縞馬は青い

縞馬は青い

映画とか、好きなもの

“ガール・ミーツ・ガール映画”が救う世界──『少女邂逅』から『カランコエの花』、そして『21世紀の女の子』へ

f:id:bsk00kw20-kohei:20181020111245j:image

サムネイルはロロという劇団の演劇で少女2人の物語を描いた作品。

映画以外にもガールミーツガールが暑かった今年の夏

 

今年の日本映画界、すごくないっすか? 2016年の勢いをもう一度取り戻しているように見えるのだけど、あの時とも少し違うなっと思うのは、いわゆる「ミニシアター」で上映されるようなローバジェットな映画がとんでもない動員数を示していること。『カメラを止めるな!』はもはや言うまでもない盛り上がり、『寝ても覚めても』は『万引き家族』とともにカンヌに正式ノミネートされ、公開後も同日公開の『きみの鳥はうたえる』とともに邦画のニューウェーブとして注目を集めた。今現在は『若おかみは小学生!』がSNS等の口コミでジワジワと広がりを見せている。『カメラを止めるな!』から生まれた“ポンデミック”という言葉に象徴されるように、SNSの力もあって“いい映画”が毛細血管の奥の奥まで流れていく世界になった。

 

そんななか本稿で取り上げたいのは、2018年の邦画界ーーとりわけミニシアター邦画界を語る上で欠かせない、「ガール・ミーツ・ガール」というジャンルをつくりあげている映画の隆盛についてだ。

 

「ガール・ミーツ・ガール」って?

少年が少女に出会うことによって物語がドライブしていく「ボーイ・ミーツ・ガール」という物語の類型はいわば映画の定型である。それはときに恋愛に発展することもあるし、ジブリ映画なんかでは友情にとどまることも多い。それが今、少女と少女が出会う「ガール・ミーツ・ガール」の物語へと幅の広がりを見せているのだ。まずは今年公開されたものをザッと挙げてみよう(漏れもあると思います)。

 

山田尚子リズと青い鳥f:id:bsk00kw20-kohei:20181020111046j:image

枝優花少女邂逅f:id:bsk00kw20-kohei:20181020111109j:image

湯浅弘章志乃ちゃんは自分の名前が言えないf:id:bsk00kw20-kohei:20181020111145j:image

中川駿『カランコエの花』 f:id:bsk00kw20-kohei:20181020111214j:image

 

この隆盛を語る上で欠かせないのが、「ガール・ミーツ・ガール」をまさに漢字に変換したような題名の『少女邂逅』。カメ止めがものすごい感染の広がりを見せるなか、同時期に公開された『少女邂逅』も新宿武蔵野館で2ヶ月のロングランヒットを記録するなど、現在も公開館数を増やしながらファンを増やしている*1

 

上記に挙げた映画群の共通点は、①学生が主人公で、②少女と少女の物語であること、また、③男性がほとんど出てこない、などが挙げられるだろうか。これらの映画以外にも、例えば平手友梨奈主演の『響』においても、男女の恋愛よりも響と祖父江凛夏という、少女たちの友情・対立・結合が物語を加速させていたし、『SUNNY 強い気持ち・強い愛』は女子高生6人グループに焦点を当てた作品になっていた(こっちは未見ですが笑)。また、広義での「同性meetsもの」へと視野を広げると、ドラマ『おっさんずラブ』が爆発的な人気を見せ、異性の恋愛を描く作品が減少しているように思われる。それではいったいなぜ、こういう流れが訪れたのだろうか。

 

異性恋愛作品のバリエーション枯渇と多様性の受容

とりあえず本稿では、学生に焦点を当てた青春映画に限定して書いてるのだけど、そこに限定しなくても全体的にストレートに恋愛を描く作品というものがなくなってきている。あるとしたら少女漫画原作で、ジャニーズあたりが出演している映画しかないんじゃないか(こういうのすら一時期に比べ減ってる気がする)。

 

この前「WOWOWぷらすと」という番組で映画ジャーナリストの宇野維正さんがこの現象について興味深い話をしていた。これによると、『君の膵臓をたべたい』とか『恋は雨上がりのように』といった最近の作品が、ある男女の物語でありながら友達以上恋人未満のような関係にとどまり、恋愛を描くことに固執しない。そして、「恋愛を描いてるようで実は描いてないみたいな映画の方が当たっていて、ドンピシャで恋愛を描くものが実は全然当たってない」とのこと。*2

 

また、『テラスハウス』や『あいのり』といった恋愛リアリティーショー(リアルなのかどうかはここでは一旦置いておくけど)が流行し、“ノンフィクションの恋愛”を追うエンタメが増えているなかで、わざわざ映画やドラマにリアリティーを求めなくなっているという側面もあるかもしれない。不倫とかを描く非日常(非リアル)の恋愛作品が求められるのはそういう理由かも。

 

そうして純粋な異性恋愛を描かなくなり友情関係を描くようになると、同性2人が主人公の方が自然だし、新たなバリエーションを生めるんじゃないか、となってくるわけだ。

 

もう一つ挙げられるのは、「多様性の受容」としての同性meets映画の隆盛という視点。『ムーンライト』のアカデミー賞受賞から『君の名前で僕を呼んで』、ブラジル映画『彼の見つめる先に』のヒットなど、もはや同性恋愛と異性恋愛との“差”がなくなってきている現在において、もちろん今までは異性恋愛作品と比べて同性恋愛の方が描かれる回数が少なかったのだから、いざ同性恋愛を描くとなるとそのバリエーションには富むはずだ。加えて、異性2人が主人公だと恋愛を描く必然性がある代わりに、それが同性だと、恋愛と友情の2つから選べるという側面もあるし。

 

「ガール・ミーツ・ガール」が増えているのにはもっともっと色々な側面があると思う。例えば『少女邂逅』は枝優花監督の実体験が基になっているという。学生時代にガールミーツガールの傑作『花とアリス』を作った岩井俊二に影響を受け、また救われて、いま彼女が映画を作っているように、少女時代の自分と、自分のように苦しんでいる女の子へ向けてそういった映画を作っている監督もいる。そういったいろいろな要素が組み合わさって今年、少女と少女が出会うことになった。そしてこの流れから、若手女性監督と新進女優がまさしく“出会う”「21世紀の女の子」という映画が誕生することになる。

 

関連エントリー




*1:カランコエの花』も当初新宿で1週間だけの上映だったはずが渋谷で現在まで2ヶ月くらいやってたり、すごいみたい

*2:これに関連した話でいうと、今クールのドラマで間違いなく一番の話題作になるであろう『獣になれない私たち』も、恋愛を描くという側面もあるんだろうけど「ラブかもしれないストーリー」と前置いているのとか、すごく興味深い