縞馬は青い

縞馬は青い

映画とかドラマとか、好きなもの

転生したら幸せになれますか?/森下佳子『だから私は推しました』第7話

f:id:bsk00kw20-kohei:20190909201345j:image

ついに訪れた“押す”瞬間。第7話でもこれまた不気味な「階段」 が頻出し、 迷宮のようなこの世界から抜け出せずにいる登場人物たちの苦悶する様が描かれる。

高校生活でいじめ/ いじめられていた塚本美花はサニーサイドアップのハナとして第二の人生を生き、ライブ会場から追い出された瓜田は、実はスイカちゃんとしてネットの世界に生き続けていた。 同じように遠藤愛は、他界(アイドル用語でオタクを辞めること) したかと思えば成仏できずに戻ってきて、 再びハナと手を取り合って推し/推しされる関係を再構築する。 しかし、その直後でグループは解散することを決めてしまい……。 一回死んで生き返るハナと、死んだようで死にきれない瓜田、愛。しかし本質的にはいずれも、なんとか別の世界でやり直そうと奮闘して、それでも不運が襲いかかってきてやり直せない人たち。 思えばこのドラマは、いいね競争から脱落したOLが、 地下アイドルの世界に居場所を見つけるところから始まっていた。居場所というのはどこにでもあるようで、 実はどこにもないような、辛い現実を見せつけてくる『 だから私は推しました』。

であるならば、「力を試してみたい」 と言ってサニサイからの卒業を決心する花梨や、それを止める小豆さんの心理も「生まれ変わりたい/ ここで生き続けてほしい」という風に“居場所” に根ざした行動原理だと説明がつく。罪深くも、みんな「 自分だけを見てくれる世界」を望んでしまうんだ。

居場所を求めて彷徨い続ける愛、ハナ、瓜田。 その三者が奇妙に交差することで起きてしまう、墜落事故( あるいは殺人未遂)。死にかけて生き延びる瓜田と、突き落とした愛(もしくはハナ?) が最後に辿りつく場所とはいったい。 こんなに苦しい物語でもやっぱりどうしたって思い出してしまうのは、第1話、前髪を切って涼やかに踊っていた、あのハナの神々しさだよな。

カルチャーをむさぼり食らう(2019年8月号)

f:id:bsk00kw20-kohei:20190901232718j:image

8月が終わった。なんだか暑くてぼーっとしていたような記憶しか残っていない。お盆に実家に帰ったりすると、帰京するころには抜け殻になってしまったりするから厄介だ。間違いなく実家でしか食えない、冬瓜の酢の物的なやつ(ネットでそれっぽいの調べても出てこないからうちの母親しか作ってないんじゃないか)とかがぶちうますぎて、東京でひとりで生きていく生気を吸い取っていくのだ。それまでやっていたこと、思っていたことがリセットされてしまう感じがした。まぁ実家でも原稿を2本書いたりバリバリカルチャーモードでしたが。

ここ数か月ずっと、「本を読む」というのを目標に掲げては達成できない日々を過ごしている。とりわけ小説を読みたい、けれど今までそんなに読んでこなかったからどの作家にコミットすればいいのか、本屋に行っては逡巡する毎日。かといって映画をめちゃくちゃ観れてるかというとそうでもないし……*1。だんだんと未知のものに挑戦するのが億劫になってしまってるんだろう。ほんとうは古典的ハリウッド映画もヌーベルバーグの作品群も台湾ニューシネマも黒澤明村上春樹吉田修一山崎ナオコーラ柴崎友香も触れたくてしょうがないのだけれど、どうしても近くにあるものに手を伸ばしてしまう。そんな停滞期な8月のカルチャー日記は5つの印象的なカルチャー(作品・人・祭り)についての記録。

 

<映画- 中川龍太郎四月の永い夢』>

今気づいたけど、レンタルで観た『四月の永い夢』が紡ぐストーリー、抱いた感想は、上記の文に合致しすぎるものだった。そこはかとなくある、停滞感。

3年間ものあいだ「四月」に取り残された女性が、3年目の夏に経験するゆるやかな日常の変化によって現実に回帰してくるという、ちょっぴり幻想的でゴリゴリに詩的なお話。昨年の5月に公開されて、ずっと観たかったやつだ。期せずして夏の暑い日に実家で見ることができたのは、とてもラッキーなタイミングだったと思う。昨日行った服屋のお兄さんにも勧めたくらい、今夏のカルチャーといえばこれ!という映画(昨年公開ですけどね)。ほんとうは感想を長々と書きたいのだけど、全然うまく書けそうにないのでとりあえずDVD買って数か月に一回見返してやろうと思う。みんなが口々に大好きだと言う朝倉あきには一発で惚れ込んでしまったし、監督・中川龍太郎の次作『わたしは光をにぎっている』には期待しかない。なんたって主演は松本穂香で、主題歌はカネコアヤノなのだ。「光の方へ」はこの間ライブでも聞いていたし、今年を印象づける映画になることはすでに確定している。

