縞馬は青い

縞馬は青い

映画とか、好きなもの

黒澤明「羅生門」

真実と嘘の混じり合った豪雨が
純真な赤子のもとに容赦なく降り注ぐ

f:id:bsk00kw20-kohei:20171003115849j:image

登場人物はたったの8人!多襄丸という男が武士の夫婦を襲って、夫の方を殺した!何とも分かりやすい序盤の展開。そのはずなのにそこからの展開は混乱を極めます。「分かんねぇ。さっぱり分かんねぇ」とある人物は語りますが、その通り、目撃者と当事者の事件に対する証言は見事に食い違い、「真実」は藪の中。エゴイズムの嘘で塗り固められた各々の「信じたい真実」がぶつかり合い、その判断は観客に委ねられます。

そもそもみんなが共有できる「真実」など存在するのでしょうか。「女性は弱くて愚かだ」という、男性が信じ続けた女性の姿が音を立てて崩れ去る時、私たちが唯一頼りにしていた「男」と「女」という概念さえもが脅かされてしまう。「真実」はことごとく否定され続ける。しかしこの世界は確かにそうなっていて(真実を語るばかりでは生きていけない)、生まれたばかりの赤子にその現実を突きつけるほどに腐っていると、この映画は語ります。「この世界を信じたい」と願うお坊さんも赤ん坊のメタファーでしょうか。このキャラクターには、信じることでしか生きていけない弱さに優しさを感じつつも、その「現実への無関心さ」には現代人の特性も相まって恐怖すら覚えます。

終盤、もっともらしい真実が露わになり、豪雨はたちまち小雨へと切り替わる。これによって、「真実と嘘」という私たちが苦しみ続ける永遠の課題はひとまずなりを潜めることになりますが、私たちにはあの赤ん坊に晴れ渡った空を見せることはできないのでしょう。しかし、それでも生きていくしかない。あの赤ん坊に幸せが訪れることを願い続けるしかないのです。

 

羅生門 デジタル完全版