縞馬は青い

縞馬は青い

映画とか、好きなもの

一歩を踏み出す勇気/大九明子『勝手にふるえてろ』

f:id:bsk00kw20-kohei:20171226130315j:image女性版『モテキ』、あるいは日本版『スウィート17モンスター』の様相でした。松岡茉優演じる24歳のこじらせ女子によるぐるぐるネジネジエンターテイメント、これがまぁ面白い。突然挿入されるミュージカル調や多彩な服装が表すカラフルな映像、松岡茉優の一人喋りの面白さなど素晴らしいところはたくさんあるのだけど、何よりも彼女が繰り広げるいびつな物語に少しの共感と羨ましさを持ちながらすご〜く楽しんでいた自分がいた。

この題名は「会いたくて会いたくて震える」人に向けられたようではあるけれど、この物語の主人公も中々にめんどくさい系女子。もう、震えるほどに、変なやつ。主人公は24歳OLの江藤ヨシカ(松岡茉優)。趣味は絶滅危惧種や古代の生物をウィキペディアで調べること。絶滅危惧種が好き過ぎて遂にはアンモナイトの化石を購入してしまうヨシカであるが、本作における彼女のこじらせ物語は、このアンモナイトのように「ぐるぐると同じところを回り続ける」ということを根幹にして繰り広げられていく。

それは、鍵を回しながら家を出ていく姿や、ボヤ騒ぎのお詫びでご近所さんにお土産を持って回る姿、イチとニの間を行ったり来たりし、妄想上で風変わりな他人たちを巡りながら会話する姿などに象徴的に描かれていく。完全なるこじらせ。内向きにぐるぐると閉じていく物語である。本作では、被害妄想から"視野見"といった奇抜な特技まで、この彼女のこじらせが「映像」として上手く表現されていて面白い。f:id:bsk00kw20-kohei:20171226130309j:image

そんな彼女のぐるぐるねじねじ内向き物語も、終盤に近づくにつれて同じくぐるぐる回りながらも「外向きに開いていく」ので、好転していく彼女(あるいはわたしたち)の人生を垣間見ることの安心感や映画を見ることの快楽を与えてくれる。
その鍵として象徴的なのは登場人物たちの「名前」だろうか。本作では「名前」というものをある種"記号的"に描くことによって、心情の変化が表され、人物に深みが出ていく。

10年間恋し続けている「イチ」に、ヨシカに告白した同僚の「ニ」。イチは中学時代の妄想という域を出ず、現実のイチに現れる妄想上とは違うギャップにヨシカは困惑してしまう。「ニ」が、「ヨシカ」と名前を呼ぶ一方で「イチ」はヨシカの名前を覚えていない。この「名前を呼ぶ」という行為がラストシーンのその瞬間まで、重要なこととして描かれる。

あの個性的な店員さんも、バスの中でいつも編み物をしているおばさんも、朝から晩まで釣りをしているあのおじさんも、わたしたちは名前を知ることができない。言ってしまえば"透明"で代替可能な存在なのだけれど、逆に言えば「名前」さえ呼ぶことができればわたしたちは繋がれるのかもしれない。「紫谷」ではなく「江藤ヨシカ」として生きること、おばさんに話しかけてみること、玄関という聖域を侵されてみること。「ヨシカ」が「ニ」の本当の名前を口にすることによって、「ニ」は"リアルに召喚"され、透明だったヨシカの体も実体を帯びていったように見えたのでした。f:id:bsk00kw20-kohei:20171225191839j:imagep.s.  オカリナを吹く岡里奈さんが素敵でした!ニが見せてくれる裏切り(付箋、家に入り込む姿などなど)にもドキッとした。1年の終わりに素晴らしい映画に出会えてよかった。やっとベストを割り出せるぞ。

暇つぶしこそ至高/ドラマ『セトウツミ/最終話』

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「もう少しだけ続けばいいのに」と思える時間ってありますよね。