ちょっとだけ心に刺さった部分を書こうか。一番は「手紙」の存在。そして、ラジオ、電話、音楽と、音が想いを運んでいく作劇の安心感。包容力。物語内でも大きな役割を果たしている赤い靴による主題歌「書を持ち僕は旅に出る」もすばらしい。

f:id:bsk00kw20-kohei:20190907125006j:image

<映画- 杉田協士『ひとつの歌』>

もう一本、映画の話を。今年の新作映画ベストワンにすでに内定している『ひかりの歌』の東京凱旋上映が月初めにあり、同時に監督の過去作の上映も行われていたので、前作の(と言っても9年前に撮られたものだけど)『ひとつの歌』を観に行った。東京都写真美術館にて。これが、自分がもし映画を撮るとしたらこういう方向性を志向するだろうなというタイプの作品だった。世界の切り取り方に感動したのだ。『ひとつの歌』では、セリフが極端に少なくて言ってしまえば開始10なん分くらいまで会話という会話が聞こえてこない。ずーっとある一人の男(の後ろ姿、だいたい)をカメラは追いかけていって、徐々に彼の日常の行動範囲が明らかになり、ある女性への特別な視線が浮き彫りになっていくという、まさに「映像がモノを言う」映画だった。これを観ていて素直に、映画ってこうあるべきなんじゃない?と思ったのだ。言葉なんかなくても、映像の連続だけで伝えうるものがあるということ。僕が『ブリッジ・オブ・スパイ』の冒頭なんかに惚れ込んでしまう要因がやっとわかってきた。登場人物がいきなり叫ぶやつとか嫌っしょ?会話劇はめちゃくちゃ好きだけど、映画で何かを語ろうとするならば、言葉なんていらないんじゃないか。

言葉がないと、必然的に映像の特性に目がいくことになるんだ。特に印象に残ったシーンはこんなふうに描かれる。

固定カメラが写す映像のなかに入ったり出たりしていく男、女。多用されているわけではないが、なんだか印象に残る。まだそこでカメラは男と女を同じ世界に収めることを許していないよう。そう思っていると、駅のホームで少し距離を空けて男女が並ぶシーンが訪れる。カメラは何度か左右に動き、男と女を交互に映す。女が男の存在に気づき、近づいていく。男が女にあるものを手渡し、固定カメラの射程のなかにすっかり収まるふたり。するとそこで、画面の左右両方から電車が勢いよくホームに侵入してくる。

映像のパン、人物のフレームイン/アウトを用いてささやかかつダイナミックに描き出す、男と女の心が通じ合う瞬間。開始30分くらいの場面にもかかわらず美しすぎて泣きそうになった。

f:id:bsk00kw20-kohei:20190907124829j:image

<アイドル- AbemaTV『火曜TheNight』/眉村ちあき

どういうタイミングだったか、たぶんYouTubeのレコメンドに流れてきたんだと思うけど、AbemaTVの『火曜TheNight』という番組を見る機会があった。矢口真里ピン芸人岡野陽一がパーソナリティを務めていて、ゲストに毎回アイドルがやってくるバラエティ番組。結構何年もやってるみたいなんだけどドルバラ好きの自分の触覚がうまく働いてなくてバッチリ初見。産休に入るやぐっちゃんの代わりに3か月だけ鈴木愛理がMCを務めるということでちょっと見始めたり過去放送を見たりしている。そこでみた眉村ちあきというアイドルにグサッと心を射抜かれ、一気にどハマってしまったのだ。

m.youtube.com

一体なにものなんだ。ゴッドタンを毎週見ている人なら知ってたんだろうけど、僕は全然知らなかった。喋りのバカっぽさと歌のうまさのギャップはもはや言うまでもないんだろうな。いやはや、YouTubeに転がっているどのライブ映像を見たって、その場所は多幸感であふれていて、求めていたのはこれかもしれないって思った。


2019/5/11 眉村ちあき@上野恩賜公園野外ステージ


<ドラマ- NHK『だから私は推しました』>

アイドルはそれなりにずっと好きだけど、お金を大量に落とすほどハマったことはない。映画への気持ちのほうがよっぽどオタク的かな。ただアイドルとか映画とか関係なく、好きなものに忠実に生きていたいと望むものにとってどうしても刺さってしまうドラマがこの『だから私は推しました』という作品だ。地下アイドルと女オタを描いたドラマだけれど、妄信的な恋愛感情のようなものまでがこの作品には落とし込まれていて、愛とどうしようもなさの表裏一体に引き込まれてしまう。毎話しんどくなりながらレビューを書いているのがその証左。

f:id:bsk00kw20-kohei:20190907214639j:image

 

