縞馬は青い

見て書くことが人生みたい

『クワイエット・プレイス』との対比に見る「家族の生と死」/グザヴィエ・ルグラン『ジュリアン』

2019.1.26 シネマカリテ

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サスペリア』を鑑賞するにはまだ心の準備が足りないので、とりあえず気になっていたこちらを先に観た。それが、家族映画だと思っていたらとんでもホラー映画だったという、サスペリアよりも怖い可能性がある映画『ジュリアン』。ここでは、思いきって昨年のホラー映画『クワイエット・プレイス』と対比し、両作の類似点*1から「現代家族の生と死」について考えてみたい。


怪物

両作を「ホラー映画」という同じくくりに落とし込みたくなるのは、なんだってどちらにも「怪物」がいるからだ。本気で命を狙いにくる、ただただ害悪な存在の怪物が。言うまでもなくそれは、『クワイエット〜』では“音”に反応して人を襲うあのケダモノのことで、『ジュリアン』では家を襲撃する父親のことを指している*2。予告編なんかを見ていると『ジュリアン』は法廷劇とミステリーで物語を進め、最終的には『クレイマークレイマー』的な落としをするのかなとか安易に想像してたんだけど、最初の数分で(幽霊とかではなく人間の怖さを描く)ホラーだと気づいてしまってからは恐怖しかなかった。怪物は家族の外からやってくるのではなく、中にいるのだという表象は、極めて現代的な家族の描き方だ。加えておもしろいのは、外からの崩壊を描く『クワイエット〜』においても、父親は従来の「ヒーローとしての父親」としては描かれていない点にある。

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父親

クワイエット〜』において父親は、怪物に襲われそうになる子どもたちをかばい、囮となることで名誉の死を遂げる。しかし感動的ではありながらも本当にあの死が必要だったのかと問われると疑問符が浮かぶし、冒頭から息子をあっさりと失ってしまっている点や何せ途中で消えてしまっている点において、彼は前時代の家族映画で描かれてきた“家族を守り続けるヒーロー”としての父親にはなれなかった。要するに父親というのはもはやそういう存在ではないということだ。『ジュリアン』が、父親を家族との関係の中でしか描いていないことにも注目したい。どんな仕事をしていて、どんな友達がいるのか、という彼の周辺がまったく描かれていかないということ。途中、両親にも見放されてしまうという点で同情を一瞬買うものの、やっぱり彼はこの映画では“怪物”としてしか描かれていない。そんな彼の暴走を見ていくなかで私たちは「父親(=父権的な家族)の死」に直面することになる。一方で生き残るのは、母親と子どもが共闘する家族だった。

 

浴槽

追い詰められて、追い詰められて、最後にたどり着く浴槽。『クワイエット〜』では身ごもった母親が赤ちゃんを守りきり、『ジュリアン』ではジュリアンの耳を必死に塞いで父親がいなくなるのを息を殺して待ち続ける。この浴槽というのはまるで、母親の胎内のような「生」と「愛」で満ち溢れた場所として描かれている。「家族の生と死」、もっと詳しく書くと、「父権家族の死」とそれでも生きていく「家族の愛と生」。

愛をもって、怪物は絶たれる。これが現代家族の生と死。

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*1:早稲田松竹あたりの名画座で同時上映されそうなくらい、意外とヴィジュアルもストーリーもかなり似てた。

*2:ラクション、シートベルトの警告音、怒鳴り声、ドアをきつく締める音、チャイム、発砲などなど…こちらの“音”も強烈にトラウマを生む、家族ホラーを作り上げる重要なファクター。

ひかりの道筋をたどって/杉田協士『ひかりの歌』Vol.2

2019.1.18 ユーロスペース

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ひとつの映画について2度ブログを書くのは初めてのことだ。基本的に、一回長文を連ねてしまうとそれで納得してしまい読み直して的を得ていない内容にムズムズしても新たに文を書くなんてめんどくさくてできっこなかった。今までは。でもこの映画はどうしようもなく何かを書きたくなる。『ひかりの歌』は少ない言葉数で世界を表出している作品だけれど、だからこそたくさんの言葉で余白を埋めたくなるのだ。フツフツと燃え上がるこの映画への愛情をどうも抑えられそうになかったので(桐島部活、ハッピーアワーに次ぐオールタイムベスト3に割り込んできたこの映画に次いつ出会えるのかわからなくて不安になり)、とうとう2度目を観に行った。開演19時というのは社会人にとっては微妙に辛い時間だけど、金曜日の夜に定時ダッシュを決めてやった。来てよかった。そうしみじみと思った。気づいたら劇場の出口に立っていた杉田監督に握手を求めていて、「土曜日にも来たんですが(実際は日曜だった)、余韻がすごかったのでまた見にきてしまいました」ともっと他の言葉でこの映画への熱を伝えられなかったのかと今になっては思う、でも真剣な言葉を伝えていた。末端冷え性で冷えきった手を握ってくれた監督の手は驚くほどにぬくぬくで、力強く、充足感でいっぱいになった。上映後トークのマスター・矢田部吉彦さんがゲストだったのも観に行く決め手だったのだけど。ほんとうに、来てよかった。そう思った。

