縞馬は青い

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映画とかドラマとか、好きなもの

持てあました想い/森下佳子『だから私は推しました』第5-6話

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こんなにも各々が発する「好き」という想いは溢れているのに、それがどこにもぶつかることなく、幻想だけがガタガタっと崩れ落ちていく悪夢のような展開。ハナの過去(と現在の計算づくかもしれないふるまい)にある事実に気づくことですぐに消滅してしまう彼女を「推す」動機というのは、そんなに軽いものだったのだろうか。ハナが前髪を切ったとき、ライブ中に初めて目と目があった瞬間、同僚を振り切って推しに駆け寄ったとき。そうした瞬間を緩やかに劇的に描いてきたこのドラマを観ていた私たちにはわかるはずだ。愛とハナの交流には紛れもなく「愛」なるものが存在していたことを。たとえ一方的だったとしても、すぐさま否定されてしまうような軽い感情ではなかったはずなのに。

第6話の最後では、ハナを推す前の生活に逆戻りを果たす愛。だけど、やっぱり何かが物足りない。以外にも同僚・マイが愛のことを真剣に気にかけていることに少し安心したけれど、彼女の想いにしても、愛を真に癒す手段にはなりえない。想いは交差しつつも一方通行で、登場人物たちはゴールの見えない迷路に迷い込んでいく。

realsound.jp

リアルサウンド映画部で『だから私は推しました』の作品評を書いた。本作におけるストーリーと映像への没入感は、「上昇」と「下降」という相反するイメージが混ざり合うことによって生じているのではないか、というドラマの外枠にある“巧さ”について考えたもの。本作の軸となるのは、サニサイを地上へと押し上げる「上昇」のストーリーと“瓜田が押し倒されるまで”を描く「下降」のストーリーだ。例えば第6話においても、卵を使った動画配信を行うハナと愛(視聴数の増減)を交互に展開することによって、視聴者に複雑な感情を持たせることに成功している。このドラマを見ているとずっと、なんだか素直に喜べないし、なんだか素直に苦しめないのだ。いいことも悪いこともないまぜになっているから。

嘘に気づいた愛は思っただろう、ハナに裏切られたと。でもほんとうにそうだろうか?彼女と出会ってできた思い出の数々、救われた経験はそんなに簡単になくなってしまうものだったろうか。彼女たちが上昇と下降を続けるペンローズの階段から抜け出すのに必要なのは、上昇と下降(いいことと悪いこと)をないまぜなままにするのではなく、整理して考えることなのではないか。そうすればきっと、抱いていた想いのまっすぐさに気づくはずなんだ。

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