縞馬は青い

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今ここにある愛と危機──遠野遥『教育』雑感

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破局』で芥川賞を受賞した遠野遥の初の長編となる作品『教育』が「文藝2021秋号」(特集「怨」……かっこいい)に掲載されていて、ずずずっと一夜で読み切った。遠野遥の書く文章ほど刺激を与えてくれるものはもしかしたらないかもしれないとまた思わせてくれた。読後の手触りはNHK『今ここにある危機とぼくの好感度について』。あのドラマでは掴みきれなかった主人公の危機管理と好感度に関する現代病的な所作も、本作の、入り組みながらも理路整然とした主人公の思考回路とアクション/リアクションを読んでいるとすっと入ってくるように思えた。どこにも書いてないのであらすじは説明しない。一言で現すと「SF学園ラブストーリー」という風体だろうか。なにも知らず読んだ方がいいと思う。

形式・物語構造について。以前の2作でも感じていたけど、遠野遥文学のいちばんの魅力は「長い長いひとり語り」だと思っている。基本的には一対一の会話劇を敷きながらある瞬間にたどり着くと一方的に一人が過去の(しばしば悲痛な)体験談について話し出し、それに対する相手の反応は一言も書いてくれない。そのひとり語りは語られてしまったらもう宙吊りにされるのみで、それゆえに登場人物以上に読後の自分の心に蓄積されていくことになる。あれは果たしてなんの話だったんだ…。こんな話を聞いて主人公はなんで無反応なんだ…。って感じで。その一つひとつのひとり語りが忘れられないまま、層を重ねながら、主人公の目線を辿っていくしかない。

『教育』では、そのひとり語りの導入の仕方・形式が今までよりかなり多様化していて、構造的にも飽きなかったし宙吊り感がより増しているように思った。このタイミングで…!?という斜め上の角度から急に楔が打ち込まれる。悲痛な話を聞いておきながら主人公の感情はなにも動いていかない。そのことに恐怖感を抱く。『今ここにある危機とぼくの好感度について』を感じたのは、主人公の「ヤバさ」が『破局』や『改良』よりややマイルドになっていたからだと思う。なんらかの倫理観・社会的な正しさのようなものに照らして行動を決定していく『破局』の主人公はいちいちその自問自答を言語化していたからAIみたいだったが、本作の主人公はあまり(それでも特徴的ではあるが)自らの感情や行動について反芻しない。でもそれこそが不気味にも感じる。反芻する頃合いすら抜けてしまったのではないか、とも思えるからだ。

最後まで読み終えると彼の思考回路が少し判然とする。危機感や好感度なるものが、愛のようなものを負かしゆく瞬間を目の当たりにするかもしれない。いや、最初から愛なんてものはなかったのか。あるひとつの、しかしぶくぶくと太った、どうしようもない共同体が描かれている。そこにいると人間はどうなってしまいうるのか。

「問題に対して沈黙するようになったとき、我々の命は終わりに向かい始める。そして最大の悲劇は、悪人の暴挙ではなく善人の沈黙である」ーー『今ここにある危機とぼくの好感度について』第3話で引用されたキング牧師の言葉