ここからは一瞬、この映画をまだ観ていないあなたへの手紙(ある公の場でこの映画を紹介しようと思って書いた文。ボツったのだけど)。
映画を観るとき、あなたは何を重視して作品を選ぶだろうか。日々のストレスを発散してくれるとびきり楽しそうなエンターテイメント映画や、はたまた自分の知らないことを新たに学ぶことができる社会派映画を求めるだろうか。どれも等しく作品選びには適していて、素敵な映画に出会う方法の一つひとつであることに違いない。一方で、この『ひかりの歌』という映画はどこにでもあるような些細な日常を切り取った作品で、今までの人生で「見たことのある風景」や「知っている感情」で埋め尽くされている。それゆえに、先述したような作品のセレクトからはどうしてもこぼれ落ちてしまう映画だと思う。しかし、常套句ではあるが、騙されたと思て本作を観てみるのはどうだろうか。そうすればきっと、あなたの(なんでもないと思っていたかもしれない)日常が、多くの光によって包まれていることに気づき、劇場からの帰り道は足どりが軽くなるはずだ。

手紙終わり。いよいよ収集がつかない文章になってきたけど、ところで本作を観ての一番の学びは映画ってこんなに情報量が少なくていいんだってむしろその方が心に刺さるんだと知ったことだった。主要人物の4人は主に演劇で活躍されている役者さんみたいなのだけどあの場では感情がデフォルメされることも多いだろう彼女らの演技は極限までリアリティを突き詰めた抑制された感情表現と身体の動きをしていた。遠景からの長回しが多く、背中を捉えた映像も多い。セリフも表情も何もかもが大げさでなく“どこかのあの日のそのまま”であるからこそ、私たちの過去の記憶がそのスキに入り込んでしまう。そういうわけで僕たちは、映画の細部に目を配ってすごく集中している一方で自分の過去を無意識に回顧してしまっているという、不思議な体験をすることになる。

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衝動で書きはじめたのでうまい締め方が思いつかず…、最後は前のエントリーでも触れなかった好きなところを羅列します。

・想い人に再会した後に発する「現国の新井先生」という弾んだ声
・はじめは自転車にすら乗れなかった彼女が抑えきれない感情に身を任せて走り出し、とうとう船で大移動し、車で各所を訪ねたのちに、元いた場所へと帰っていくという、緩やかながらもダイナミックに飛躍する彼女たちの動き
・友達が先生の絵を描いているところを静かに眺める彼
・一緒に食事をすることによって開かれていく言葉・関係・記憶(無言でお茶をすする彼女たちもいいし、チャーハンを食べておいしいしか言えない彼女もまたいい)
・真っ黒なアスファルトに映える自販機のひかり
・ショートカットになって帰ってきた彼女
・おう、おう、おう、うん。帰ってきた夫さんの頷きのリズム

ていうか全部好き!!笑

まばゆく今にも消え入りそうな“光”をまた別の“ひかり”が照らし出す。しかしその“ひかり”はあなたが発した“光”(あるいはあなたが生きているという事実)が巡り巡って自分のもとに戻ってきた姿なのだ。つまるところ“光”=“ひかり”。自分も自分じゃない人もすべてを包み込むそういう大きなひかりの中で生きているということをこれからも忘れないでいたい。

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広瀬奈々子『夜明け』

2019.1.19 新宿ピカデリー

かなり偉そうな批評になってしまいそうな気がするので最初にひとつだけ。舞台挨拶に登壇した広瀬奈々子監督がかっこよすぎて、まるで俳優のような佇まいと低めの美声を持つ姿に見とれてしまった。しかし、映画を撮るにしてはなんだかすべてがお見通しのような、そういう非常に強い意志が垣間見えてしまったのも、ある意味でこの映画に入り込めなかった理由なのかもしれない(鑑賞後の舞台挨拶だったんですけどね。なんだか腑に落ちたというか)。でも是枝さんの見初めた愛弟子なので、必ず次回作を待ちわびることになると思う。必ず私たちになにかを見せてくれるのだと信じている。

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広瀬監督が固有の目を持ち、映画を用いてこの世界に何を問いかけたいのか。そのことをひたすらに考えながらも、正直に告白するととうとう最後までわからない映画だった。例えば是枝監督がテレビマンユニオンでドキュメンタリーを撮っていた時に衝撃を受けたという「加害者と被害者の境界線の曖昧さ」のような、カメラを通すことで垣間見えた偶発的な闇や煌めきがこの映画にはまるで感じられなくて、広瀬監督があまりにも「物語を紡ぐこと」に躍起になっているような気がしてならなかったのだ。そこにあるものを撮るのではなくて、人物とものを配置して自分色で塗り固めたような、こちらからしたら何も見えない映画。そこには、ドキュメンタリー的な手法から徐々に物語を紡ぎ出すことに意味を見出しシフトしていったことがうかがえる師匠の是枝監督ともなにか違うという絶対的な感覚がある。どう考えても先日見た、映画という芸術の最高到達点のような作品『ひかりの歌』を観た後の目だからこんな風に感じるんだと思う。そこにあるものだけを撮って自然と余白が生まれ出てきた『ひかりの歌』と、物を配置して好き勝手に余白を作り出そうとした『夜明け』。

