縞馬は青い

映画・ドラマ・漫画など気ままに。

出るものが出る/吉田恵輔『犬猿』

f:id:bsk00kw20-kohei:20180214094133j:image吉田恵輔監督による4年ぶりのオリジナル脚本映画。これがめちゃ面白かった。久しぶりに映画館で泣いた。これは兄弟を持つ人よりもこうゆう兄弟をそばで見てきた人の方が心に刺さるかもしれない。僕はこの映画を観て、子供の頃毎日遊んでた近所の兄弟を思い出してなんだか泣かずにはいられなくなった。彼らの関係が悪化していく様も含め…。しかし泣くだけじゃなくてすんごい笑えるんだよなぁ。吉田恵輔監督の作り出す「喧嘩会話劇」が巧み。当事者にとっては悲劇でも側から見ると喜劇になるってこと、あるんだなぁとしみじみ。兄弟って、家族って、かくも醜く、愛らしいんだ。

吉田恵輔監督が描く壮絶な兄弟&姉妹ゲンカ…『犬猿』予告編 - YouTube

「一番近い他人」それが兄弟であり、姉妹。子供の頃は何も考えずに付いて回ったり、喧嘩したり、ゲームで一喜一憂したり、チャンネル争いで足バタつかせて蹴りあったり…。なんというか「自然に」友達の一人のような感覚で接することができるのだけど、成長していくとそうは言ってもいられなくなって段々と「何か」が変わっていく。

姉をもつ いち弟として、弟は、生きていく上で兄(姉)を意識せざるを得ない生き物なんです。兄があの習い事をやってるから自分もやってみたいとか、兄があの高校に入ったなら自分は一つ上を目指してやろう、とか。そのようにひとりの人物の構成要素における「兄が〜だから」の占める割合が増していき、何をするにしても意識してしまうその存在は、もはや自分の一部と化してしまうほど肥大化していくもの。だからこそ「自分」と混ざり合っていく他者の存在に困惑し、鬱陶しくて、死んで欲しいくらい大嫌いな存在へと変貌していく。

また、ここでいう「自分の一部」というのは精神的な要素が大きいのだけど、本作の劇中における家族や兄弟の「尻ぬぐい」の描写は、もっと可視化してこの「混在化」を表出していく。親子でいうとそれは借金の肩代わりや父のお世話(における採尿)など。兄弟だと、出所してきた兄の身を一時的に預かったり、聞き流すだけの英語が効果を発揮しなかった際に流暢な英語でカバーしたり。流れてくるもの、吐き出されるものを受け止めなければいけないのが、家族や兄弟の宿命であるから、言葉を吐き出し相手にぶつけるという行為も、互いの「受け皿」として機能していく。これは結構ポジティブな意味合いも大きいと思う。だって人間という生き物は「出るものは出る」のだから、受け止めてくれる人がいないと何もない海の真ん中に流れていってしまう。流れる血を止めてくれる人がいないと死へと誘われてしまうように。

すごく面白いと思ったのは、和成(窪田正孝)と真子(筧美和子)の遊園地デートのシーンで、和成は兄のことをボロクソに謗るけど、真子に兄のことを貶されると即座に反論する場面。すんごいあるある、そしてこれぞ「混在化」というような一コマだと思うのです。もはや自分の一部と化してしまっているからこそ、自分はどう思ってもいいけど他人には口出しして欲しくないという感情が芽生えるのだろうなと。なんて面倒くさくて、愛らしい生き物なんだ。

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「犬猿の仲」。ラストはもちろんそうなるだろう。無視しようとすればできるのかもしれないけどあえてそうしない兄弟姉妹の衝突。「父の採尿→容器こぼす→リスカ→妹が助ける」という受け皿のリレーが表す家族という愛に満ち溢れた共同体の不器用さ。それは時に面倒くさくて死ぬほど鬱陶しいかもしれない。しかしこの映画が描いているのは、家族って、兄弟って、決して嫌なことばかりじゃないよね、っていうことだろう。チャーハンとベビースターの奇妙なコンビネーションのように、彼らはひしめき合って、共に生きていく。

人と人は分かりあえるのか/吉田大八『羊の木』考察・感想

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桐島、部活やめるってよ』において吉田大八監督は、カメラを向け合うことによって通じ合う2つの心を描き出した。ラストの屋上のシーン、前田が将来を語り、宏樹が涙するあの場面である。決して交わることのなかったあの2人の邂逅。住む世界が違っても、考え方が違っても、しっかりと目を向ければ「人は分かりあえる」ということをあの8ミリカメラを使って演出していたように感じる。

* * *

本作、すごく難解でした。一日中考えても結局何を伝えようとしているのか分からない。例えるならば現代アートを見せられているような気分。(できればもう一度見て)もう少しだけ考える必要があるとは思うのだけど、この「分からない」という感情も恐らくこの映画のトーンに同調していると思うのでこの状態でとっ散らかった感想を書いてみたい。

 

本作がまず描いていたのは、「私たちは(元)殺人犯と共生できるのか」という問いである。映画『怒り』が描き出したあの「信じる/疑う」という感覚がここでも蘇ることになります。殺人犯に限らず、「人と人は分かりあえるのか」という問題は長い間映画という芸術が対峙してきた問いだと思うのですが、本作が描き出したそれは、難解ではあるけれど非常に見応えがありました。まとめきれないのでちょっとパートに分けます。


