afternoon Good

エンターテイメントの観客として

成島出「八日目の蝉」

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地上に出てくるとたった七日で死んでしまう蝉。でももしも八日目を迎えた蝉がいたら…。仲間がみんな居なくなった世界で一人苦しみ、一日多く生きたことを悲しむのか。それともその一日で何か素晴らしいものを見つけて幸福を掴むのか。

物語は幼児の誘拐やカルト教団などが絡み、かなり特殊な状況を描き続ける。けれど、「八日目の蝉」というタイトルが示しているのはもっと普遍的なことではないだろうか。「人とは違うこと」に悲哀の感情を抱き続けるのか、それでもその状況に希望を見出すのか。この映画には「人とは違う」ことに悩む人たちを優しく抱きしめてくれる母性のようなものを感じる。

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この映画が描くのは誘拐によって生まれた擬似親子関係。この関係を肯定することは倫理的にあってはならない。それなのに、完全に「母と娘」であるこの2人を見ていると、こちらにまで幸福感が及んでくるのである。何とも困った映画で、感情が揺さぶられては理性が邪魔をする。釈然としない。

しかしこの物語が発する「愛」という単純なキーワードに目を向けると、その異様なまでの愛の発露に理性なんて複雑なものは吹き飛んでしまう。思えば希和子(永作博美)の転落は、恋人との愛のこじれと子供への歪んだ愛に起因していた。そして事件から21年が経った恵里奈(井上真央)を救うのもまた、母の大きな愛だったのだ。愛を知らなかった女性が、かつて愛を受けて育っていたことを思い出し、それは自分の産む子供へと受け継がれていく。これほどまでに愛を肯定したこの物語を悲劇だけで語ることはできない。

そして愛は伝染し、物語は続いていくのだろう。それが分かったのだから、八日目の蝉で良かったんだ。

是枝裕和「そして父になる」

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十一月、野々宮良多(福山雅治)とその妻みどり(尾野真千子)、そして息子の慶多はいわゆる"お受験"のために私立小学校の面接会場へ訪れる。息子の明るい未来を確定させるため早い時期にレールに乗せようとする父親の良多。そのお受験も難無く終わったように見えたが、ここでこの一家に思いもよらない問題が舞い込んできてしまう。6歳になる息子が産後に他の子と取り違えられていたというのだ。父親である良多は「従来であれば100%交換する」という世間の常識に自身の信念を呼応させながらも、6年過ごした息子への抑えきれない愛情と自身の過去の出来事の中で葛藤し、家族のあるべき姿を模索していく。

 

およそこのような粗筋で物語は進むのだけど、是枝監督の演出力はやはり素晴らしい。このような悲惨な事件を扱うならば、その事件の背景を問い質し、社会へと問題を投げかけるのが一般的かもしれないけれど、加害者を加害者として撮らない是枝監督は、この事件に別の視点を与える。「この事件が現代日本で起こればどうなるか」という視点だ。そもそもこの「子供の取り違え」という事件はひと昔前のベビーブームの頃に頻発したものであり、現代ではほとんど起こり得ないものである。今作においてもこの事件が訳ありだったことが後に明かされるが、是枝監督はそういった事件の詳細を探るという点に焦点を当てようとしない。是枝監督はこの物語を通して、「従来であれば100%交換する」という過去から3、40年経った今、社会と人々の意識がどう変わったのかという所を見つめている。

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物語も終盤に差し掛かり、「親子関係に必要なのは『血縁』か過ごした『時間』か」というこの映画における問いに監督は1つの答えを掲示する。僕はこの映画が辿った道とその結末に納得しながらもそのラストに一抹の不安を抱いてしまった。おそらくこの映画が示したのは、血縁があってもなくても家族になることはできるという事だと思う。しかし、父親である良多は最後の決断として一度選んだ子供を手放し、言い方は悪いけれど「自分の好きな方」と暮らす事を選んでしまう。これは親のエゴと言うに他ならない。振り回される子供の気持ちが全く考えられていないのだ。