この映画の重要なシーン(あるいは物・人物)として、仏壇に伏せられた真一の写真を用いた一連のシークエンスが挙げられるだろう。中盤と終盤で2度登場し、物語の軸を作り上げた大事なパーツだ。しかしこのシーンの撮り方がどうもわざとらしく、狡猾に感じられてしまった。例えば一度目のシーンでは、少し離れた距離から仏壇に向かう柳楽優弥を撮り、伏せられた写真を手にとって見るのだが、意図的に“写真だけ”腕に隠れてこちら側には見せない。これはこの後のシンイチの行動と2度目に仏壇へ向かうシーンの伏線となるのだけど、写真だけを見せないというのはあまりにもわざとらしくないだろうか。背中で隠れるか遠くて見えづらい距離にカメラを置き、手の動きで写真を立てているのかもしれないと想像させる(その距離感・位置なので観客は写真が見えないことに疑問を持たない)、これではなぜダメなのか。考えすぎなのかもしれないけれど、こういうわざとらしい伏線が似合わないと感じる静謐な作品だったからこそ、強く引っかかってしまう場面だったように思う。

ブレブレのカメラで、走る彼らを執拗に後ろから追いかける場面の意味も不明瞭で、そうした工夫の見えない同様のシーンが続くのも退屈。でもこうやって色々書いてるとすごくよかったシーンもいっぱいあったことを思い出してきた。例えば夜明けではじまり夜明けで終わるという綺麗な絵(これもちょっとかっこよすぎるけど)。その絵が挿入される直前のシンイチの行動と心理描写がいい*1。また、目を覚ましたシンイチが哲郎(小林薫)とはじめて会話を交わした時に後ろで鳴っていた洗濯機の作動音(なぜか強く印象に残ってる)と、ラストシーンで踏切と電車の轟音を目の前にしてかすかに響く木材を打つ音という、背景音の照応が作り出す見事な生活感。それは「居場所」というフィーリングのようなものの表出なのかもしれない。川のゆらめきや洗濯機の水の音にはじまり、お酒や海など水を用いた心理描写の演出も楽しい。たぶん、監督は一つひとつの場面への強いこだわりを持っているはずで、もしかしたらその思いが強すぎて、受け取るにはそれ相応の熱が必要になる作品なのかな。改めて、ストーリーにあまり集中できていなかったことを自覚する。もうちょっと肩の力を抜いた作品が見てみたいと、そう静かに思う。

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*1:冒頭では川に身を投げ命を捨てたその先の姿が夜明けに投影され、終盤では寄せては返す波に向かい(おそらく)“名前”を捨てて新しい世界に進むことが、あの美景をもって示唆される。

デフォルメされた青春の死/二宮健『チワワちゃん』

2019.1.19 新宿バルト9

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あまりにも鮮烈で、めまいがした。青春時代というのはこうも地獄のような禍々しい見た目をしていて、そこに棲む悪魔はこんなにも美しい鮮血を心に垂れ流し続けているのかと考えると、言いようもない感情に襲われ、ただただ何色でもない涙が目からあふれ出した。チワワちゃんというのは、その青春時代に攫われてしまった少女の名前。どう見繕っても僕が過ごしたあの時代とはイコールになり得ない、それこそ漫画のようにデフォルメされたこの映画の青春時代に自分を投影してしまうのはなぜだろうか? 青春はまったくエヴァーグリーンではなく、血と精子が混じり合ったような、あるいは度数の強すぎるカクテルのようなヴィヴィッドなピンク色で包まれていて、死と生が止めどなく混在していた。チワワちゃんとは、あるいはあの濃密で息の詰まる時間とは何だったのかと他人に聞いてまわるミキの姿は間抜けであるからこそ愛おしい。だって青春に生きる人々のほとんどは、600万円が徐々にすり減るのを目にしていたように、その儚さを自覚しているから。所詮その鮮やかなピンク色に憧れていただけのナガイや、真っ白なシャツに身を包んで勃たなくなったヨシダ、そして一番失われることに自覚的だったミキ。彼らが外から受けていた鮮やかな色を失ったあと、次に向かうのは何色の世界か。

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光は乱反射して暗闇を彷徨いながら、やがて必要な場所を照らしだす/杉田協士『ひかりの歌』Vol.1

2019.1.13 ユーロスペース

性格柄、映画は自分の知らないことや見たことがないものを見せられたときに大きな感動を覚えることが多い。でもこの映画はそれとは正反対で「見たことがある風景」や「知っている感情」で埋め尽くされているのに、ものすごく心に刺さってしまった。そこに確かに“ある”もしくは“いる”ということを思い出させてくれるという意味では、これもまた新たな気づきを与えてくれる映画だったのだろうと思う。『ひかりの歌』を観た今の自分は、懐中電灯を無数に手にしているような心強さと安心感で包まれている。たとえ暗闇に放り込まれてもこの光をたよりに絶対に生きていけるという自信がある。

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4つの短歌を章ごとの原作/タイトルとして、互いに少しだけ交わりながら4つの物語が展開されていく群像劇映画。この短歌がどれもとても美しい歌なのでとりあえず書き出しておきたい。