※以下、ネタバレを大いに含みます

 


【見る/見られる】

冒頭、月末(錦戸亮)が6人の殺人犯(この時点では知らないが)を駅や空港に迎えに行き、「人はいいし、魚は美味しい」と繰り返し語る場面がある。その場面において彼は、移住者の「食事」をただひたすらに見つめている。見るという行為によって、情報が無く得体の知れない人物たちのことを見定めているようだ。場面は変わって杉山(北村一輝)が登場する多くの場面で、彼は「カメラ」を持ち月末をはじめとして初めて出会う人々を注意深く見ている。月末が杉山のことを見ていると思ったら実は杉山が月末を見ていた、という反転が面白いのだけど、この見る/見られるという演出は他にも、バンド練習を窓から覗く宮藤(松田龍平)や大野(田中泯)の目の傷を見て怯える聴衆の目など(たぶん他にも)随所に表れている。「見る」という行為は、相手を"信じる"か"疑う"かを決定するために人々がとる行為であるだろう。私たちが殺人犯を見定めているのと同じくして、殺人犯である彼らも「この人は信じられるか」と目を凝らしている。何が言いたいかというと、殺人犯であれ何であれ、人間関係における立場は同等である、ということだ。みんな「この人は信じられるのか」ということを確かめるために怯えながら、期待しながら見つめている。

 

【「顔がきれる」という映像演出】

最初から最後までこの演出が多すぎて若干あざとかったんですけど、この演出をどう捉えるかによって受け取り方が変わってくると思う。頭(顔)が見えないことによって、その人物が何を考えているか分からないということを演出しているのだろうけど、登場人物同士が(相手が何を考えているのかを)分かっていないのか、はたまた画面の向こう側である私たちにだけ見えていない(考えていることが分からない)のか。どちらにしろ度重なるこの演出は私の不安感を煽っていきました。「分からない」というのはすごく怖くて不安なんです。*1

 

【共通項、肌、友達】

人は分かりあえるのかということを問うている本作ですが、「分かりあえている」状態って具体的にはどんなだろうか。本作で掲示されるものとして一つ目は「共通項」を持っているということだ。理髪店でのシーンが最も印象的かな。福元(水澤紳吾)は店主にムショ帰りであることがバレたと勘づき、激しく動揺する。「ヒゲを剃る」という行為が「人を殺す」という行為に変わってしまいそうになる中、店主自身もムショ帰りであったことが伝えられることによって福元は緊張から解き放たれ自体は好転した。共通する過去を持っているということ、あるいは趣味や好きなことが一緒であること。それは信頼へと繋がる。度々挿入されるバンド演奏もこれと同じような意味を持っているだろう。ともに演奏をするという行為でもって、長年会っていなかった彼らも心を通わせ合う。

次に、「肌で感じたあの感情はなんだったの?」と大野に訴えかけるクリーニング店の店主(安藤玉恵)の姿も印象的であった。現実に肌で感じたある種の「信頼感」が、過去に犯した殺人という罪によって「疑念」へと変わるのか。文(木村文乃)は宮越の過去を知って動揺し、クリーニング店の女性・内藤は尚も信じようと試みる。どこに違いがあり、行動と意識の差異が生まれるのか。一つ上げられるのは、大野が自らの言葉で相手に真実を伝えたのに対し、文は違う人から真実を告げられた、という違いであろう。大野は内藤を「信じて」真実を語った、一方宮越は、まだ文のことを信じきれていなかった、これこそが重要なポイントであると感じます。お互いを信頼しあうことによって大野と内藤は良い関係を築き上げたのだと思う。

また、宮越は幾度となく「それって友達として聞いてる?それとも市役所として?」と月末に尋ねる。友達は信頼できるけど市役所は信頼できないという宮越の思いは確かに共感できるものである。ただ、この質問をわざわざ「何度も(2回かな?)」するということは、まだ宮越は月末のことを信じきれていないということの現れでもある。友達であってほしいと望みながらも、宮越自身がそもそも友達であると信じきれていないところに問題点を感じました。つまり、私たちが彼らを信じたところで、彼らが私たちを信じないことには何も始まらないということです。

 

【繰り返す】

月末と宮越の関係は、宮越による殺人が繰り返されなければ上手くいっていたのではないか。宮越は殺人という行為をなぜか繰り返してしまうけれど、繰り返しているのは彼だけではない。本作で描かれるそれは例えば、福元の酒乱や太田(優香)による「故意ではない殺人(未遂)」、悪いことを企む杉山など。「人は良いし、魚は美味しいし」と語る月末もそうかもしれない。人は何か「良くないこと」を意識的にも無意識的にも「繰り返して」しまう。そしてそのことによって、心は離れていく。

 

【Death is not the end、死は終わりではなく】

本作の主題歌である「Death is not the end」。
『告白すると、この歌が「希望」と「絶望」のどちらを歌っているのか、何度聞いてもわからないのです。その両方かもしれないし、全然違うのかもしれない。そしてそれは、この映画の締めくくりにとてもふさわしいと思えました』*2
吉田監督はインタビューでこのように語っている。この映画のラストは希望なのか絶望なのか、それは監督にさえ、"分からない"。月末と宮越のどちらもが生きれる世界ではないということは、まぁ確かなんでしょうね。それが良いことなのか悪いことなのか。分からないけれど、考え続けたい問いとなりました。