しかしこのもやっとした結末さえも是枝監督の演出であることが分かる。迎えに来た良多に対して逃げる慶多。違う道を歩いた後、一応は同じ道へ合流するもその場面において慶多の顔と心情が明かされることはない。答えは全て彼に宿っている筈なのにそこを明らかにすることは決してしない。正解のように見える結末にも疑問を投げかけるのが是枝裕和という監督だ。このラストにはそんな監督の模索する眼差しが投影されていたように思う。

ラストシークエンス、ふわふわと凧のように浮遊していくカメラがそれでも家族になろうと答えを模索し続ける彼らの姿を捉え、物語は未来に託される。

 



是枝裕和「DISTANCE」

つい最近観た「月子」と何処と無く面影が似てると思ったら撮影監督が同じ山崎裕。是枝初期作品や西川美和の作品なんかにも登場するカメラマンだ。この人が撮る映像には〈生(なま・せい)〉が鮮明に映し出されることが特徴的で、「見えないけれどそこに確かに存在するもの」を私たちにも身近に感じさせてくれる。

DISTANCE(ディスタンス) [DVD]

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是枝監督の長編3作目である今作は、カルト教団「真理の箱舟」の信者で、無差別殺人事件を遂行した5人の〈加害者〉に焦点を当てた作品。とりわけ特徴的なのは、そういった事件を被害者の側から撮るのではなく、また加害者をこの世から去らせることによって、残された〈加害者の遺族〉を通して事件の全貌やその後を描いていった点だ。ここには「残されたもの」を描くことによって未知の存在に宿る心を探ってきた是枝監督の起源があった。

この作品の前作にあたる「ワンダフルライフ」でも一部見られたけれど今作でも「ドキュメンタリー的」な手法で登場人物たちの生を映し出す。それは、役者にストーリー構成を知らせず、それぞれのキャラクターが即興的な演技で会話を繋げていくという実験的な方法で、それによって加害者遺族である4人それぞれの生が監督自身も想像し得ない形で垣間見えていく。

こうして荒っぽくも静かに紡がれていった物語は、決して寄り添うことのできない遠い存在と私たちとの「距離」を示したのと同時に、『加害者と被害者の間に「違い」はあるのだろうか』というこの後の是枝作品に通底する問いを導き出した。

今作や「誰も知らない」において加害者を加害者らしく描かず、被害者を被害者らしく描いてこなかった是枝監督が、この作品から16、7年の歳月が経った今、どうしたって白黒ついてしまう「法廷」を舞台としそのグレーな存在と対峙していく。最新作「三度目の殺人」では家族映画だけではない是枝監督の〈人間の真に迫った瞬間〉を見せてくれると思います!!

三島有紀子「幼な子われらに生まれ」

"わたし"から"われら"へ

郊外のニュータウン。マンションが立ち並ぶ中、1つ1つの窓からは部屋の光が漏れ出る。その中の1つ、浅野忠信演じる男性・信が帰っていく家には妻と妻の連れ子である2人の娘が。一方で自身にも別れた妻との間に血の繋がった娘を持ち、年に4回ある面会の日には一緒になって子供のようにはしゃぎまくる。やがて反抗期を迎えた娘が血の繋がりに敏感になり父に反発、何も知らない下の娘は無邪気で、妻は新しい命を授かり…。3人の父親と2人の母親、そして3人の子供たちが登場し生まれたドラマは、家族の存在意義を真正面から問い質していく。

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とにかく三島有紀子監督のポテンシャルに驚かされた。『しあわせのパン』というどこか幻想的でほんわかした映画を作っておきながら、こんなにも真に迫った映画を撮ってしまうのだから。しかしまぁこの映画の予習として見た『硝子の葦』(WOWOWのドラマ、Amazonプライムで視聴可)も、扱う問題の厳しさと内容の暗さに驚いたけれど今作に至る片鱗は見せていたかもしれない。これらの作品に「家族」というテーマをひっそりと忍ばせていた三島監督が遂に正真正銘「家族」を題材にした映画を撮ったんだな。

