縞馬は青い

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映画とかドラマとか、好きなもの

狂う男、狂わされた女ーー死の季節に生が薫る『マチネの終わりに』

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『昼顔』の西谷弘監督×井上由美子脚本コンビということもあり、ただの大人の恋愛映画じゃないんだぞ、という薫りがぷんぷん漂う本作『マチネの終わりに』。はじまりからしてとても不穏で、いやに甘美。

 

そのはじまり。耳心地のいい音楽が心をやさしく撫でてくれたかと思いきや、その音の発生源である蒔野(福山雅治)は、ときに暗闇のなかに吸い込まれそうなイメージを纏い、終演後の楽屋では水を飲みながらうなだれている。徐々に明かされることであるが、20歳でデビューを果たしたこの天才ギタリストは、歳を重ねていくなかで若いころには感じ得なかった、「見えない未来への恐怖感」を抱いていた。11月という草木の枯れた季節を舞台にはじまる本作。そこでは、水を常に手に持ちながらしかし吐き出してしまう枯れた姿や、まるで“喪に服している”かのように漆黒な服装など、蒔野にどこか「死」のオーラが漂っている。心情面でも明らかなように、怖いものなしだったころの過去に囚われ、“これから”を歩み出すことができていない。

そんなおりに訪れる小峰洋子(石田ゆり子)との出会い。マチネ(昼公演)の終わり、対照的に「白い服」が目立つ洋子を目の前にして蒔野はどうしようもなく心を惹かれてしまうが、彼女には婚約者がいると釘を刺されてしまうーー。

死の淵にいる蒔野がついぞ見つけた「生きる対象」。しかし東京とパリという遠距離、婚約をしているという洋子の現状は、簡単にふたりを結びつけてはくれなかった。

 

ロマンティックでありながらホラー的。本作を簡単に表すならこうだ。彼らが辿った遠回りの時間とは果たしていったい何を意味したのか。6年の期間をもって描かれるのは、“死の季節”の只中で、それでもふたりが生きていくことを決める、そこに至るまでの長い軌跡である。そんなふうに僕は解釈している。

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人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?

はじめて出会った夜に蒔野が語る、過去という時間概念の頼りなさ、あるいは希望。未来の行動次第では過去は変えられる。変わってしまうとも言える。蒔野における過去とは、天才が手にした「栄光」であり、「常に未来がある」という状態だった。しかし今は、その未来がない。おまけに、自分の過去は本当に栄光だったのかすら、確信を持って言えない始末。過去は「悪かったもの」として、変わっていってしまう。

ただそれでも彼が決定的な死を選ぶことがないのは、洋子という生きる対象があるからだ。自爆テロに出くわした洋子の安否を確認するメールにて蒔野が語る、「幸福の硬貨」の挿話。「なんでも買える“幸福の硬貨”を手にしたら、あなたは何がほしい?」。洋子さんと「幸福の硬貨」の話がしたいというのは、あなたと未来の話がしたい、ともに生きたい、というプロポーズでもある。また、再会を果たしたレストランでは「もし洋子さんが地球のどこかで死んだと聞けば、僕も死ぬよ」とも言ってみせる。あまりにもキザなセリフだけれど、「あなたがわたしの生きる意味」であることを強く言い表そうとしている。

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いっぽうで洋子のほうはどうだろうか。蒔野を「生きる意味」とするまでに愛していたのだろうか。「わたしもよく考えてみた。わたしは蒔野さんが死んでも生き続ける。蒔野さんの残した音楽をみんなに伝えたいから」。それはまるで対照的なように思える。そもそも洋子は結婚を控えているのだから、これからの人生に狂いはないはずだった。なのに、蒔野に徐々に心を惹かれてしまう。お互いにとって、出会いさえしなければ時間はそのまま進んでいたに違いないけれど「出会ってしまったから。その事実をなかったことにはできない」「だから(蒔野は、洋子さんとその進みゆく時間を)止めにきた」のだ。

文字通り“すべてを捨てて”日本にやってきた洋子は、まるで蒔野みたいに“黒い服”を身にまとっている。ついにふたりが結ばれるというなかでも、未来へ向かっているというよりは、やはり「静止」や「死」を感じさせてしまう場面。結果的に災厄のごとき出来事が起こったことで、蒔野と洋子の時間はそのまま止まり続けることになった。

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3年後、彼らの時間がそれでも“個別に”動きだしたのだろうということは、すぐにわかるだろう。結婚、出産、移住。そして蒔野は、長らく停止していたクラシックギターの活動を再会し、復帰コンサートを開催するに至る。「師匠の死」によって未来への諦め(どうせ未来は際限があるのだから、怖がっていても仕方ないという真理)にたどり着いたのかもしれない。

蒔野の止まっていた時間を進める最後の後押しをするのは、さすが「名脇役」な三谷早苗(桜井ユキ*1。真相を聞かされた洋子はいつもと反対方向に坂道を下り、印象的なあの石の上に腰を下ろす。溜め込んでいた涙があふれでる場面である。再び過去に引きずられるわけであるが、そのことによって静止していたはずの時間が少しずつ動き出していく。

そして、再会の「マチネ」。デビューしたのと同じ会場で、新たなる出発を迎える蒔野。自信に満ち溢れる彼から画面は徐々に“時計回り”に横移動(パン)し、そこにいる洋子を捉える。あの出会いの場面と同じく、「真白な」服でいるのがグッとくる、おそろしく甘美な場面…。思えば今までは、コンサートでの演奏中、“反時計周り”にカメラがパンして蒔野を捉え、過去に囚われた彼の苦しい姿が映し出されてきていた。その時間の逆行がついに方向性を変え、順行して動き出すのだ。「最後にもう一曲お聞きください」。そう言って演奏するのは、蒔野と洋子の思い出の曲「幸福の硬貨」。「未来に向けた曲」をあなたに向けて演奏する。

 

セントラルパーク、枯れた噴水の周り。“反時計回り”に等間隔で歩くふたりは、このままでは一生出会うことがない。しかしファンに声を掛けられて振り返った蒔野は、洋子を見つけ、“時計回り”に姿勢を変える。それはまるでこれまでの6年間が凝縮されたような描写だ。三谷早苗が引き起こしたすれ違いも、彼らが前を向くためには必要だったのかもしれない。「未来によって過去は変わりゆく」ということ。そうして蒔野はついに未来へ、洋子は過去に置いてきたものを拾いに行くという意味で蒔野のもとへ歩を進める。その合流地点こそが、彼らが生きゆく真の未来なのだろう。「マチネの終わりに」、そこに向かって歩きだすふたりの顔の明るさをもって、この映画は幕を閉じる。死の季節に再び生が薫りはじめる刹那、彼らはそのあときっと、「幸福の硬貨を手にしたら、あなたはなにがほしい?」という未来の話を再開するに違いない。*2

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*1:登場人物たちのなかで一番心を掴まれてしまうのは、やっぱりこの桜井ユキだ…。圧倒的にヒールなのに、なかなかそう見させてくれない感情を押し殺して生きる演技。『G線上』も『だから私は推しました』も、どんな役でも彼女が演じると感情移入してしまう。

*2:正直いうと洋子の気持ちはあまり理解できていない。あくまでも蒔野が主人公で、彼に振り回されてる感がすごくて…。原作を読んでる途中ですが、洋子の話は実はかなり深いっぽい。そうした点を含めかなり表層的で本質の欠いたレビューですが、どうかお許しください。