伝染する空虚と届かぬ愛/エドワード・ヤン『恐怖分子』
惚れ惚れする印象的な画を並べるためだけのエントリーです。
本作『恐怖分子』における均整の取れた美しい画の根底にあるのは、ビルやマンションの窓、写真、鏡などの四角形。これはおそらく、この映画における4人の主要人物を表している。妻と暮らす現状の生活に満足しながらも職場では次期課長のポストを狙うリーチュン、その妻で小説家のイーフェン、兵役間近で不安定なカメラマンの青年・シャオチャン、彼が一目惚れすることになる混血の不良少女・シューアン。
冒頭、誰もいない部屋の窓に銃弾が撃ち込まれ、ガラスが飛散する。都市に散らばる見知らぬ4人が不意に交わることによって、4人の心は砕け散ってしまうということの暗示。この映画の残酷なところは、まったく「うまくいかない」ところにある。ずるずると悪い方向に話が進んでいき、「飛び散る」という最悪の結末に収斂されていくところに。空虚や不安、恐怖は簡単に感染し、愛や思いやりはまったく向かうべき場所に導かれないところに、この物語のいやらしさとこの世界の真理がある。
電話線を伝う悪意と恐怖、不安。届かなくてもいいはずの写真はシャオチャンの彼女を悲しませ、最終的にリーチュンの元へ。届いてほしい愛は、届くはずのものには見過ごされ、彼らは部屋から姿を消してしまう。「届くはずの愛」という意味で一番気になってしまったのは、リーチュンとイーフェンが暮らす家にある洗面所だ。リーチュンは医者という仕事柄からか、家に帰ってくると入念に手を洗うのだけれど、彼はいつも手を拭かない。そこに違和感を感じるのは洗面所に10枚以上のタオルが掛けられているからである。手を拭かない人がタオルを掛けているなんてことはありえないわけだから、あれはイーフェンによって掛けられているということになるだろう。彼女によるリーチュンへの“想い”はこの映画ではあまり語られないけれど、この違和感で埋め尽くされた画に、彼女の想いを感じ取れるような気がする。しかし、彼女の愛は届かなかった。