縞馬は青い

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映画とか、好きなもの

焦らずゆっくりと私たちの家族を作ろう/中谷まゆみ『隣の家族は青く見える/第1話』

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無知こそが要らぬ偏見や差別を生むんですよ

これは、松山ケンイチ演じる五十嵐大器が、後輩社員の矢野朋也(須賀健太)に説教されるシーンで発せられる台詞である*1。本作が伝えようとしているのはまさにこのことではないだろうか。偏見や差別は無知から生まれ、わたしたちはその"無知"から目を逸らしているということ。不妊症や同性愛、DINKsや外面を気にする家族が"ひとつ屋根の下"で息づいているこのドラマが描くのは、私たちが生きているこの世界の多様性と、それを知って(見て)考えることの重要性であろう。

 

この世界に生きる人々の多様性。それは例えば子作りに対する考えの違い。

小宮山深雪(真飛聖):いろんな考え方があっても、子どもを欲しいっていう思いは女性共通の願いよ。やっぱり女は子どもを産んでこそ一人前だもの〜
五十嵐奈々(深田恭子):いろんな価値観があるんで子どもを持つことが女性の全てとは思いませんが、わたしは欲しいと思ってます

子どもを産むことが幸せだと考える人がいれば、欲しくないと考える人もいる。また、色々な事情で子どもを産みたくても産めない人もいる。このように「子作り」という一つの事象を取ってみても人によって考え方は様々なのだ。本作のストーリーメイクには、物事に潜む多様性をできるだけ多角的な視点から、できるだけ注意深く描き出そうという試みが垣間見える。

 

"多様性"がこの作品の深いトーンであるから、上記のセリフによって毒のある女性という側面を覗かせた深雪にも、娘を気遣い愛情を与える母親の側面や、インスタに興じ隣人のバッグを気にする女性としての側面が共存している。また、多様性というのは人物の性格だけではなく様々な事象にも現れる。

大器:うちの家族ってほんとうるさいよなぁ。言いにくいこともガンガン言ってくるし、遠慮がないっつーかなんつーかさぁ
奈々:うーん。そこが良いんだよぉ。ああいう賑やかな食卓には憧れてたんだぁ。大ちゃん家の家族は理想だよ

「孫の顔を見たい」と言う五十嵐聡子(高畑淳子)に、「それはセクハラだよ」と注意する娘の琴音(伊藤沙莉)。この会話によって、フィルターにかけることをせずに何でも言ってしまうこの家族関係に一度は警鐘を鳴らすも、それに対して奈々は優しく肯定してみせる。このようにして物事や人物に対する否定と肯定を繰り返しながら、人や物事には2つ以上の面が存在しているということを、このドラマは丁寧に描き出そうとしている。

少し気になるのは、この「多様性」という語りが心なしか説教じみていて、男性をはじめとして見るのが辛いと思う人も結構いるのではないかなぁということ。しかしこのドラマにおいて素晴らしいと思ったのは、そういった真面目な論を掲示しながらも、男性同士のロマンスが語る愛の美しさや娘へと向けられる笑顔の優しさ、恋人の前で本音を吐き出す純朴さなど、ラブコメディの群像劇としてドラマをいい意味で軽くしている点だ。

 

大器のつった足を伸ばす奈々、という描写から始まる第1話では「焦り」と「引き延ばし」という動きが顕著に現れていた。「僕の子どもを産んでください」といきなりの告白をする大器に、焦らずゆっくりやりましょうと言わんばかりの笑顔を浮かべ足を伸ばしてあげる奈々。この収縮と弛緩という動きは、「子作り」の話になると逆転し、「もう35歳だし…」と焦る奈々に大器は「まだ大丈夫じゃない」とお餅を食べながら引き延ばそうとする。子ども好きな大器がこう言うのは、自らの恐怖に乗じてのことだけではないだろう。私には、焦らずマイペースでやっていこうという自由さと、奈々に降りかかるかもしれない困難を跳ね除けようとする優しさに見えたのです。問題を先送りにしているという側面ももちろんあるのだろうけど…。
まぁ何が言いたいかというと、足りないものをお互いに補い合うというのが夫婦なのではないのか、ということである。一方が与えてばかりなのではなく、互いに与え合うことの重要性。

夫婦関係や家族関係の難しさ。ぴったりとパズルのようにハマっていると思っていたはずが、徐々にズレが生じてくるということ。その違和感や気持ち悪さを本作では「不妊症」という事象を用いて現してはいるけれど、何もそれだけに限ったことではないと、この作品は伝えようとしているのではないか。4つの家族が紡ぎ出すこの世界の真理に、注意深く目を凝らしていきたい。

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*1:職場の年少者が年長者に対してある種格言めいた言葉を発するという手法は映画『永い言い訳』を思い出しました。あまり説教臭くならずに本旨を伝えられるのが良いですね。