縞馬は青い

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孤独の先にある孤独/今泉力哉『パンとバスと2度目のハツコイ』

f:id:bsk00kw20-kohei:20180222211145j:image自分はこうゆう性格だからと決めつけたものの、やっぱりそうじゃないと思ったり実は無意識に正反対のことを強く求めていたり、人間って色んな感情を抱えながら模索して生きている。抽象的な導入になってしまったけど、本作、元乃木坂と三代目が主演のアイドル映画だと侮るなかれ、今泉力哉監督の本気というか、いやいつも本気なのだろうけど、何というかこの映画に全てをぶつけてる感じ。結婚観や恋愛観だけでなく自意識や孤独などをテーマに据えた骨太な作品からは監督のそんな姿勢が窺える。


ケータイを持ち歩かない。「インスタ女子」からは遠くかけ離れた位置に存在するのが本作の主人公・市井ふみ(深川麻衣)。パン屋で働く彼女は毎朝3時半に起床。14時頃まで働いて職場を後にし、まかないのパンを食べながら大型バスが洗車される姿を眺める。皆が寝静まった時間に目を覚まし、ひとりでボーッとバスを眺め、ケータイを携帯しない。友達や恋人、妹との会話が冒頭で展開されるものの、このように自ら「ひとり」でいることを求めていく主人公はある種特徴的に変わりものとして映し出されていく。

 

私をずっと好きでいてもらえる自信もないし、ずっと好きでいられる自信もない

そんな彼女は、付き合っている彼から結婚を申し込まれたことによってある事に疑問を抱くようになる。結婚しても、相手のことをずっと好きでいるのなんて不可能なのではないか、と。「そんなこと考えたら結婚できないじゃん」と恋人が正論を返すように、誰もが疑問とそれに対する諦念を抱いているような問いに対して真正面からぶつかっていく彼女の姿も少し変わっているけれどものすごく彼女らしくてリアルに映る。

まずはこの冒頭の人物紹介がとにかく素晴らしくて魅入ってしまう。例えばフランスパンを使ったコミカルなアクションだとか、無意識に指輪をはめてしまっている茶目っ気とか、言葉以外の様々な人物の目線が内に秘めたる感情を雄弁に物語っていたりとか。静かなストーリテリングでありながら中身は詰まりに詰まっているこの感じ、これぞ演出、という監督の手腕に敬服しながら魅了されてしまうのです。

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彼女の“孤独”を象徴するような「パン」と「バス」、そしてそこに訪れたのが「2度目のハツコイ」ふみの初恋相手である湯浅たもつ(山下健二郎)であった。彼はバスの運転手、そして愛し続けた妻に浮気され、離婚を強いられてしまった「孤独」の存在として、再び彼女の前に現れる。そうしてまた、当たり前のようにふみはたもつに惹かれていく。そこには孤独を求めてしまう自意識の肯定や別れた奥さんのことを今でも愛し続けていることへの興味と憧れ、片思いでいられることの気楽さなどの感情が複雑に混ざり合っているように見える。

一面的な見方ではあるけれど、このふみという人間は「孤独」に後ろ髪を引かれながら、たもつの左(斜め後ろ)側にいることを心地よく思っている女性であると言ってしまおう。自分だけにしか描けない絵はないし、人に好きになられたら「私なんか…」と思ってしまうほどに、とにかく自信のないふみは、彼女の言葉どおり「孤独になっちゃう」し、「寂しくありたいんだと思う」。しかし、一方で、本作の主題歌であるLeolaの「Puzzle」が示すのは、愛する人と一緒に生きていきたいという弱々しくも切実な祈りだ。

君が今 誰よりも 会いたいと
いちばんに 想うのは…?
今はまだ、I don't wanna know
その答え 知る勇気なんてなくて…。
でもそれが 私なら なんてこと 考えて
らしくないよね。 もう、バカみたい。
No way! でも気になるの。