<8.24-25 東京高円寺阿波おどり

まるでロックフェスのような阿波おどりの祭典。去年に引き続き、土日2日連続で観に行ってしまった。踊ってる人たちまじでみんなかっこいいし、浮かれきった祭りの雰囲気が最高なのだ。1日目は同じ高円寺に住んでる友だちと行ったのだけど、暑い暑いと言ってバテていたので彼をほっぽって夢中に推しの天水連をみる。2日目は1日目の夜になんやかんやあって知り合った女の子と見たり、途中で帰ってしまったりして(詳述はしないけど辛い思い出だった…)、まぁ結局は浮かれながら推しの舞蝶連と華純連をみた。なんかいろんな出会いがあった気がするけど別にその後につながるわけではなく、つなげようとしない自分も自分で、やっぱりあれは祭りだったんだなと懐かしむばかり。しかし、1年に1回だけでもすべてが吹っ切れる瞬間があると精神衛生上とてもいいと思うな。きっと1年後も僕は高円寺に住んでいる。

f:id:bsk00kw20-kohei:20190907214718j:image
f:id:bsk00kw20-kohei:20190907214726j:image
f:id:bsk00kw20-kohei:20190907214723j:image

〈他・雑記〉

黒木香の許可が取れてなかった云々で色々あった『全裸監督』。おもしろかった、という記憶を吹き飛ばしてしまうほどぐるぐる考えてしまったが、鑑賞中はとにかく楽しかった。満島真之介の存在に想いを馳せないわけにはいかなくて、彼と村西チームの紅一点である伊藤沙莉の存在によってバランスが取れていると感じた。モヤモヤした気持ちは忘れたくないな。ーー相変わらずおもしろいなテラスハウス。最近のおもしろさは、声が大きくなりすぎている山ちゃんによってつくられていると思う。言ってしまえばとっても悪質なコンテンツになり下がってきているのだ。この番組を見ていて例えば軽井沢編のゆいちゃんの件とかから気になっていたのは、スタジオメンバーがすぐに住人に対してレッテルを貼ってしまうこと。そしてまんまと視聴者である私たちもそれを間に受けてしまうこと。テラスハウスにはカメラが設置されているわけだけど、だからといって決して彼らのすべてが私たちに見えているわけではない。もしかしたら1%だって見えていないかもしれないのだ。にも関わらず変に期待したり蔑んだりして、住人がその妄想の逆方向に行けば非難する。とっても恐ろしい。だけどそんなものが成立するのは、生活をカメラが捉えているというそれ自体がいびつなこの構造だからこそのものだから、それも含めてやっぱりおもしろいのだ。リアルなのかシナリオがあるのかも含め、多層性/多面性に満ちた番組が今後も続いていくことを望むのみ。今はとにかく翔平くんと香織さんがかっこよくて困っている。仕事への取り組み方が参考にしかならない。ーー8月15日、終戦記念日に『ゆきゆきて神軍』を観た。ずっと観たかったドキュメンタリーがアップリンク吉祥寺でやっていたので。原一男監督と松崎健夫さんのトークショーがとてもよかった。ドキュメンタリーってあんまり観たことないけど、やっぱりあそこにも真実と虚構、本当に大切なものはなんなのかという視線があるんだよな。ーー『無限ファンデーション』という全編即興劇で綴られた映画を観てだいたい落胆した。南紗良さんの演技は飛び抜けてたけど、『幼な子われらに生まれ』『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』には遠く及ばないよな〜とか。即興だからって演出サボってる気がしてならなかった。

8月は愚痴で終わりますね。

f:id:bsk00kw20-kohei:20190908005623j:image

*1:全然観てねぇな……と思ってたけどちゃんと調べたら17本も観てた。じゅうぶん。

持てあました想い/森下佳子『だから私は推しました』第5-6話

f:id:bsk00kw20-kohei:20190901103102j:image

こんなにも各々が発する「好き」という想いは溢れているのに、それがどこにもぶつかることなく、幻想だけがガタガタっと崩れ落ちていく悪夢のような展開。ハナの過去(と現在の計算づくかもしれないふるまい)にある事実に気づくことですぐに消滅してしまう彼女を「推す」動機というのは、そんなに軽いものだったのだろうか。ハナが前髪を切ったとき、ライブ中に初めて目と目があった瞬間、同僚を振り切って推しに駆け寄ったとき。そうした瞬間を緩やかに劇的に描いてきたこのドラマを観ていた私たちにはわかるはずだ。愛とハナの交流には紛れもなく「愛」なるものが存在していたことを。たとえ一方的だったとしても、すぐさま否定されてしまうような軽い感情ではなかったはずなのに。