好きな子と喋っている時間、趣味に打ち込んでいる瞬間、美味しいものを食べている時間。そして、河川敷で駄弁る「あいつ」との時間。

最終話。両親と姉を殺害する秘密の計画を立て、遂に実行にうつした内海であったけれど、瀬戸たちの秘密の救済計画によって「最悪の結末」は華麗に回避されていく。ただの「忘れ物」という形で内海の秘密は浮遊していき、その不可抗力によってくすぶっていた感情が暴露される。

この学校を卒業したい

瀬戸は内海に救われ、内海は瀬戸に救われる。言葉にすると恥ずかしいほどのこのキラキラした友情は、なんでもない「暇つぶしの時間」を通して育まれていった。暇つぶしが彼らの人生を激変させたように、『セトウツミ』という物語は、この“普通”の日常が実は“特別”なんだということを教えてくれます。

母親の作る弁当が内海だけでなく私たちにとっても特別であるということ。好きな人のことを思って悩むハツ美と時田の愛おしさも。アイコンを自分の写真に変える内海の姿も。

普通なんていうものはどこにもなく、全てが特別であるということ。そうであるから、内海は特進クラスには入らず「もう少しだけ」暇つぶしを続けるのです。

河川敷で交わす言葉は無くなっても、電子上において、また未来にて、この尊い時間はもう少しだけ続いていく。その愛おしさを、彼らが教えてくれた。

2017年ベストミュージックのお話。

順不同。今年を彩った20タイトルです。

 

Nulbarich / Long Long Time Ago

f:id:bsk00kw20-kohei:20171213001336j:image今年知り、すぐさま私の音楽シーンに入り込んできたアーティスト。中でも「In Your Pocket」を聞いたときの衝撃ったら。色んなものが融解されていく音楽。

 

欅坂46 / 真っ白なものは汚したくなる

f:id:bsk00kw20-kohei:20171213001351j:imageとにかく「エキセントリック」と「月曜日の朝、スカートを切られた」の突拍子のなさよ。パフォーマンスも一級品だけど音源だけで魅せられてしまう不思議な魅力がある。

 

Avicii / Avīci(01)

f:id:bsk00kw20-kohei:20171213001354j:image全曲耳に残ってる。まさしく今年を彩ってくれたアルバム。

 

OKAMOTO’S / NO MORE MUSIC

f:id:bsk00kw20-kohei:20171213001406j:imageドラマ『火花』を観てからハマったロックバンド。「90’S TOKYO BOYS」のノスタルジーとセンシティブなメロディがたまらない。

 

Juice=Juice / Fiesta!Fiesta!

f:id:bsk00kw20-kohei:20171213001419j:imageハロプロ新体制組の中で一番化けて、期待のできるグループ。出だし、段原瑠々さんの歌声でもうノックアウト。ちなみに、一番期待してて頑張って欲しいのはこぶしファクトリーです。

 

Hailee Steinfeld / Let Me Go

f:id:bsk00kw20-kohei:20171213001428j:imageヘイリー・スタインフェルドという逸材。『スウィート17モンスター』という映画を観て(『はじまりのうた』も!)知ったわけだけど、アーティストとしての才能も引く手数多。女優業とともに追っかけ続けたい。

 

小沢健二SEKAI NO OWARI / フクロウの声が聞こえる

f:id:bsk00kw20-kohei:20171213001441j:image小沢健二という誰かにとっての神様が、私の世界にも君臨しました。彼の全盛期に生きてこなかった私にとっては、まだ分からないことが多い。でもそこがいい。

 

雨のパレード / Shoes

f:id:bsk00kw20-kohei:20171213001505j:imageボーカルがイケメンなだけで売れてるバンドではない、ということはこの曲を聴けばすぐわかる。電子音の鳴り響くメロディラインに波の音のような安らぎを感じる。

 

シャムキャッツ / Friends Again

f:id:bsk00kw20-kohei:20171213001513j:image何と言っても「花草」が素晴らしい。情景描写の豊かさと気だるそうな歌声が、私をどこか遠いところへと連れていってくれる。

 

Suchmos / FIRST CHOICE LAST STANCE

f:id:bsk00kw20-kohei:20171213001519j:image2010年代に生きているという確かな質感。「エモい」と「グルーヴィー」はほとんど同じでしょうか。ならば流行って当然ですね。この国で唯一「インスタ映えする音楽」を奏でられるバンドなのでは。