 

【分からない】

この映画、とことん分からないんですよ。同じ町に6人もいればそりゃ何かが起こってもおかしくないだろうに元殺人犯を住まわせる市長の気持ちがまず分からないし、同じことを繰り返してしまう彼らの心情も分からない。そしてラストシーン。文の言葉を月末は「ラーメン」だと解釈するわけだけど、本当にラーメンと言っているかどうかは、文にしか分からない。そもそも月末という人物の内面は「文のことを一途に思っている」ということくらいしか観客には知らされません。成長も転落もせず、映画の始まりと終わりで何も変わっていないように見える彼の姿は、他の吉田監督作品と比べても主人公らしくありませんでした。終始『分かったフリ』をしているような人物にも見えたのだけど、うーん。もしかしたら数ある登場人物の中で一番内面の分かりづらい人物だったかもしれない。

人と人は分かりあえるのか。分かりあえることもあるだろうし、分かりあえないこともあるかもしれない。他人なんて分からないことだらけだけど、一人では決して生きていけないから私たちは人と「出会う」。その時に、この月末のように「分からない」ことを「ラーメン」と勝手に解釈して生き続けるか、それでも分かろうと努力し続けるか。反対方向に進んでいくバイクを見守る月末の姿に、「それじゃダメだ」と直感的に感じたのです。f:id:bsk00kw20-kohei:20180205022839j:image

【反駁】いや、「何となく」で通じ合う関係も悪くはないかもしれない。文が実際に「ラーメン」と言葉を発していたとしたら、フィーリングで通じ合えているのは素敵なことだ。ただ、文と月末の心が通じ合っているかと問われれば、微妙なところだろう。

*1:魚の頭を切る、のろろ様の頭が落ちる、など「死」と結びついているようにも感じるこの「顔がきれる」という演出。魚の死骸を植えた土から芽が出、のろろ様が海から引き揚げられたように、「死」による「救済」を表しているようにも思えます。

*2:リアルサウンド映画部」より引用https://search.yahoo.co.jp/amp/realsound.jp/movie/2017/12/post-136945.html/amp?usqp=mq331AQECAEYAQ==

浜辺美波が教えてくれる この世界の美しさ/月川翔『君の膵臓を食べたい』

 

君の膵臓をたべたい Blu-ray 通常版

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〈A面:君と僕 私と彼〉

私が一年前に塾講師のアルバイトをしていたとき、大学受験を控えた高校3年生の生徒が「生きることがつらい」「受験で失敗するのが怖い」とある日突然私に言った。勘が良くて、考える力を持っていた彼は自分の辿る未来を想像することができ、その未来に絶望していた。もちろん未来なんてどうなるか分からないんだけど、彼はこの世界に希望を見出せず、想像できない未来へのスタートを切ることに怯えていたように見えた。

そんな彼がセンター試験の頃(ちょうど一年前くらい)に私に「面白かった!」とおすすめしてくれたのがこの映画の原作小説だった。彼は読書好きであり、こんな風にしていつも好きな小説のことを話してくれる。そんな中でも、目を輝かせてこの小説のことを話してくれる彼の姿は、今までで一番熱がこもっていた。私は彼が「生きる」ことを楽しんでいる姿を見て、涙が出そうになった。f:id:bsk00kw20-kohei:20180202192227j:image

DVDレンタルが開始され、映画版にはなってしまったけれど遂に本作を手にとることができた。タイトルや予告編からなんとなく物語は想像できていたのだけど、予想していたよりも泣いた。涙が止まらなかった。

本作は"君"と"僕"が「君の膵臓を食べたい」という言葉を交わし合うことによって、心を通わし、一体化し、強くなっていく物語だ。君と僕の性格は正反対で、でもどちらも"強さ"と"弱さ"を持っていた。私はこの映画の"僕(志賀春樹)"(北村匠海)に自分を重ねる。おそらく私の生徒だった彼も、彼とこの登場人物を重ねていたように思う。この「僕であり、私であり、彼である人物」の弱さは、一人で殻にこもっていること、そして、楽しさや苦しさから逃れようとしていることだった。人と接することによって得られる喜びや楽しさはもちろん幸福に感じていたけど、裏切られたときの苦しさや、嫉妬している自分の愚かさなどに触れたときに人と接することの面倒臭さを感じてしまうのだ。

さよならをして悲しませるくらいならば仲良くならないほうが良かった

私たちはこう思ってしまう。相手も自分も悲しんでしまう未来があるなら、最初から出会うべきではない、と。しかし、"君(山内咲良)"(浜辺美波)はちょっと違った。もうすぐ死んでしまうというのに、僕と仲良くなろうとしていた。

積極的な君に対していつも受け身な僕。君といる時間は楽しいけれど、すでに失われている未来と対面するのが苦しかった。そんなふうに、人と接することに恐怖を抱いている私たちを"君"は最後に優しく肯定してくれた。

私、そんな春樹に憧れてた
誰とも関わらないで、たった一人で生きている、強い春樹に

私は弱いから、友達や家族を悲しみに巻き込んじゃう。でもね、春樹はいつだって自分自身だった

春樹はほんとうにすごいよ。だからその勇気をみんなにも分けてあげてください
そして誰かを好きになって、手を繋いで、ハグをして。鬱陶しくてもまどろっこしくても、たっくさんの人と心を通わせて、私のぶんまで
うん、
生きて