第6話の最後では、ハナを推す前の生活に逆戻りを果たす愛。だけど、やっぱり何かが物足りない。以外にも同僚・マイが愛のことを真剣に気にかけていることに少し安心したけれど、彼女の想いにしても、愛を真に癒す手段にはなりえない。想いは交差しつつも一方通行で、登場人物たちはゴールの見えない迷路に迷い込んでいく。

realsound.jp

リアルサウンド映画部で『だから私は推しました』の作品評を書いた。本作におけるストーリーと映像への没入感は、「上昇」と「下降」という相反するイメージが混ざり合うことによって生じているのではないか、というドラマの外枠にある“巧さ”について考えたもの。本作の軸となるのは、サニサイを地上へと押し上げる「上昇」のストーリーと“瓜田が押し倒されるまで”を描く「下降」のストーリーだ。例えば第6話においても、卵を使った動画配信を行うハナと愛(視聴数の増減)を交互に展開することによって、視聴者に複雑な感情を持たせることに成功している。このドラマを見ているとずっと、なんだか素直に喜べないし、なんだか素直に苦しめないのだ。いいことも悪いこともないまぜになっているから。

嘘に気づいた愛は思っただろう、ハナに裏切られたと。でもほんとうにそうだろうか?彼女と出会ってできた思い出の数々、救われた経験はそんなに簡単になくなってしまうものだったろうか。彼女たちが上昇と下降を続けるペンローズの階段から抜け出すのに必要なのは、上昇と下降(いいことと悪いこと)をないまぜなままにするのではなく、整理して考えることなのではないか。そうすればきっと、抱いていた想いのまっすぐさに気づくはずなんだ。

f:id:bsk00kw20-kohei:20190901104003j:image

光の海を超えてゆこう/森下佳子『だから私は推しました』第4話

f:id:bsk00kw20-kohei:20190820232132j:image

その闇に光を灯すことができるのは「お金」だけなのだろうか。そんなわけない!と否定してみても、現実はそう甘くはない。サニーサイドアップがアイドルフェスに出場できたのも、ハナが見違えるほどのパフォーマンスを披露できたのも、闇に隠れた愛の努力があったから。「光の海」がきれいであればあるほどに、見えない場所で血反吐を吐くものの姿が透けて見えてしまうというこのドラマ構造が伝えるのは、世の不条理、表裏一体でなければ成立し得ないという現実の残酷さであろう。

映画や演劇、それこそドラマやアイドルなど多種多様なカルチャーに接していると、時々思うことがある。自分がこの場でお金を落とさないと、この映画を次に見る機会や誰かに見てもらう機会、劇団やアイドルの存続が脅かされるのではないかと。それは決して大げさなことなんかではなく、サブカルという言葉が死語になり多様な娯楽から好きなものを選び取ることができるようになった現在では、人気のないカルチャーは衰退していく、それは避けようのない現実なのだ。いくらそれへの「想い」が溢れていても、目に見える「もの」がなければ伝わらない……なんて辛い世の中なの。。

さらに辛いのは、目に見えるお金を工面していると、そのうち根元にあった「想い」が蔑ろになってしまう可能性があること。ライブには行けないしチェキも撮れない、おまけに新曲ははじめて聞くし、動画配信を覗いている隙もない。一番わかりやすくそれが可視化されているのは、いつもなら動画配信を見ていた時間が、愛がお金を工面する時間に移り変わっていることであろう。どちらも動画配信を行っているのに明らかな光と闇で分裂してしまっているのも悲しい。

ハナと愛。この2人の関係性が、夢を追う彼氏とそれを支える彼女みたいな関係性にどうしたって見えてしまうのは、やっぱり彼女たちがひとりでは自立できていなからなんだろう。前のエントリーではこの2人は共依存なんかじゃない!と無責任に言ってしまったものの、何をするにもお金が必要なことと同じく、これは否定しても意味がないことなのかもしれない。むしろこの作品が描こうとしているのは、「共依存で何が悪い!」という訴えのようにも思えるのだ。

フェスでのパフォーマンスを成功させてから、サニーサイドアップが解散ライブを行い、愛が取り調べを受けている現在までの道筋にいったい何があったのか。これから辛いことしか起きなさそうな展開ではあるけれど、もう最後まで彼女たちを見届けずにはいられないな、という強い心持ちでいます。

陽の当たる場所へ/森下佳子『だから私は推しました』第3話

f:id:bsk00kw20-kohei:20190811220500j:image

「私はあの子のオタなの」。そう告白しながら、徐々に黄色く染まっていく愛。まるで、後ろで出番を控えるサニーサイドアップに共鳴するかのように、まるで彼女たちに照らされているかのように、悔しさを吐露しながらも愛は美しく光り輝いていく。どうして彼女たちが身の程をわきまえる必要があるのか。がんばってる子を応援することに、なぜ遠慮が必要なのか。自分の思いを告白し、文字通り一皮むけるまでのこのシークエンスに、心を掴まれずにはいられなかった。