 

adieu / ナラタージュ

f:id:bsk00kw20-kohei:20171213001531j:image野田洋次郎が作詞作曲を務めた表題曲の「ナラタージュ」も同題の映画と比べて断然心に入ってきやすいけど、私は2曲目の「花は揺れる」を聞いてその歌声の虜になった。注目していきたい。

 

Nona Reeves / MISSION

f:id:bsk00kw20-kohei:20171213001538j:imageポップソングの極み。こんなに楽しくさせてもらっていいんですか?となぜか謙遜の気持ちが生まれてしまう。それほどに、反則級に、楽しい。

 

モーニング娘。'17 / 若いんだし!

f:id:bsk00kw20-kohei:20171213001549j:image

若いんだし
興味あるし
やってみなきゃわかんないことも
あるだろし
WOW WOW WOW
何度もチャレンジすりゃいいじゃん!

卒業公演でこの歌を歌う 工藤遥さんの姿を見て、「がんばろう」そう思えた。

 

宇多田ヒカル / あなた

f:id:bsk00kw20-kohei:20171213001936j:imageこのために家にはテレビがあったのか、と。『DESTINY 鎌倉ものがたり』の宣伝が流れるたびに「あなた」への思いを馳せることになります。何もかも、好きだなぁ。

 

TENDRE / Red Focus

f:id:bsk00kw20-kohei:20171213001556j:image日常とともにあるミュージック。詩が短く、そのぶんメロディを堪能できる。行間を読まずにはいられない「ジム・ジャームッシュの映画」のような音楽(適当)。

 

Base Ball Bear / 光源

f:id:bsk00kw20-kohei:20171213001602j:imageベボベは神です。胸がぎゅっと締めつけられる。

 

羊文学 / トンネルを抜けたら

f:id:bsk00kw20-kohei:20171213001608j:imageまだあどけなさの残る歌声とメロディが、物語の始まりを予感させる。

 

ASIAN KUNG-FU GENERATION / 荒野を歩け

f:id:bsk00kw20-kohei:20171213001643j:image夜は短し歩けよ乙女』の主題歌となった「荒野を歩け」のドライブ感がたまらない。

 

あいみょん / 青春のエキサイトメン

f:id:bsk00kw20-kohei:20171221101953j:image真に迫る歌詞とポップなメロディの融合。痛いけど楽しい、みたいな。その感覚が新しくて気持ちいい。

 

Sam Smith / The Thrill of It All

f:id:bsk00kw20-kohei:20171221102819j:imageこのアルバムさえあれば生きていける気がします。

 

 

 

 

怒らない国ミャンマーで怒りが爆発した彼女/Netflix『あいのり Asian Jorney/Season1-6』

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NETFLIXとフジテレビが共同で製作した『あいのり』の新シーズン。地上波放送からは実に8年ぶり(CS版を含めると5年ぶり)の復活ということで、その頃少年だった筆者にとっては少しの懐かしさもありつつ、この番組を見れるほど大人になったことに喜びを感じています。Season1は早くも6話まで進みましたが、やはりこの番組は面白い。その面白さ、右肩上がりで留まることを知りません。

以前のテレビ放送では今田耕司久本雅美ウエンツ瑛士などのスタオジオメンバーが旅のVTRを見てあれこれ言い合うというスタジオパートがありましたが、本作でもその姿は健在です。スタジオパートの出演者はベッキー河北麻友子、オードリー(若林・春日)、大倉士門の5人。本編の面白さは言うまでもないですが、このスタジオパートもすごく見応えがあるのです。大倉士門さんというお方、あまり見たことがありませんでしたが「イケメンな癖して」女心をひとつも分かっていない。彼が的はずれな意見を言うたびにベッキー河北麻友子から厳しいご指摘が。

大倉:女の子が弱い部分を自分に見せてくれてるっていうことは、それは(女の子から自分への)ヘルプで(恋愛対象として)見られてんのかなって思っちゃうんですよ

河北:それは勘違いだよ

(第2話より)

