えた。不在になる前のタケちゃんの、強すぎるダンスと余裕のある表情(とてもその後体調不良になるとは思わなかった)。おそらくしんどいながらも一度また戻ってきたときの、今まで見たことがない悟りきったような表情。泣いてしまう上國料萌衣さんと佐々木莉佳子さん。つられる後輩たちもいれば、逆に勇ましく前を向くメンバーもいた。(なんとなくは予想できるけど真相はわからない)2分予定のMCを10分くらいまで延ばさないといけなくなったかみこは、咄嗟にじゃんけん大会を開催した。会場のファンたち全員を相手にじゃんけんし、最後のひとりになるまで続けた。そのひとりのことを「おめでとうございます!今日の主役はあなたです!」と言っているかみこを見てめっちゃ笑った。ユーモアが不安を一瞬で吹き飛ばす。コンサート中に何が起きていたのか、舞台裏ではどんな苦悩があったのか。彼女たちは何も見せることはないし、何も言わないし、終演後に更新された各メンバーのブログでも最小限の表現に留められていた。そのことをあの空間ではファンたちも誰もが推しはかり、想像し、ときに不安を覚え、しかしリカバリーする後輩たちに感動し、帰ってきたタケちゃんに大丈夫だと念を送り、ペンライトを振り、かっこよかったと拍手で伝え、最後にはすべての思いが合わさって会場に万雷の拍手が鳴り響いた。タケちゃんが戻ってきたときの「君だけじゃないさ…friends」も驚くほどそういうことを歌っている歌詞だったし、最後に全員揃って歌った「愛すべきべきHuman Life」はやっぱり素晴らしくて、これがアンジュルムアンジュルムがつくりだす空間が体現するBIG LOVEなのか…と泣きながら納得した。本当に来てよかったと思った。こういう体験があると、より一層好きになる。こういう時間、こういう空間を求めて生きていると実感するとき。夜に更新されたタケちゃんのブログを読んだ。ここしばらくはアンジュルムのコンサートにまた行きたいと思いつづける日々を過ごすと思う。何よりも遠征というものが楽しくてハマりそうだ。次は東北の方とか行きたいな。






*1:普段ないことだから「不在」についてこうして大袈裟に書いてしまうけど、それでも半分以上はタケちゃんも出ていて、そのどれもキレッキレでかっこよくてめちゃくちゃ心を掴まれたことも書いておかないとだめだ。

劇団アンパサンド『それどころじゃない』

2022.3.26@アトリエヘリコプター

f:id:bsk00kw20-kohei:20220326222649j:imagef:id:bsk00kw20-kohei:20220326222713j:image
うつ状態を表現したような演劇である。20秒に一回くらい、爆笑するタイミングがある可笑しい演劇である。でも可笑しな状況と並行してずっと目の前では怖いことも起きていて、笑うのと同時に気持ち悪さを覚える。這っているネズミを見る気持ち悪さというよりは吐き気がするタイプの心の中の気持ち悪さ。いやネズミも這っていたかもしれない。最後まで落ち着くこともなく最大に狂いながら笑える展開で終わる珍しいタイプのこの演劇だから、帰り支度をする間もずっとニヤけてしまったし駅に向かう道中でも面白かった〜と何度も口から漏れたのだけど、家に帰ってきてあの情景の怖さに再び気づかされる。まずリアリティのある日常会話から劇は始まり、徐々に平凡な日常に歪みが生まれていく。気づいたときにはもう取り返しがつかないでいる。水が飲めないという大きな事件を置いておいてお茶が飲めてしまったら、それで満足してしまうじゃないか。水が飲めないということを忘れてしまうじゃないか。こんなことを言う登場人物がいたが、とてもクリティカルな話だと思った。自分にとって大事だったあの怒りもこの哀しみも、ぜんぶなあなあにして生きていると終いには取り返しがつかなくなってしまう。これは『ドライブ・マイ・カー』と同じ主題だ。同じなのだけど、それが「つまめるもの出しますね」と言って棒がついてるタイプの飴ちゃんを持ってきたり歯を矯正したから見てほしいと言いながらもずっとマスクを着け続ける人がいたり極めて小さな事柄から違和感が端を発していくからこの演劇は面白い。唇が紫の女性が、寒そうだと周りに決めつけられながら、いやぜんぜん寒くないんですと訴え続ける描写はまた違う怖さがある。なぜ人は見かけで決めつけてしまうんだろう。この話とその話、リンクしているようには見えなかったけど、不感症とカテゴライズはともに現代の病。日常に潜むいちばん身近なホラー。次は6月に公演があるらしい。絶対観に行きます。

 

あるかなきかの窓辺 どら焼きの予感/杉田協士『春原さんのうた』

f:id:bsk00kw20-kohei:20220117165551j:image

転居先不明の判を見つめつつ春原さんの吹くリコーダー

ちくま文庫『春原さんのリコーダー』より)

この原作短歌だけを頼りに映画を観ていると、気づいたらこんなところまで来ていた。どういう道を辿ってここまで来たのか、果たして言語化できるだろうか。

カフェの2階にある窓際の席で、ふたりが外を眺めている。その視線の先には五分咲きくらいの桜の木。「満開になったらまた来てね」と店員に言われ、沙知は「はい」と応えるも、その後彼女と春原さんが同一フレームに存在することは永遠になくなってしまう。すぐ次のカットはベランダにいる春原さんと、部屋の中から彼女を見る沙知。まさしくフレームを隔てて窓のあちらとこちら側にいるように、手の届かない存在になってしまうふたり。これは分たれた沙知と春原さんの物語。喪失感を一緒に背負えないまわりの人たちは、みんなとんでもなく優しく彼女たちのことを見守っている。観客もまた、4:3の画面アスペクト比で撮られたこの映画を、窓から外を見つめるように鑑賞することになる。