 

第1章  反対になった電池が光らない理由だなんて思えなかった(原作短歌:加賀田優子)

第2章  自販機の光にふらふら歩み寄り ごめんなさいってつぶやいていた(原作短歌:宇津つよし)

第3章  始発待つ光のなかでピーナツは未来の車みたいなかたち(原作短歌:後藤グミ)

第4章  100円の傘を通してこの街の看板すべてぼんやり光る(原作短歌:沖川泰平)

 

「光」をテーマにした短歌コンテストで選出された作品を原作としているということもあり、「光」はこの映画の重要なモチーフになっている。懐中電灯、プラネタリウム、自販機、ガソリンスタンド、ライブハウス、始発電車、看板。そうした光るものが象徴的に配置されながら、より強固に発せられるのは“人からの光”だ。それは一般的には光とは呼ばず、愛や優しさ、思いやりと捉えられるものなのかもしれない。本作ではそれらがすべて光として描写され、乱反射していく。

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光は乱反射して暗闇を彷徨いながら、やがて必要な場所を照らしだすーー。光はまっすぐには反射せず、乱反射するからこそ人生は豊かさを増す。第1章ではタロット占いが思わぬところで反射して発した自分のもとへ「大丈夫」という言葉が届き、あるいは想い人への視線が絵画として表出され、また電話を受けた彼女は正常になった懐中電灯によって照らされる。第2章ではオロナミンCが過去から現在の自分へと手渡され、街中をランニングしたあと光り輝く自販機にたどり着く。第3章では父親によって撮られた風景写真(父親の視線)に従って東京→札幌→小樽と彼女は衝動に身を任せて移動し、父が乗ったかもしれない始発電車に乗り込み歌を口ずさむ。第4章では、ざらざらとした独特な質感のあの声がメロディを奏で、あとに続いて彼女の口からも美しい歌声が響き出す。このどれもが誰かによって発せられた光がさまざまな人やものを経由/反射しながら、やがて必要な場所へと届いていく。まっすぐな目をした野球少年やガソリンスタンドの夫婦、変な歌を歌う誠実なおじさん、黄色いウインドブレーカーを貸してくれた彼、写真屋や定食屋夫婦など、その光の道筋を手伝う人物たちの存在も忘れてはならない。なかには4人の女性たちの光が届いてしまって「好き」という感情が宙ぶらりんのままになってしまう人たちがいたのも、実にリアルで愛らしい光景だった。

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トークゲストで『わたしたちの家』の清原惟監督が来ていた。同じく群像劇であるという点や、出会いと別れ、再会を描いている点、暗闇と光が象徴的である点など、共通点も多い作品の監督。彼女はこの映画を見て「映画がこちら側に飛び出してきて、鑑賞中に自分のことを考えてしまった。それは没入できていないというわけでは決してなく…」といったようなことをおっしゃっていて、すごく共感した。たしかに、僕も鑑賞中、自分の過去の思い出やそこにいた人/もののことを自然と回顧させられていたなって。「この映画を懐中電灯のようにずっとそばに置いておきたい」と観賞後すぐにツイートしたのだけれど、よく考えるとそれはちょっと違うかもしれないと思った。なぜなら、無数の光で包まれ、極自然に撮られたこの映画を観たというだけで、今までに他者によって自分に発せられていた光の存在に気づくことができたから。この映画がそばにあるとよりうれしいけど、そうでなくても、これからはこれまでに得た光で暗闇を照らしていけるような気がする。そういう大事なものの存在を思い出させてくれる映画だった。

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ロケマスター千鳥のツッコミが冴えまくる『相席食堂』がサイコーに面白い

「年男だー!」と喜んでいたら「俺ら厄年でもあるんやで」と友だちに言われてなんとなく急降下した2019年の年明け。そのせいかインフルエンザにもかかってしまい地獄だったのだけれど、そんな正月休みはこの『相席食堂』という番組にどっぷり浸かり、笑いすぎてむせていました。

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『相席食堂』は関西ローカル(朝日放送)のバラエティーパイロット版みたいなやつをちょうど一年前くらい(まだ関西にいたころ)に見ていたのでなんとなく覚えてはいたのだけど、4月から本放送がスタートしTverのおかげで関西以外でも人気になっているという噂を最近聞きつけて探していたら、なんと昨年11月からアマゾンプライムでも配信がはじまったらしく現時点で第10回まで見れる状況になっていた。ということで早速見てみたら、爆笑に次ぐ爆笑の嵐だったのだ。

番組の概要としてはいたってシンプル。「千鳥 ロケ」とYouTubeで検索したら無数のおもしろ動画が出てくるほどの百戦錬磨のロケマスターである千鳥が、スタジオで芸能人たちのロケ(芸能人が田舎まちに赴き地元の人とごはんを食べるといういたって王道なやつ)を見守るウォッチャーの側にまわり、おかしなことが起きると「待てぃボタン」を押して画面を停止して、そのありさまにひたすらツッコむ。なぜツッコむかというと、その芸能人たちがひとりでロケに行かせるには安心感のまるでない人たちで、普通のロケ番組なら起こらないこと(いわゆるツッコミどころ)が頻発するからなのだけど…。 