一刀両断のこの場面以外にもたくさんありますが、この大倉士門が的はずれな意見を言うたびに愛らしさが増していくのも面白いところです。このように男性陣と女性陣の間で明確に恋愛格差が生じる場面が多々あり、恋愛弱者が恋愛強者から恋の指南を受ける様はどこか滑稽であり、しかし勉強になる。「女心を分かっていない」男性陣と「それに呆れる」女性陣の会話は、それだけでエンターテイメントとして成立するだけのクオリティがあります。

さて第6話のお話。怒らない国ミャンマーで、でっぱりんが怒りを爆発させてしまう。ミャンマーの国民がなぜ「怒らない」のかということを聞かされた場面での改心はどこに行ってしまったのでしょうか。

ハト胸:まさしく心の余裕なかったんやなって今の話聞いて思った

アスカ:結局自分のことしか考えてないってことだよね。一番は、相手のことを考えるのが大事なのかなぁって思う

でっぱりん:感情的になって怒ったりとか、それで伝えようとしたことって何回もあって。でも怒って伝えるんじゃなくて、冷静に話す伝え方ができるようになったらなぁって…

(第5話より)

なかなかうまくいかないのが人生ですよね。怒らないって決めたはずなのに彼女は「怒り」という伝え方で目の前にいる人の心を変えようとしてしまいました。この場面の日本人は恐ろしいくらいに愚かです。ミャンマー人の運転手さんは怒っていないのにその気持ちを代弁するかのように怒るディレクターも、その怒りに反発して今までの不満もぶつけてしまうでっぱりんも、彼女の怒りを冷静に受け止めきれず自分が言いたいことを言ってしまうハト胸も。なぜここまで感情の発露に対応できないのでしょうか。怒りに対して怒りで対応してしまうことの滑稽さ、その気持ちが分かってしまうだけに悲しいですね。去年公開の『怒り』という映画のことも思い出してしまいました。怒りに震える犯人とそれに対して怒りで返してしまう少年の姿。怒りという感情が壊してしまうこの世界の何もかもを、なんとかして救う手立てはないのでしょうか。ただそんな中にも救いがありました。シャイボーイとオードリー若林の発言です。

シャイボーイ:それでいいと思うよ。僕はでっぱりんの意見に賛成で…(でっぱりんに発言を遮られる)

若林:あの状態のでっぱりんに甘えって言葉は入ってこないでしょ。一回「わかる」っていってあげないと。

ああ若林…。あなたを信じてきてよかったよ…。奇しくも恋愛弱者であるはずの2人が導き出した真理。この一致は偶然ではないでしょう。若林とシャイボーイがいるだけで「あいのり」はすごく見る価値がありますよ!!!奥さんも青年も少年少女もこの番組を見て恋愛と人生について学びましょう!

おしゃれな田舎ムービー/森ガキ侑大『おじいちゃん、死んじゃったって。』

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今年も、血の繋がらない家族が描かれた『幼な子われらに生まれ』や『彼らが本気で編むときは、』、家族に危機が訪れるSFちっくな『サバイバルファミリー』、『美しい星』などが公開され、《家族》を題材にするとそのバリエーションに事欠かない日本映画ですが、今作『おじいちゃん、死んじゃったって。』は極めて"普通"な家族を描いています。そういった意味では、日本テレビ夏クールの『過保護のカホコ』に少し似た部分もあり、両作には一般的な家族にもやはり煩わしさがつきものであるという、共通したイメージを受け取ることができます。こういった家族ドラマは、上に挙げたマイノリティ家族よりも普遍的で、より共感性を得られやすいのではないでしょうか。

おじいちゃんの死による「お葬式」で集まった2組の家族が、ときに衝突しながら成長を遂げていく分かりやすいストーリー展開。お葬式という固そうな題材を扱いながらも、クスッと笑わせる場面もあり、非常に見やすい。この「お葬式」「家族」「コメディ」というキーワードで思い浮かぶのは伊丹十三監督の『お葬式』という映画ですが、下世話で醜い大人たちを観れるという点など、この映画にかなり似ていると思います。