私ね、春樹になりたい。春樹の中で生き続けたい。ううん、そんなありふれた言葉じゃダメだよね
そうだね、君は嫌がるかもしれないけど、
私はやっぱり、

君の膵臓を食べたい


前途多難であり前途多望である中高生に、この作品が届くことは大きな意味を持つだろう。この小説を読んだ彼が専門学校へと進むことを決めたように、本作は、苦難多き若者の背中をそっと優しく押してくれる。

 

〈B面:浜辺美波という逸材〉

次の駅で新幹線に乗り替えます
君も覚悟を決めなさい

f:id:bsk00kw20-kohei:20180202192242j:image日本アカデミー賞の作品賞にノミネートされたこともあり本作を手に取りましたが、本作の主人公である浜辺美波北村匠海は同賞において新人俳優賞を受賞しています。彼らの演技、うまいとか感情移入できるとかいう類ではないのだけど、一言、気持ち良かった。例えば上にあげたこのセリフ。最後の「決めなさい」の部分で尻上がりになる発声の良さ。なんとなく『ミステリートレイン』や『台風クラブ』の工藤夕貴を彷彿とさせるのです。またそれに加えて、「図書室」「高校生」という設定から連想する映画『Love Letter』の中山美穂も被さってくる。ちょっと昭和的というか、バブリーというか。私はまだ22歳で、実際にその時代を生きたわけではないのだけど、ミステリアスで透明感がある浜辺美波をそういった名女優に重ねてしまいました。

そして相手役の北村匠海といえば今クールのドラマ『隣の家族は青く見える』でゲイの男の子を演じています。中性的な言葉遣いと行動が特徴的な役柄で、この演技はすごく難しいと思うのだけどその女性っぽい部分に「浜辺美波(山内咲良)」要素を感じてこれまた面白いです。彼の発声、「わーたるん」のような尻上がりな口調は、浜辺美波の影響を受けてるんじゃないかなぁ、と勝手に予想しています。すごく聞きとりやすくて、心に入り込みやすい優しいトーン。その心地よいトーンは『君の膵臓を食べたい』にも『隣の家族は青く見える』にもぴったりとフィットしていきました。

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君の膵臓をたべたい (双葉文庫)

君の膵臓をたべたい (双葉文庫)

 

焦らずゆっくりと私たちの家族を作ろう/中谷まゆみ『隣の家族は青く見える/第1話』

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無知こそが要らぬ偏見や差別を生むんですよ

これは、松山ケンイチ演じる五十嵐大器が、後輩社員の矢野朋也(須賀健太)に説教されるシーンで発せられる台詞である*1。本作が伝えようとしているのはまさにこのことではないだろうか。偏見や差別は無知から生まれ、わたしたちはその"無知"から目を逸らしているということ。不妊症や同性愛、DINKsや外面を気にする家族が"ひとつ屋根の下"で息づいているこのドラマが描くのは、私たちが生きているこの世界の多様性と、それを知って(見て)考えることの重要性であろう。

 

この世界に生きる人々の多様性。それは例えば子作りに対する考えの違い。

小宮山深雪(真飛聖):いろんな考え方があっても、子どもを欲しいっていう思いは女性共通の願いよ。やっぱり女は子どもを産んでこそ一人前だもの〜
五十嵐奈々(深田恭子):いろんな価値観があるんで子どもを持つことが女性の全てとは思いませんが、わたしは欲しいと思ってます

子どもを産むことが幸せだと考える人がいれば、欲しくないと考える人もいる。また、色々な事情で子どもを産みたくても産めない人もいる。このように「子作り」という一つの事象を取ってみても人によって考え方は様々なのだ。本作のストーリーメイクには、物事に潜む多様性をできるだけ多角的な視点から、できるだけ注意深く描き出そうという試みが垣間見える。

 

"多様性"がこの作品の深いトーンであるから、上記のセリフによって毒のある女性という側面を覗かせた深雪にも、娘を気遣い愛情を与える母親の側面や、インスタに興じ隣人のバッグを気にする女性としての側面が共存している。また、多様性というのは人物の性格だけではなく様々な事象にも現れる。

大器:うちの家族ってほんとうるさいよなぁ。言いにくいこともガンガン言ってくるし、遠慮がないっつーかなんつーかさぁ
奈々:うーん。そこが良いんだよぉ。ああいう賑やかな食卓には憧れてたんだぁ。大ちゃん家の家族は理想だよ

「孫の顔を見たい」と言う五十嵐聡子(高畑淳子)に、「それはセクハラだよ」と注意する娘の琴音(伊藤沙莉)。この会話によって、フィルターにかけることをせずに何でも言ってしまうこの家族関係に一度は警鐘を鳴らすも、それに対して奈々は優しく肯定してみせる。このようにして物事や人物に対する否定と肯定を繰り返しながら、人や物事には2つ以上の面が存在しているということを、このドラマは丁寧に描き出そうとしている。