長州力鈴木奈々具志堅用高、コロチキ・ナダルなど、ちょっと変わった芸能人の天然ボケに千鳥がツッコむという、まるで漫才を見ているような不思議な掛け合いにひたすら爆笑しながら、すごく清々しい「気持ちよさ」を感じるのは、なにも僕が関西人だからという理由だけではないように思う。例えば映画とかドラマを見ているときに「こんな設定ありえへんやろ」とか「なんでそんな行動すんねん」といったようにツッコミどころが気になることはよくあると思うのだけど、この番組ではそうした点を千鳥の2人が余すところなく、しかも完璧なワードでツッコんでくれる。これほど視聴者の心に迫るバラエティの形式は他にないのではとすら思う。

これを実現しているのはひとえに千鳥のセンスの良さ、ロケへの親しみだと思うのですが、普通のテレビだったら見過ごされそうな些細なことにツッコみをいれることで、“日常の小さなおかしさ”を掬いあげているところに、すごくグッときてしまうのです。当人にとっては少し恥ずかしいことも、的確なツッコミをいれることで笑いになる。道端で少しつまずいても、カレーを作る予定なのにじゃがいもを買い忘れても、いいツッコみがあれば笑い話になる。“笑い”のやさしいところが溢れていてとにかくサイコーなんですよね。

 

おもしろかった掛け合いをひとつだけ。長州力が空き地をはさんだ向こう側の道路を歩く3人組の婦人に声をかける。かなり遠くてこの時点ですごくおもしろい。

長州力:こんちはー!

3人組:こんにちはー!

長州力:すいません、ちょっと聞きたいことがあるんですけど…。食事ができるとこってあります? 食堂とか。この近くに。

3人組:……。(黙って向こう側に歩いていく)

実際は爆笑してしまったのだけど、もう見てるだけで悲しくなってくる場面でもあります。地元民にこんな無視のされ方をする芸能人はいまだかつていたでしょうか。かなり恥ずかしい状況でもありつつ、千鳥のツッコみによって「笑い話」へと変わりました。

ノブ:これはよくない

大悟:大人が3人で無視しょーる

ノブ:後ろ姿最高や

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この番組YouTubeにも上がっちゃってるのだけど、なんとかアマゾンプライムに我慢してUPされていくのを待ちながら、最新回はTverで追っていこうと思います。年初めから大笑いだ。気分が乗ってきた。

f:id:bsk00kw20-kohei:20190108235418j:image長州力以外もおもしろいです。年末放送の亀田3兄弟父親とかもうやばい。

My Best Films of 2018

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今年ももう終わりですね〜。年間ベストを出すために(そして他の方の年間ベストを見てうわ〜わかるわ〜と頷いたり、へ〜そんなん入ってくんねや〜と驚いたりするために)日々映画館に通ってるフシもあるので、この時期はすごく楽しい。今年は個人的にいろんなことがあって充実してたけど、映画ライフも今まで以上に有意義だった。やっぱりどんな映画も近くで早く観れる東京ってすごいわ。ということで今年100本近く新作を鑑賞したなかから大好きな20本を以下に並べました。いっちょまえにカウントダウンで。

 

20.デヴィッド・ロウリー『ア・ゴースト・ストーリーf:id:bsk00kw20-kohei:20181221213543j:image一作目にしてあれだけど、この映画の感想は本当に言葉にしづらい。ある夫婦の、夫さんのほうが交通事故で亡くなってしまい、その後その夫さんが白い布をまとった幽霊となって妻を見守り続けるという非常に不思議なストーリーの映画。今年も勢いが止まることを知らなかった米独立系映画会社「A24」の配給作品ということもあり、結構シュールな様相でありながらポエティックでとにかく美しい。ルーニー・マーラ(妻役)がひとりになってはじめてご飯を食べるシーンの長回しとか言葉のいらない映像のインパクトに心をぶち抜かれ、またそうした静謐な映像表現でありながら、Dark Rooms「I Get Overwhelmed」の歌と歌詞、結局こちら側には見えないあの手紙の内容など、少量の言葉にもしっかりと命が吹き込まれていて抜け目ないのだ。

静かだけど、大きな声で“愛”が叫ばれている。

 

19.中川駿『カランコエの花f:id:bsk00kw20-kohei:20181221214145j:image39分の短編映画。『カメラを止めるな!』とか『少女邂逅』と同じ7月あたりの、国内インディペンデントがすごい熱かった時期に公開されたのを記憶している。短編映画ということもあって当初は1週間限定上映の予定だったのが、延長&上映館拡大で東京では12月の半ばまで公開されてたような、これまた話題を呼んだ作品。やっぱりすごいのは39分という尺の短さと質量。『桐島、部活やめるってよ』のような隅々まで配慮した群像劇をやりながら、ラストに「桜はつきちゃんが好き」ということと「桜は教室にいない」という2つの“事実”と“余韻”というピースを残してあとの展開を解くパズルを観客に託す。解けないかもしれないけど、解こうとすることに意味があると、カランコエの花に似た真っ赤なシュシュが伝えている。今年イチ充実したエンドロールだった。