既存の家族映画に似てるなと思わせる場面は多かったけど、それを超えてくることは決してないように感じてしまった。特に、予告編でもあるけど「私、おじいちゃんが死んだとき、セックスしてたんだよね」というセリフ、劇中で2度発せられるのだけど、明らかに『永い言い訳』のあのセリフなのに加えて、その発言と末路に重みがない。そんなこと改めて言葉に発しなくても分かってるよ…という発言の多さと言葉選びのセンスのなさに段々引いてしまった。

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兄弟の取っ組み合いは『マイヤーウィッツ家の人々』が最高だったからなぁ。ストーリーもセリフも、オリジナル性に欠けてしまった印象がある。コメディとしての笑いの取り方もあまりピンとこない。ただ、岸井ゆきの岡山天音小野花梨、池本啓太といった若手俳優陣の演技は見てて楽しかった。

奴らと彼はいつもそばにいて/トム・フォード『ノクターナル・アニマルズ』

やられた───。面白すぎた。今作は「スリラー映画」の部類に属すると思うのだけど、それを形作っている「ミステリー」と「ホラー」の両側面がパーフェクトな割合で調合されている。オープニングから強烈な今作ですが、その謎解きと驚嘆の演出に興じつつ、美麗に彩られた映像世界に身を預けているとあっという間にエンドロールが流れていることに驚きます。そのうえストーリーも濃厚。その「ドラマ」性の高さに鑑賞後も頭をかき乱され、考えに耽りたくなる。まさに映像のマジック。これは見る人が見ればかなり刺さってしまうであろう、ちょっと怖いくらいな映画。興奮剤なので多量摂取は危険です。

f:id:bsk00kw20-kohei:20171107154721p:imageアートギャラリーのオーナーを務め、大きな家でイケメンな夫と暮らしている主人公のスーザン(エイミー・アダムス)。何不自由のない暮らしをしているはずなのにどこか彼女の表情は物憂げで、お金、地位、恋人を手にしながらも"何か大事なもの"を失っているのだろうということが伺える冒頭の風景。こういった「ブルジョワの抱える空虚」というのはよく目にするけれど、原因の所在を心の内にしまい込んでいるようなスーザンの姿には次第に興味がわいてくる。

そんな彼女の元に届いたのが20年前に別れた元夫エドワード(ジェイク・ギレンホール)からの一冊の小説。小説家である彼が執筆した新作だった。小説に添えられていた手紙には「君との別れから着想を得た」と記してあり、表紙をめくると1ページ目には「For Suzan」の文字が。スーザンは空虚さを埋めようとするかのようにその小説を読み耽っていくわけですが、物語の内容は極めて暴力的で荒廃している。まさしく空虚。観客である私たちは"スーザンに捧げられた"その物語が実際にあった物語なのか、はたまたフィクションなのかさえ分からない。物語は〈現在〉〈20年前の過去〉〈小説〉の3点軸で進行していき、時に交錯することによって徐々にその輪郭が明らかになっていきます。

f:id:bsk00kw20-kohei:20171107154750p:imageそれは「愛」なのか「復讐」なのか───。ポスターにもある主題ですが、どちらとも受け取れるラストだと思います。観客にその判断は委ねられている。「復讐」だと示唆する場面は多々あるけれど、あのラストシーンを経たスーザンは間違いなく今までとは違う価値観を得ているはず、それだけでこれは「愛」だったと受け取れるのではないだろうか。劇中の〈小説〉やそれを映写したこの〈映画〉という『物語』は、ときに私たち観客に大事な考え方を与えてくれる。私たちがそうであるようにスーザンもまた何かを得るのだろう。不確定な未来でも決定した過去でもなく、よりリアリティのある"今"の選択を間違えないこと。その重要性を知ったからこそ、あのラストにはエドワードの「愛」を感じとりたい。一見バッドエンドのようだけど間違いなくその先に彼女の幸せな姿が見えているから。"奴ら"に打ち勝つ彼女の姿が、そこにはある──。

