縞馬は青い

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映画とかドラマとか、好きなもの

痛みと連帯の同時接続/大九明子『私をくいとめて』

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昨日観て抱いた最大限の興奮を忘れないようにここに書いているだけなので、本作が気になっている人はこの後ろは読まずに公開を楽しみにしていただきたい。『勝手にふるえてろ』に続く綿矢りさ原作×大九明子監督の再タッグ作である本作は、刺さる人には刺さりすぎてしまう大九節炸裂のパワーみなぎる大共感映画です。コロナ禍をまたいでつくられた『私をくいとめて』には、こんな心細い世界でもそれでも生きる価値はあると強く抱きしめてくれる包容力がある。キャラクターがまるっと全員いとおしいので、スクリーン上を動き回る彼女たちの多様な生き方をとくとご覧あれ。

経験上、たぶん2度観たあとのほうがいい感想が書けそうなんだけど、1年に2度くらいしか訪れない「ちょっとなんか書いとかないといけないんじゃないっすか!!」な変なテンションが暴発してしまう映画だったので、本作への愛をつらつらと書き連ねてみる。上映前の舞台挨拶に登壇していた橋本愛さんが、コメントの最後にこんなことを言っていた。それは「みつ子はある幸せを見つけるんですけど、それはみつ子にとってのひとつの幸せの形なだけであって、その幸せがこの世のすべての女性にとっての幸せだって謳っている映画ではなく…」的な発言だった。要するに、みつ子のような選択がある一方でまた違った選択もありえること、そのどれもが等しく肯定されるべきものだというエクキューズを彼女はしておきたかったのだろうと思う。これが本当に重要な意味をなす言葉だったと観賞後かなり身にしみた。本作の大枠のテーマのひとつとしてこの「選択」が横たわっており、みつ子は自分の意志にしたがって小さいようで大きな一歩を踏み出す。繰り返すけれど、しかしそのあるひとつの選択が普遍的な正解というわけではない。大事なのは「自分の意志にしたがって」というほう。『私をくいとめて』の面白さは、その自分の意志を主人公が何度も見失ったり見つけたりする少し哀れで不安定な様を、映像的にとことん描写しているところにある。音楽でしか聴いたことがない表現だけど、本作は明らかに何度か「転調」してキーを上げたり下げたりしてみせる。映像、ストーリー、みつ子の表情、そのすべてに変化を超えた変化のようなものが訪れるのだ。思えば大九監督は『勝手にふるえてろ』でも、突然のミュージカル演出の挿入などによって主人公の心情をジェットコースター的に描いていた。人の心というのは突然天まで高揚したり、地獄まで落ち込んだりする。“おひとりさま”に慣れきったみつ子が人と深くつながりそうになるとき、大滝詠一を聴きながら洗濯機を回していた平穏な日常が、寄せては返す波のように激しく揺れ動きはじめる。その無抵抗に行き来する心情の反復行動が、揺れ動き続けるカメラ、明暗を決定づける照明、そしてみつ子を体現するのんさんの一挙手一投足によって「転調」という形で丁寧かつ大胆に綴られていく。孤独な主人公が「相談役“A”」という仮想の人物を脳内につくり上げてしまうという設定の時点から決まっていることだけど、本作はモノローグならざる心情の吐露が極めて多く、だいたいのことをわかりやすい映像表現や言葉で片付けてしまう、もしかしたら映画としては語りすぎなのかもしれない側面が多々ある。その映画としての(わかりやすさという意味での)未熟さを差し置いても、やっぱり映画にしかできないことをあらゆる手法を用いて伝えてくる「映画」だと思う。ちょうど同時期に公開され、心の中に会話相手を見つけてしまう『おらおらでひとりいぐも』(沖田修一監督)と同じく、単純な“ひとりごと”ではない「自分との会話」という描写は、あんがい映画だけに許された特権だとも思うのだ。僕みたいに1日の半分くらい心のなかで自分と対話してるような人間もおそらくいて、でもそれは可視化されることも文章化されることもないわけで。その映像化によって際立つ「私」という存在。このまま私といたほうが楽だけど、誰かと何かを分け合ってみたい。たぶんそういう意志を持ったのだろうみつ子は、近所で偶然すれ違った取引相手の多田くん(林遣都)と奇妙な「交換/交感」をはじめるようになる。料理を分け与えるみつ子に、必ず代わりに何かを差し出してくれる多田くん。そのささやかな交換がやがて感情の交感へとつながり、人生の一部を分かち合うまでへと発展する。そこに向かうまでには幾度とない感情の転調があった。他人と人生を共有するためには、いくらかの痛みを伴うことになる。しかし考えてみれば、孤独な人生にも痛みはつきものだった。セクハラ、優秀な上司、親友との別れ。その痛みさえも分かち合うことができたら…もしかしたら少しだけ楽になれるのかもしれない。いや、楽になれないとしても、それと引き換えに「連帯」を受け取ることができれば、この世界の心細さに少しは対抗できるのかもしれない。そうやってみつ子は自分の一部を多田くんに預けて苦手な空を飛んでみたのだ。痛みと連帯を同時接続させながら。30代目前の人生の選択を精緻に描写した漫画『A子さんの恋人』ともとても共時性のある物語だと思う。偶然だけど、本作にも大事な場面で「海」と「東京タワー」が登場し、自分を形作ってきた“A“についての物語が描かれる。“A”に慣れ親しんできたことの心地よさと、“A”を手放すことの痛みと妙な温かさと。新しい電球をくるっと回すみたいに、閉ざされた暗い部屋に電気をつけてみるのもいいかもしれない。その電球が何を照らしてくれるか、それはやってみないとわからないよね。

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https://m.youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=Dq74Xwk4Pmg

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*1:感激すぎて言葉にできないけど、のんさんも林遣都さんも橋本愛さんもめちゃくちゃ輝いていて眩しかった。林遣都さんが「明日も元気でお過ごしください」と爽やかに舞台挨拶を締めておられて、この映画を公開初日にまた観るまでは生きてられるなって思えた。