縞馬は青い

映画・ドラマ・漫画など気ままに。

"サイコーな君"のとなりで、/Netflix『このサイテーな世界の終わり』

f:id:bsk00kw20-kohei:20180109001257j:imageThe End of the F***ing World | Netflix Official Site

Netflixで1月5日に公開された『このサイテーな世界の終わり』が最高に面白かった。同じ公開日の『Devilman』が予想どおりヘヴィーな作品だったので、その箸休めとして本作を観たはずだったのですが、こっちの方を一気見してさきに見終わってしまうという、それはそれで嬉しい誤算でした。

「海外ドラマ」がポップカルチャー界での高い地位を獲得していっている昨今、私自身、1話50分とかのドラマは中々見づらくて敬遠してしまっている状況なんだけど、本作は20分×8話なので気軽に見れるし、ポンポン話が進んでいくのでテンポも良く、また、その短さの割にキャラクターもストーリーも凄く立っていて大満足してしまった。コンビニエントでクオリティの高い作品なんて最高としか言いようがないですよね。f:id:bsk00kw20-kohei:20180110132618j:image

さて本作の内容なんですが、単純に言えばサイコパスな少年・ジェームスと不良少女・アリッサの「ボーイミーツガール」ものでした。孤独で何か"闇"を抱えている2人が、このサイテーな世界でなんとか生きていこうと奮闘する姿が描かれます。

本作における一番のハイライトは、第4話から第5話にかけて描かれる「孤独→ふたり」という画面の動きでしょう。もとよりこの2人は、「大事な人を失っている」あるいは「大事な人に見捨てられている」という点で"孤独"という相似形を共有していました。そんな彼らはひとりではなく「ふたり」で生きていくことによって生きる意味を見出していく。

第4話が大きな転換点であり、ロードムービーとしてどこか平和ボケしたような最初の1、2話からは一転し、生きていくことの難しさを教えるようなシビアな状況に物語は進んでいく。「ふたり」になった彼らが再び「孤独」へと回帰する場面です。孤独になった彼らの行動や言葉を見るうちに視聴者である私たちは、はじめて彼らが「孤独」だったのだと知ることになります。そしてそれは彼ら自身が「わたしは孤独だったんだ」と知る場面にも重なっていく。

その日 静寂に音があることを知った
耳をつんざく音

ジェームスは「母親」という大事なものを11年前に失っている。そしてその別れはあまりにも突然で衝撃的なものでした。池に沈んでいく自動車の、数分前までは助手席に乗っていたはずなのに、母親と自分の空間はその瞬間に完全に分断されてしまう。そこから彼は(そして彼のお父さんも)「隣にいたはずの人」を失くした状態で生きていくことになります。この、自動車を使った「ふたり→孤独」という画面の動きは、そのままアリッサと出会ったあとのドライヴにおける「孤独→ふたり」という展開にも使われるのだけど、第4話において再びジェームスは孤独になってしまう。

しかし17歳のジェームスは、11年前に母親を失ったときの彼からは変わっていました。それは「静寂に音があること」を知ってしまっているからです。耳をつんざく音。また同時に「"ふたり"に音があること」にも気づいたことでしょう。それは、ときにアリッサの叫び声や怒鳴り声、汚い言葉たちだったかもしれない。しかしその音を「愛おしい」と感じてしまう"感情"がジェームスには芽生えていたのです。

第5話において再び孤独がふたりへと変わる。本作では、ジェームスとアリッサが横に並んで同じ方向を見ているというシーンが多いのだけど、第5話の再会のシーンでもそれは例外ではありませんでした。机を挟んで向き合うというよりも同じ方向を向いて同じ方向に進んでいくこと、自動車の座席に座っているようなその感覚が、彼らには必要だったのでしょう。

あまりにも衝撃的なラストでしたが、これほど胸がざわついたことはありませんでした。となりにいたはずの人を失ったアリッサもジェームスのように立ち直ることができるのだろうか。

悲しくも愛おしい物語。

残酷でしかし美しすぎる、愛の物語です。f:id:bsk00kw20-kohei:20180110132637j:image

(追記)

シーズン2が決定してるみたいだ。ということは…?