縞馬は青い

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映画とか、好きなもの

光の海を超えてゆこう/森下佳子『だから私は推しました』第4話

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その闇に光を灯すことができるのは「お金」だけなのだろうか。そんなわけない!と否定してみても、現実はそう甘くはない。サニーサイドアップがアイドルフェスに出場できたのも、ハナが見違えるほどのパフォーマンスを披露できたのも、闇に隠れた愛の努力があったから。「光の海」がきれいであればあるほどに、見えない場所で血反吐を吐くものの姿が透けて見えてしまうというこのドラマ構造が伝えるのは、世の不条理、表裏一体でなければ成立し得ないという現実の残酷さであろう。

映画や演劇、それこそドラマやアイドルなど多種多様なカルチャーに接していると、時々思うことがある。自分がこの場でお金を落とさないと、この映画を次に見る機会や誰かに見てもらう機会、劇団やアイドルの存続が脅かされるのではないかと。それは決して大げさなことなんかではなく、サブカルという言葉が死語になり多様な娯楽から好きなものを選び取ることができるようになった現在では、人気のないカルチャーは衰退していく、それは避けようのない現実なのだ。いくらそれへの「想い」が溢れていても、目に見える「もの」がなければ伝わらない……なんて辛い世の中なの。。

さらに辛いのは、目に見えるお金を工面していると、そのうち根元にあった「想い」が蔑ろになってしまう可能性があること。ライブには行けないしチェキも撮れない、おまけに新曲ははじめて聞くし、動画配信を覗いている隙もない。一番わかりやすくそれが可視化されているのは、いつもなら動画配信を見ていた時間が、愛がお金を工面する時間に移り変わっていることであろう。どちらも動画配信を行っているのに明らかな光と闇で分裂してしまっているのも悲しい。

ハナと愛。この2人の関係性が、夢を追う彼氏とそれを支える彼女みたいな関係性にどうしたって見えてしまうのは、やっぱり彼女たちがひとりでは自立できていなからなんだろう。前のエントリーではこの2人は共依存なんかじゃない!と無責任に言ってしまったものの、何をするにもお金が必要なことと同じく、これは否定しても意味がないことなのかもしれない。むしろこの作品が描こうとしているのは、「共依存で何が悪い!」という訴えのようにも思えるのだ。

フェスでのパフォーマンスを成功させてから、サニーサイドアップが解散ライブを行い、愛が取り調べを受けている現在までの道筋にいったい何があったのか。これから辛いことしか起きなさそうな展開ではあるけれど、もう最後まで彼女たちを見届けずにはいられないな、という強い心持ちでいます。