 

18.ギレルモ・デル・トロシェイプ・オブ・ウォーターf:id:bsk00kw20-kohei:20181221214647j:image言わずと知れた今年度アカデミー最優秀作品。鑑賞から少し時間が経ってしまったので熱量は低めになってしまうけど、やっぱりこの映画は革新的だった。簡単に言うと怪物とおばさんのロマンスを描いた作品。それがあれだけ幻想的でロマンティックに展開し、心を締め付けられるとは思いもよらなかった。“水の中って冷たいし動きづらいし呼吸しづらいんだけど、この映画で描かれる水中は全て温かかった。めちゃくちゃ好みの映画としか言いようがない。” 鑑賞後すぐでさえこれだけ言葉足らずの感想だったのでもう何も言うことはないです。こういう映画に包まれて生きたい。

 

17.スティーブン・チョボスキーワンダー 君は太陽f:id:bsk00kw20-kohei:20181221214945j:image泣ける泣ける、と言われると100%泣けないのが悲しい天の邪鬼な性。でもこの映画の鑑賞中は「あ~これは我慢しないと無限に出てくるやつや」と思って意図的にがんばって涙を抑えようとした(結果無理だったけど)。あれだけ多くの登場人物に焦点を当てていると「これは自分だ」と感情移入してしまう人も多いと思うんだ。僕はもう、登場人物の3、4人に自分の境遇を重ね、ずるずる引き込まれてしまった。「君は太陽」という副題も悪くないのだけど大事なのは、この映画がオギー以外をただの太陽系の惑星としてではなく、それぞれをちゃんと「太陽」として描いていること。「(君=)みんなが太陽」という大いなる肯定があるからこそ、太陽に照らされた太陽=オギーがより輝いて見えるのだ。

 

16.中島哲也来るf:id:bsk00kw20-kohei:20181221222047j:imageこの映画を「ホラー」としていいものかわからないけど、今年は本作と『クワイエット・プレイス』の2つのホラー映画がすごくよかった。というのも僕は生涯見たホラーはたかだか10本くらいで(苦手なんです)、ベストにも入ったことがなかったんで2本も心に刺さるホラーに出合うなんて前代未聞だったんです。ホラーというジャンルが僕の好みである「家族映画」の要素を常に孕んでくるということも今さら新たな発見。『来る』に関してはとにかくメリハリがすごくて、トリックアートを見てるみたいに実像が歪んでいく過程も楽しめておもしろかった。今回東宝作品はこれ一本だけですが、『恋は雨上がりのように』(これもスピード感が半端ない)、『未来のミライ』(賛否両論あれどあの家の設計が生理的に好き)、『センセイ君主』(自分の母校で浜辺美波がはしゃいでて歓喜した)、『検察側の罪人』(ゲロ吐くキムタク最高)、『響』(天才と凡人という構図がもう…)とおおいに楽しませてもらった1年でした。

 

15.アレックス・ガーランドアナイアレイション ー全滅領域ーf:id:bsk00kw20-kohei:20181221215419j:image今年のSFはこれ一本しか観てない気がする。CG、演出、脚本すべてが意味わからない(文字通り)ほどに高水準なのに、実はNETFLIX限定配信。同じくアレックス・ガーランド監督の『エクスマキナ』もネットで見てしまったのでとことん巡りが悪いな。しかしまぁスマホで見ても鑑賞後放心状態だったから、映画館で観てたら魂抜けてたろうな。ここまでストーリーにひとつも触れてませんが、わけわからなすぎて触れられないんですよね。ただただすごい。語彙力なくなったわ。

 

14.ブラッド・バードインクレディブル・ファミリーf:id:bsk00kw20-kohei:20181221215529j:image現実世界では『ミスター・インクレディブル』から14年が経過。映像表現の進化は言うまでもなく(多彩なアングルでの緊迫感が楽しい!)、1作目からの一番大きな成長は登場人物の心情表現の豊かさでしょう。特に3児のママ・イラスティガールの解放感には胸を撃たれた。彼女の活躍に嫉妬するボブの姿も含めて、彼だけが楽しんでいるように見えた1作目とは違った清々しい風が吹く。家族それぞれに悩みを抱えながら、パパは努力して家の内外ともにヒーローとなって家族が形成されていく姿。『そして父になる』をエンタメで楽しく表現していてかなり好き。EDのテーマソングも否応なくアガる。

 

13.山田尚子リズと青い鳥f:id:bsk00kw20-kohei:20181221215556j:imageストーリー(特にラスト)には全然納得いってないのだけど、それも含めてこの映画を構成するすべての要素が好きだった。吹部の演奏ってずるいんですよなんか。音の重なりに青春を見てドキドキしちゃう。(アニメは詳しくないのでわからないけど)百合的なアニメ作品としては突飛な語り口ではないのだろうけど、国内インディペンデント映画で先に出た『カランコエの話』も含めて「ガール・ミーツ・ガール」が熱かったこの年に公開されたことにはすごく意味があると思う。ラストはただ「横並びで歩いてほしい」という願望があったのだけど、「ハッピーアイスクリーム」というキラーワードを聞けたからこれでよかったということにしました。