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【雑記】〈小説〉内に登場したマイケル・シャノン、アーロン・テイラー=ジョンソン、エリー・バンバーといった俳優たちの演技が軒並み素晴らしかった。3層構造の映画でこんなふうに1つ1つの作りがしっかりしてるととにかく満足感が凄いですね。ファッションデザイナーであるトム・フォード監督が作り出す世界観も違和感なく入り込める不思議な奇抜さだったし、アベル・コジェニオウスキの音楽もたまらない。そして何よりもエイミー・アダムス。今年公開された2本の映画はどちらも素晴らしかったし、伝えたいメッセージが互いに共振しているのも好感が持てる。トム・フォード監督の今後の映画製作にも期待です。ジェイク・ギレンホールはさすがってことで。

君の名は希望/白石和彌『彼女がその名を知らない鳥たち』

この映画こそ〇〇〇〇返しという宣伝文句を使うのに相応しい作品なのにあえて使わない頭の良さ。宣伝が難しそうな映画だけど予告編もうまく出来てるんだよなぁ。製作陣及び宣伝会社の愛を感じる。しかし良い映画だった。しみじみと。それにしても、2016〜18年の間の3年間で5本の映画を生み出す白石和彌という化け物監督。その量も去ることながら1本1本のクオリティも半端ないよ。要チェックってことで。

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以下ネタバレあり

 

実際に阿部サダヲが演じた陣治のような人間はこの世に存在するのでしょうか。監督もしくわ原作者が、こうゆう人がいてくれたら世界は救われるだろうと願い作り出した偶像のようにも感じる。一方で松坂桃李竹野内豊が演じたクズたちはいくらでもこの世に存在しているでしょう。

十和子の姉は「あんたみたいな子は外に出ないと」と言い、水島と黒崎は十和子を家から連れ出し外の世界を見せる。知らない世界を見て十和子は心を弾ませるけれど、その先に本当の幸せが訪れることはない。

他方、陣治は十和子を部屋に閉じ込めようとする。いわばそこは陣治と十和子の2人だけが存在する世界で、そこにしか幸せはないと陣治は十和子に信じこませる。それは、外の世界が危険に溢れていて、そこに本当の幸せがないと知っているからだろうか。

十和子は、こういった陣治の過保護な働きかけに嫌悪感を抱き、不潔で男らしくないと彼を貶す。「普通」より下の今の生活から抜け出したい、こんなみすぼらしい人間とどうして一緒に住んでいるんだろう、という疑問が頭を巡り…。次々と彼らの部屋(世界)に入ってくる水島、姉、警察。彼らの世界は乱されていき、十和子は陣治以外の全てを信じ、外へと繰り出していく。

というのが大まかなあらすじでしたが、ラストの展開によって全てがひっくり返った。

黒崎と悲痛な別れを遂げて「自分の部屋に閉じこもっていた」のは十和子の方だった。陣治はそんな十和子に幾度となく歩み寄り、外の世界の素晴らしさを見せてくれようとしていた。クリームパンからクリームがはみ出ると食べることができなくなる。彼はクリームがはみ出たパンもクリームを掬って食べてくれるような人間だったのでしょう。この世界で、ひとりで歩くことすらままならない彼女を、外に出ても生きていけるように、陣治は見守り続けた。時には電車に乗ってきた男を押し出し、水島の跡をつけ、黒崎との出来事を隠し続け。その行動は愛とも狂気とも受け取れるけれど、「優しさ」が確かに存在していた。

この世界は「シンデレラ」や「白雪姫」のようなおとぎ話の世界ではない。彼は誰よりもそのことを知っていて彼女にそのことを教えてあげる。しかし、彼は物語の最後にこの世から姿を消し、外の世界に「極上の幸せ」があると伝えた。この世界はクソだけど、それでも生きている価値はある。素晴らしい世界だって広がっている。僕はそこには行けないけれど、君ならその場所に行ける。どうか幸せになって、僕はずっと見守っているから。

羽ばたいていった陣治の姿と、今後この大きな世界に羽ばたいていくのであろう十和子の姿に、僕は感涙を禁じ得なかった。