愛が心のうちに秘めた感情に向き合う間に、サニーサイドアップという地下アイドルはその名が示す「陽の当たる場所」への一時的なステップアップを果たしている。というよりも、彼女たちがそこへ上がってきたからこそ、愛もすべてを投げ打つ決心がついたのかもしれない。彼女たちがめざすのは、サニーサイドで堂々とパフォーマンスをする未来。その第一歩を踏み出した愛とアイドルたちの姿が重なって描かれることで、ストーリーにも厚みが生まれ出す。そしてそれを共依存によるものとみなすのは、あまりにも短絡的なのだ。なぜなら、愛の建設的なアイデアによって動画配信の視聴者が増え、ハナの頑張りと彼女からもらったオタTが愛の決心を後押しするなど、お互いに自立することでいい影響を及ぼし合うという関係を私たちはしっかり見ていたから。桜井ユキさんが主演している『真っ赤な星』という映画があるのだけど、その作品でもまさしく自立する女性2人の姿が描かれていて、それはもう美しいとしか言いようのない光景だった。愛とハナを見て少なくとも僕は、この世で一番美しい関係性だと強く思うのだ。

f:id:bsk00kw20-kohei:20190811223927j:image

第1話でことごとく「否定したはずのものに導かれてきた」愛は、ここでもまた、オタクという言葉を受け入れることで違うステージに歩みを進めることになる。オタへの階段を登った愛がなぜ刑務所という絶望(?)の未来に向かうことになったのか。めっちゃ気になるわ〜〜*1

*1:ネットで服の値段を見て、「チェキ25枚分か」とチェキ計算してしまう感じ、、めっちゃわかるな。僕の場合は映画鑑賞料金が生活のベースになってる。。

あなたと私、目があった/森下佳子『だから私は推しました』第1-2話

m.youtube.comアイドルが髪を切る。そこに圧倒的な生の煌めきと幸福感が宿るのは、やっぱりこのMVを思い出してしまうからなんだろう。髪を切るなんてほんの些細な出来事かもしれないけれど、それを彼女が軽やかに踊りながら見せると、「何かいいことが起きそうな予感」に世界が満ち溢れる。似たような「予感」を、NHKよるドラ枠ではじまった『だから私は推しました』というドラマの第1話を見ていて感じた。いい予感か悪い予感かはまだわからないけれど、「何かが起きそう」という予感が漂っているのだ。

f:id:bsk00kw20-kohei:20190810081501j:image
このドラマの主人公・遠藤愛(桜井ユキ)と彼女が“推す”ことになるアイドル・栗本ハナ(白石聖)は、まるで運命に導かれるようにしてある日突然、出会うことになる。地上と地下、OLとアイドル、出会うはずのなかった彼女たちを引き寄せるのは、「私は推される側の人間にはなれなかった」という悲痛な現実だ。アフターファイブはジムにヨガ、週末は彼氏とデート、平日の夜には映えるレストランで女子会をして、インスタでいいねを押してもらうことを生きがいにしていた愛。彼女はその日、恋人にイタいと言ってフラれ、落としたスマホを求めて彷徨うと、地下のライブハウスにたどり着いていた。そこで見たのは、キラキラしたアイドルのなかにひとりだけどうしようもなく歌とダンスが下手くそで、「なんでそこにいるの?」と突っ込んでしまう女の子。その子の惨めさに自分を投影してしまった愛は、酔いにまかせて暴言をぶちまけてしまう。「なんだよその前髪!コミュ障かよ!」って。最悪の出会いだった。もう会わないだろうと決め込んでいたものの、彼女への罪悪感とそこにいた「自分の分身」のようなハナのことが気になって、愛は後日、もう一度ライブハウスへと訪れることになる。しかしそこには、前に会った時とは違う、前髪を切って少しだけ堂々としたアイドルの姿があったーー。

「だから私は推しました」。“推す”理由となる「出会い」はこのようにして紡がれる。このドラマでどこまで深く語られるかはわからないけれど、ハナへとぶつけた暴言はきっと、すべて愛自身のことなのだろう。前髪のこともたぶんそう。前髪を上げて自信満々かのようにおでこを出す愛と、前髪を切ったハナとの身体の照応が、彼女たちの同質性を強く決定づけている*1。一転して気になるのは、刑務所らしき薄暗い部屋にいる目にかかりそうなくらいの前髪をした愛の姿。地下のライブハウスにも似た「陽の当たらない場所」で瓜田を押し倒すまでの日々を訥々と語る愛は今、何を思っているのか*2。そこに見る一定の不穏さ。

「推した理由」が「押し倒した理由」に徐々につながっていくという物語の構造にも言えることだが、このドラマではそうした因果応報的な、宿命的な愛の行動を軸にストーリーが進んでいく。そこでさらに気づくのは、愛が、「一度消えたはずのものに導かれている」点だ。“落とした携帯”が地下へと誘い、“人格を否定した”ハナに生きがいを見出す。“切られたクレーム電話”はまるでハナへの暴言と同じで、身につまされた愛は再び会いに行くことを決意する。そうなると気になるのは、愛がバカにした「オタク」という言葉や、第2話の時点でいなくなった瓜田が、今後どのように物語へと関わってくるか。人生の“いいねを無くした”愛が、ハナとの出会いを通して再びいいねを取り戻すまでの記録。になってほしいというのが、率直な願いだ。いやはや、『あまちゃん』や『武道館』などアイドル側の視点に立ったドラマは数あれど、アイドルオタクとともに描くドラマは珍しいのでとてもわくわくしている。とんでもない作品が生まれそうな「予感」に満ち溢れてはいませんか?

