縞馬は青い

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映画とか、好きなもの

こぼれても、ある(2021年5月25日)

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こ ぼ れ 落ちていく。

感情が、言葉が、怒りが、悲しみが、愛情が、パっと掴んだ手のひらの隙間からほろほろとこぼれ落ちていく。いつも感情や言葉のことを信じられないのは、そうやってすぐに1秒前にあったものを失い続けてしまうからだった。断片的には覚えている。輪郭はあるような気がする。でも、本質だけがないような気がした。いちばん大事なものだけが、見えたそばからすぐになくなってしまう気がする。

『大豆田とわ子と三人の元夫』第7話を観た。松たか子の表情がすごすぎて泣いた。大事な瞬間をいっぱい観た。クロースアップが多用されていたから、大豆田とわ子の顔がよく見えた。もっと見ていたいな、と思った。なんでなのかはあまりわからないけど、とわ子が唄からの電話に出る場面と、その翌日におめかしして世界史の教科書を唄のいない家に届けにいく一連に涙がこらえきれなかった。ドラマや映画で親の哀愁を嗅ぎ取ると、僕は泣いてしまう。好きなんだと思う。

すれ違いを描いていた。「もう少し柔らかく話したほうがいいね。最近寝てる?ちゃんと休みなよ」。会社の未来のために相手方に吠えた松林(高橋メアリージュン)にとわ子が言うセリフ。「思いやり」と「その時かけてほしい言葉」は一緒にならない。そのことの残酷さを思う。「社長にはもっと頑張ってほしかったんです。ご友人がやり残した分も」。いちばん言われたくない言葉。ここでバスオイルの話に持っていく坂元裕二…。ありがとう。争ってほしくなかった。

いいことを聴いたとき、いいものを観たとき、いい匂いをかいだとき、人に教えたくてしょうがなくなる。その意味で、大豆田とわ子が涙をこぼしたとき、同じ話を八作にも聴かせてあげたいと思ったに違いない。あの別れ際の「ごめんね」は、寄り添う術がなくて「ごめんね」だと思うから。そこにも、どうしようもないすれ違いがある。さみしさがある。こぼれ落ちて、こぼれ落ちて、こぼれ落ちて。でもフルーツサンドからフルーツが落ちることを恐れない大豆田とわ子は、きっと生きていける。