縞馬は青い

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映画とか、好きなもの

ナカゴー『まだ出会っていないだけ』@下北沢駅前劇場

f:id:bsk00kw20-kohei:20180804195515j:imageもうたまらなく面白い。東京に来ていなかったらこういう作品にも出会えていなかったと思うとそれだけでぶるぶる震えてしまう。ナカゴーを見れる環境にいる人は、すぐさま見に行ってほしい。今話題の『カメラを止めるな!』なんて目じゃないほど、笑いと感動と情熱に満ち溢れた作品だった。

東京に来て増えた趣味のひとつ、演劇。中でも小演劇と呼ぶのだろうか。この日ナカゴーを見た前日にも玉田企画という劇団の演劇『バカンス』を見ていたのだけど、これもずるずると引き込まれるおもしろさだった。リアリティ再現度が半端ないこの作品では、“日常の中のささいなモヤモヤ”を役者の「自然な」演技で魅せている。ナカゴーの演劇スタイルはこれと正反対といってもいいかもしれない。昭和感を漂わせた舞台上で役者たちはとことんオーバーアクションを貫き、こんなセリフ日常で言う人いないだろという奇天烈な表現が飛び交う。これがなぜ面白いかというと、単純に演者たちの演技がうますぎるからだ。あとはワードセンスと細かい動きの描写のうまさ。とにかくうまい。とにかく面白い。笑わない時間なんて5分と続かない、それでいてじ~んとくる場面もある恐ろしい作品である。

今年のGW付近に上演されていたナカゴー特別公演『まだ気づいていないだけ』をベースにさらなる“技巧の深化”と“物語性の進化”を携えて上演されたナカゴー本公演『まだ出会っていないだけ』@下北沢駅前劇場。人間の不器用さと可笑しさ、愛おしさをオーバーアクション、ネタバラシ、バッドエンドという3つの技で描ききった作品だ。

物語がはじまるとひとりの女性が現れる。どうやらその女性は主人公の親友であり、また予知能力者であるらしい。そんな彼女は、あろうことか、これからこの舞台で起こることの“結末”を語ってみせてしまう。「喧嘩をして長年疎遠になっていた姉妹が久しぶりに顔を合わせて仲直りに試みるのだけれど、結局仲たがいしたまま終わってしまう作品」であると…。

ナカゴーの演劇をまだ見ていない人にこの最大の魅力を教えてしまっていいものか非常に悩むところだが、ネタバレを気にする人はこの段階で意を決して見に行ってくれていると信じたい。一言でいうと「“ネタバラシ”を基盤とした究極の予定調和芸」これがナカゴーの特徴であり、魅力なのだ。“これから何が起こるのか”をあらかじめ観客に伝えておいて、その通りのことを演じるということ。これは上記の「予知能力者」という形や「内緒にしてと言われたことをベラベラと喋ってしまう男」を媒介にして伝えられていき、半ば強引に役者の演技と脚本の巧さで魅せ切っていく。

予知能力者の出現やネタバラシを含め、「見える/見えない」、「知っている/知らない」という思考の反転が与える物語のドライブ感には素直に驚いてしまった。それは例えば野上篤史さん演じる“黒子”の役。私たち観客には見えていて、物語の中の人物たちには見えていない(という設定)。天国へと旅たつ場面の衝撃ったら。素晴らしいメタ演出だった。他にも、幽霊の出現や未来予知、もちろんネタバラシという最大のシステムも含め、わたしは知っているのにあなたは知らない、わたしには見えているのにあなたには見えていないという「認知の差」が生み出すコメディが劇場を肩で笑わしていく。

しかしこの作品で最も特筆すべきなのは「ごっこ遊び」のことだろう。姉妹が、喧嘩をしたあと仲を取り戻すために全く違う人物になりきり、それによって通常の生活に戻っていくという、子供のころからの仲直りの手段。

ちょまてよっ!!!

姉さん……!!

という妹が放つ2つの言葉による切り返しがこの作品最大の盛り上がりを見せる場面。「本当はお互い知っているのに知らないふりをしていた→もう知らないふりをする必要はない!」という反転が巻き起こすパワーに劇場全体がうなりをあげているようだった。笑いと感動がとめどなく押し寄せてくる場面。そうして私たちは知ることになる。ナカゴーという劇団が魅せるオーバーアクション予定調和劇=「ごっこ遊び」が、わたしたちの心を豊かにし、勇気を与えてくれていることを。バッドエンドは、まだ終わりじゃなくて。そこを乗り越える本当のわたしに、「まだ出会っていないだけ」。f:id:bsk00kw20-kohei:20180804200039j:image