縞馬は青い

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映画とか、好きなもの

彼は彼女に魅了され/岩切一空『聖なるもの』

f:id:bsk00kw20-kohei:20180415125101j:image『聖なるもの』本予告編 - YouTube

「新時代の到来」と噂される岩切一空監督の長編最新作『聖なるもの』を観た。初日の舞台挨拶付きで。これがすっごく変な映画で、頭にこびりついて離れないシーンとかしょうもないセリフとか、ガンガン鳴り響く音楽とか可愛さのゴリ押しとか、とにかく「興味深いもの」が混在してて一日経った今でも頭がぐっちゃぐちゃになってしまっているので、この映画の表すものを整理すべく、とりあえず文章を書こうと。基本的に変な映画を観た後は整理しないまま放っておいてしまうめんどくさがりやな性格なんだけど、それでも文章を書こう、と思わせてくれてるだけでこの映画を自分は面白いと感じているのだと自覚する。たぶん、面白かった。

 

さて、岩切一空という監督を知ったのは「WOWOWぷらすと」の2017年ベスト映画セレクトの回を観てのことだった。これは、宇野維正さんや松崎健夫さん他6人の映画評論家たちがその年の映画ベスト10を決めるという放送回で、番組の構成として、まずは1月から順に「ベスト10に入れたい映画」を総ざらいしていくのだけれど。基本的には「あーそれね、よかったよね」とシネフィル気取りでウンウン頷きながら見て、時に知らない映画が出てくると己の不勉強ぶりを呪って急いでネットで調べたり、そんな風に楽しんでいた時に「岩切一空」という監督の名を知ったわけであります。松崎健夫さんが「7月期の推し映画」で選んでいたのが同監督の『花に嵐』という作品でした。その時は「ふ〜ん。若いやつが頑張ってんなぁ」くらいにしか思ってなかったのだけど、それから数ヶ月、東京に移住した私の住んでいる所の近くでこの監督の映画が上映されるということを知り、松崎健夫が絶賛したその味を知りたくて思わず駆け込んだのでした。いざポレポレ東中野へ。

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大学(早稲田)の映画研究会に所属する3年生・岩切(岩切一空)が主人公、そこに謎の女性・南(南美櫻)とカリスマ的女子大生映画監督の小川(小川紗良)が絡み合ってくる。本人が本人役を演じながら虚実入り混じったように展開する本作は、いわゆる“フェイクドキュメンタリー”の手法をとり、基本的には岩切によるPOVで進行する。

この『聖なるもの』という作品は、岩切一空という男が好きなものを好きなように撮っているという印象が大きく、ホラーやSF、青春ラブコメなど様々なジャンルを横断しながら、もうぐっちゃぐちゃに展開していく、それこそ劇中の小川が言う「客観性のない独りよがりな映画」という言葉がぴったり当てはまるような作品だ。これの良し悪しは後述するとして、しかしながら、本作はそんな無秩序なストーリーテリングでありながらも、一本の軸(問い)はしっかりと通してある。それは、「映画を撮るということ」についてあるいは「この世界で生きるということ」についての自問自答。言い換えれば「聖なるもの」を撮らざるを得ない“彼の衝動”についての自照。

4年に一度現れるという「伝説の少女」に選ばれた岩切は、ひとたび彼女に魅了され*1、訳の分からない脚本を書きながらも、人間離れした彼女の姿を描写していく。この“南”という女性の撮り方が、ホラーにもSFにも青春映画にも様変わりしていくような多彩さを見せていてインパクトがすごいのだけど、途中から「あれ?南より小川の方が出てる時間長くね?」と気づいてしまう。はてどうゆうことか。本作が、「南を撮ることによって大傑作映画を生み出す岩切のメイキングと日常の映像」を描写した映画になるのかと思いきや、なんか途中から「南美櫻、小川紗良、半田美樹、松本まりか等、自分の好きな人を撮って楽しんでいる岩切一空」を描写した映画へと構造を変えていくのだ。ちょっと難しくなってきた。

 

日舞台挨拶で「ちょい役だったはずの小川さんの出演時間が(劇中と同じく)段々と伸びていったみたいですが、どうしてですか?」という司会者の問いに対して岩切監督は「それはもう…そうゆうことじゃないですか?もっと撮りたくなったから…です」と答えていた。

要するにそうゆうことだ。劇中の「新歓の怪談」における“南”と同じく、撮らなければいけないという衝動に駆られたのだろう。それは彼女たち、あるいは本作に登場するすべての人間、またはこの世界が「聖なるもの」であると監督は感じてしまったから。そしてその聖なるものを撮るということは彼がこの世界を生きる方法でもある。宇宙よりも広いもの、この世界の外にある別の世界、なんて答えのない大きな問いにぶつかっていくことも含め、「映画を撮る」ことが「生きること」であると彼が大声で叫んでいる映画である、と私は感じたのだ。そしてそのほとばしる衝動に、同世代に生きる若者としてもの凄く、グッときてしまった。

新入生A「これYouTuberですか?YouTuberじゃないんですか、これ?」

岩切「YouTuber?いやこれ、YouTuberじゃないです…。映画の…。映画です…」

YouTuberというのは、自由に、撮りたいものを撮り、もちろん自主制作で、時には犯罪スレスレで危険なものを映し、聴衆を沸かせ、それを生業にしている人々のことを言う。そして本作における「独りよがりで客観性のない映画を撮る岩切」という男はこの特徴に合致する。しかし、彼の表現方法はYouTubeではなく映画である。子供が将来なりたい職業ナンバーワンで若者に人気の「YouTube」ではなく、大学の新入生には見向きもされない「映画」である。ただ、岩切監督はYouTuberを否定しようとしているわけではないと思う*2。実際、劇中の橘先輩と青山によるYouTube動画はちょっと面白そうだし、ふらっと見てみたくなるクオリティだ。しかし、同じ「映像を撮るもの」としては明らかに「目的」が違っている。カメラを回せばYouTubeかと問われる時代に、YouTuberと同じく自分の好きなものを撮りながら、しかし自分はYouTuberではないと語る彼の心のうちとは。

まぁそんな難しいことは考えなくていい。「この世界の真理」を映しだそうとする岩切一空と、完成図が想像できずともその情熱に引き寄せられていった出演者たちの魂の共鳴に、私の心も震えてしまったのだ。YouTubeにはない熱量と、YouTubeばりの気軽さがこの映画にはある。
若者よ、映画館に走れ!(笑)

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*1:この海の場面のSF感がたまらない!アレックス・ガーランドの映画を観てるみたいでした。

*2:僕はすごい好きです