 

12.グレタ・ガーウィグレディ・バードf:id:bsk00kw20-kohei:20181221215642j:imageノア・バームバック『フランシス・ハ』という大好きな作品の主演を務めるグレタ・ガーウィグが、その作品とも共鳴する映画を撮ってくれて素直にすごく感激した。とにかくポンポンポンポン青々しい事件が起きていくスピード感が最高で、そんな怒涛の時代を経てクリスティンという名前と人生を受け入れる「余韻」を得るラストもたまらない。青春映画が各地で豊作だったこの年に(加えてこれもA24=インディペンデント)、設定的には15年くらい前だけど、アメリカの等身大の少女成長物語を見れてよかった。そしてシアーシャ・ローナンが現行で一番好きな米女優になってしまった。

 

11.吉田恵輔犬猿f:id:bsk00kw20-kohei:20181222222229j:image吉田恵輔監督4年ぶりのオリジナル作。まぁこの監督にはオリジナルもクソもないほど個性があるので、作る映画すべておもしろいバイアスが完全に確立されているのだけど。本作は兄弟姉妹についての、お互いに死んでほしいと思うほどの憎しみとほんの少しの愛を描いた作品。この配分が完璧なんだよな。エントリーでも詳述したけど、ラストがとにかくいい!「父の採尿→容器こぼす→リスカ→妹が助ける」という受け皿のリレーが表す家族という愛に満ち溢れた共同体の不器用さ。それは時に面倒くさくて死ぬほど鬱陶しいかもしれないけど、やっぱりこの映画はそのつながりの強さを描いているんだ。チャーハンとベビースターの奇妙なコンビネーションのように、彼らはひしめき合って、共に生きていくのだろうと、強烈に感じた。家族映画のバリエーションはやはり日本映画の強み。

 

10.枝優花少女邂逅f:id:bsk00kw20-kohei:20181221215938j:image上半期の最後の最後、6月30日に公開されたこの映画が結局今年の(インディペンデント)日本映画のすべてを物語っていたと思う。それは、インディペンデント映画の隆盛、既存の概念への問題提起、ガールミーツガール=外側ではなく内面に視線を向けることの重要性(というより切迫感のようなもの)といった諸要素のこと。『カメラを止めるな!』と『万引き家族』の要素が両方詰まってる。後日譚のドラマ『放課後ソーダ日和』もYouTubeでこのクオリティかよと驚くほどに傑作で、細部の演出にいちいち愛を感じる。個人的に2018年を象徴する作品なので1位でもおかしくないのだけど、本作に関していうと音があんまり良くなかった(むしろそれだけの理由なのでこれ以降は実質すべてベスト)。しかしとにかく1994年生まれの同世代監督・枝優花さんの今後がめちゃくちゃ楽しみ。

 

9.今泉力哉パンとバスと2度目のハツコイf:id:bsk00kw20-kohei:20181221220137j:image今泉力哉監督の映画ってほんと好きなんだよな~。基本的には「人を好きになるとは?」という疑問についての考察なのだけど、醍醐味となるのは登場人物たちの性格・考え方の似た部分が明らかになっていって、最終的にあちら側(フィクション)からこちら側(観客/現実)にも同期してくるところ。身につまされながらも、共感度が高くてドキッとしてしまう。来年春公開の『愛がなんだ』もTIFFで見てさらに上をいく大好きな作品だったので、これからも今泉作品を楽しみに生きていけそう。彼の左側が彼女の心地いい居場所。

 

8.アルフォンソ・キュアロンROMA/ローマf:id:bsk00kw20-kohei:20181222222116j:imageこういうなんの盛り上がりもない作品を高予算で撮れるということ自体がまずすごくて、それがめちゃくちゃおもしろいからとりあえず拍手を送りたくなる。アルフォンソ・キュアロン監督の自伝的な映画で、彼がみた家政婦の姿を中心にあるひとつの家族が映し出されていく。家政婦が見たならぬ、彼が見た家政婦。これが、『この世界の片隅に』と同じ空気を感じるくらいに“片隅感”と“なんの変哲もない日常の微かなドラマ”を見せてくれて大満足だった。(駐車のシークエンスなど)お父さんが出てくる場面だけフィクション/コメディ感強いのがある意味リアルなんだろうと感じて、監督すらも愛おしくなる。

 

7.ダニエル・ヒベイロ『彼の見つめる先にf:id:bsk00kw20-kohei:20181221220452j:image青春映画では今年一番。製作国ブラジルでは2014年に公開されていたというからびっくり。あらゆる「生の肯定/可能性」が提示されていて、少ない文字数では語りきれないほどサイコーな映画だ。

 

6.リン・ラムジービューティフル・デイf:id:bsk00kw20-kohei:20181221220627j:imageタイトル出し、今年一番。孤独なおじさんがいたいけな少女を救うという『タクシードライバー』的な映画。鳴り響く「音」と、均整のとれた構図、血と水の対比がすばらしい。

 

