縞馬は青い

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映画とかドラマとか、好きなもの

生活って(2021年5月5日)

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どの言葉を吐いても自分の心じゃないような気がする状態が続いている。続いているというか生まれてこのかただ。息を吐いた途端にその白い水蒸気が寒さを伝えてくるみたいに、見えてなかった心が言葉によって浮かんでくる瞬間も一方ではあるだろう。好きなライターの人がこう言っていた。「自分が書いた文章が2週間くらい経つとまともに読めなくなって、きもちわるっ…てなる」。まったくの同意だが、その人はエッセイストでもあるから余計に乖離を感じるのだと思う。実際の心と吐き出される文章は絶対に何もかもが違うが、美しい文章はそのことを麻痺させてしまう。麻痺していないこの書き手さんはもはやめちゃくちゃ健全で信頼できる、と僕は思う。言葉を吐き出すときは、いまの心を言い表せない気持ち悪さと、ずんずん言葉に連れていかれる気持ちよさを行ったり来たりしている。その話題について書きたいけれどぜんぜん書けない、という状態に陥るときは、往々にして背伸びをしているか、本当はそんなに興味がないか、他のことを考えているか、のいずれかとかだ。そうだとわかりつつも依然そのことについて書きたい、向き合いたいと思うとき、自分は嫌な文章を生み出してしまうだろう。それでも別にいいと思って、一旦はその汚さを認めてみたい。

ゴールデンウィークでやりたい!と思ってたことが多すぎて、結局「『すいか』を全話観る」くらいしか達成できなかった。がびーん。9日までHuluで無料で観れるのだけど、『住住シーズン3』(第2話最高!)と『息をひそめて』を観たくて課金しちゃったぜ。木皿泉脚本、2003年の夏に日テレ土曜9時枠で放送されていた『すいか』。先進的なドラマだった。先進的というか、普遍的というか。普遍的もちょっと違う気がするけど、つまりは2021年に同じ枠で放送されても話題になるだろうと想像できるくらい脚本が鮮やかだった。登場人物はほぼ女性で、彼女たちは結婚とか恋愛とか普通とかお金とか成長とか、おおかた“社会性のある”とされてきた行為に縛られない生き方を志向しようとしていた。彼女たちが大事にするのは、生活であり思いやりであり、友だちであり好きな人であり自分自身だった。社会から外れゆくことの寂しさを抱えながら、そんなこと気にしないみたいにハツラツと共同生活をしている。銀行員の小林聡美に、エロ漫画家のともさかりえ、大学教授の浅丘ルリ子に、大家の市川実日子。ちょうど『大豆田とわ子』第4話で市川実日子が恋愛に囚われない生き方がしたいと言っていたけど、それははるか18年前のこのドラマにすでに実現しているようだった。彼女たちは彼女たちにしかできない生き方をしている。それがとても羨ましく、自分もそうしよう、と思った。

最近読んだ『白木蓮はきれいに散らない』(最高漫画です)なんかも重ねたけれど、生活ってよくも悪くも圧倒的で、生活は素晴らしく、それでいて虚しく、けっきょく生活を楽しむほか人生は…なんてことを軽々しく書こうとしてしまうくらい(いや、正しいのだけど怖いだけ)、生活ってすごいよなって、そんなことを考えたのでした。