少し気になるのは、この「多様性」という語りが心なしか説教じみていて、男性をはじめとして見るのが辛いと思う人も結構いるのではないかなぁということ。しかしこのドラマにおいて素晴らしいと思ったのは、そういった真面目な論を掲示しながらも、男性同士のロマンスが語る愛の美しさや娘へと向けられる笑顔の優しさ、恋人の前で本音を吐き出す純朴さなど、ラブコメディの群像劇としてドラマをいい意味で軽くしている点だ。

 

大器のつった足を伸ばす奈々、という描写から始まる第1話では「焦り」と「引き延ばし」という動きが顕著に現れていた。「僕の子どもを産んでください」といきなりの告白をする大器に、焦らずゆっくりやりましょうと言わんばかりの笑顔を浮かべ足を伸ばしてあげる奈々。この収縮と弛緩という動きは、「子作り」の話になると逆転し、「もう35歳だし…」と焦る奈々に大器は「まだ大丈夫じゃない」とお餅を食べながら引き延ばそうとする。子ども好きな大器がこう言うのは、自らの恐怖に乗じてのことだけではないだろう。私には、焦らずマイペースでやっていこうという自由さと、奈々に降りかかるかもしれない困難を跳ね除けようとする優しさに見えたのです。問題を先送りにしているという側面ももちろんあるのだろうけど…。
まぁ何が言いたいかというと、足りないものをお互いに補い合うというのが夫婦なのではないのか、ということである。一方が与えてばかりなのではなく、互いに与え合うことの重要性。

夫婦関係や家族関係の難しさ。ぴったりとパズルのようにハマっていると思っていたはずが、徐々にズレが生じてくるということ。その違和感や気持ち悪さを本作では「不妊症」という事象を用いて現してはいるけれど、何もそれだけに限ったことではないと、この作品は伝えようとしているのではないか。4つの家族が紡ぎ出すこの世界の真理に、注意深く目を凝らしていきたい。

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*1:職場の年少者が年長者に対してある種格言めいた言葉を発するという手法は映画『永い言い訳』を思い出しました。あまり説教臭くならずに本旨を伝えられるのが良いですね。

"サイコーな君"のとなりで、/Netflix『このサイテーな世界の終わり』

f:id:bsk00kw20-kohei:20180109001257j:imageThe End of the F***ing World | Netflix Official Site

Netflixで1月5日に公開された『このサイテーな世界の終わり』が最高に面白かった。同じ公開日の『Devilman』が予想どおりヘヴィーな作品だったので、その箸休めとして本作を観たはずだったのですが、こっちの方を一気見してさきに見終わってしまうという、それはそれで嬉しい誤算でした。

「海外ドラマ」がポップカルチャー界での高い地位を獲得していっている昨今、私自身、1話50分とかのドラマは中々見づらくて敬遠してしまっている状況なんだけど、本作は20分×8話なので気軽に見れるし、ポンポン話が進んでいくのでテンポも良く、また、その短さの割にキャラクターもストーリーも凄く立っていて大満足してしまった。コンビニエントでクオリティの高い作品なんて最高としか言いようがないですよね。f:id:bsk00kw20-kohei:20180110132618j:image

さて本作の内容なんですが、単純に言えばサイコパスな少年・ジェームスと不良少女・アリッサの「ボーイミーツガール」ものでした。孤独で何か"闇"を抱えている2人が、このサイテーな世界でなんとか生きていこうと奮闘する姿が描かれます。

本作における一番のハイライトは、第4話から第5話にかけて描かれる「孤独→ふたり」という画面の動きでしょう。もとよりこの2人は、「大事な人を失っている」あるいは「大事な人に見捨てられている」という点で"孤独"という相似形を共有していました。そんな彼らはひとりではなく「ふたり」で生きていくことによって生きる意味を見出していく。

第4話が大きな転換点であり、ロードムービーとしてどこか平和ボケしたような最初の1、2話からは一転し、生きていくことの難しさを教えるようなシビアな状況に物語は進んでいく。「ふたり」になった彼らが再び「孤独」へと回帰する場面です。孤独になった彼らの行動や言葉を見るうちに視聴者である私たちは、はじめて彼らが「孤独」だったのだと知ることになります。そしてそれは彼ら自身が「わたしは孤独だったんだ」と知る場面にも重なっていく。

その日 静寂に音があることを知った
耳をつんざく音

ジェームスは「母親」という大事なものを11年前に失っている。そしてその別れはあまりにも突然で衝撃的なものでした。池に沈んでいく自動車の、数分前までは助手席に乗っていたはずなのに、母親と自分の空間はその瞬間に完全に分断されてしまう。そこから彼は(そして彼のお父さんも)「隣にいたはずの人」を失くした状態で生きていくことになります。この、自動車を使った「ふたり→孤独」という画面の動きは、そのままアリッサと出会ったあとのドライヴにおける「孤独→ふたり」という展開にも使われるのだけど、第4話において再びジェームスは孤独になってしまう。

しかし17歳のジェームスは、11年前に母親を失ったときの彼からは変わっていました。それは「静寂に音があること」を知ってしまっているからです。耳をつんざく音。また同時に「"ふたり"に音があること」にも気づいたことでしょう。それは、ときにアリッサの叫び声や怒鳴り声、汚い言葉たちだったかもしれない。しかしその音を「愛おしい」と感じてしまう"感情"がジェームスには芽生えていたのです。

第5話において再び孤独がふたりへと変わる。本作では、ジェームスとアリッサが横に並んで同じ方向を見ているというシーンが多いのだけど、第5話の再会のシーンでもそれは例外ではありませんでした。机を挟んで向き合うというよりも同じ方向を向いて同じ方向に進んでいくこと、自動車の座席に座っているようなその感覚が、彼らには必要だったのでしょう。

あまりにも衝撃的なラストでしたが、これほど胸がざわついたことはありませんでした。となりにいたはずの人を失ったアリッサもジェームスのように立ち直ることができるのだろうか。

悲しくも愛おしい物語。

残酷でしかし美しすぎる、愛の物語です。f:id:bsk00kw20-kohei:20180110132637j:image

(追記)

シーズン2が決定してるみたいだ。ということは…?