5.ショーン・ベイカーフロリダ・プロジェクト
f:id:bsk00kw20-kohei:20181221221014j:imageまるで是枝作品を見ているような感覚を抱かせるけど、本作は紛れもなくアメリカの現状を描き出したショーン・ベイカーの映画。「フロリダ・ディズニーワールドのすぐそばで貧困にあえぐ親子」、この設定(現実)がまず衝撃的なんだけど、そういう社会問題を描きながらも画面が常に鮮やかで明るいのがいいのだ。6歳のムーニーが起こし続ける事件によって結果的に救われていく大人たち。彼女がいるからこそ、それでも世界は続いていくんだなという希望と絶望を得る。ファンタジーとして見てしまうことに少し自戒の念を抱きながら。

 

4.是枝裕和万引き家族f:id:bsk00kw20-kohei:20181221221148j:imageみかんをしゃぶる樹木希林さん。ラムネのビー玉を見つめる彼。家族を見つめる希林さん。花火からかろうじて漏れた光を見上げる家族。バラバラに転がっていくみかん。ビー玉を並べる少女。家に戻ってそこに確かに存在していたものを確認する松岡茉優。画が強い。『幻の光』『DISTANCE』など初期の作品で「人と人はわかりあえるのか」という問いに立ち向かい続けた是枝さんが、『そして父になる』で血縁を超える愛を描き、『三度目の殺人』で真実の不透明さ/見えないものにこそ真実が宿るというある一つの解答を示した。そして『万引き家族』。そこに家族は確かに存在しているけど、果たして何のために一緒に暮らしているのか。ビー玉に「未来」を透かした彼は「現在」を見つめ直すことで閉ざされた世界の外に飛び出すことを(半ば衝動的に)決意する。いろんな感情が交錯する是枝中期の最高傑作。

 

3.関根光才生きてるだけで、愛。f:id:bsk00kw20-kohei:20181221221242j:image過眠症の女性とゴシップ誌ライターの男性。すごく似ているのに、どこまでもすれ違う彼女たち。夢(/青/夜)と現実(/赤/日中)の狭間、そのまどろみの中でしか心を通わせることができないっていうのがすごくロマンティックだ。

 

2.濱口竜介寝ても覚めてもf:id:bsk00kw20-kohei:20181222221820j:image濱口竜介という監督の存在は今年一番の衝撃だった。『ハッピーアワー』も『PASSION』も、とんでもない傑作で。いやぁ最高でしたね、この映画も。川を流れ続けるしかないという諦めにも似た極大な愛の形。正中線を捉えるカメラワークが大好き。

 

1.ポール・トーマス・アンダーソンファントム・スレッドf:id:bsk00kw20-kohei:20181221221655j:image上から見ていると場所が把握できるものの、その人混みに混ざると突如彼女を見失ってしまう。あの終盤のダンスパーティーのシーンがすべてを物語っているんだよな~。初めてこの映画をみたときはまるで映画に初めて出会ったときのように「これは原体験になる映画だ」と確信し、エンタメとして純粋に楽しんでいたと思う。そして1年の終わりにもう一度見ておきたいなと思って確認しに見に行ったら、今年1年をあらわす最適な映画であることに気づいた。他の19本の良さもすべてこの映画で説明ができてしまうほどにすごい映画なんだよ。人の外側にしか興味がなく、服を作ることで人の上に立っていた彼が、彼女に惹かれれば惹かれるほど「敵に攻められている」ように感じて心をかき乱され、自信を失っていくという構図。そうやって毒キノコを受け入れるまでのシークエンスは、私たちの人生で何度も訪れるであろう普遍的なものでありながら、美しくも悲劇的だ。そう、この映画はとことん悲劇的だからこそ、途方もなく美しいのだ。

 

【2018ベスト映画20】

  1. ファントム・スレッド
  2. 寝ても覚めても
  3. 生きてるだけで、愛。
  4. 万引き家族
  5. フロリダ・プロジェクト
  6. ビューティフル・デイ
  7. 彼の見つめる先に
  8. ROMA /ローマ
  9. パンとバスと2度目のハツコイ
  10. 少女邂逅
  11. 犬猿
  12. レディ・バード
  13. リズと青い鳥
  14. インクレディブル・ファミリー
  15. アナイアレイション ー全滅領域ー
  16. 来る
  17. ワンダー 君は太陽
  18. シェイプ・オブ・ウォーター
  19. カランコエの花
  20. ア・ゴースト・ストーリー


こうやって20本を選んでみると、やはり(国内外問わず)インディペンデント映画への興味が強かったということと、「人間の外側/内側」への切迫や「見えないもの」へのまなざしなどの共通したものを受け取っていたなと振り返ることができる。ちなみにドラマだとNetflixの『このサイテーな世界の終わり』、『アンナチュラル』、『隣の家族は青く見える』なんかがベストで、ここにも同じ空気を感じてる。青春映画(とくにガール・ミーツ・ガール)にすごく酔狂した年だったのだけど、『ファントム・スレッド』の軸にある「ボーイ・ミーツ・ガール」(おじさんだけど彼は完全にボーイだ)を含め、人と人が「出会うこと」の可能性や豊かさを改めて実感する一年だったように思う。今までにないほど、統一感のあるベストで素直にうれしいのです。来年もたくさんのいい映画に出会えますように。もちろん人にもね。

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