この映画を見ると家族はとてつもなく面倒臭い存在だと認識させられる。子供も親も自分の思う通りには動かず、みんながみんな重い問題を抱えているけれど共有することはできない。何のために血の繋がらない他人と家族になっているのか分からなくなってしまう主人公もまた状況が変わるのを待つしかない。しかしいくら待っても互いに傷つくばかり。閉塞感、どうしようもなさが充満する。そんな中、血の繋がりのない「他人同士が家族になる瞬間」を垣間見た主人公と私たちは、ついに打開策を見つけるのだ。

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親子の関係に血の繋がりは必要か。もちろん無いよりはある方が安心感がある。血の繋がりがないというのはそれだけで不安定だ。けれど心の中の「何か」を変えるだけで互いの心を繋ぐことができるかもしれない。1人が2人になると、やがて3人目が生まれる。わたしが"われら"になるだけでこんなにも心強いのだから家族は捨てたもんじゃない。

らーめん・映画紀行❶中津・梅田

梅田に映画を観に行くときは軽い小旅行のような気持ちです。とにかく面白い映画と美味しい昼食を摂りたいと意気込みながら電車に乗り込みます。ここで言う昼食は大体ラーメンになってしまうんですが…。

1時間の道中の暇を潰そうとAmazonプライムで『メイドインアビス』2話目を観ました。これはもう完全に好きなジャンルなんですよね。『テガミバチ』とか最近だと『約束のネバーランド』とかの「この世界を抜け出して未知なる世界へ」冒険しちゃう映画がとにかく好きです。雰囲気が少し湿っぽい感じも共通して好んでいる点です。2話では一気に加速してヒロインの心情が見えてきました。今後も楽しみだな。

 

さて今日見る映画は2本。その前にシネリーブル梅田から徒歩3分くらいの所でラーメンを食べます。食べログ教の信者である私は、この店の得点が【3.5】を超えていることをしっかりと確認して向かいました。駅から少し離れ、大通りからも外れた人通りの少ない場所に綺麗なお店がありました。食したのは「煮干し醤油ラーメン 味付玉子乗せ」。

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恥ずかしながら煮干しラーメンというものを初めて食べたんですけど、旨味が充満したスープに舌鼓を打ちました。チャーシューも柔らかすぎて橋で持つと少し崩れてしまうほど。ジューシーで麺との相性も抜群でした。こんなに美味しいラーメン屋さんがいつも通っていた映画館の近くにあったなんて…。1年前の自分に教えてあげたかったよ…。

 

卓上に置いてあった飴を舐めて意気揚々と店を後にしました。本日1本目はシネリーブル梅田にてジム・ジャームッシュ監督の『パターソン』。

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私は敬意を込めてジャムおじさんと呼んでいますが、この方の作品はハマるときとハマらないときの差が激しいです。色々過去作を観て分かったことは、「愛らしい女性キャラ」が登場すると一気に華やかに面白味が増すということです。今作はジャムおじさんの作品の中でも微妙な方でした。個性的なキャラクターが多いんですけど親近感が湧く人物がいなかったのが原因かもしれない。気持ちよすぎて木曜日〜金曜日にかけて寝てしまったのはいい映画体験だったと思います。ジャム作品は家でゆっくり酒でも飲みながら見るのが丁度いいかな。

 

シネリーブル梅田を後にし、曇り空でそこまで暑くない梅田周辺を15分くらい歩き、次なる目的地・テアトル梅田へ向かいました。ここで観るのは三島有紀子監督の『幼な子われらに生まれ』。この映画の情報を知ったのは2ヶ月前くらいかな。家族映画をこよなく愛し、大学でもそれを題材に論文執筆中の私にとって、「子連れ再婚」や「夫婦別姓」といった売り文句には敏感です。今夏の最重要作品に特定した私は、早速過去作の『しあわせのパン』と『硝子の葦』を観て予習を進めました。この2作品の対照的な雰囲気にまずは驚かされるのですが、どちらもやはり「家族」というものを裏テーマに据えていました。『硝子の葦』なんかはミステリーとしてもよく出来てますし、役者の演技も絶品なので是非観て欲しいです。Amazonプライムで観れますよ。(Amazonの回し者ではありません)