君はここから出られないのだ、夏!/長久允『そうして私たちはプールに金魚を、』

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見てくださいよ、この少女たちの煌めきを。かっこよすぎるでしょ…。

本作『そうして私たちはプールに金魚を、』は、第33回サンダンス映画祭の短編部門でグランプリを受賞した作品。この映画祭もその栄冠もどれくらい凄いのか判断しかねるんですが、なんでもこの映画祭によってタランティーノデイミアン・チャゼルが発掘されたらしいです。まぁそんな付随品はどうでもいいのでこの映画を見ていただきたい。ファーストインプレッションは相米監督の『台風クラブ』で、それほどに衝撃的で青々しくてグッときた。

この映画、演出も脚本もルックもハイクオリティでエキサイティング。27分という短さで40以上ものシーンが繰り出さられていくのでドライブ感もリズム感もすごく良くて、もはやグルーヴすら感じてしまうほど。音楽を消費するように気軽に何度も再生させてしまう恐ろしい映画です。

www.youtube.com

舞台は埼玉県狭山市。4人の少女たちは「海」が無くて「狭い」という文字が堂々と入り込んでいるこの町のことが大嫌いで、でも一生ここからは出られないという諦めを感じながらその"閉塞感"と日々格闘している。

どうせ出られないのだこのダンジョン
奇跡が起きないと鍵が開かないシステムなんだ
例えばさ
14と15の間に新種の数字を発見するとか
ちょうど3時に猫に会うとか
服がたまたま信号機とか
トイレの天井にチワワの霊を見つけるとか
朝日と同時にC7鳴らすとか
そういう奇跡がいくつか続いてやっと鍵が外れる
ハードモードのダンジョンなのだ

そう、この世はダンジョンなのだ。よっぽどの奇跡が起きないとここからは出られない。「海」がない町で水泳部に所属しているという彼女たちの姿が象徴しているように、彼女たちは大きな海へと続くことのない小さなプールで泳いでいるしかない。しかしそれでも彼女たちはこの世界の外に出るという一縷の望みを捨てないでいて、本作でのそれは「ゴミ箱」や「コップ」、「金魚すくい」など、「穴を覗く」という画でもって象徴的に描かれていく。この世界のどこかに異世界へと繋がる入り口はないものか、あるいはダンジョンを抜け出る出口はないものか。この狭山市という小さな町は、『ストレンジャー・シングス』のような世界とリンクしていき、彼女たちは「裏世界」を抜け出したいウィルやウィルを探し続けるマイクたちのように「脱出」(もしくは「生還」)を求め続ける。

そういった「脱出」のイメージが最後、「プールに金魚を」放つという行動に巧みに繋がっていくのである。もちろん金魚というのは彼女たち自身に他ならない。金魚すくいのポイでは一匹も掬(救)ってやれないけれど、どうにかして異世界を見せてあげたい。この行動は、彼女たちのそういった執念が生み出した最大限の挑戦であった。しかしその決意をもってしても「結局」彼女たちの人生は何も変わらない。

私たちはいつも「結局」だ
「結局」真っ暗で
「結局」綺麗な金魚は見れなかった。
「結局」次の日には事件になっちゃって
「結局」バレて怒られて停学になった。
「結局」そんで夏は終わった。
「結局」受験もそこそこにやって
「結局」そのままどうでもいい高校に入る。
「結局」私たちはこの町から出ないだろう。
「結局」何も変わらない。
「結局」私たちがやったことに
意味なんて一つもない。
「結局」…

本作では「穴を覗く」というイメージに加えて「赤と白」が執拗に映し出されている。それは、カルピスに刺さる赤いストローや居酒屋である笑笑の看板、ボウリングのピンなどであるが、このイメージは果たしてどこに繋がっていくのか。前述した『台風クラブ』があのような形で幕引きするように、本来「赤と白」というイメージで白が制服となると赤には「血」や「死」というものを連想させる。ところが本作で彼女たち(白)に対応するのは「血」ではなく「金魚」の赤だ。自殺でも殺人でもなく、「金魚400匹窃盗事件」である。

本作の主題歌は1971年にリリースされた南沙織の「17才」をアレンジした曲である。この歌の「わたしは今生きている」という歌詞が鮮烈で本作でも少女たちがこの歌を歌うシーンが印象的な画でもって描かれている。彼女たちに渦巻く感情は恐怖、退屈、葛藤、挑戦、反抗など様々だ。そのような感情を抱きながらしかし驚くくらい「生きている」ことを実感していく彼女たちの姿は美しい。