*1:彼女たちの服を中心に目立っているドラマのイメージカラー的な「黄色」も気になるところ。

*2:“また、「サニーサイドアップ」というグループ名には、「『サニーサイド』という日の当たらない地下の反対である日向と意味する言葉と、『ダウン』の対義語である『アップ』。もっと上に行きたい、日向を目指したいと思いながらも今置かれている場所で腐ることなく活動している熱意あるグループを描きたいという意味が込められています」と話す。”ーーhttps://thetv.jp/news/detail/197443/p3/

カルチャーをむさぼり食らう(2019年7月号)

f:id:bsk00kw20-kohei:20190804115143j:image気分が落ちているときに一番支えになるのは「お笑い」だ。映画を観て涙を流すでも、音楽を聴いて体を揺らすでもなく、理性を失いながら顔をぐちゃぐちゃに歪ませて笑う。カルチャーに順序をつけるのもおかしいことだけど、映画よりも音楽よりも、お笑いが自分にとって一番大事なものだということを最近噛みしめている。どれもないと生きていけないんだけど。笑いに執着して生きているのはアイデンティティの一つである関西弁を去勢された元関西人現シティーボーイのせめてもの抵抗なのかもしれない。バラエティや漫才がないと僕は生きていけない。ほんとうに生きていけないのだ。そもそも僕にとってカルチャーとは、「食」と同じくらい大事なもの。だから貪り食って、こうやって文章として排泄している(排泄が追いついてなくてこの日記が下痢みたいになってる)。吉本うんぬんにつなげるつもりはまったくなくお笑いについて書き出したんだけど、最近すごく思う。日々の出来事にただ笑い、泣き、ときに考えさせられながら、自分の心のうちを好きに書いていきたいなって。日々ツイッター上を流れる情報の狂ったスピード感と、物事に優先順位をつけないと取り残されてしまうその速さに辟易として、そんなふつうのことを忘れちゃってた。ということで今月も数多のカルチャーに救われました。

音のならない夜

いま一番笑わせてくれるのは千鳥。もっぱら『相席食堂』と『テレビ千鳥』に生かされている。相席食堂については以前ブログを書いたのだけど、やっぱりあの、誰も拾わなければ“醜態を晒している”ようにしか見えない芸能人たちが、ふたりのツッコミによって生命を得る姿にグッときてしまうのだ。まったく新しく、それでいて美しいいのちを。今月は蛭子さんの回がおもしろかったかな。そんで『テレビ千鳥』は7月29日放送の「海に飛び込みたいんじゃ‼︎」回が定期的に見たい最高の番組だった。「押すなよ」のくだりでそれを言ったノブではなく言われた大悟が迷いなく海に飛び込むという新しすぎる笑い*1を5、6年前に関西の番組(土曜の朝といえばな「せやねん」)ではじめて見たときにめっちゃ笑ったのを覚えてる。そんな千鳥×ロケの代名詞的な「海ダイブ」をロッチ中岡、三四郎小宮、プラマイ岩橋との競演のもとで繰り広げるロケ。元水泳部から見ても中岡の飛び込みはきれいすぎてそういうとこで爆笑してると笑いすぎて咳が止まらなくなった。最高だ。

tver.jp最近、やっと霜降り明星のよさがわかってきた*2。ていうかめっちゃ好き。オールナイトを聞くようになってオープニングがしっかりおもしろいことに惚れ惚れしてしまった。YouTube毎日投稿をはじめたときはやっぱり第7世代は違うぜ、と思ったけど今のところ毎日見るほどではないのでもう少しだけがんばってほしい気持ち。意外とYouTubeは一筋縄ではいかないんだよね〜。ひとつ気になるのは彼らが忙しすぎるところ。心配になってしまうのはあまりよくない。ーー最近は決まった音楽しか聴かなくなってしまい、それはほとんど中村佳穂のことを指している。フジロックYouTube中継ではじめて歌ってる映像をちゃんと見たけど、楽しそうすぎるし声が七色すぎるし、聴いてて楽しすぎない??「アイアム主人公」とか「SHE’S GONE」とか、サビを思わず口ずさんちゃう系が好き。