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『幼な子われらに生まれ』は紛うこと無き傑作でした。もう驚いてしまいましたね。脚本の素晴らしさはもちろんのこと、役者の演技が凄まじいです。特に子役の3人がこの映画を1段階も2段階も上に押し上げる功労者となっていました。詳しい感想は別エントリーで記すかもしれませんが、とにかく、1年に1本のペースで家族映画の傑作が生まれるこの国に生まれてよかったと心から思ったのです。気持ちよく感慨に耽りながら帰路に着きました。

相米慎二「お引越し」

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なぁお父さん、もうあかんの?

主人公のレンコは父親と一緒にバイクにまたがり背中にぎゅっとしがみつきながらそう尋ねる。しかし父親からの返事はない。背中の温かみを感じつつも父親の顔色を伺うことはできない。もうあの頃に戻ることはできないの?あの幸せだった過去はどこへいってしまうの?子供から大人へと突きつけられ誰も答えることができない、この儚い人生へ向けた問い。レンコはこの問いの答えを求めて走りだす。これはある少女と私たちがぶつかった、あの頃の「夏休みの宿題」。

 

両親の別居前夜から物語は始まる。風変わりな三角形の食卓を囲むのは、父と母とその娘のレンコ。この家族にとっては最後の晩餐であるけれど父と母は互いに目を合わせて話すことはない。

食卓で 

会話の弾む 

明るい家庭

レンコは過去の、幸福に満ち溢れた食卓を思い出しながら、川柳を詠むようにそう言葉を発する。しかし冷めきった夫婦はこの字余りな思いに応えてあげることはできない。どちらかが席を立たなければいけないという悲哀の演出も顕著だ。ついに父親は家を出てしまうが、レンコはどうにかして過去の幸福を取り戻そうと奮闘する。

早く梅雨、明けたらいいのになぁ。雨なんて大っ嫌いや。 

雨空を仰ぎながらそう呟いたレンコは、時を逆戻りするように逆立ちをして、この世界への反抗の意を表する。

 

この映画の舞台が夏休みの始まる少し前、つまり、梅雨が終わるか終わらないかという絶妙にもどかしい季節に設定されている点で目指している場所は容易に想像がつくかもしれない。前半部分では雨がよく降り、レンコの心は荒れ模様だ。中でも、レンコと似た境遇の同級生が、父親に会いにいったら別の人との間に子供ができていたという悲しみのエピソードを語るシーンとそこでの雨の演出が忘れられない。

サリー「春休み来ないかって電話あって、どんな女か見てやろうと思って、‥‥パパ、 別なひとと結婚したんだ。‥‥ママに内緒で行った。前、住んでた家、すごく懐かしかった。パパの新しい奥さんに挨拶しようと思ったんだ。パパをよろしくお願いしますって。だけどいなかった。」

レンコ「どこ行ったん?」

サリー「病院。」

レンコ「えっ?」

サリー「入院してたんだ、赤ちゃんが生まれるから。」

 その衝撃の告白があった後、土砂降りの雨が降り始めレンコは坂道を走って下っていく。

 

 

そんなレンコの荒れ模様も、時が経つにつれて変化が訪れる。過去の亡霊であるキリンのぬいぐるみは落下し、梅雨は知らぬ間に明けていた。夏休み、レンコと母は1年前に家族で訪れた琵琶湖に再び旅行に出かけるが、やはり家族は再生することができない。見兼ねたレンコは行くあてもなくひとり冒険に出かけ、そこで年老いた男性に出会い、人生の教訓を得る。