自殺ではなく金魚を、。
そう。人生なんて「結局」なのかもしれない。しかしそれでも世界を変えようとする彼女たちなりの「生」の渇望と強く輝く瑞々しさに胸を撃たれてしまった。f:id:bsk00kw20-kohei:20180103194933j:image

p.s. 少女たち4人の演技がすんばらしかったです。心を動かす演技とはこのことだ。

 

《追記》f:id:bsk00kw20-kohei:20180103212234p:image以上がこの作品に影響を及ぼした映画みたいです。映画見過ぎだし盛り込みすぎですね。最高っす。

Vol.2 サンダンス映画祭グランプリ作『そうして私たちはプールに金魚を、』を完全解剖!<前編> ゲスト:長久 允監督 | OTAMIRAMSのクリエイターに効く映画学 | Shuffle by COMMERCIAL PHOTO より引用

2017年ベスト映画&ドラマのお話

f:id:bsk00kw20-kohei:20171225205131j:imageはい。(いつも通り)映画漬けの一年でした。せっかくブログというものを始めたので大々的に記録しておきたいと思います。今年映画館で観た新作映画の数は67本。加えてNetflixで限定公開された映画を2本、見逃した映画をレンタルで2本観たので、合計71本(邦31、洋40)!2年連続で最高記録更新しました!というわけでここからベストを選出。10本に絞って選考理由はこうだ!と言えてしまえば最高にクールなんですが、どこにもそのような技量は見当たらなかったのでそれでも頑張って絞り込んだ映画20本を記しておきたいと思います(おまけでドラマ10選も)。『ツインピークス』を入れ込んだ「カイエドゥシネマ」の年間ベストみたいに、ドラマも映画と同列に考えて同じランキングに組み込むことができればこれまた最高にクールですよね。まぁそんなこともできない(一介の映画好きがそんなことをする必要も感じない)ので以下別々に羅列していきます。

 

【2017 BEST MOVIE 20】

 

20. 黒澤清散歩する侵略者f:id:bsk00kw20-kohei:20171218221832j:image

19. ケン・ローチ『わたしは、ダニエル・ブレイク』f:id:bsk00kw20-kohei:20171218221828j:image

18. 東伸児『しゃぼん玉』f:id:bsk00kw20-kohei:20171218221824j:image

17. 矢口史靖『サバイバルファミリー』f:id:bsk00kw20-kohei:20171218221821j:image

16. ケネス・ロナーガンマンチェスター・バイ・ザ・シーf:id:bsk00kw20-kohei:20171211214832p:image

15. 冨永昌敬南瓜とマヨネーズf:id:bsk00kw20-kohei:20171212125906j:image

14. 小林勇貴全員死刑f:id:bsk00kw20-kohei:20171212125918j:image

13. ニコラス・ウィンディング・レフンネオン・デーモンf:id:bsk00kw20-kohei:20171212125942j:image

12. ノア・バームバック『マイヤーウィッツ家の人々』f:id:bsk00kw20-kohei:20171212130003p:image

11. 大九明子勝手にふるえてろf:id:bsk00kw20-kohei:20171225203456j:image

10. 荻上直子『彼らが本気で編むときは、』f:id:bsk00kw20-kohei:20171212130022j:image

9. ナ・ホンジン『哭声 コクソン』f:id:bsk00kw20-kohei:20171212130120j:image

8. 白石和彌彼女がその名を知らない鳥たちf:id:bsk00kw20-kohei:20171212130134j:image

7. デイミアン・チャゼルラ・ラ・ランドf:id:bsk00kw20-kohei:20171212130153p:image

6. エドガー・ライトベイビー・ドライバーf:id:bsk00kw20-kohei:20171212130222g:image

 

5. クリストファー・ノーランダンケルクf:id:bsk00kw20-kohei:20171212130942j:image

 

4. ポン・ジュノ『オクジャ』f:id:bsk00kw20-kohei:20171212130316p:image

 

3. トム・フォードノクターナル・アニマルズf:id:bsk00kw20-kohei:20171212130951j:image

 

2. 三島有紀子『幼な子われらに生まれ』f:id:bsk00kw20-kohei:20171212131004j:image

 

1. ドゥニ・ヴィルヌーヴ『メッセージ』f:id:bsk00kw20-kohei:20171231180432j:image

  1. メッセージ
  2. 幼な子われらに生まれ
  3. ノクターナル・アニマルズ
  4. オクジャ/okja
  5. ダンケルク
  6. ベイビー・ドライバー
  7. ラ・ラ・ランド
  8. 彼女がその名を知らない鳥たち
  9. 哭声 コクソン
  10. 彼らが本気で編むときは、
  11. 勝手にふるえてろ
  12. マイヤーウィッツ家の人々
  13. ネオン・デーモン
  14. 全員死刑
  15. 南瓜とマヨネーズ
  16. マンチェスター・バイ・ザ・シー
  17. サバイバルファミリー
  18. しゃぼん玉
  19. わたしは、ダニエル・ブレイク
  20. 散歩する侵略者