緑内障という目の病気を抱えているふみは、右目の右上の部分が見えない。本作ではカウンターや車、道を歩くシーンなど、ふみとたもつが横に並んでいることが多いのだけど、注意して見ていると、そのどの場面においてもふみはたもつの左側にいることが分かる。前述したとおり、ふみにとって右側にいるたもつは、たぶんちょっとだけ、見えにくい。でもたぶん「あえて」、彼女はそこに居る。そうしてそのことは、その位置にいることの心地よさと、まだしっかりと彼に向き合えていないことを明示しているのである。

永遠も約束も これからも、
頼りには出来ないの
それでもね、君にまた胸を焦がすの
左斜め後ろが 今の私の居場所
だけど…
I just want to be with you...

だけど…。本当はもっと違う場所から彼の姿を見てみたい。もっと近くで、あるいは心の中を。けれど洗濯機の不穏な叫びとともに「孤独の守り人」が彼女の眼前に姿をあらわす。このとき突然現れた孤児のような彼は「新しい洗濯機が来たらもうここには来なくていいよ」と言うけれど、ふみは「時々くるよ。私には孤独が必要だから」と応える。ポール・オースターの『孤独の発明』(未読なのでいつか読みたい)が不穏に影を落とし、残ったのは禁断の果実。「孤独」は、いつか離れるべき存在として、儚げに消え去っていく。

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目を離したらその隙に消え去ってしまいそうな、そんな儚げなふみの後ろ姿を不安そうに眺める一筋の視線。ふみの妹・二胡志田彩良)の存在は、本作のほんわかパートも込みで絶妙なアクセントになっていました。憎み合う『犬猿』のきょうだい達と本作の和やかすぎる姉妹。この2作品だけで世のきょうだいの8割くらいはカバーできているのでは。みんな後者のようなきょうだい関係を結ぶことができれば幸せですよね、なんて。そんな理想的な方のきょうだいの妹である二胡は、「ふみのことを分かろうとするため」にお姉ちゃんの家へやってきます。お姉ちゃんが絵を描くのをやめたのは、分かろうとすることをやめて孤独になろうとしていることの表れだと二胡は想像してやってきたのかもしれない。そうして二胡は、ふみを描きながら彼女の本質と対面していきます。ときに見えなくなってしまった彼女を青で塗りつぶし、また描いて、彼女の本質を模索しながら。


本作のラスト、たもつの輪郭と共に、Alone Again (Naturally)という文字が浮かび上がってくる。ピンとこなかったので鑑賞後ネットで検索すると、一曲の歌がヒットした。こちらも恥ずかしながら聴いたことがなかったのだけどギルバート・オサリバンという歌手の楽曲らしい。和訳*1を見てみると、ある男性が結婚式場で婚約者に逃げられて、自身の半生を振り返りながら孤独であることを嘆くような、ものすごく悲しい楽曲であることが分かった。この曲と本作を関連づける前に、ふみが求めてしまう「孤独」とたもつが陥る『孤独』は同じ孤独でも経緯と種類が全く異なるものであるということを記しておきたい。ふみの「孤独」はずっと孤独だけど、たもつの『孤独』は「孤独」の先にある、人を知った先にある孤独だからだ。


このギルバート・オサリバンの「Alone Again (Naturally)」という楽曲は、一見するとすごく悲しくて、救いようがないように感じてしまう。だけど彼が孤独を感じる前には疑いようがなく幸せが存在していたのだ。 別れの前には必ず出会いがあり、悲しみの前には必ず喜びがある。そういった感情の豊かさが人生というものを豊かにするのではないか。ふみは、別れから生まれるこの『孤独』をたもつの生き様に投影し、その美しさに思わず筆を走らせてしまったのだ。

その魅力の本質を知っても
憧れ続けることができるのであれば

パーキングから見えた朱い夕陽。
夜明け間近の青のグラデーション。
きれいな景色を一緒に眺めることができる誰かがいれば、きっと彼女の人生は彩りを増していく。