7月31日*3。カネコアヤノと峯田和伸の弾き語りツーマンへ行ってきた。熱心な音楽ファンではないので銀杏BOYSはほぼ存じ上げなかったのだけど(峯田さんは映画でよく見る人っていうイメージの方が強い)、とにかくカネコアヤノの弾き語りを求めに定時退社でLIQUIDROOMに急いだ。もう、、よすぎよ、、。夏らしいショートカットに涼やかなノースリーブワンピース姿で現れたかわいい女の子が魂を震わせながら歌う歌。バンドセットもいいけどこれを見たかったんだよな〜!!声を吹っ飛ばした後の狂った感じの顔が好き。優しいトーンのトークは癒しすぎる……。初披露の新曲「ひかりの方へ」もとてもよかったし、もう夏!!って感じで夏でした(語彙力)。そんでよ。峯田さんやばいっす。フジロックの映像も見たけど「生きたい」は心に直接流れ込んできたし、「SKOOL KILL」での奇行とかにぶっ飛び笑ったりした。高円寺に住む民として銀杏BOYSは聞いておきたいよね、たぶん。

今月のハロプロ情報。新グループのBEYOOOOONDS(ビヨーンズと言います)がもうすぐメジャーデビューする。そのトリプルA面シングルのMVが軒並み素晴らしく、激烈にハロプロ色をしていて最高なのだ*4。とりわけ見ていただきたいのは松岡茉優も唐突にTwitterで宣伝していた「ニッポンノD・N・A!」という曲。けっこう人数が多いグループだけどみんなが輝くMVに仕上がっている。冒頭のラップ(平井美葉さん)からどうしようもなく心掴まれてしまうんだよ。寸劇×歌をコンセプトにした変わったグループで彼女たちの楽曲には基本的に劇が組み込まれているのだけど、それって全然テレビサイズに対応できなさそうで、そういうのにも惹かれてしまうんだよなぁ(笑)。新時代の到来を信じたい。


BEYOOOOONDS『ニッポンノD・N・A!』(BEYOOOOONDS [The Japanese D・N・A!])(Promotion Edit)


【ハロ!ステ#300】Hello! Project 2019 SUMMER!BEYOOOOONDS、ハロー!キッチン、Juice=Juice特等席、こぶしファクトリーお知らせ MC:竹内朱莉&中西香菜

ずっと見たかったドラマ『デート〜恋とはどんなものかしら〜』をレンタルしてビンジウォッチした。今年ベストドラマに確定。4年も前のドラマだけど。長谷川博己のまくしたてる感じが生理的に大好きで、それは『鈴木先生』でも感じてたことなんだけど今回もよかったな〜。そしてそれ以上に杏ちゃんの声、立ち居振る舞い、奇天烈なアヒル口が最高だった。古沢脚本のドラマは無条件に楽しめる。今期のドラマは『だから私は推しました』くらいしかたぶん見ないと思う*5。ーー7月15日。そんなことあるのか、という話だが間違えてチケットを取ってしまい、平田オリザ作・演出の『その森の奥』を観劇してきた。こまばアゴラ劇場*6。ただ、大好物のディスコミュニケーションものの作品だったので普通によかった。日本人と韓国人とフランス人が10人以上出てきて、字幕とかもあってとにかく情報量が半端ない演劇。猿の研究に関わる人たちが会話のなかで人間の本質に迫っていくさまはカタルシスがすごかった。カオスな会話劇のなか、がんばっても受け取れるのはごくわずかだから、情報を取捨選択する必要性を感じたものだ。必要なものを必要なだけ摂取して、想像力を働かして生きていきましょう。

映画が耳元でささやいた

f:id:bsk00kw20-kohei:20190804115206j:image月の中ごろに『オルエットの方へ』というフランス映画を観た。これは飯田橋にある「アンスティチュ・フランセ東京」っていうフランス文化センターで行われた「バカンス映画特集」で観たやつ。他にもみたいものがいっぱいあったんだけど「バカンス映画特集やて!?」といきり立った頃にはもう特集期間は終盤で……。にしてもこの映画、最高だったな。先月から個人的に波がきてるフランス映画ブームに拍車をかける大傑作。社会人女性3人がただバカンスに出かけーーでもそのバカンスが3、4日とかじゃなく2週間強くらいでーー途中でその中のひとりを狙う男が介入してきたりして、基本的には彼女たちが遊んでる姿をただ眺めているだけっていう、それなのにめちゃくちゃ心を動かされてしまうバケモン映画だった。ヌーヴェルヴァーグを先導したうちのひとり、ジャック・ロジエ監督、覚えた。レンタル屋に置いてないからハマりきれないのが悲しみだよな〜。いやはやバカンス映画は至高。