これがマイベストです!我ながら多様なジャンルを抑えていて感心ですね。今年は、昨年の『君の名は。』や『シンゴジラ』のような誰もが知っていてその年の印象を決定づけるようなヒット作は出ませんでしたが、「わたしたちの日常」と多くの接点がある映画が沢山公開されたことが印象的でした。邦画の上3つには「われら」「彼女」「彼ら」と代名詞が並びますが、その物語のどれもが映画内の登場人物だけでは完結せずにわたしたちの生き方にまで強く迫ってくる。映画は映画内の登場人物たちによって作り上げられる物語ではありますが、それと同時に「わたしたち」の物語でもあるのだということを再認識させられた作品群でした。ちなみに一番「わたし」に刺さったのは『勝手にふるえてろ』でした…。

洋画は音楽映画からホラー映画まで、豊作の年であったと思います。ノーランにチャゼル、ポンジュノにヴィルヌーヴと巨匠たちの映画が一気に公開されて非常に楽しかった。それぞれが違う取り組み方で、大きな物語を私たちに見せてくれて、もうとにかく最高でした。役者でいうとエイミー・アダムス(『メッセージ』『ノクターナル・アニマルズ』)とジェイク・ギレンホール(『ノクターナル・アニマルズ』『オクジャ』)に魅せられた一年になりました。ベストからは漏れていますが是枝裕和や吉田大八、河瀬直美といった日本映画界のホープ(と言うにはベテランだけど)が描きだしたもろもろの作品も素晴らしかった。そして『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』は、今年最も興奮した映画のひとつだったことは間違いないのだけど、どこに入れればいいのか分からなくなったので一旦無視しました…笑。私が何よりも推したいのは『幼な子われらに生まれ』!日本アカデミー賞で最優秀作品賞にならなかったらおそらくそこまで注目されることがないまま消え去ってしまいそうなので、ここで大声を出して宣伝しておきます!

『幼な子…』にも代表されるところですが、今年の邦画は大手シネコンよりミニシアター系で観た作品の方が素晴らしいものが多かった印象です。同じような題材である『ナラタージュ』と『南瓜とマヨネーズ』を対比させてみても、分かりやすくて可愛らしくてポップで、という正のイメージが後者に付与していく。『三度目の殺人』や『美しい星』、『打ち上げ花火…』などなど、今年の大手シネコン邦画は「分かりづらい」がネガティブな結果を生み出してしまっているような気がする。大衆向けを少し回避しているところに好感は持てますが、う〜ん。この傾向は良いことなのでしょうか。とりあえず、『勝手にふるえてろ』とか『南瓜とマヨネーズ』あたりを多くの人に見てもらいたいですね。まぁ来年は、白石和彌や吉田大八、沖田修一、細田守監督あたりがなんとかしてくれるでしょう。

 

続いて、ほとんどおまけのような形でこちらも。1位の作品は今年という位置づけで良いのか分かりませんが、NHKでもやってましたし、何よりもこの素晴らしさを一人でも多くの人に知っていただきたいので選出しました。それぞれの画像、適当に選んだのだけど「目線」が印象的。交わるのか交わらないのか、同じ場所を見つめているのか向き合っているのか。この作品群に共通する何かが浮かび上がってきそうです(適当)。

【2017 BEST DRAMA 10】

1.『火花』Netflix、監督:廣木隆一f:id:bsk00kw20-kohei:20171208182133j:image

2.『カルテット』(TBS、脚本:坂元裕二f:id:bsk00kw20-kohei:20171208182137j:image

3.『13の理由』Netflix、製作/脚本:ブライアン・ヨーキー)f:id:bsk00kw20-kohei:20171226003305j:image

4.『架空OL日記』読売テレビ、原作/脚本:バカリズム、監督:住田崇)f:id:bsk00kw20-kohei:20171208182208j:image

5.『セトウツミ』テレビ東京、監督:瀬田なつき,坂下雄一郎,杉田満、脚本:宮崎大)f:id:bsk00kw20-kohei:20171223150558j:image

6.ハロー張りネズミ(TBS、演出,脚本:大根仁f:id:bsk00kw20-kohei:20171223150541j:image

7.ストレンジャー・シングス シーズン2』Netflix、製作:ザ・ダファー・ブラザーズ)f:id:bsk00kw20-kohei:20171223150547j:image

8.『住住』日本テレビ、原案,脚本:バカリズム、監督:住田崇)f:id:bsk00kw20-kohei:20171223150215j:image

9.『刑事ゆがみ』(フジテレビ、演出:西谷弘ほか、脚本:倉光泰子ほか)f:id:bsk00kw20-kohei:20171223150616j:image

10.監獄のお姫さま(TBS、脚本:宮藤官九郎、演出:金子文紀ほか)f:id:bsk00kw20-kohei:20171223150959j:image

 

 

《おまけ》
個人的なアカデミー賞(ドラマも含む)

邦画好きなので日本人が多めになっております。ご了承ください。

最優秀作品  メッセージ
主演男優賞  浅野忠信(「幼な子われらに生まれ」「刑事ゆがみ」)
主演女優賞  エイミー・アダムス(「メッセージ」「ノクターナル・アニマルズ」)
助演男優賞  阿部サダヲ(「彼女がその名を知らない鳥たち」)
助演女優賞  満島ひかり(「カルテット」「監獄のお姫さま」「愚行録」ほか)
最優秀監督  三島有紀子(「幼な子われらに生まれ」)
最優秀脚本  坂元裕二(「カルテット」)
最優秀歌曲  Another Day of Sun (From "La La Land")
最優秀作曲  メッセージ - ヨハン・ヨハンソン
長編アニメ  夜は短し歩けよ乙女