原作の示す「転居」は、この映画では3つ存在している。まず日高さんという人が宮崎の実家に帰り、次にその部屋に沙知が住むことになり、のちのち沙知は春原さんに葉書を送ると、「転居先不明の判」を押されて返ってきてしまう。日高さんの転居と、沙知の転居と、春原さんの転居。沙知の転居理由だけがこの映画では明確にされていない気がする。いや、春原さんがどこかへ行った理由も明確にされていない。彼女たちはなぜかもといる場所から「動いた」。動いた場所から葉書を出して、動いていたから届かなかった。その「移動」の連関は、終盤の船上にまで続く。

また原作の示す「リコーダー」は、3人の人物によって吹かれる。まず沙知の叔母である妙子が押し入れの中にあるソレを見つけて吹き、次にその持ち主である日高さんに近い人物・幸子が吹き、最後に沙知が転居先不明の葉書を弔いながら吹く。劇中で春原さんが吹くことはないけれど、たぶんおそらく彼女も過去に吹いていたらしい。隠れていた妙子はリコーダーの音で剛おじさんに存在がバレる。幸子のリコーダーは眠っていた沙知を起こす。だとすれば、沙知のリコーダーの音も春原さんに届いただろうか。

この映画といえばどら焼きの存在も忘れがたい。叔父さんも叔母さんも、3つずつどら焼きを持ってくるのは意図的だろうか。自分と沙知、あと沙知の大事な人へ向けて捧げられているように思う。叔父さんが唐突に泣いてしまうのは、その大事な人の存在を近くに感じたからだろうか。3つのケーキを持ってきた友だちの翔子は「自分が食べたかったから」と言っていたけど、この場合はそのままの意味で受け取っていいのかな。この映画で唯一、沙知がひとりで何かを食べるシーン、それは春原さんへ葉書を書いたあとに食べるどら焼き。あるいは妙子が、どら焼きを食べる沙知を写真で撮る瞬間の沙知がとてつもなく幸せそうに頬張っている姿を見るに、どら焼きは存在の予感を覚えさせる。

「撮る」行為は6度出てくる。去り際の日高さんが撮る沙知の写真、大学の課題で学が撮る沙知の映像、希子が撮るアイスを食べてる沙知の写真、沙知が撮る迷い人の写真、妙子が撮る沙知の写真、学が撮る沙知が風林火山の書をしたためる映像。留め置いておきたいという衝動のもとで撮られているような数々。ただ、撮られた写真の中にいる人と私は、どうしても過去と現在に分たれてしまう。窓を挟んだあちらとこちらみたいに、写真の中と外がある。ふだん映画を観ていると、ほんとうにその人が存在していそうと思えたり、スクリーンのなかに吸い込まれて同化してしまうような感覚に陥ることがあります。『春原さんのうた』を見終えたあとに舞台挨拶にいろんな役者さんが登壇していて、ああ生きてるんだなあと思ったと同時に、彼女たちの個人的な体験と映画とのシンクロ話を聴いていると、ふいに涙が滲んだ。この映画でもある場面で窓に映像が投影されたとき、そこに映るものの「存在」が、「そのとき存在していた」と「いまも存在している」を往復する。カメラ・写真・映画を取り払った目の前に、あなたがいる。写真・映画のなかにも、あなたが生きている気がする。カメラは「あるかなきかの存在をあらわにする窓」になる。『春原さんのうた』という窓と、劇中に登場するカメラという窓、二重に窓があり、その最前には私たち観客がいる。観客一人ひとりが存在している。

f:id:bsk00kw20-kohei:20220119093302j:image

「移動」が連動していく映画である。春原さんの旅立ちと日高さんの引っ越しに連なって、沙知は転居する。道に迷っている人に声をかけて案内すると、その人の思い出深い場所に辿り着く。予告なしに突然訪れる剛おじさんは、バイクに乗せて沙知を外に連れ出していく。ラストに向けて沙知と翔子は、北へ北へと歩みを進める。

夜が明けてやはり淋しい春の野をふたり歩いてゆくはずでした

ちくま文庫『春原さんのリコーダー』より)

これは東直子さんの原作短歌集『春原さんのリコーダー』に記されている歌のひとつ。冒頭に記した原作短歌の、ページを挟んだちょうど裏側にこの歌があって、杉田監督はこれを裏原作のように思いながら本作を撮っていたという。ポスターのスチール写真にもこのイメージが用いられている。「転居先」の短歌が春原さんの存在を留め置いた歌で、「夜が明けて」の短歌が沙知の今を切り取った短歌のように思える。そのふたつの短歌はまた隔てられているものの、お互いに作用し合う。

ふたりで一緒に歩いていくこと、移動していくことは叶わなかった。でも、ともに歩んできた道筋は、今もまだはっきりと見えるような気がします。窓は隔てているけれど、あなたの存在は常に感じている。リコーダーが届いたお返しなのか、あなたからさっちゃんの歌が聴こえてくる気がしました。私は不意にどら焼きが食べたくなる。観葉植物に水を与えて、残った水を自分にもやりました。桜が咲いて、蝉がじりじり鳴いて、ちょっと風が強くなってきた。また日が経てば、あの木に桜が咲くでしょう。

劇場を出て、電車に乗って、家に帰ると、僕は元いた場所からずいぶん遠くに移動している気がした。どら焼きが食べたい。そんなこんなで生きていきます。

f:id:bsk00kw20-kohei:20220119095511j:image

©Genuine Light Pictures