今月も15本くらい映画を観ておきながら、先月の終わりに観た『ホットギミック』、というか山戸結希のことで頭がいっぱいだった。ユリイカの特集号は買ったものの内容量が多すぎてまだ読みきれてない。でも一番はじめの監督インタビューがかなりおもしろいことを語っていた気がする。山戸監督の映画はほんとうに届けたい人に届くようなシステムが形成されているのかという疑問がいつも浮かぶわけだけど、これを読んでやっぱりちゃんと考えてるんだなぁと感心した。山戸監督を先頭バッターとして、最近、「映画じゃなきゃダメなんだなこの人」と感じる監督をよく観る。そのひとりが石井達也という人で、テアトル新宿で観た『万歳!ここは愛の道』という映画にはすごいものが映っていてびっくり仰天した。フェイクドキュメンタリー的な物語の主人公は石井達也その人。2年付き合ってきた彼女がある日突然その2年分の記憶をなくし、石井監督はその様子をカメラに収めようとする。おもしろいのが、自身も映画監督であり石井達也の彼女である福田芽衣が「記憶を失った」のはまぎれもない事実だということだ。いや、そこすらも僕には怪しく見えたのだけど。どちらにしろ、今にも死んでしまいそうな2人が映画を用いることでそのなかで生き続け、そうして映画世界が現実に侵食していく。なかなか言葉に表しづらいな…。つまるところ、映画はいろんなものを救えるんだ!という希望が詰まった作品だと感じた。

7月、これは傑作だ、と思った新作映画は『トイストーリー4』と『よこがお』。トイストーリーはターミネーター4(字面似てるから引き合いに出してみた)みたいな変な方向性じゃなくてちゃんとトイストーリーでやる意義を感じる物語でよかった。深田晃司監督の『よこがお』は爆発的におもしろい。こんなにおもしろい映画、ほかにないだろとすら思った。どうあがいても、観ながら足元が沼に引きずり込まれてしまう。ずんずんずんずん、ゆるりゆるりと。前作『海を駆ける』を飛ばしてしまってたから久しぶりの感覚で、もはや爽快に沼に突っ込んでしまった。圧倒的に悪夢ではあれど、主演・筒井真理子のよこがおが美しいからかすべてが温かく肯定されている気がする。でも、気がするだけなんだよな。もう、頭の毛の1本まで見えなくなるほんのちょっと手前まできている。ーーそういえば月初めに今イチオシの劇団・贅沢貧乏の過去作上映があり、『フィクション・シティー』という作品を観た。

sheishere.jpこの世界はすべてフィクションでできている、という語りは意外と自分にとって新鮮で、そっか、じゃあ抜け出すこともできるんだなと感心してしまった。〜しなければいけない、〜であるべき、という変な設定がはびこる世界に私たちは生きているわけだけど、そんなものに従う必要は全くないのだ。フィクションはぶっ壊していい。フィクションに縛られて潰れてしまうのはごめんだ。しかし難しいのは、あるフィクションから抜け出しても、実はまださらに大きなフィクションに包まれていること。抗うことに意味はあるのか。9月に上演される新作も楽しみ。ーー8月の話題になってしまうけど今日観たので新鮮なうちに。8月3日、五反田団の『偉大なる生活の冒険』を観劇した。はつ五反田団。前田司郎が撮った『ジ、エクストリーム、スキヤキ』っていう映画が大好きだからいつか演劇を観たいと高校生くらいの時からずっと思っていて、やっと観れた。あるアパートの一室で繰り広げられるとても小さなお話だったけど、絶望と希望が詰まっていておもしろかったな〜。劇場がいやにむし暑く、それも含めたむさ苦しい夏の演劇って感じでこの時期にぴったりの。前田さんの演技が自然で柔らかく*7、マヨネーズを口元につけた内田慈さんがとんでもな愛らしさだった。妹役の新井郁さんも玉田さんも絶妙だったし、その彼女役の人も少ない時間で笑いをかっさらっていた。壁の奥には何も見えないけれど、じっと何かを見ているうちはまだ生きられるのかもしれないな。

■ほか、よかったコンテンツ・テキスト*8

shonenjumpplus.com

note.mu

www.cnn.co.jp

文芸オタクの私が教える バズる文章教室

文芸オタクの私が教える バズる文章教室

 

*1:どういうお笑い?

*2:M-1でさえピンときてなかったんだけど。

*3:今回は時系列バラバラです。

*4:アンジュルム改名時やこぶしファクトリーデビュー時もそうだったけど、ハロプロはデビューシングルから最高潮に熱が高く、デビューとは思えないクオリティに驚く。

*5:『偽装不倫』の杏ちゃんの感じは普通すぎてもったいないよな〜…。

*6:菱田屋を通り過ぎるという耐えられない屈辱……

*7:才能の塊かよ。

*8:「いつか怪物になるわたしへ」というnoteがとんでもない名文だったのに消した?消された?みたいです。なぜ……。200103追記https://note.com/okaki_tabetai/n/n347af9c82a47