昔の思い出っちゅうんは、片手で数えられるくらいで十分や。

そう言われてレンコは指をおる。

足りひん。

片手では数えきれない幸福な思い出の数々。ここでレンコは、幸せな思い出が渋滞していることに気づくのである。

 

過去と決別するクライマックスでの不思議な出来事は何にも形容しがたく、大好きとしか言いようがない。映像で見せてやる、と言わんばかりにセリフがほとんど取り払われ、別世界にでも連れていかれたかのような不思議な世界観(実際、死者の世界にも見える)に少女と私たちは身を預ける。レンコが眺める海の先にみえるのはかつての楽しそうな3人家族。やがて、去っていく両親を見て憂い叫ぶ過去のレンコを1年先輩のレンコは強く抱きしめ、「おめでとうございまーす!」と海に向かって甲高に幾度となく声をあげる。染之助染太郎の言葉を真似たようなこの言葉は大人への一歩か、はたまた自らの不幸を温かく抱きしめる賛辞か。なんにせよ、レンコは過去との決別に成功し、ようやく未来へ向かって走り出す。

 

 

この人生は辛いことも幸せなこともいっぱいある。でも全ては過ぎ去ってしまうという逃れようのない時間の儚さ。相米監督は優しい眼差しで、力いっぱい生きていく少女を映し出しながら私たちの儚い人生をも肯定する。幼き田畑智子が演じた少女の逞しい姿は目に焼き付いて離れない。シーンを重ねるごとに成長する彼女の演技はこの映画のテーマとも呼応していて素晴らしかった。今後、夏映画としてこれ以上のものを生み出せるだろうか(反語)。今後も夏になれば必ずこの映画のことを思い出してしまうんだろうな。相米監督、素晴らしい作品をありがとうございます!

 

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ポン・ジュノ「オクジャ/okja」

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ポン・ジュノ大監督のNetflix配信限定映画。

今作『オクジャ/okja』は、青春友情映画から始まり、スパイアクション、クライムアクションを経て家族映画へと向かう、全編にコメディとラブストーリーが充満した最強の多ジャンルスーパーエンタメ映画。約30分ごとに作品の雰囲気が変わっていくので飽きない、とにかく面白い。

そして驚いた。「オクジャ」という巨大な生物(豚)と一人の少女「ミジャ」が森の中で独自のコミュニケーションを交わしながら暮らしている。ポンジュノらしからぬ完全にファンタジーの世界のお話で、ハートフル且つめちゃくちゃ笑える作品だと肩の荷を下ろして見ていたら、実のところは凄まじい社会風刺が繰り広げられているのである。笑えるのに笑えない、心温まるけど怖い、というごちゃまぜの感想を生み出してしまうところが堪らない作品だ。

 

好きな点を挙げていくとキリがないので1つだけに絞る。「ミジャが英語を喋る」シーン。そのシーンは2つあり、1つ目はニューヨークで綺麗な服に着せ替えられようと服を触られた時に発した「Don't touch!」、2つ目はオクジャが殺されようとしている工場でナンシーへ訴えかけた「Why you want to kill Okja?」と「I wanna go home with Okja.」である。この発話がなんとも可愛らしいのはさておき、つまるところ、私たちを放っておいて!!とわざわざ英語を習得してまで懇願しているのである。(「バカでも話せる英会話」を読ませミジャ=子供=バカを肯定していく点も良い。)

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この悲痛な訴えが通じたわけではなかったが、オクジャとミジャ(と子豚)はホームへと帰ることが許される。金の豚との交換によってミジャとオクジャは結ばれ、2人の母親と子は家族として独自の世界を生きていく。ラストシーン、オクジャがミジャの耳元で囁いた言葉。僕はなんとなく「サランヘヨ」に聞こえました。

 

余談

森へと回帰したラストシーン、ミジャが白い服を着て寝ているというのが少し怖いですね。こういった、現代では狂気的とも見なされる家族はこの世では生きていけないのかもしれません。