縞馬は青い

縞馬は青い

映画とか、好きなもの

嫌いになり方がわからない/今泉力哉『愛がなんだ』

2019.4.30 テアトル新宿

三角形の上を動く点Pは定理にしたがってずっと点Qを追いかけているけれど、どこまで行っても同じになることができない。速度を変えたり先回りして待っていても、そこに彼の姿はない。山田テルコは一生、田中守にはなれない。

 

f:id:bsk00kw20-kohei:20190501133946j:image


幕開けと幕切れに訪れる2度のズームアウトは、ホラー映画のような一種の狂気を孕みながらも、しかしどうしようもなく愛おしく山田テルコという人間の生き方の一編を描き出すことに成功している。電話を受けてからの身体の動きは、まるで「アクシオ(来い)」(©︎ハリーポッター)と魔術を唱えられたかのように大胆かつ自然。異様なまでに美しいそのカラダの運び方は、そのあとも幾度となく登場する(守からテルコへ、テルコから守への)電話での呼び出しにおいて、私たちが向こう側にいる人物の表情と身体を想像する助けになるだろう。とりわけ、部屋の電気を消す音の大きさに無頓着なのが、とても狂気的に感じるのだ。そしてラストには、「33歳になったら会社辞めて飼育員になる」という言葉を受けた先回りなのかなんなのか、テルコは象の飼育員になっている。なぜマモちゃんに人生を捧げているのかという疑問への回答はいつまでたっても得られないけれど、生きるすべになってしまっているということはなんとなく理解できる。幸せではない。でもそんなに不幸でもないと、山田さんは思っているはず。*1

 

マモちゃんに家を追い出され、500ミリの金麦をあおりながらトボトボと行く先もなく歩くテルコ。正直言って、あんなにかっこいいタイトルバックは見たことがないです。昨年の東京国際映画祭を含めて3度観たのだけど、毎回鳥肌が立つほどに、「かっけぇ!」と声に出しそうになるほどに大好き。どこからどう見てもテルコがしんどそうに見えないのは、ひとりでいる場面(会社や自室でマモちゃんを待つとき)が映画時間的にあえて少なく撮られているからだろうか。葉子(深川麻衣)が言うように、どんなに辛くても、冗談でも「死にたい」とか言わないのがテルコの性格。「いまどき男でクビって」と同僚の女性(穂志もえか)に言われても、そうだよねぇとめちゃくちゃヘラヘラしている。

 

f:id:bsk00kw20-kohei:20190501134223j:image


結局、どこまで行ってもみんな「自分系」なのだと思う。途切れない継続的な関係を望みながらも、いまの自分を満足させることに最大限に注力しているテルコの姿*2が、みっともなくも人ってそうだよなって思わされる。

 

きっと葉子が帰れと言ったのだ。テルちゃんは話があるにちがいないから、あんたがいたら邪魔だ、帰れ、と。そうしてナカハラくんは、さっきの私と同じように、この明るい夜空の下をとぼとぼ歩いて帰っていくのだ。なんだか、どんなふうにかはわからないけれど、世界はみんなどこかで折り重なって、少しずつつながっているのかもしれない。

ーー角田光代原作文庫版『愛がなんだ』/P15

『愛がなんだ』という映画は、今泉作品らしく人の面と面が重なり合って同じような性格があぶり出されていくところにひとつエクスタシーを感じる作品。そこに登場する麺を中心とした食べ物のイメージもとても雄弁だ。重すぎた味噌煮込みうどんとやさしい味のアルミ鍋のうどん、そして使われることのない土鍋。家でひとりすするカップ麺と仲原くん(若葉竜也)と食べたラーメン。すみれさんがナカハラっちのために作ったはずのパスタはなぜかテルコが必死に食している。中目黒のクラブで守からすみれへ、テルコから守へと届けられるお酒はその後飲まれることがなく、存在意義を問うていた湯葉を、守はあるとき絶賛する。年越し、餃子を欲した葉子だけがそこにおらず、純米吟醸をちびちび飲む3人に奇妙な連帯感が生まれる。年越しを一緒に迎えたテルコとナカハラ。隣にいる人が好きな人ならばどれだけ幸せだろうと思いつつ、互いに顔を見て、その瞳の奥に自分が写っているのを見て目をそらす。すべての場面が表面的な優しさと裏切り、どうでもよさで満ちていて、基本的にはちょっと辛くなる。

 

山田さんのそういうとこ、ちょっと苦手。5週くらい先回りして変に気使うとこっていうか。逆自意識過剰っていうか。

すみれとマモちゃん、テルコが三方向に展開し、テルコはすみれの欠点をラップ調で発したあと再びマモちゃんから言われた苦しい言葉を思い出す。ざまぁみろ。このシークエンスがとても好き、というかどうにも刺さってしまうな。好きな人からとかじゃなくてもあるでしょみんな、こういうこと。例えば、何度も何度も頭を駆け巡るように、マモちゃんから言われた言葉を音声で連続的に流すようなことも演出のひとつとしては考えられるわけだけど、そうではなく、他人事のように一度すみれを介してから自分ごとであると理解する様を描く。とても滑稽で、だからこそリアル。あの一連の苦悩をテルコはあの夜何度も繰り返すのだろうと想像できてしまうところに、演出と脚本の意地悪さとテルコへの愛が垣間見える。

 

f:id:bsk00kw20-kohei:20190501134414j:image


マモちゃんは特別かっこよくないし、おしゃれでもなく、お金をたくさん持っているわけでもない。どこが好きなのか、自分でもあんまりよくわからない。だからこそ抜け出せない迷路感が漂う。好きなところを嫌いになることは簡単だけど、もともと好きなとこなんて手が綺麗なとこくらいだから、一緒にいたくなくなるほど嫌いになんてなれっこない。このテルコの好きのあり方には全然共感できるわけではないし、まじで狂気的だなとすら思うけど、象の飼育員になってしまったテルコを見てやっぱりどうしたってかっこよく思えてしまうのだから不思議だ。かっこいいぜテルちゃん。どうかそのままでいてくれ。

 

f:id:bsk00kw20-kohei:20190501134445j:image

 

とにかく岸井ゆきのが最高だ。成田凌若葉竜也深川麻衣ももちろんいい。KANA-BOON『ないものねだり』のミュージックビデオからまるで時が止まっているかのような岸井さんの佇まいがエモい。でも確実に表情は豊かになっていて、サブカル感もかなり抜け落ちていてポップで、それなりにエロい。平成が終わりました。

*1:2度のズームアウトに加えて、朝早くに出社しようとするマモちゃんに理由を聞いた時にテルコへと注がれるズームインも印象的。とことんテルコの映画。

*2:捻じ曲げてしまう将来の夢と好みのタイプ、もちろん仕事や好きな人以外への態度も