縞馬は青い

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映画とか、好きなもの

呪い祝われ、わたしたちはここに立つ/キコ qui-co.『鉄とリボン』

f:id:bsk00kw20-kohei:20180503155326j:image座・高円寺2で催された演劇グループ キコ/qui-co.の第10回公演『鉄とリボン』を観劇してきました。東京へ移り住み、前々から興味のあった演劇についに触手が伸びた。演劇を観るということ自体ほとんど初めてに近かったのだけれど、これでよかった、と心底思える作品でした。観に行ってよかったと。思えば子どものころから僕は「生(なま)」のものに惹かれていました。というより生のものしかあまり信じることができなかった。生放送や生中継から、人と会うということや人の声を聞くということまで。本質的に、「虚構」や「フィクション」ではなく「実物」に惹かれていたのでしょう。そんな僕が映画を好んで観ているというのも変な話なのだけれど、映画のような完全なる虚構はエンターテイメント、もしくは時代の映し鏡としてすごく楽しめる。一方で実在するものはやはり生で実物を感じたかった。

演劇は「生」だ。物語はフィクションだけれどそこには実物が存在する。あの人が、あそこに、立っている。

 

『鉄とリボン』。幻想的な物語です。舞台は地図にない町。暖かく小さな島。そこには遊郭があり、「はなよめ」と呼ばれる女性たちが住んでいる。この「はなよめのまち」には時おり、外の世界から「カウラ」と呼ばれる男たちが「はなよめ」を求めてやってくる。遊郭に閉じ込められた「はなよめ」には名前がなく、この男たちに名前をつけてもらい、外の世界へともに旅立つことが唯一の生きる道でした。

物語の前半は、「夢のような」という言葉が一段と似合うような幻想的な場面展開で、このファンタジー世界の全貌を見せていきます。とりわけ、心に沁みわたるような歌とクラップ&ステップのパワフルなダンスが印象的で、すぐにこの世界観に埋没していくことに。しかしこの段階では、一体何が起き、どこを目指しているのかが全くわからず「あ〜綺麗だなぁ」という陳腐な感情しか生まれない。

伏線が回収され、すべてが明らかになるのは後半に入ってすぐのことでした。

それは、この世界に住む人ならば誰もが知っていて、また経験してきたことに関しての反芻でした。なぜわたしたちはここに在り、立っているのか。なぜ「死」は忌み嫌われ、「生」は尊いのか。なぜわたしたちは「生まれる」のか。

本公演では「お母さんの子宮内」を「はなよめのまち」に置き換え、ファンタジックにその高尚さを物語ってみせていた。人が生まれるということについて今一度その尊さを知り、何度も涙が頰をつたった。

この演劇の表すテーマというものは、おそらく「生まれる」という一事象には収まらないのだろう。要するに、この街に住み、たくさんの人に出会い、あの人に恋をし、大いなる夢を見るということまで、すべての物事にその根源となる親や友がいるということ。そしてそのものたちはわたしたちを祝福しているということ。

ときにわたしたちは呪いに押し潰されそうになることがある。貴い祝福と拠りどころを、忘れそうになることがある。それでも歌い続けることに意味がある。歌っていればまた思い出すだろう。あの夢の世界で大きな野望を一緒に抱いた、兄弟たちの姿を*1

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*1:もっとちゃんとした文章を書きたかった。ともかくめちゃくちゃ良かった。次の公演も観に行こう、と決めるには十分な出来でした。